香の優しさ?

「あぁ……そうかよっ!」

「ぶっ……」


香は俺の答えを聞いた瞬間、震えた声を出し、一瞬でゼロ距離にまで近づき、俺の右頬を殴った。いってぇ……だが、これでいい。十五回殴られて、みんなが助かるなら。


「るかぁ……あんだけオレが好条件出してるのに、全部無碍にするなんてなぁ。お前、すげぇよ」


香は仰向けに倒れ込んだ俺の上に立った。


「さぁて……後十四発、いくかぁ。あぁ!」

「うぐっ……」


二回目、今度は左頬を殴ってきた。そして三回目……


「うぇっ……」


今度はまさかの喉を殴ってきた。どこを殴られてもいい覚悟はできていたが、そこを殴られた俺は一瞬だけ意識が飛び、まるで舌を抜かれたかのように喋れなくなった。


「ごほっ……ごほっ……ごほっ……」


当然、殴られた箇所が箇所なので俺は咳が止まらなくなった。


「おいおいおい……お前、ゴミノウィルスか? 汚ねぇ、なぁ!」

「ごぼぁ!」


四回目、香は一度立ち上がり、俺のアゴを思いきり蹴った。


「はぁ……はぁ……」

「ちっ、紛らわしい咳なんかするからだ」


後、九回残ってるのか……これ、多分。いや、百発百中で意識なくなるな。


覚悟はできていたつもりだった……だが、思った以上に香の攻撃は一つ一つが重すぎた。だが、その選択肢を決めたのは俺だ。最後まで責任は取らないと!


――なにより、大事なチームメイトがこれからの試合に響くのはよくない。俺を即戦力扱いはしていたが、現役サッカー部の充希と氏真にはかなわんしな。


「あーあ。ただ殴るのだけじゃ、つまらんな」

「……?」

「……ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ♡」

「げ……ぐ……」

「はははっ。死にかけのカエルみたいな声だな。かわいいなぁ……るか♡」

「……す……て」

「おいおいどうした? 抵抗しろよー? 後十回残ってるんだぞー?」

「ぁ……ぅ……」


香は優しい声色を出していたが、俺の首を絞める強さはものすごくキツい。優しい声を出しているはずなのに、されていることのせいで下手に怒鳴られたり、殴られるより、何倍も恐怖を感じた。


「……ぉ」


そして、俺は完全に意識を手放した。


「「瑠夏!!」」

「流川君!」

「流川!」



「……ん。あ」

「よぉ、起きたか? るか」

「ひぃっ……!?」


目を開けた瞬間、俺の目には俺の意識をなくさせた元凶の顔が、ドアップで映っていた。おそらく、自分の下に俺の顔を乗せているのだろう。

そして俺は、恐怖のあまり思わずうわずった声を出してしまった。


「……ひってなんだよ、ひって」


……やばいな。また香を怒らせてしまったか? まだ充希たちの無事も確認できてないのに。俺はまた殴られたり訳のわからない選択肢を与えられてしまうのか!?


と、思っていたが……


「まぁ、あれだけのことをしたんだから、怖がられても仕方ないよな」


あれ……殴ってこない? しかもなんか、しおらしい?


「こ、香……充希たちはどうした? 意識失っている俺を殴りまくって解放したか? それともご丁寧に俺が意識を取り戻すまで待機してたのか?」


俺はしおらしい香相手にイキリ散らしてしまった。さっき散々やられっぱなしだった腹いせに思わずこんなことを口に出してしまった……バカだ。また殴られるぞ。


「大丈夫。お前の仲間たちは解放したよ。後、お前の意識がトンでからは、オレは一発も殴ってない」

「え……?」


俺がポカンとしていると、香は俺の頬をさすってきた。


「……いっ」


さっき香に殴られたため、アザができており、指一本触られただけでも恐ろしい痛みが走った。


「ああっ、ごめん! るか!」

「……っ、謝るくらいなら、最初から殴るなよっ!」


ああ、また強気な態度を……今度こそ殴られるか? と、身震いをしていると。


「冷たっ……なん、だ!?」


なにかが俺の頬をつたい、床にこぼれ落ちた。その正体は、香の涙だった。


「な、なんだよ香!? いきなり泣くなんて!」

「るか……るか……ごめんな! 本当にごめんな!」


香はぐちゃぐちゃの顔と声で、俺に詫びの言葉をかけてきた。


「いや、だから謝るくらいなら……てか、なんで急に泣くんだよ!?」

「だって……オレ、大事なるかのことを傷つけて! 無理やり彼女と別れさせようとして! 言うこと聞かないと殴って……オレ、本当にクズだぁ!」


「ああ、その通りだよ」と肯定という名の皮肉の言葉を浴びせたかったが、まるで五歳くらいの子供のように泣きじゃくる香を見ていると、そんな冷徹な言葉は喉奥に引っ込んでしまった。


「オ、オレ……機嫌が悪くなると、いつもカッとなって、人殴って! ごめんな! るかぁ!」

「あー、もう。泣くなよ面倒くさい!」


その代わり、さっきのお返しとばかりに俺は香の頬をペチンと、軽く叩いた。お返しにしては軽すぎるが。


「る、か……?」

「……全く。しょうがないな。ただ、充希たちにもちゃんと謝れよ」

「るか……一緒に行って?」

「ダメだ。お前も番長やってんなら、雑魚の俺に頼らず、筋はちゃんと通せよな!」

「雑魚って……るかは強いよ?」

「なわけあるか」


はー……全く。ぶん殴った後は精神年齢が幼児になったり、さっきから調子狂わされてばっかだ。


「あ……そういえば香! 試合はまだ始まってないか!?」


ここで俺は二回戦のことを思い出し、香の膝から頭をどけ、立ち上がった。


「試合は大丈夫だよ。まだ別のチームが対戦中だから。るか達のチームはその次だよ」

「い、急がねぇと……」

「大丈夫大丈夫。最悪、オレが圧力かけておくから」

「その方が他に試合をやっているみんなに申し訳ないわ! てか、どんだけ権力あるんだよ!」

「オレ、先生より偉いから!」

「はぁー……本当調子狂う。じゃあ、俺行ってくるから! なんども言うけど、後で充希たちに謝れよ!」


俺はそう伝え残し、空き教室を後にした。そして、その教室には香ただ一人が残されたのであった。

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