渡る世間はヤンデレばかり
下・心
プロローグ 憧れの人はモテてばかり
――高校一年生の六月……
すっかり桜が散り、雨のじめっとした匂いをかすかに感じる。この時期になると、俺もようやくクラスに溶け込むことができたころだ。
――そんな俺の日常にある変化が起こった。
「あの流川君……私、ずっと前からあなたのことが好きだったの!」
藍色の美しく長い髪にビー玉みたいに透き通った瞳、それを守るかのようにかけてある赤渕の眼鏡。そして誰もが目を引く大きな胸に長い脚をした女子が俺に告白をしてきた。
彼女は門矢梨音。俺と同じクラスにして、クラスの高嶺の花と言われている人気者だ。まぁ、この見た目で高嶺の花じゃないというのもおかしな話だが
「えっ……!?」
そんな彼女からの告白に俺は拍子抜けし、間抜けな声を出た。そして、現実逃避をするかのように、体育館裏の傷や少し汚れた窓をボーッと見つめた。
頭も悪く、それでいてクラスで特別目立っているわけではない俺が門矢さんから告白された。そんなことあるわけがないと思い、頭の中がこんがらがってしまったのだ。
もしかしたら弄ばれているのではないか。そんな気持ちも一瞬よぎりつつ、面と向かって門矢さんの顔を見つめなおした。彼女の顔は紅潮しており、瞳が潤んでいた。それも、今にでも泣きだしそうな感じだ。そして、身体全体をもじもじとさせていた。
――間違いない。これは本物の、正真正銘の告白だ。彼女の態度を見て、そう確信した。
▲
――告白された日の朝、教室にて
「るーちゃん!」
いきなり甘えた声が俺の耳に入り、背中にほんの少しの柔らかさを感じた。はぁ、とため息を出しつつ、後ろを振り返ると、紫色の短い髪とそれについている少し色あせた紫色の花のヘアピンが目に映った。
「紫苑、恥ずかしいからいちいちくっつかないでくれよ……」
俺に抱き着き、背中に胸を押し付けている子の正体は、幼馴染の平野紫苑だ。もっとも、本当に胸が俺の背中に当たっているのかと疑問に感じるほど彼女は貧乳だが。
「えー? 小学校にいたころは当たり前だったじゃん~紫苑、寂しいなぁ」
「いいから、離れろ!」
「おっとと……酷いなぁ、もう!」
俺は紫苑を無理やり振り払った。紫色の垂れた目にちょっとムカつく猫口、そしてさっき言ったように平べったい胸、その身体を包んでいる制服の上に羽織られた灰色のセーターが目にうつった。
「今の俺たちは高校生だろ!? 思春期真只中でそんなことされたら、周りから勘違いされるだろうが! それに、俺自身も恥ずかしいし! それに、あまり無いとはいえ背中にもろに色々当たってだな……」
「勘違い~? それって、どういうこと~? ほれほれ~」
と、言いながら紫苑は露骨に胸を押し付けてきた……それも、いたずらっぽい笑みを浮かべながら。クソ、むかつく。
「うっ……」
高校に進学してからというもの、俺に対するスキンシップが悪化している。小学生の頃は普通に抱き着いたりだけだったが、今は俺を誘惑するかのように抱き着いてくるのである。もっとも、長年の付き合い故、異性として見ていない俺は全く靡かないのだが。
「紫苑はその勘違いをされてもいいんだけどな~。むしろ、されたい! それと、背中に当たってってなにがかな~?」
「……分かった上で言ってるだろ。とにかく、俺はそういうことを人目のつくとこでされるの、嫌だからな!」
「またまた~照れちゃって~!」
「照れてねぇよ……」
とにかくこの幼馴染はつきまとってくる。まるでひっつき虫のように。正直うっとうしい……だが、不思議と悪い気はしなかった。相手が幼馴染だからこそだからか。
「おやおや。今日も二人はお熱いな~」
と、ここで間に割って入るかのように、俺たちを茶化す輩がやってきた。
「あっ、充希! ちょうどよかった! こいつをはがしてくれよ~」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか。平野のやつ、中学の時はお前がいなくてずっと抜け殻みたいになってたんだからな! 空白の三年間を埋めてやるって感じで優しくしてやれよ! 三年間ってことは、後二年十ヵ月くらいで返済できるってことだな! ははははははは!」
「笑ってないでなんとかしてくれよ!」
その輩は、三葉充希だ。特徴は逆立った黒い髪とスポーツマンのような髪型だ。まぁ、こいつはサッカー部なのでスポーツマンなのは確かなのだが……そして、実は充希と紫苑は同じ中学である。だから紫苑から嫌というほど俺の話を聞いていたとのことだ。だから、入学してすぐに仲良くなれた。要は、俺にとっては高校に入ってから初めてできた友達である。
「ちょっと三葉君! 紫苑たちの邪魔をしないでよ!」
「邪魔なんかしてないぜ! むしろだな、俺は応援する立場にいるんだ!」
紫苑と違い、俺は別に邪魔とは思っていないが、正直今の言い方にはムカついた。なぜなら、応援というより楽しんでいるように見えたからだ。愉快犯め……
「うるさいっ!」
すると、いきなり紫苑は自らスカートを捲った。太ももがもろに見えた瞬間、気まずいという感情がよぎったが、それすらも吹き飛んでしまうほど、あるものが目に映った。
なんと、太ももにベルトがかかっており、そこにはカッターがつけられていた。
「これ以上紫苑たちのラビリンスを邪魔すると……刺すよ?」
紫苑はそのカッターを手に取り、充希に刃を向けた。
「じょ、冗談! 冗談だって……」
さっきまで飄々としていた充希も、さすがにビビったようだ。彼は少しずつ後退りし、逃げるように自分の席へ戻った。
「おい紫苑、危ないだろ……」
「るーちゃんも、三葉君なんかに構ってると……刺すよ?」
今度は俺に向かって刃を向けた。しかも喉元に。一ミリでも近づくと、もろにぶっささりそうだ……
「わ、悪かったよ……許してくれ」
「うん! 許す!」
「うおっ……」
「るーちゃん、大好きだよっ! ちゅっ……」
おいおい、教室でおでこにキスはやめてくれよ……しかも、抱き着きながらだ。
そして、さっきと打って変わって紫苑は笑顔になっていた。全く、こいつは情緒不安定だな。
――とはいえ、そこは昔からというわけではない。俺と別の学校に通っていたころの中学時代に形成されたかどうか分からないが、高校に進学し、再会した後にこんな一面を見せている。当時は一時的なものかと思っていたが、入学してから二ヵ月過ぎた今でもこんな調子だ。治る気配はまるでない。
「おはようございます」
と、教室にある女子が入ってきた。俺は声に反応し、条件反射でそちらの方を見た。
「いや~門矢さんは相変わらず美人だな」
「どういうわけか、意図しなくても勝手に目が惹かれるよな」
「まぁ、俺らのクラスの中では一番美人でスタイルいいしな!」
「おまけに胸もでかい! 目の保養ってやつだよ!」
「それに、顔だけじゃなくて頭もいいからな! GW後のテスト、学年トップだったし」
「天は二物を与えずって言葉があるけど、あれは嘘だよな!」
「さすが、クラスの高嶺の花って言われるだけあるよな! それに、眼鏡も可愛い!」
「全ての萌えポイントを兼ね備えた超人だな」
その高嶺の花こと門矢梨音は、藍色の長髪をなびかせながら、優雅に席に座った。なにを言われても表情一つ変えていないため、どうやら男子たちからの称賛の声も、意に介してないようだ。まさにクールビューティー……
「……」
俺も男子のやつらと同じく、じーっと門矢さんを見つめていたが……
「ねぇ」
「え、なに?」
怒気を含んだ渇いた声が俺の耳に入り、その声の主……そう、紫苑の方を向いた。
「るーちゃん! 今、紫苑以外の女の子見てたでしょ?」
「み、見たような、見ていないような……」
「嘘! 絶対見た!」
と、発狂しながらまたスカートの中からカッターを取り出した。今度はさっきの脅しとは違い、本気の目をしていた。
「うわっ、あぶねーよ!」
どうにか間一髪のところで避けられ、痛みは感じなかった。しかし、本当にケガしてないか気になったため、手で頬をさすり、その手を目で確認した。
「……マジか」
俺の手には血がついていた。痛みは感じなかったため、カッターは頬をかすった程度であると思われる。
「どう? るーちゃん? これで紫苑の痛みが分かった?」
「痛みって……もう少しよけるのが遅かったら、俺ガチで深手を負っていたかもしれないんだぞ」
「うるさいな。他の女にうつつを抜かするーちゃんが悪いんだからね。紫苑、悪くないもん」
……言い方はまるで小学生だな。やったことは犯罪レベルだけど。
「ん? 平野さん、いつまで流川君にくっついているの? もうすぐホームルームが始まるから、自分の席に着きなさい」
門矢さんは眼鏡の位置調整をしながら、指をさして紫苑に注意をした。クールなのも相まって、冷徹な声色に聞こえたが、俺はそれを聞き、ホッとした。なぜなら、彼女の一言のお陰で、これ以上状況が悪化せずに済むと思ったからだ。
「ほら紫苑、門矢さんの言う通りだよ。早く戻らないと……」
「なんなの? るーちゃんは門矢さんの味方なの?」
と、紫苑は言いながら、さっきみたいに喉元に刃を突き出した。なんて恐ろしい幼馴染だ……マジで俺、殺されるのではないか。と息を吞みそうになったが、少しでも喉を動かしたら、刃が刺さると思い、どうにか抑えた。逆に、冷や汗を抑えることはできず、止まらなかった。
「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、ちゃんと席に着かないと授業とかできないし……」
「ふーん。るーちゃん、あんないい子ちゃんおっぱい眼鏡の味方なんかするんだ。そうだよね~あの子人気者だもんね~! るーちゃんもああいう子が好きなんだよね~! だって紫苑のような絶壁じゃ、満足できないもんね~」
いつもなら、俺に注意されるとそそくさと素直に席に戻るのだが、今日は違った。俺より先に門矢さんに注意されたことで不貞腐れ、更にその意見に賛同したように見えたことで、気を悪くしたのだ。俺は賛同したつもりは一切なく、ただ当たり前のことを注意しただけなのだが……
「とにかく、席に戻りなよ」
「……」
なんて面倒な奴だ。そっぽ向いて聞こえないふりしてやがる。
「あの……紫苑さん?」
「……」
「マジで頼むよ。俺まで怒られるんだからな」
「ベー!」
うわっ、門矢さんに向かって舌出しやがった!
「おい紫苑! いくらなんでもそれは失礼だぞ。いいから席に戻ってくれ」
「……しょうがないな」
やっと分かってくれたか……と、思いきや
「紫苑のこと、昔みたいにしーちゃんって呼んでくれたら、席に戻ってあげる」
「え……」
恥ずかしい条件を突き付けてきた。この歳でしーちゃんって呼ばなきゃいけないのか……
「どうしたの? 早くしてよ。ねぇねぇ、早くして」
何回も急かしながら、また俺にカッターを突き付けた。これ、言わなかったら席に戻らないとかだけで済みそうにないやつかもな……もう背に腹は代えられん!
「……しーちゃん、席に戻って」
「なーに? 聞こえなーい。もう一回」
聞こえないふりしてやがる。小さい声でこそっと言ったのが間違いだった! こうなったら……もうどうにでもなれ!
「しーちゃん! 席に戻って!」
「はーい!」
相当満足したのか、けろっとした顔になった。そして、言われた通りに自分の席へ戻った。
「はぁ……まったく」
そして、俺は顔色を伺うように門矢さんの方を向いた。
「……」
彼女も俺の方を見ていたが、その目は睨みつけているように見えた。本当にごめん! 迷惑かけて!
「はい、皆さん席に着いていますか? ホームルームを始めますよ~」
俺が落胆している間に、先生が入ってきた。
「ん? 流川君、寝ているんですか? 早く起きて下さい」
「……いえ、寝ていたわけではありません。落ち込んでいただけです」
「まぁ、どちらでもいいです。授業に差し支えないように、気持ちを切り替えてください」
「は、はい……」
クソ! 先生、とどめ刺すなよ! 更に落ち込んだじゃねぇか! もう萎えた……ああ、さっさと帰りたい。
▲
「やっと休める~……」
ようやく四時間目の授業が終わり、昼休みの時間に入った。授業の内容を聞くだけで精一杯だったため、俺の頭の中は既にパンクしている。
「はぁ~」
今日は昼飯もいらんくらい眠い。もう席で寝よう。と、机に突っ伏したとたん……
「るーちゃん!」
ゲッ……眠りを妨げるやつが来やがったか。
「あれあれ~? るーちゃん寝てるの~? 一緒に購買行こうよ~」
なんか頬を指でツンツン突かれているような気がする……こいつに構ったら面倒だ、無視無視……
「おー、瑠夏! 俺と食堂行こうぜ!」
また新たな刺客がきやがった……
「三葉君、悪いけどるーちゃんは紫苑と購買行くって決めてるんだからね。あなたの出る幕はないよ」
いや、そんなこと言ってねーよ……勝手に決めんな。
「おいおい~いつも俺が身を引いてやってるけど、瑠夏とは一緒に飯を食ったことないんだぜ? 一度もな。それに、三人で食うことすら、お前は許してくれなかっただろ?」
「当たり前でしょ! 紫苑はるーちゃんだけものだから! 二人きりのパラダイスに入り込まないでよ!」
いや、俺もたまには充希と飯食いてーよ。てか、一緒に帰ったこともなかったよな!? プライベートで遊んだこともないし。
「なんだよ! そもそも平野は俺に瑠夏を紹介したんじゃねーか! さすがにそれはないぜ!」
「うるさいな! まさかあんたがあそこまで気に入るなんて、思わなかったの!」
寝ようとしている俺の前で言い争わないでくれよ……こうなったら!
「おわっ! 瑠夏!?」
「るーちゃん!?」
がばっと起き上がった俺に二人はびっくりしていたが、そんなの知ったことではない。
「紫苑、充希! 俺は今から購買行くが、お前らはなにが食いたい?」
「ええ~瑠夏~食堂行こうぜ?」
「悪いな。今日は曜日限定のパンがあるからな。あれ、お気に入りなんだ」
「今日は火曜日だろ? お前のお気に入りのパンは金曜日じゃなかったか?」
「えっ、いや……たまには別の味も試してみたいなーって」
「そ、そうか。じゃあ、たまごサンド頼むわ」
充希は少し訝しげな顔をしながらも、二百円渡してきた。
「じゃあるーちゃん、行こうか」
「いや紫苑、ここは俺一人で行かせてくれ」
「なんで……? そんなに紫苑と行くのが嫌なの?」
紫苑は捨てられた子犬のような、今にも泣きだしそうなうるんだ目をしながら俺を見つめてきた。そんな顔しないでくれ……というか、すでにスカートに手を伸ばしてるし……顔と行動が一致してない……。
「し、紫苑……今日の購買は超人気のメニューが多いから、人がごちゃごちゃしてんだよ! だから、そんな危険な場所にお前を行かせるわけにはいかないんだ」
「るーちゃん……」
それっぽい言葉を並べただけの言葉で彼女は納得するのかと思ったが、あっさり受け入れた。どうやら、杞憂だったようだ。
「それで紫苑、お前はなにがいい?」
「じゃあ、るーちゃんと同じやつで……」
「じゃあ、行ってくるぜ!」
そして、逃げるように教室を飛び出した。そう、購買に行くのはただの口実だ。本当は、一人でいて落ち着く場所で数分だけ仮眠がしたい。とはいえこんなことを言った以上、あいつらの分を買わないわけにはいかない。だから、先に購買へ行かないと!
こうして一階の購買を目指し、走っている途中……
「廊下は走らないで、ゆっくり歩きなさい」
「あっ、すみません……」
階段に差しかかった辺りで、誰かから肩を叩かれ、注意された。
「あっ!? かかか、門矢さん!?」
後ろを振り向くと、一度も会話をしたことがない憧れの人、門矢さんがいた。
「あっ、そうだ。朝は不快な思いにさせてごめんなさい!」
朝、門矢さんに睨まれたことを思い出し、慌てて謝罪した。許してもらえないと思うが、謝らないと俺の気が済まない。
「そうね……確かに不快にはなったわ」
彼女は藍色の髪を耳にかけながら、睨みつけてきた。
「でも、あなたが謝る必要ないわ。私が不快に感じたのは流川君じゃなくて、平野さんの方よ」
「あ、あはは……」
「それよりも、あなたが買おうとしていたのはこれ?」
と、言いながら門矢さんは俺にビニール袋を差し出して来た。
「え!? マジで!?」
その中には、タマゴサンドと二つの緑色のなにかが塗られているコッペパンが入っていた。果たしてブロッコリーをペースト状にしたものだろうか。
「もしかして、この二つは限定メニュー?」
「ええ、そうよ。というかあなた、今日欲しがっていた割には、把握してないのね」
まぁ、購買に行くこと自体、あいつらから逃れるための口実だったしな……
「でもまぁ、よかったわね。不人気のメニューで。むしろ毎日あるはずのタマゴサンドが売り切れそうな感じだったわよ」
「そ、そうなの!? というか待って。なんで言ってないのに俺が買おうとしたやつがあるの!?」
「そんなの、私が盗み聞ぎしていたからに決まっているじゃない」
「あ、あはは……」
まさか聞かれていたなんて……どう反応したらいいか分からず、愛想笑いしかできなかった。
「ええ。実はこのニガウリバターコッペパンも、勢いで買ったけどよく考えたらまずそうって思ったからどうしようか迷っていたのよ。だから、あげるわ」
「へ、へー……そうなんだ。とにかく、ありがとうね」
ブロッコリーじゃなかった!? ニガウリバターコッペパンってなんだよ!? 紫苑どころか俺の口に合うかどうかも分からないぞ。そんなことより、五分だけ仮眠を……ってあれ? いつの間にか眠くなくなった? もしかして、門矢さんに許されたことで、安心したからだろうか。
「あっ、お金渡すよ」
「そんなのはいいわよ。私がしたくてしたことなんだから」
「えっ、でも……」
「で、流川君。代わりと言っちゃなんだけど……放課後、体育館裏にきて」
「……え?」
突然過ぎて思わずとぼけた返事をしてしまった。一方で門矢さんは顔を赤らめながら、そわそわしていた。聞かれたらまずいのかな……
「いい? 絶対来なさいよ。平野さんに止められるかも知れないけど、無理矢理でもいいから振り払ってでも来なさい。いいわね!?」
「ちょっと待って。どうしてここで紫苑の話が出てくるの?」
「だってあなた、やたら平野さんにくっつかれてるじゃない」
「まあ、そうだね……」
「それに平野さん、あなた以外の人間には心を開いてないようにも見えるのよ。特に私のことは目の敵にしてると思うのよ……実際、私に向かって舌出してきたし」
と、門矢さんは眉をしかめながら言ってきた。
「幼馴染として恥ずかしい限りだよ……ごめん」
「あなたは悪くないわ。むしろあなたも被害者よ」
「被害者って……」
「とにかく、平野さんに好かれているあなたが平野さんに嫌われている私と会ったことがバレたら、彼女はいい顔しないでしょ?」
「……確かに」
いい顔をしないどころか……ね。俺はさっき紫苑からカッターで刺されかかったことを思い出し、身震いした。そして、さっき傷つけられた頬をまたさすった。
「分かった。絶対バレないようにするよ」
「よし、いい子。じゃあ放課後、待っているから」
その言葉を最後に、門矢さんは俺の前から去って行った。
「……とりあえず教室に戻ろう。もう眠くないし」
誘われたことで俺はテンションが上がり、鼻歌を歌い、スキップをしながら俺は教室へ戻って行った。
▲
「ただいまー」
「おお、瑠夏! ずいぶん早かったな!」
「ま、まぁな……」
「てっきり購買混んでいると思ったから、遅くなると思ったんだけどな~」
「いや~、それがめちゃくちゃ空いていてさ! あっさり買えたんだよ!」
俺は門矢さんからもらったことを伏せ、実際に行ったことを装った。だが
「あっ、そうだ。お金返すよ。今日は俺のおごりだ」
「いいのか?」
「おう」
門矢さんから無料でもらったため、俺は渡されたお金をそのまま充希に返した。
「ほい、紫苑も」
そして、紫苑にもお金を返したのだが、その表情はどこか怪訝なものだった。
「……怪しい」
「……え?」
「戻ってくるの早いし、なぜかお金は返すし……なにかあったの?」
「いや、別に……なにもないよ?」
「ふーん……」
「……すん、すん」
紫苑はジト目をしながら、急に俺の身体中の匂いを嗅いだ。まずは足、その次に腰……そして胸、背中。
「……すん、すん」
「ひゅっ……」
そして最後に俺の顔の匂いを嗅いだ。彼女の鼻息がもろに当たって、こそばゆさを感じた。
「……ほかの女の匂いがする」
「えっ……」
「このビニール袋からも……ふーん、そういうことね」
「いや待て待て! 確かにこれはかど……女の子からいただいたものだ! でも、別に深い意味はないんだ! うん……深い意味はない!」
「そう。ならいいよ」
あれ、許してもらえるのか……?
「ただし、今度ほかの女からなにか貰ったら許さないから。それに」
と、紫苑はさっきと打って変わって穏やかな表情で俺を諭した。
「それに?」
「高校生が校内でおごってもらっちゃダメでしょ! ルールにはちゃんと従わなきゃ!」
と、また彼女の表情が変わった。眉をしかめながら、ド正論を言ってきた。
「確かにそれはそうだな。親友の俺でも、擁護はしないぞ」
さらに、紫苑に便乗するかのように充希も俺を咎め始めた。
「それに、お前が隠そうとしていたとはいえ、人からもらったものを自分の手柄にして俺のおごりだとか言うのも、人としてどうかとおもうぞ」
「それは非常に面目ない……」
「ま、次から気をつければいいさ。さて、気持ちを切り替えて、パンを食おうぜ。三人でな」
そして、充希はそそくさと三つの離れている机をくっつけた。
「さぁ、食おうぜ。瑠夏、俺の頼んだたまごサンドくれよ」
「おう。分かった……それにしてもお前、ずいぶんテンション高いな」
「そりゃあ、お前とはじめて飯を食えるんだからな! 当たり前だろっ!」
と、めっちゃ笑顔で言ってきた。
「むー……本当は紫苑、るーちゃんと一緒に食べたかったんだけどな……でも、るーちゃんをちゃんと叱ったことに免じて、許可を出すよ」
「おお……ずいぶん上からな言い方だが、ありがとうな」
「ふん。今回だけだからね」
逆に紫苑は少し不機嫌そうな顔になっていた。
「で、私のパンは? 限定メニューの」
「ああ、これだよこれ……」
「……なにこの緑?」
紫苑が俺から渡されたパンを見て、最初に言った言葉がこれだ。まぁ、当然の反応だわな。
「ニガウリバターコッペパンって名前なんだよね……」
「なにそれ……まぁ、食べてみるわ。いただきます」
まずは一口パンを食べると
「べぇー……ニガーッ!?」
そ、そんなに苦いのか……?
「いただきます」
俺は紫苑のリアクションを見て、なんかのチャレンジ精神が沸いたのか、自分の分のパンを一口食べた。
「ぺぇーっ……ニッ、ニガああああああああああ!?」
なにこれ……めちゃくちゃ苦い……
「ぎゃははははははははははははは! なんだよお前ら……まったく同じひでぇ顔!」
「「うるさいっ!」」
そんな俺たちを充希はひと事のように笑っていた。
▲
――放課後。俺は門矢さんから言われた通り、体育館裏に来ていた。
「あいつ……追ってきてないよな?」
そして、俺は辺りをチラチラと見回した。周りには雪のような白い花が生えたばかりの木々に、少し薄汚れた体育館の壁が見えた。
「よし……いないな」
いつもは紫苑に誘われて一緒に帰っている上に、部活も入っていない。だからさっき、凄く下手な誤魔化し方をして、あいつの誘いを断った。だから俺を怪しんで着いてきてるんじゃないかと思い、少し不安だったが、大丈夫なようだ。
「はぁ、ちゃんと誤魔化しきれてなかったよな……」
充希がなんとかフォローしてくれたけど、あいつがいなかったら門矢さんとの約束をふいにしたかも知れない。そう思った俺は、改めて幼馴染の恐ろしさと親友のありがたみを感じた。
「流川君、お待たせ!」
「おわぁ!? か、か、門矢さん! いや、お、お、俺そんなに待ってないよ!」
やばい! 憧れの人に声をかけられて緊張して……上手く、上手く喋らないと!
「そんなに緊張しなくていいわ。そもそもあなたを誘ったのは私だし。でも、私の話は聞いて欲しいな」
「あ、ああ……で、話って?」
なぜだろう……心なしか、普段のクールな門矢さんと違って、少し顔を赤らめた。まるで、恋する乙女のような表情だ。
「あの、流川君……私、前からずっとあなたのことが好きだったの!」
「えっ……!?」
――そして、今に至る。
「まっ、待って!? え!? 好き!? 俺のことが!? う、嘘!?」
「ええ、そうよ。たった今、言ったじゃない」
「待って!? それ、本当に!?」
「だから、そう言ってるじゃない。なんども言わせないでっ!」
しつこく聞かれたせいなのか、彼女はむくれていた。それと同時に、少し頬を赤らめてもいた。それにしても、憧れの人から好意を寄せられていたなんて……
「もしかして流川君、私のこと嫌い?」
「い、いや! そんなことないよ! むしろ、門矢さんは俺の憧れで、頭いいし、それに美人だし! だから、むしろそんなに目立たないし、バカな俺なんかと付き合うって釣り合わないかな~なんて! ははははは!」
「……」
笑って誤魔化したのが癇に障ったのか、門矢さんに睨みつけられた。さっきまで潤んでいた目はどこへ行ったのやら。
「流川君の憧れ、か……釣り合わない、か……むしろ私が……たのに」
「え?」
彼女がなにか言ってたが、あまりにも小声だったので、少ししか聞こえなかった。
「なんでもない。それより、流川君は私のこと好きなの? 嫌いなの? 釣り合うとか、そういう問題じゃなくて、ハッキリと答えなさい!」
強い口調で言いながら、門矢さんは俺に迫ってきた。
「え、え……!?」
顔が近い! 少しでも屈んだり転んだり、一歩前に進んだりしたらマウストゥーマウスでキスしそうな勢い! やべえ……目とかめっちゃ綺麗な青色だな。……なにより唇めっちゃプルプルしてる。彼女の美しさに、俺は段々頭がクラクラしてきた。
「流川君! 答えて! 私のこと、好きなのか嫌いなのか!」
「大好きだ! 俺、門矢さんのこと、大好き!」
「じゃあ、私と付き合いたい?」
「おう! 付き合えるなら、付き合いたい!」
「よくできました! 合格!」
僅かな意識を保ちつつ、嘘偽りなく正直に答えると、彼女はにこやかな表情で俺の頭を撫でた。
「私も流川君のこと大好きだし、それにお付き合いもしたいわ。つまり、これは両想いってことね」
「そ、そういうことになるかな……」
「じゃあ、今日から私たちは恋人同士だね。よろしく、流川君」
「あ、ああ……こちらこそよろしく。門矢さん」
「うん!」
すると、突然頬にほんの少しの湿り気を感じ、かすかに妖艶な吐息がかかった気がした。
「あっ、え!?」
そう、俺は彼女から頬に口づけをされたのだ。それを自覚した途端、顔がみるみる熱くなってきた。
「恋人同士なんだから、これくらいはやるでしょ!」
一方、門矢さんはあまり動じている様子はなかった。これが高嶺の花の余裕ってやつなのだろうか。
「それじゃあ早速、一緒に帰りましょう。一緒に帰るもの、恋人同士がやることよ」
「そ、そうだね。俺たち恋人同士だもんな……で、なにその手」
「なに言ってるの? 手を繋いで帰るに決まっているじゃない。手を繋がないで帰るなんて、友達同士でやることじゃないの。私たちは、もう恋人同士なのよ」
「そ、そうだよな……じゃあ、帰ろうか」
いきなりのことだったので、一瞬躊躇しそうになったが、俺は門矢さんの思いに応えるため、差し伸べられた手を握った。
「や、柔らかい……門矢さんの手、すげえ柔らかい! それに、スベスベする!」
「も、もう! そういうこと言われると、恥ずかしいわよ」
「え!? ごめん! 口に出してた!?」
「ええ、思い切り」
「す、すまん……」
思っていたことをそのまま口にしてしまったことに気づき、恥ずかしくなった。
「ふふっ……流川君、面白いわね」
「あ、ああ……ありがとう」
俺は微笑んだ門矢さんを見て、またドキドキした。
「それじゃあ、行きましょう」
「あ、ああ!」
こうして、憧れの人である門矢梨音と恋人同士になった。これで、俺の学校生活もバラ色だぜ! そう思っていた……
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