育たなかったミニトマト
こやま智
家電の死神
仕事中に少し席を外して戻ってきたら、俺のスマホに熱心に語りかけている女の子がいた。
「…というわけでね、非常に申し訳ないんだけど、残りの日々を悔いなく過ごしてもらいたいというか」
他人のスマホで誰と会話してるのだろう。声をかけた。
「…何してんの?」
彼女はこちらを意に介すこともなく会話を続けている。
「ああごめんなさい、すぐ済みますから。まあ、転生したらもっと性能もよくなるだろうし、バッテリーも持つように…って、あれ?見えてます?」
「何が?君が?」
彼女は自身の体を見回しながら、困惑した様子で言った。
「おかしいな、見えないって聞いてたのに」
「ばっちり見えてるし、ついでにいうと邪魔だよ。なんなの?」
「ええと、わたくし、死神でして」
人事課だろうか。
「俺リストラされんの?」
「いやいやそうではなくて、比喩ではなくて、命を奪う」
というと、スピリチュアルなほうか。よく見ると、黒いローブはそんな雰囲気がするかも。
「俺なんか悪いことしたかな」
「はあ」
反応の悪い死神に、私は精いっぱいの命乞いを試みた。
「君には君の大事な生活があるのかもしれないが、俺も理不尽な死を受け入れるつもりはない。たぶん君の思い描く理想の僕は現実の僕とは…」
会話の途中で彼女は行き違いに気づき、私の話を遮った。
「あ、ストーカーとかそういうのではなくてですね。というかあなたではなくて、このスマホに用があるんです」
「僕のスマホに?」
「はい。私、このスマホに寿命を告げに来たんです」
「…なんで?」
「なんでとは」
「いる?その仕事」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「いりますよ!」
いるんだ。
「私、生前は研究者になろうとしてたんですけど、どうしても解剖とかだめで」
何の話をしてる?
「で、死んでから死神になってくれって頼まれた時も、生き物の命を奪うとか怖くてできませんっていったんですよ。そしたら」
ああ、やっと話の流れがつかめた。
「君にもできる仕事があると」
「はい」
もう一度確認した。
「改めて聞くけど、その仕事、本当に要る?」
「いりますよ!」
「よくわかんないけど、要約すると、このスマホもうすぐ死ぬの?」
「はい。それで来たんです。覚悟がいりますからね」
ようやく話が通じて、少しテンションが上がってきたようだ。
「いるのかなあ。どっちかっていうと、バックアップとかしなきゃいけないのは俺のほうだと思うんだが…」
「それは、スマホさんも心配されてましたけど、クラウドでバックアップされてるから平気だろうって」
「割と己に詳しいのな、こいつ…」
素直に感心した。
「ただ新しいモデルはホームボタンが変わって少し使いにくくなってるから心配だって」
「けなげな…」
「死に方ですが、爆死ではないって伝えたら安心してました」
よくできた奴だ。もっと早く知りたかった。
「直したりはできないのか」
「運命ですからね」
「で、いつお亡くなりになるの」
「今日の夕方の予定なので、そろそろですね」
死神が壁時計を見ながら言った。
「えらい急だなあ。もうすぐお客さんから大事な電話がかかってくるんだよね」
「そうなんですか? …がんばるって言ってます」
がんばるって、どんな風に…と、言ってる間に電話がかかってきた。
「いつもお世話になっております。本日は契約延長について…え、予算がつかない…私どもも、精いっぱいお勉強させていただいて…いえ、あくまで…ん?すみません、スマホの調子が…」
いかん、本当に調子が悪くなってきた。
「とにかく、ぜひとももう一年だけでも…いや、もう少しいけるだろ…」
客先との会話にスマホへの応援が混じる。
だがここで切られるわけにはいかない。
「いけるいける…がんばれ…どうした、頼むよ、今だけは…がんばれっ…」
最後は神頼みだった。
『仕方ないねえ。今回だけは私のほうで頑張ってみるから。君の熱意に負けたよ』
相手先の声が聞こえた。
「え、は、はい!ありがとうございます!延長ですね!失礼いたします!!」
「やった…よくわからんが、契約延長だ…あれ?スマホ?」
スマホの液晶には、もう何も映っていなかった。
「残念ながら…もう…」
うそだろ、電源も入らない。
「ほめてあげてください。彼は文字通り死力を尽くして頑張ってくれたんですから」
「そうだな…」
「係長、敬礼ですよ」
「ずっと隣で聞いてました。素晴らしい生きざまでしたね」
いつの間にか、部下まで集まってきていた。
「みんな、係長のスマホに敬礼!」
翌日。
「あれ?課長スマホ治ったんですか?」
「普通に新品交換されて戻ってきたわ」
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