003 領主が死んだ
その日の朝、物置のような自宅で眠っていたラスタは、鬼気迫るクロエの声で目を覚ました。
「ラスタ様! ラスタ様!」
「……っ! どうしたクロエ!? 大丈夫か!? 何かあったのか!?」
「あっ、私は大丈夫です! 私に何かあったわけじゃありませんから!」
「ならよかった……。で、何をそんなに慌てているんだ?」
「……パルクス・シルバーナ侯爵が亡くなられました」
「侯爵……俺の父だって人か。なんだ、それくらいのことでいちいち起こさなくてもいいじゃないか」
「驚かれないのですか?」
「いや、驚いてはいるよ。特に病気という話も聞かなかったし、死因は一体なんだろう?」
「それが……ウワサですけど、ろくに護衛もつけず夜の狩りに出かけて、そこを魔獣に襲われたとか……。パルクス侯爵は狩りがお好きでしたので……」
「そう……マヌケな死に方だね」
この世界の至る所に分布する魔力を宿した獣『魔獣』――。
それらは夜になると力を増して凶暴化する。ゆえに夜はよほどのことがない限り防壁の外に出てはならない。これはラスタを楽しく蹴りつける貧民街の子どもたちでも知っている常識だ。
貧しい子どもたちでも知っていることを、この領地で一番偉い領主が知らず……いや、知っていたにせよ、それを無視して遊びに出かけて命を落とすようでは、この領地が豊かになるはずもない。
ラスタはパルクス侯爵を父親と認識できない。ゆえに胸の内にあるのは無能な権力者への不快感だけだった。そこに自分を追放した恨みは入っていない。
ただ、子どもは親の死を悲しむものという常識を教えられているので、父親の死を悲しめない自分もまたおかしいのだと、心のどこかで思っていた。
もし葬儀に呼ばれでもしたら、自分はどう応えればいいのだろう……。
「お城に……行きませんか?」
「汚らわしい呪いの子に居場所はないよ。罵倒されて突き返されるだけさ。さあ、今日も師範のところに行って修行に明け暮れようよ」
何か言いたそうなクロエを無視し、道場へ向かうラスタ。こんなモヤモヤした気分だというのに、不思議と体は軽かった。
貧民街の雰囲気はいつもと変わらず、侯爵が死んだからといって喪に服すみたいな雰囲気はまったくなかった。朝方なのでまだ貴族たちも今度についていろいろ長い話をしているのだろうとラスタは思った。
しかし、道場の近くまで来ると少々騒がしくなり始めた。というより、道場そのものに人だかりができているのだ。突然入門希望者が増えることはありえない……。
ラスタは胸騒ぎを覚え、一気に駆け出す。人ごみをかき分け、道場の中に入ると……そこには胸に深い傷を負い、血を流しているアイゼンの姿があった。
「師範……!」
ラスタとクロエは地面に倒れているアイゼンに駆け寄る。まだ息はあるが、顔色は良くない。血の気が引いて、唇もすでに赤みを失いかけている。
押し寄せる年波にも負けない生気あふれる師範はもうどこにもいない。ただ、年相応の老人がそこにいるだけだった。
「な、なにが……! 一体どうなって……!」
「そう慌てるな……。有事の時こそ冷静になれと教えたはずだがな……」
目と口を開き、声を発したアイゼン。ラスタは少し落ち着きを取り戻す。
「し、師範……! 大丈夫なんですか……?」
「見たとおりだ……。それなりの手練れが数人……兵士崩れか、冒険者崩れかはしらんが……この
致命傷……それはラスタが見ても明らかだった。アイゼンを襲った犯人は確実に殺せる箇所をいくつも狙っている。まだ息があること自体、奇跡のようなものだった。
「あいつらの目当ては金目の物だったようだな……。おかげでせっかく貯め込んだへそくりも奪われてしまったわ……」
「そ、そんなの……今はいいじゃないですか……!」
ラスタの言葉を聞いて、アイゼンの顔が少々険しくなる。
「いや、金は大事だぞラスタ。人の命すら簡単にもて遊ぶ悪魔の代物だ。だが、正しく使えば多くの幸福を生み出せる。それをこれからのお前には知っておいてほしい……」
アイゼンはあろうことか体を起こすと、その場に
「師範! やめてください!」
「取り乱すなラスタ! 儂はもうじき死ぬのだ。それは変えられん。だが、お前たちに伝えるべきことを伝えるまでは死なんと決めた。だから、心して聞いてほしい……」
ラスタは歯を食いしばって黙る。もう助からないとわかっていても、恩人から流れる血を見ると黙ってはいられない。だが、ラスタは黙った。
「お前には自由に生きてほしかった。呪いにも身分にも縛られず、他の領地や他の国に行ってでも、好きなようにな……。それが亡きプレシア様の願いだと儂は思っていた……」
プレシア……顔も見たことがない母の名を聞きラスタはハッとする。アイゼンは元シルバーナ騎士団長。当然、侯爵家のことはよく知っている。
「ゆえに儂はお前に修行を付け、勉強もさせた。実は儂も座学はからっきしでな……。お前たちに教えるための勉強を必死でしたものだ……。そして、いつか役に立つと思い、金もこっそり貯めてきた。まあ、お前たちどころか、不届き者にもバレていたようだが……」
ラスタはあのへそくりが自分のためのものだったと聞いて、思わず声が出そうになる。だが、血が
「シルバーナ領は日に日に悪くなっている。それを感じ取った儂は揺らぎ始めていた。きっとこの領地を良くしてくださると思っていた長男アロイ様が峠の事故で亡くなられ、その後は見切りをつけたように次男ブラス様、三男テルル様も家を捨てていずこかへ……。残っているのは四男ベリム様とラスタ……お前だけだ」
アイゼンの表情はより険しくなる。死の苦しみからではない。この領地の現状に関して、アイゼンは顔をしかめているのだ。
「死を前にしたからには……恐れずに言う。ベリム様は間違いなく暗君になる……! あの方にこのシルバーナ領を任せては、滅ぶのも時間の問題だ! あれにはパルクス様が最低限持ち合わせていた人の心のようなものもない! 悪い部分だけを先鋭化させたような存在だ……!」
鬼気迫る言葉にラスタは思わずのけ反る。ただ、ラスタもベリムの悪評は耳にしたことがあった。
汚らわしいと言って貧民街には来ないが、平民街や城下町には護衛をぞろぞろ連れてやって来て、近くを通った人々にひれ伏すことを強要している。
それだけならまだしも、大衆食堂にやって来ては食べ物に文句をつけてコックを引きずり出し、口答えしようものなら手に大怪我を負わせて帰る。
自分好みの女を見つければ既婚者であろうと連れ帰り、飽きるまで城に閉じ込めて帰さない……など、絵に描いたような腐った貴族のふるまいで領民を苦しめているらしい。
それでも、人々はまだ命を奪われないだけマシと言う。これが領主となり、さらなる立場と権力を手に入れれば、遊び半分で領民の命を奪うようになると誰もが確信していた。
「あれがシルバーナ侯爵家の当主に、そしてシルバーナ領の領主になるのを止められるのは……ラスタ、お前しかいない……! 勝手なものばかり押し付けられる人生だと思うだろうが……どうかシルバーナ領を、領民たちを救ってほしい……!」
散る間際の命の魂の叫び……。しかし、他でもないアイゼンの言いつけを守っているラスタは、非常に冷静に物事を見ていた。
「師範の最後の願いなら……叶えたい。でも、俺は五男だ……。爵位の継承順位は四男のベリムの方が上で、どうしようもない……」
「いや、シルバーナ家本来のしきたりは違う。今は忘れ去られているが、古来よりシルバーナ家は武力を
「そ、それは本当なんですか!?」
「ああ、こんな時に嘘は言わん。元はシルバーナ家だけでなく、どの家にも独自のしきたりが存在した。今は楽だからという理由でとりあえず長男に継承させている家が多いが、しきたりそのものは消されずに生きている……!」
「つまり、その決闘の儀で俺がベリムに勝てば……」
「ラスタ・シルバーナ侯爵となる……!」
自分が侯爵に……。そんなことは一度も想像したことがなかった。呪いがなくとも本来五男になど継承権は巡ってこないからだ。
「ここまで話しておいて、卑怯なことを言うが……決めるのはお前だ。本当はもっと余裕をもって選ばせてやりたかった……。呪いを制御する方法も見つけてやりたかった……。しかし、ついぞ呪いを
「師範……! 俺、戦います! 領主にもなります! だから……!」
「ありがとう……すまなかった。あまり多くのものは残してやれなかった……」
「そんなことないです……! 師範がいなきゃ俺は……!」
すでに大量の血が流れ、肌は灰色に近くなっていた。だが、アイゼンは最後の力を振り絞って口を動かす。
「最後に……1つだけ覚えておけ……。この腐り落ち、枯れ果てた領地にも、お前を理解してくれる者は必ずいる……。敵ばかりではないのだ……。歪んだ環境では正しき者も間違いを犯す……。見極めろ……お前にはその力がある……!」
最後にアイゼンが見せた表情は笑顔だった。
「すまんが後は頼む……。クロエと共に……振り返らずに行け……我が弟子ラスタよ……」
アイゼンの口は閉じられ、もう二度と開くことはなかった。
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