002 老騎士アイゼン
それから、しばらくして――。
「はぁ……はぁ……。走り出すと重くなるって、なんなんだよぉ……!」
好調から一転。重くなってしまった両足を引きずりながら、ラスタは師範がいる道場……という名のおんぼろ屋敷にやって来た。
あわただしく扉を開き、中にいる白く長い髪とヒゲを持つを持つ老人に挨拶する。
「ラスタ・シルバーナ、ただいま参りました!」
「10分少々の遅刻だが……まあ、いいだろう」
この道場の主、師範と呼ばれる老人の名はアイゼン・アルギュロス。
侯爵家の剣とうたわれるシルバーナ騎士団の団長にまで上り詰めたにも関わらず、退団後は役職や爵位を用意されることもなく、城下町や平民街にすら場所を与えられなかった男である。
それゆえに黒いウワサは絶えないが、ラスタは彼のことを心から尊敬していた。
貧民街に用意された物置のような家でうずくまるだけのラスタを連れ出し、戦うための技術を叩き込んでくれたのはアイゼンだからだ。彼はラスタが知る限りでは、初めての味方だった。
重ねてきた年月を思わせる顔の深いシワとは裏腹に、アイゼンの肉体は80歳を超えているとは思えないほど鍛え上げられ、まるで鋼のようだった。
そして、彼の手には本物の鋼の剣が握られている。質が良いとは言えないが、アイゼンの筋骨隆々の腕で振るえば、人間の体など簡単に斬り裂いてしまうだろう。
「準備は完了していると見て良いか?」
「はい! お願いします!」
道場の中央で対峙する2人。道場には床がなく、地面の上にそのまま立つことになる。逆に言えば、突然体が重くなっても床をぶち抜く心配がないということだ。
「ゆくぞ……右腕だ!」
「はい!」
薙ぎ払うように横振りで繰り出された剣を、ラスタは素肌の右腕を出して受け止めようとする。
普通ならば右腕が飛んで終わりだが、ラスタの場合は……ガギンッという金属と金属がぶつかり合う音と共に、繰り出された攻撃を無傷で受け止めてしまった。
それどころか、攻撃を仕掛けた剣の方が真っ二つに折れ、先端の方がブスッと道場の地面に突き刺ささる。それがちょうどクロエの近くだったもので、彼女は小さな悲鳴を上げて後ずさる。
「この修行、何度見ても生きた心地がしません! 本当に何か意味があるんですか? 私はいつかどこか吹っ飛んじゃうんじゃないかって心配で……」
「意味は……ある! 次は頭だ!」
「はい!」
すでに新しい剣を持っていたアイゼンは、ラスタの頭に剣を振り下ろす。通常なら頭が勝ち割れるところだが、またもや剣は受け止められた。
しかし、今度は剣が折れることはなかった。その代わりにラスタの頭から血がにじみ出て、美しい銀髪と額を濡らし、頬へと伝っていく。
「ひぃぃぃ! 言わんこっちゃありません! 大丈夫ですかラスタ様!?」
「ああ、薄皮が斬れただけだよ。俺の体ならすぐ治る」
薄皮が斬れただけで血が出たりはしない。今の一撃でラスタは確実にダメージを負っていた。
「望む場所を望むように
「すいません……。最初の右腕は上手くいった気がしたんですけど……」
鋼の呪いによって体が変質する現象を『鋼化』と呼んでいる。変質する部位やタイミングは完全にランダムで、そこにラスタの意志は存在しない。
しかし、もし鋼化を完全に制御できたら……。重い苦しみから解放され、自由自在に体を動かすことができる。それどこか、呪いの力を戦闘に応用することも可能になる。
ゆえにラスタはアイゼンと共に何年も鋼化の制御に心血を注いできた。上手くいったような気がする日もあれば、まったくダメな日も多々ある。彼らの願いは、未だに叶う前兆すら見えていない。
それでも、ラスタは諦めずに修行を続けた。
「血は止まったな……。今度は左でいくぞ!」
「はい!」
午前中は鋼化訓練と素手の状態での体術訓練に費やし、昼時にはラスタの体の至る所から血がにじんでいた。頑丈だからって痛みがなくなるわけではない。上手く硬いところに当たっても、衝撃は体内に伝わってくる。
まれに攻撃が当たった感触だけが伝わり、その他すべてのダメージを遮断する完璧な鋼化が発動する時もあるが、それを自分の意思で発動することは……やはりできない。
それでも、それでも、ラスタは諦めずこの呪いを逆に支配してやる日を夢見ていた。
だが、彼も人間である以上、ふと不安になることはある。一体、いつまで呪いに苦しめられることになるんだろう……と。そんな弱気な心の声を押さえつけるのも、また修行の一環になっていた。
「よし、昼飯にするとしようか」
「は……はい!」
不安を振り払ったラスタは、クロエと共にアイゼンが用意してくれた昼食をいただく。
メニューは何の肉か定かでない干し肉、まともな小麦で作ったとは思えない硬さのパン、岩塩の塩気で味を誤魔化したスープ……。これでも貧民街にしては良いものを食べている。
「ラスタ様、よく噛んで食べてくださいね。喉に食べ物を詰まらせた状態で喉が鋼化したら、吐き出すのも一苦労ですから」
「はい……気を付けます」
ラスタはそれで1回死にかけたことがあった。言いつけ通り無心でもぐもぐもぐと口を動かす。
そうしている間にも早食いのアイゼンはさっさと食事を終え、道場の隅に置いてある薄汚れたタンスの中身を確認し始めた。これは毎日行われることなので、ラスタはその中身が何なのか気になってしょうがなかった。
しかし、その答えを意外にもクロエは知っていた。
「あの中にはへそくりがはいってるんですよ」
「師範が……へそくり? 似合わないなぁ」
「でも、私見ちゃったんです。師範があのタンスから金貨がパンパンに入った灰色の巾着袋を取り出すところを……! きっと毎日そこにあることを確認してるんですよ」
「ふーん、あの師範がね……」
そう言ってチラリと視線を師範に向けると、今まさにその灰色の巾着袋を取り出している最中だった。中には硬いものがたくさん入っているのか、表面が非常にデコボコしている。それに重そうだ。
「本当っぽいな」
「ラスタ様に嘘なんて言いませんよ」
あの厳格な師範でもこっそり金を貯めるのだと、ラスタは少し親近感を覚えた。もちろん、毎日食事をラスタたちにふるまっているのだから、金を持っていないはずはない。
ただ、あれくらい溜め込めるほど資金繰りに余裕があると思うと、無償で面倒を見てもらっているラスタにとっては救われる思いだった。
「でも、金貨をあのボロダンスに入れておくのはどうなんだろ? 金庫とかの方がいいんじゃないか?」
「いやですねぇ~。この街で金庫なんて置いてたら、逆に目立って金庫ごと持っていかれちゃいますよ~」
「それもそうか……」
貧民街では盗られる方が悪いという理屈がまかり通っている。それは人々の心が
裁かれやしないのだから、盗った奴を悪く言ってても仕方がない。自分が悪かったと思って、次はもう盗られないように祈るしかないのだ。
とてもじゃないが、普通の人間が安心して暮らせる場所ではない。でも、貧民街で生まれ育ち、貧民街の中しか知らないラスタにとっては、居心地の良さを感じているのも事実。
ほんの数人の理解者に囲まれて、美味しくはないが死にはしない食べ物を食べて、後は呪いさえ何とかなれば、ラスタにとってはもう十分幸せだった。
覚えてもいない城に戻りたいとは思わない。物心ついてから知った自分の不遇の扱いに怒りを覚えることもない。ここでこのまま平和に暮らせればそれでいい。
「よーし、そろそろ午後の修行を始めるとしよう!」
「はい!」
「……と思ったが、今日は午前の修行に熱が入りすぎた。午後からは座学とする!」
「ええっ……は、はい!」
ラスタは座学を苦手としているが、学べるだけでありがたいことは知っていた。アイゼンのおかげで文字の読み書きは一応できるし、簡単な計算、その他一般常識や雑学も学んだ。
それらの学びを生かして将来何をするのか、それはまだイメージできない。とにかく今は呪いをどうにかする手段を探しつつ、平穏に日々が過ぎればいい。ラスタはそれ以上を願わなかった。
だがしかし、平穏に暮らすことほど難しいことはない。
翌日、シルバーナ領全土に領主パルクス・シルバーナ侯爵急逝の報が流れた。
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