家庭教師
2週間弱の冬休みが開けた。凍えるような寒さの中の始業式や課題提出を終え、音楽室に向かう。そこには水谷さんと、音無さんがいた。
「や、明けましておめでとう」
「……おめでとう」
いて当然のことなのに何だか驚いてしまう。音無さんはいつもより若干弱弱しい笑顔を浮かべていた。
「この前はごめんね。急なことで驚いちゃって」
「いや、別に大丈夫。僕こそ、急にごめん」
「ううん、私が悪いから」
「いや、僕が……」
どんよりと暗い空気が流れる。音無さんはいつもと違ってしおらしい。
「……あかりから聞いたんだよね」
「うん」
僕と水谷さんは頷いた。
「隠しててごめん!」
音無さんは僕たちに頭を下げた。
「謝ることないよ。私たちも隠し事されたなんて思ってないし」
「でも、私、言いたくなかったの。だから言わなかった」
音無さんは俯いたままだった。その表情は見えないが、声色は震えていた。
「ごめん。ごめん」
普段の音無さんからは想像もつかないくらい弱弱しい態度。それは僕と水谷さんを動揺させた。
「ううん、私たちは大丈夫だよ」
水谷さんは優しく音無さんの肩に手を乗せた。
「しばらく休もうか。私たちは待ってるから」
「……うん、ごめんね」
音無さんは水谷さんに抱き着くようにして泣き出してしまった。あまりに普段とは違う様子を見て思う。それほどまでに、音無さんにとってあの日語られた出来事は重いことだったのだろう。そして、それを僕らに隠しているという罪悪感が溜まっていたということでもある。僕も、騙されていたなんて決して思っていない。けれど音無さんはいつもどこかで、僕らを騙してしまっているという気持ちを抱いていたのかもしれない。
音無さんはその日を境に音楽室に来なくなった。クラスが違うので様子は分からないが、何か変化があれば水谷さんが報告してくれるだろう。僕と水谷さんは変わらず音楽室に来ていた。
「あ」
練習中に水谷さんが小さく声をあげたのが聞こえた。ちらりと見ると、目が合った。困ったような表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「この依頼、どうしようかと思って」
僕は演奏をやめて、水谷さんが掲げるスマホの画面を見た。
『家庭教師。2週間』
「あー」
スケジュールアプリに書かれた文字を見て思い出す。昨年末のテスト前、確かそんな話をしていた気がする。僕はその時には音無さんのことで上の空だったからすっかり忘れていた。
「どうしよう。一回受けるって言っちゃったんだよね……」
今週からの依頼だ。今になって断るのはどう考えても失礼だった。
「僕だけで良ければ行くよ。演奏依頼じゃないし、技術指導なら僕だけでも務まるかもしれない」
「本当に?……真白君、大丈夫?」
「失礼な。僕だって技術指導くらい」
何なら技術指導しかできない、と開き直ろうとしたところで、水谷さんがそんな冗談を言っているのではないと気づいた。
「違う、そうじゃないよ。……心のこと」
水谷さんは僕の指導力ではなく、精神状態の心配をしているようだった。
「大丈夫。僕は問題ないよ」
僕はそう言って笑うけど、水谷さんはまだ不安そうな顔のままだ。
本当は大丈夫ではないかもしれない。けれど、今は何かをしていなくては暗いことばかり考えてしまう。依頼でもなんでも、何かに打ち込むことでその闇を振り払いたかった。僕らはその依頼に出向くことにした。
「じゃあ、メッセージ送るね」
「うん、よろしく」
そんなやり取りをしていると、ドアが鳴った。来客なんて珍しい。二人で顔を見合わせてから、はい、と返事をすると、ドアを開けたのは代々木さんだった。
「あかりちゃん。どうしたの?」
代々木さんは音楽室を見渡してから、申し訳なさそうに口をつぐんだ。
「あかりちゃん?」
水谷さんが俯く顔を覗き込むと、代々木さんはごめん、と小さく呟いた。
「ごめんって、何が?」
「奏、来てないでしょ?」
「あ、うん。少し休もうって話になって」
「そう…。私のせいだよね」
代々木さんは弱弱しい声で自分を責める。その様子はこの前の音無さんと重なる。
「違うよ。奏ちゃんも納得してのことだったし、誰が悪いとかないよ」
「…ごめん、ありがとうね」
代々木さんはぐすんと鼻を啜った。
「それで奏に頼まれたの。依頼があったはずだから、もし二人が困っていたら力を貸してあげてほしい、って」
「あ、そうなんだ。ちょうど今依頼受けたところなの。もし良ければ一緒に来てもらってもいい?」
「うん、行かせて」
僕たちはこうして三人で依頼先に出向くことになった。
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