音色少女と白い代奏者

山奥一登

プロローグ

 人生の転機は突然訪れる。そしてそれは必ずしも一回とは限らない。

 一つ目の転機は4歳で訪れた。たしか、友達と遊んだ後の帰り道だったと思う。夕暮れ時、自宅へと帰る道程で、僕は何かに導かれるように、いつもとちがう道を選んだ。そして、人生の転機となった音は聞こえてきた。

 僕は足を止め、その音にひたすら聞き入った。幼稚園で先生がいつも弾いているピアノの音だった。しかし、その音は先生のものとはまるでちがうもののように感じる。

 どこから聞こえているのだろう。

 周囲を見回し、少し先に『ピアノ教室』の看板を掲げる建物を見つけた。僕は駆け足でそこまで向かい、ガラス張りのドアの中をそっと覗いた。中では中学生か高校生くらいの女の人が楽しそうにピアノを弾いていた。近くで聴くその人のピアノは、僕を別の世界へと誘った。

 夢中になって聴いていると、突然演奏が止まった。現実に戻ると、ガラス越しにピアノを弾いていた人と目が合った。その人は立ち上がり、僕とその人を遮っていたドアを開けた。

「ピアノ、弾く?」

 その人は微笑みながら手招きした。僕はただ肯いて、ピアノへと向かっていた。


 これが僕の人生の一つ目の転機だった。

 二つ目の転機は、高校生の時に訪れた。




 私が初めてピアノを始めたのは4歳の時だった。私の母親と、最近隣に引っ越してきた同い年の友達、音無奏おとなしかなでとともに近所のピアノ教室を訪れた。奏は引っ越してくる前も習っていたらしく、家に遊びに行った時には新品のグランドピアノもあった。

「あかりちゃんにお手本見せてあげる」

 奏が私に笑顔を見せてからピアノに対面した。思わず息を吞んだ。奏とピアノ。その組み合わせがあまりにも美しかったから。そして彼女が鍵盤を押し込んだ瞬間、私含めてその場の全員が驚いて目を見開いた。

 奏はピアノの天才だった。彼女は4歳と思えないほど情感豊かな旋律を奏で、ピアノを弾いている時は既に世界の全てを見てきたような全能感に溢れていた。技術は稚拙で、子供らしく弾きたいように弾いているだけ。そんな演奏だったのに、その場にいた大人が、彼女の奏でる音をまるで天啓のように有難がって聴いていた。誰をも引き寄せる、そんな引力が当時の彼女には備わっていた。

 私もすぐに、奏の後を追うようにピアノを始めた。


 奏との交流は今でも続いている。同じ幼稚園、小学校中学校を卒業した。そして今日、同じ高校に入学する。

 余裕を持って支度を終えると、改めて鏡で見なりを確認する。真新しい制服に身を包んだ自分は、中学の頃より少し大人びたように感じる。もう一度胸元まである髪に満遍なくクシを通し、時計を確認する。

「少し早いけど向かうか」

 一人でそう呟き立ち上がった。もう一度荷物を点検し、万全の状態で家を出た。

 そしてまずは私の家から徒歩5分の距離にある奏の家へ向かった。奏を迎えに行くのは小学生の頃から私のモーニングルーティンに組み込まれている。インターホンを鳴らしても、奏はすぐには出てこない。これもいつも通りだ。

『ごめん、寝坊した!!ちょっとだけ待って!』

「はーい」

 インターホン越しに聞こえる慌ただしい声に、分かっていたので大丈夫ですよーという意図を込めてわざとらしく間延びした返事をする。スマホを取り出して、真っ暗な画面に映る自分の前髪を整えて待った。

「ごめんお待たせ!」

 5分ほどで奏は出てきた。

「いつものことじゃん」

 意地悪くツンと言うと、奏はごめんってば~と手を合わせた。二人でひとしきり笑い合うと、奏は真剣なまなざしで私をジッと見た。

「な、何?」

「あかり、やっぱり北高の制服似合うね」

「ああ、ありがとう」

 奏は真顔のままそう言った。天然なのかなんなのか、そんな真剣な表情で言うことじゃないだろ、と心の中でツッコミを入れてから歩き出す。

 横にいる奏をちらりと見る。当然だけど奏も私と同じ制服を着ている。黒を基調としたブレザーの胸元には赤いリボン。黒と赤のチェックスカート。この辺では一番可愛いと噂の、同じ制服だ。けど、奏の方が可愛いものを着ているように見えてならない。私と同じくらいの長さの、艶やかに光るさらさらな黒髪。徐々に大人っぽくなっているもののまだ子供のような無垢さも残す輪郭。まっすぐ伸びた背筋にキュッと締まったウエスト、スカートから伸びる細く長い脚。

 ……完璧だ。素材が良いと着ている服までよりおしゃれに見えてしまう。思わずため息が漏れる。

「どうしたの?」

「なんでもなーい」

 私が拗ねた子供のように言うと、奏は不思議そうな顔をした。

 学校までは徒歩で20分。私たちがこの学校を選んだのは偏差値や制服もあるけど、「近かったから」というのが一番だ。

 学校に近づくと数日前から満開になっていた桜並木が現れる。満開の桜は入学する私たちを歓迎してくれているようだった。そよ風が花びらを舞わせ、やがてコンクリートの上を滑るように音もなく着地した。校門に着く頃、奏の頭に花びらが一枚乗っているのを見つけた。

 入学式に相応しい、優しい春の日だった。




「はあ」

 思わず大きなため息が漏れた。快晴。そよ風にそよぐ桜の花びら。初めての出会いの日。そんな晴れの日に相応しくない、腹の底の深い憂鬱を孕んだため息だった。

 僕は生来友達が少ない。そして進学直前に引っ越した僕にはこの学校の友達などいるはずもない。自分の名前だけを確認し、教室へと向かった。また一から友達を作らなければならない。自分から声をかけ、気を遣いながら他愛ない質問を繰り返して、見誤らないよう慎重に距離を縮めていく。……親が転勤族のため引っ越し、転校は何回かしてきた。友達作りもその度にした。そしてその過程の面倒くささを想像して、もう一つ大きなため息をした。

 騒々しい人混みをかき分け、自身のA組の教室に入る。かなり早めに来たつもりだったが、席は既に7割ほど埋まっていた。とりあえず近くの席の人に話しかけよう。僕が意を決した瞬間、先生が来てそのままHRが始まってしまった。


 結局入学式も一度も口を開くことなく帰りのHRを迎えていた。

 周りでは沢山の会話が交わされている。元々知り合い同士の人もいるのかもしれない。僕とちがって勇気を振り絞り一から関係を築いている人もいると思う。僕は現在それを盗み聞くだけの装置と化している。何とかどこかの会話に入れないかとアンテナを張り巡らせるが、みんな共通の友人や部活の話をしていて、余所者が入り込む余地はまるでないように思えた。

 しばらく待ったが、今日はもう無理だと諦めて鞄を肩にかけた。

 とぼとぼと一人廊下を歩いていると、足音と会話で溢れる中に、聞き慣れた、けれどこれまで聞いたことのないような不思議な音が耳に入ってきた。本能的にその音に耳を澄ませる。……かなり遠い。出どころを探るため、目を閉じて聴覚に意識を集中させる。

 そして窓の外を見た。10mほどの渡り廊下があり、もう一つの棟に繋がっている。

「あっちだ」

 人混みばかりの廊下を、音を頼りに抜けていく。会話の声も足音も、いつしか聞こえなくなっていた。




 隣の席の子が可愛い。

 私は正面で話している先生そっちのけで、左隣に座る美少女を見ていた。まっすぐ綺麗に伸びた美しい黒髪に、大人っぽく、けれど年相応のあどけなさも兼ね備えた目鼻立ち。スッと伸びた背筋からはお嬢様のような品も感じる。

 うん、どこをどう見ても可愛い。そして私の直感が告げている。絶対に性格もいい子だと。ぜひ高校でのお友達第一号になりたい。

 話しかけるチャンスを窺うけど、美少女は私と違って先生の話をちゃんと聞いている。ここで話しかけたりしたら「こら、ちゃんと聞かなきゃだめだよ」と優しく窘められてしまうだろう。やっぱりホームルームが終わってから話しかけよう、と仕方なく私も前を向いた。


 ホームルームが終わるとすぐに、美少女と目が合った。正面から見ても可愛い。ドキッとして思わず言葉に詰まる。

「私の顔に何かついてた?」

 美少女は困り顔で頬を抑えた。どうやらガン見していたのを気づかれていたようだ。

「え、あ、その、ちがくて。話しかけようと思って見ていたの」

 急なことに焦ってありのままを答えた。嘘は苦手だ。

「そうだったんだ。良かった……。えっと、水谷さん? よろしくね」

 そう言ってとびきりの笑顔を私に向ける。眩しい。

「こちらこそよろしく。えっと、おとなし、さん?」

「うん、音無奏です。よろしく」

 音無さんはにこりと笑った。かなで、という響きは彼女の雰囲気にとても似合っていて、名が体を表している。

 音無さんは想像よりも気さくな子だった。数分話すだけですぐに打ち解けられて、上品な見た目とは裏腹にとても等身大な人懐っこさを持っている子だった。

「ねえ、音無さん」

「奏でいいよ。私もカレンちゃんって呼んでいい?」

「もちろんいいよ。じゃあ、奏ちゃん」

 私が呼ぶと、奏ちゃんはにこりと微笑んだ。とても可愛らしい笑顔で、自分が男なら絶対惚れていただろうなと思った。

「奏ちゃん。この後もし暇だったらどこか遊び行かない?」

「いいね!! 行こう行こう!」

 私の、初対面では少し攻め過ぎかな、とも思える提案も奏ちゃんは二つ返事で承諾してくれた。

「あ、でも用事あるから少しだけ待ってもらっていいかな」

「うん、分かった」

「ありがとう」

 奏ちゃんは荷物を持って教室を出て行った。スマホを取り出して帰りを待つことにした。


 数分後、奏ちゃんの席の前に誰かが立ったのが視界の端に見えた。もう戻ってきたのかなと思い顔を上げると、そこには奏ちゃんとは別の美人が立っていた。奏ちゃんを少女的な美人と表現するなら、この人は女性的美人とでも言うべきか。思わず見惚れていると、学年によって色が変わる胸元のリボンが私と同じ赤色だった。ということは一年生? とても同い年には見えないくらい大人っぽかった。美人は顎に手を当ててから私を見た。

「すみません、ここの席の子どこ行ったか分かります?」

 美人は奏ちゃんの席を指して私に尋ねた。

「あー、何か用事があるとかでどこかに行っちゃいました。すぐ戻ってくるみたいですよ」

「そうですか、ありがとうございます」

 美人は上品に微笑んでお礼を言った。その微笑み方が奏ちゃんによく似ていた。それを見て私は、この人は奏ちゃんととても近しい間柄なのだと直感で理解した。そして奏ちゃんと同様にいい子だということも。

何か考え事をしている美人に、私は話しかけることにした。彼女ともぜひ友達になりたかった。

「奏ちゃんのお友達ですか?」

 私が聞くと美人は少し驚いて、でもまたすぐに上品な微笑みを浮かべた。

「はい。幼馴染なんです」

「そうなんですね。どおりでなんか似ていると思ったら」

「全然似てないですよ。私なんて奏に比べたら」

「そんなことないです! 二人ともとっても可愛くて……」

「ありがとうございます。えっと、代々木あかりっていいます。よろしくお願いします」

「水谷カレンです。よろしくお願いします。この後奏ちゃんとお出かけするつもりなんですけど、もし代々木さんも良ければ一緒にどうですか?」

「ぜひ行きたいです!」

 あかりちゃんはそう言ってとびきりの笑顔を見せた。そして奏ちゃんの席に座った。

 私とあかりちゃんは奏ちゃんが戻ってくるまで話をした。主に奏ちゃんの話だ。二人は幼稚園からずっと自他ともに認める親友なのだという。私の直感は的中したわけだ。けど、こんな美少女二人がずっとセットでいたのかと思うと周囲の女子の苦労を想像して少し参ってしまった。二人とも可愛いうえにコミュニケーション能力も抜群に高い。しかもこの学校にいるということは頭もいい……。才色兼備とはまさにこのことだろう。……これ、私もやばいんじゃ、とこの後の高校生活を危惧した。

 5分ほど話していると、奏ちゃんが戻ってきた。私とあかりちゃんが話しているのを見て、奏ちゃんは驚いていた。

「何話してたの?」

「ひみつ~」

 二人で笑い合って答えると、奏ちゃんはむーと子供のように頬を膨らませた。

「奏こそ、どこ行ってたの?」

 あかりちゃんが聞くと、奏ちゃんはやり返す様に口に指をあてて「ひみつー!」と言った。

 子供のようなやり取りをしてから三人で笑って、私たちは近くのスタバに向かうことになった。

 二人の美人に挟まれてスタバまでの道程を歩く。とりあえず高校生活はいいスタートを切ることができたと思う。ただ、この二人に挟まれるのは緊張感も半端ではなかった。この二人といても違和感がないくらい、少しでも可愛くならねば。ドラッグストアに目を向ける。……帰りにスキンケア用品買おうっと。

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