山神の縁結び

桜江

山神の縁結び

 見上げる空はどこまでも高く青く。

 そこに虚ろで陰鬱な金属の音がろろろろんと反響していた。

 祝いの魔よけが揺らされて奏でられている音。

 

 山に入って大きな木を1本伐り倒し、その太く長い幹から5本の棒板を作り、先端を加工して、金属の細い板をたくさん付ける。

 この村の結婚式に欠かせない魔よけ。

 

 花嫁をさらいに来る悪魔から守るために、魔よけは結婚式から翌日まで鳴らすのがしきたり。

 鳴らすのは花嫁の家族、花婿の家族、村長むらおさ、世話役の2家。

 

 夜通し交代しながら鳴らす。

 今はその魔よけが完成して、試しに鳴らされているのだろう。

 かろろん、うろろん、と金属が高いところで揺らされてぶつかり合い響きあう音を聞きながら、少女はぼんやり家の裏手で空を見上げていた。

 

 その彼女の手には結婚式で花嫁が身につけるための短衣チュニック

 花嫁の家族が刺繍をそれ一面に施せば花嫁衣装の完成だ。

 鳥や花や、食べ物に困らないようにと願って入れる作物の図柄。

 

 少女が受け持つ背中中央の図案は、夫婦が仲睦まじくあるよう願って刺される鶴。

 鶴は冬に見られる鳥で、灰黒や灰白まじりの毛を持つ大きな渡り鳥だ。誰が言い出したのか、鶴は番を変えないのだと言う。

 

 それで結婚や花嫁衣装には鶴の意匠も多く使われる。

 それを受け持った少女の手は全く動かないままだった。

 青く広がる空をぽかんと見上げたままの少女の視界に影がかかる。

 

「モイ、仕事しろよ」

 どこか生臭い臭いを漂わせた少年が呆れ混じりの声で少女――モイ――に声を掛けた。

 モイは少年に空から視線を移す。臭いに顔を渋く顰めた。

「やだ、ナイナ! あんた湯浴みしてこなかったの? 血の臭いがひどい」

 言われた少年――ナイナ――はすんすんと自分の腕や肩の辺りを臭った。

「あー、着替えたんだけど。それよりおばさんが刺繍の順番回さなきゃいけないから早くしろって」

「……わかってるわよ」

 拗ねて不貞腐れたモイの口調に、ナイナは肩を竦めた。彼女の隣に足を組んで座る。

 

「こっちはもうご馳走の仕込み終わったぞ。大物を仕留めて兄貴も喜んでる」

 兄貴、という言葉にモイがぴく、と反応した。

「なあ、モイ。気持ち切り替えていけよ。刺繍が出来ないなら、祝う気持ちがないと見なされて山に捨てられるぞ」

「いいわよ、捨てられたって。シイナが私じゃない人と結婚するの見るくらいなら山神様の所に行く!」

 

 この村で信仰されているのは山神様だ。

 悪さをする子供を拐っていくのは悪魔。だけどそれを指示するのは山神様。

 山に捨てられるような悪い子だと山神様が悪魔に教えるから拐われて食べられるんだと言われて育つ。

 

 モイの言葉にナイナは盛大な溜息を吐いた。

「なあ、モイ。兄貴はユルのことしか好きじゃない」

 その言葉に傷付いたとでも言うように、モイは大きな瞳にみるみるうちに涙を溜める。

 真っ赤な顔で歯をくいしばってナイナを睨み付けた。

 

 モイだってそんなことは本当はわかっている。

 でもモイにとってシイナは初恋で、いつも優しくて素敵で強い憧れの人だった。

 だけど彼は大事な姉の恋人だった。

 

 モイはもうすぐ14歳。

 彼女には3つ上の姉であるユルがいる。

 ユルは大人しくて優しくて、働き者の自慢の姉だ。

 そして隣の家の4つ上のシイナはナイナの兄だ。

 

 シイナはモイにいつも優しい。

 山に入ればモイのためにと、アケビやイチジクなんかを家の分とは別に取ってきてくれていたし、お祭りでもモイに付き合って山神様の祠までお花を供えに行ってくれた。

 

 この意地悪で口うるさいひとつ年下のナイナの兄とは思えないほどシイナはモイを甘やかしてくれるのだ。

 だから、いつかシイナのお嫁さんになるのは自分なのだとモイは信じていた。

 

「なあ、モイはさ兄貴がモイにだけ・・優しいと思ってたのかもしれないけど違うぞ?」

 ナイナは小刀と木片を腰に下げたバッグから出すと、しょりしょり削りながら言う。

 

「兄貴がおまえを可愛がっていたのは本当だ。だけどそれはユルの妹だからだ」

 しょりしょり、しょりしょり。果物の皮を剥くように軽やかに木片を削るナイナの手元をモイは不満そうに頬を膨らませながら見つめる。

 モイは短衣チュニックを膝に広げて、針箱から糸を付けた針を取り出すと俯いて自分の手を動かし始めた。

 

 ――知ってる。

 モイは下唇の内側をきゅっと噛んだ。


「兄貴がたまにお前らにアケビやイチジクは渡すけど、あれはユルの好物だ。お前あんまり好きじゃないだろ?」

 小刀を動かす手を止めてナイナが言った。

 ぽと、と短衣チュニックの上に雨粒のような染みが出来た。

 黄色い生地のそれに、染みこんだ水の色は濃い。

 

 しょりしょり、とまた音が聞こえてくる。

「山神様の祠だって、モイと2人っきりでは絶対行かなかっただろう? ユルもいたし、俺もいた」

 

 だから、とシイナは呟くように言う。

「モイのことはユルの妹としか思ってないよ」

「――わかってる、わかってた」

 

 ぽつ、ぽつぽつ、と黄色い短衣チュニックにだけ雨が降る。

 モイの滲んでぼやけた視界では刺繍針がきちんと図柄の通り刺さっているかわからない。

 

「……っふ」

 ぽとぽとと止まらないモイの目から落ちる雨をナイナは拭わない。

 

「すき、だった……だも」

「ん」

 木片を削る音の合間合間に、モイが鼻をすする音がする。

「シイナのことすき、だったもん」

「ん、知ってる」

 声を殺して泣く声がしばらく続いて、泣きじゃっくりに変わる。

 ナイナは小刀を下ろして、隣で丸くなっているモイの背中を優しくさする。

「……大丈夫だ、モイ」

 

 ナイナはさすりながら言葉を続ける。

「モイは明るいし、笑顔がきらきら晴れの日みたいだ。ほんとはザクロのほうが好きなことも、山神様の祠に行くのもお供えより白い鹿を探したかったことも、全部俺が知ってる」

「……へ?」

「モイのいいところは全部俺が知ってる。好きなものも嫌いなものも、全部。ユルの真似して赤い服ばっか着てるけど、本当は緑のほうが好き。ユルの真似して家で刺繍とかしてるけど、本当は山で走り回るほうが好き」

 だろ? とナイナが照れたように笑う。

 モイは気の抜けたような声が出たのも気付かず、彼の顔をまじまじと見ていた。

 

「モイはな、泣いた顔より笑った顔のほうが……」

 ナイナは後まで言わず、袖でぐいぐいモイの顔を擦る。

「い、いたっ、痛いから! もっと優しく! ……ていうか、手が臭っ! 臭いよ! 内臓臭い」

「あはははは! さっき熊解体バラしてたから」

「ちょ、笑い事じゃないわよ――って熊!? この時期に!?」

「親父は『山神様からのご祝儀だ』って喜んでたぞ! 結婚式は熊の手が食えるな! 俺と兄貴と親父で仕留めたんだ」

「えっ、すご! ってそうじゃなくて! 無事で良かった」

「子熊でもないし母熊でもなさそうだったからな、山の恵みだ。ほら」

 

 ころん、とモイの膝の上に乗せられたのは熊を模した木像。さっきまでナイナが削っていた木片は小さな熊になった。熊、と呼んでいいのか分からないが、モイには熊に見えた。

 

「……あ、ありがとう」

「なあモイ、今年の祭りは俺が山神様の祠まで連れていってやるよ。それで白い鹿も見つけに行こう」

「……え」

 

 この村の実り季の祭りは山神様の祠へお参りするだけじゃない。

 この日に山神様のお使いと言われる白い鹿を、恋人と見つけることが出来れば、それは運命の相手なのだと。

 一生幸せに添い遂げることが出来ると言われている。

 

「……実り季になれば!」

 ナイナの突然の大声に、モイの背筋がぴん! と伸びる。

「実り季になればもうモイの気持ちも変わってるはずだから。兄貴も結婚してしまってるし」

「……っふ、ふふ、ふふふ」

 顔を真っ赤にして言うナイナにモイは何だか可笑しくなって、笑いが込み上げてきて止まらない。

 

「……っだよ、ほんと、真面目に言ったのにさあ」

 そんなモイを見て、ナイナも悪態をいたが

 顔は困ったような笑顔になり、とうとうつられて笑い始めた。

 

 そうして2人でひとしきり笑ったところで、モイは空を見上げる。

 

 彼女にはこの青くて高い空が憎らしくてたまらなかったはずが、今はなんだかすっきりきれいに見えていた。

 

「――ねえ、ナイナがさっき言わなかったの何だったの?」

「何って何?」

 空からナイナの顔へとゆっくり視線を戻せば、ナイナはモイの知っているいつも通りのちょっと意地悪で得意気に笑う顔に戻っている。

 

「私の笑顔がどうとか――」

「――ああ……笑顔のほうがカワイイなって」

「……か、かわっ?」

「兄貴は見る目ねえよ、モイは可愛い、世界一だ」

 だから、とナイナは満面の笑みで言う。

 

「これでライバルは消えたからな、これからは遠慮しねーから。お前めそめそしてたけどさ。俺だって……ま、いっか」

 ナイナはよし、と木屑を払いのけて小刀をバッグにしまって立ち上がる。

 

「モイ、俺はお前が好きだ。これまで待てたから、お前の気持ちから兄貴が消えるまでいくらでも待つし……いずれ俺に塗りかえるから!」

 

 じゃあ、後でな、と顔はおろか首や耳まで赤くして駆けていくナイナをモイは手を振って見送った。

 その耳に高い金属音が聞こえる。

 

 しゃららん、かろろん、と涼やかで軽やかな祝いの音はモイに何か清らかなものを運んでくれたようで、すっかり気持ちは晴れやかになっていた。

 

 その音に聞き入りながら、モイはほんのり赤く染まった顔に笑みを浮かべて刺繍の続きを刺し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山神の縁結び 桜江 @oumi-nino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ