第5話 上手な甘え方

 あの現実離れした出来事から数週間、ナギサの事は頭の片隅に残ってはいたものの、平凡で忙しい学校生活に追われ、彼を思い返す回数も減っていた。


「お父さん、私もそろそろスマホ欲しいよ。

 友達同士の連絡だって、今はほとんどの子がメッセでやり取りしてるんだよ?

 家の電話しか連絡手段がないのなんてもう私含めて二、三人しかいないんだから」


「そうか? 確かに街を歩いてる人や電車の中を見回すとスマホをいじってる人ばかりだしなあ。

 麻美の言う様に必要とか不要とかじゃなく、もう持ってて当たり前な時代になったのかもしれないね。

 父さんもそろそろ新しい機種へ変えようと思っていたから一緒に見に行こうか」


「本当に! さすがお父さんだね。

 柔軟性があって行動力もあるなんていいことだよ!

 会社の女性にもモテるんじゃないの?」


 私は特に深く考えることなく褒め言葉を並べてみた。普段忙しいお父さんでも、土日は必ず家にいるようにしてくれている。なので会話をする数少ない機会にはなるべく甘えることにしているのだ。


 そして甘える代わりにお父さんの事を褒める。もちろん不満や悩みもあるけど、まずは家の中の空気をプラス方向へ傾けておくと、いざマイナスなことを切り出した時、暗くなりすぎずに済むんじゃないかと考えているからだ。


 わが中原家は父と娘の二人暮らしだし、一旦ギスギスしてしまったら日常を取り戻すのが大変なのだ。かといって我慢し続けながら生活することも難しいという、なかなか気を遣う家庭事情なのでのである。


「モテる、ねえ。

 産まれてこのかたそんなこと一度もないし、これからかもきっと訪れることは無いだろう。

 今こうして麻美と一緒に暮らしていかれるだけで十分だし奇跡みたいなもんさ」


「またまたー、お父さんたらホント大げさなんだから。

 たまには休みの日に遊び行ってくればいいのに」


「まさか! 娘が一緒に出掛けてくれるチャンスを無駄にしたくないよ。

 明日スマホを買いに行ってからどこか行きたいところはあるかい?」


 私は少しだけ考え込んだ後、あのカフェに連れて行ってもらおうと決めた。あの時のアイスオーレとチーズケーキおいしかったなあ。


 それにもしかしたらナギサに会えるかもしれない。スマホを買ってもらった後なら連絡先を交換することもできる。でもお父さんの前でそんなことできるかな?その場でカードを書いたらこっそり渡すことができるだろうか。そもそも初めてのスマホを麻美がすぐに使うことができるのか?


 あれこれと考え込んでしまい返事をするのを忘れていた私を、お父さんが不思議そうにのぞき込んだ。


「麻美? どこか行きたいところ…… ないのか?」


「あ、ああ、あるあるある、候補がいくつかあって考えすぎてただけ。

 ステキなカフェに行ってみたいと思ってたところなの!」


「カフェ…… なんだ喫茶店か。

 そんなところでいいのか? 映画見るとかうまいもん食べに行くとかでもいいんだぞ?」


「じゃあスマホ勝った後にカフェへ行って、それからあそこに行こうよ。

 ずっと前に連れて行ってもらった串揚げ屋さんにさ」


 以前連れて行ってもらった串揚げ屋はあのカフェと同じで、いつものターミナル駅が最寄りである。高級そうでも特別そうでもなんでもなく、古ぼけた看板に油っぽい店内だった。


 初めて訪れたその異空間には、麻美の知らない、ドラマの中のような世界が広がっており、目の前に運ばれてくる串揚げをワクワクしながら待つことがとても楽しかった。


「あそこか、思春期の女の子が行きたくなるような店じゃないだろうに。

 最近は顔出してないからつぶれてしまっていないか心配だが、まあちょっと行ってみようか」


「うん、ありがとう、お父さん!

 早く洗い物やって早く寝ようっと」


 お父さんははしゃいでいる私を優しい表情を浮かべ眺めている。同級生の中には父親の事を悪くいう子も少なくないが、きっと普段の対話が少ないだけなのではないだろうか。


 親なんていて当たり前の存在だとしても、こうやって向き合う時間を作って他愛のない会話をするだけでも違ってくると思う。


 洗い物を済ませてベッドに入った後もアレコレとまとまらない考えが頭の中を回っていた。いつまでこうやって父娘仲良くやっていかれるだろうか。そのうち反抗したくなることもあるのかな。


 それよりもお父さんとナギサはどういう関係なんだろう。あの時、手を繋いで…… 離れ難そうにしていて…… あれは親しいとかよりもずっと深い……


 結局考えはまとまらないまま、私はいつの間にか眠りについていた。

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