7
「このまま……、」
眠りたい。
その台詞を口にすることができす、薫は口をつぐんで瀬戸の胸に額を寄せた。
まだ、性交をしていなかった。この身体は、そのために瀬戸に買われているのに。
「このまま?」
瀬戸が、片手で薫の頭を包み込みながら先を促す。
いいえ、とだけ薫は答えた。それ以上なにも言えなくて。
風がさらに強くなる。窓の外はさながら春の嵐だった。
お互い風の音に耳を澄ませるような、しんと深い沈黙が落ちた。
その沈黙の後、先に口を開いたのは瀬戸だった。
「俺は、蝉に妬いてるのかもしれない。」
静かな声だった。沈黙に、静かに澄んだ水を注ぐみたいに。
「蝉がきみについて知っていることは、俺も全部知っていたい。きみと蝉がしたことは俺も全部したいし、きみが蝉に頼っていることがどうしてももどかしい。どうして俺じゃないんだろうって。」
蝉と一緒に女の人を捜しているんでしょう、と、囁くように瀬戸が問う。
薫は迷いながらも頷いた。
「俺に言ってくれればいいのにって、思ってるよ。」
「でも、観音通りのことだったら蝉さんのほうが……、」
「俺も孤児だった。観音通りにいたこともある。」
「え……?」
「きみと同じだよ。女に拾われてここで暮らしてた。……俺の場合は、ろくな女に拾われなかったけどね。」
何度性病を伝染されたか、と、瀬戸は吐き捨てるように言った。
「だから俺のほうが蝉よりも、きみの必死さとかあの頃の観音通りに様子とか、理解できる部分は大きいと思うよ。……あんな女でも、時々恋しくなる夜がある。」
あんな女でも、時々恋しくなる夜がある。
たまらなかった。その切なさは、多分薫の切なさと同じ色をしていた。
ぎゅっと瀬戸の身体に腕を回し、薫はとぎれとぎれの言葉を紡いだ。
「だとしたら余計に、あなたには頼ったりできない……。忘れるべきだと思うから。忘れられるなら、この通りにいた子供時代なんて、忘れるべきだと思うから。」
また沈黙が落ちた。
窓の外で風だけが轟々と哭いている。
その冷たい沈黙の中で、瀬戸は薫に口づけをした。それは、長い長い口づけだった。
「……やっぱり好きだな、きみのこと。」
耳元の囁きに、薫は思わず泣き出しそうになった。男娼と客の戯れではなく、瀬戸は本気なのだと心の深い部分で理解したからだ。
「俺も、瀬戸さんのこと好きです。」
告げる声は震えていた。誰かを好きだと口に出して伝えるのは、人生でまだ二度目だったし、一度目の女は薫の前から消えていた。
「今日は、このまま眠ろうか。」
瀬戸は薫をひょいと抱き上げると、布団の上におろした。
「眠ろう。今日は悪夢を見ずにすむ気がするんだ。」
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