なぜ観音通りには一月しかとどまらず、孤児院に移ったのか。

 その理由を薫が蝉に話したのは、もう夏がすっかり終わり、観音通りにはじめての雪が降った朝のことだった。

 遣り手や古株の娼婦たちへの聞き込みもあらかた終わり、女の捜索には行き詰まった感があった。

 そのことに蝉は焦っているようで、毎朝薫を抱く手には、一種異様なほどの熱が込められるようになっていた。

 そのことが、薫には妙に切なかった。

 確かに女捜しに手を貸してもらうために、薫は蝉に抱かれた。だから、蝉が女を捜すための手がかりをなくした今、蝉に抱かれる意味はなくなる。

 それは確実なことだけれど、そのことにここまで縛られる蝉の心がわからなくて。

 好みだと、好きだと、何度も言われてはいるけれど、薫にはその言葉を信じることができないからだろうか。

 蝉の熱を帯びた手にがむしゃらに抱かれた後、切なさが募ってふと口に出していた。

 「恋をしたんです。」

 薫の身にぴたりと肌を寄せて横たわり、その髪を梳いていた蝉の指が、一瞬痙攣的に弾んだ後、動きを止めた。

 「……瀬戸さんに?」

 なにかを恐れるような蝉の掠れ声に、薫は首を振って辛うじて微笑んだ。

 「そうじゃない。瀬戸さんはいいお客さんですけど、恋はしません。」

 「じゃあ、誰に?」

 問う蝉の声は、不安定に揺れていた。そしてそれは、応じる薫の声も。

 「あのひとに。」

 あのひと。

 それだけで蝉には話が通じる。

 けれども蝉はじっと黙っていた。

 「あのひともそれに応えてくれた……。おかしいと思いますか?」

 あの頃、薫は六歳で、あの人は二十歳は超えた大人だった。

 随分と長い沈黙が落ちた。その間、蝉はぴくりとも身体を動かさなかった。

 そしてその沈黙の後、蝉がぽつりと呟いた。

 「思わないよ。」

 そして短い沈黙の後、もう一言。

 「そんな気はしてた。」

 そんな気はしてましたか、と、薫は細く笑った。

 「もう俺は自分でも、嘘みたいな気がしてるのに。」

 10年の歳月が長すぎたせいと言うよりは、あの頃ですらすでに嘘みたいだと思いながら恋をしていた気がする。

 全部、嘘みたいだと。

 父母の死も、物乞いも万引きも、彼女との恋も。

 「あんたの心のなかには、冷たく凍った部分がある。」

 ぼそぼそと言葉を噛みしめるように、蝉が言う。

 「その部分に俺も瀬戸さんもハマってるわけだけど、その氷が誰かを冷凍保存するためだって気はしてた。……あんたが冷凍保存したがるのなんて、その女くらいしかいないでしょ。」







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