誰だ⁉ 新聞記者なんて無双転生させた奴は!

齋藤 龍彦

第1話【主人公・天狗騨記者、社用車ごと異世界へ】

 主人公は名を天狗騨てんぐだという。ASH新聞東京本社社会部所属。そのASH新聞はな日本を代表する新聞である。調という限定視点に限られるが、その肩書きだけを見れば、まるで〝エリート〟のように見える。


 しかし彼は組織の中で干されたような状態にあり、ただ今もASH新聞社用車の回送業務といったおよそ記者の仕事とも思えない雑務などをさせられている。だがこの天狗騨という男は頭のネジが飛んだようなところがある。


 車を見てカッコイイと思える感性があれば、もう既にカーマニアと言える。ただ天狗騨の場合その感性が少々変わっていて、ドイツ製の丸っこい車でもなく、イタリア製の平べったい車でもなく、推しは国産のセダン(当然右ハンドル)であり、その最も好ましい色は〝黒〟であった。

 しかしただのセダンでは彼の感性は刺激されない。前方バンパー横付近に新聞社の社旗を取り付けるともうそれはただのセダンではない。シビれるようにカッコイイ! といった感性の持ち主なのであった。

 中でも特に鮮やかな赤が放射状に描かれる、いわゆる旭日旗模様のASH新聞社社旗は他の新聞社と比べ群を抜くカッコ良さがあると、そう天狗騨は固く固く確信している。


 今天狗騨はその自社の社旗を無断で社用車に取り付け本社までの回送ドライブを楽しんでいる。ただ今滑るように走り続けているその場所は正に首都高。社旗をはためかせあたかも事件現場に急行するかのように。

 天狗騨の前方の視界がふいに開けた。遠くにコーナーの防音壁が見える。アクセルを踏み込む天狗騨。この先道が曲がるのにアホか、といったドライビングだったが法廷速度の範囲内である。


 だがASH新聞社用車がグンと加速を始めたその瞬間だった。車が宙に浮いたような感覚に天狗騨は襲われた。フロントガラス越しに紫色の髪の女が『あなたは選ばれし者です』と言ったような気が彼にはしていたが会話する余地も無くただ一方的に告げられた気しかしない。もうほんの次の瞬間には車が落下していくような感覚に襲われている。


 ガクン! と縦の衝撃が天狗騨を襲った。しかし猛烈という程でも無く感覚的にはラリー走行における〝ジャンプ後着地程度の衝撃〟のように思われた。とは言え天狗騨はラリーなどやったことも無かったが。


 天狗騨は首都高から一転、訳の解らない深そうな森の中にいた。切った覚えもないのにエンジンは止まっていて当然車も動いてなどいない。天狗騨が反射的にシートベルトを外しドアを開け一歩車外に踏み出せば、足の裏に感じる沈み込むような柔らかい地面。そして思わず〝あっ!〟と叫びそうになった。


 男の背中の上に右前輪、人間が社用車の下敷きになっていたのである。中世欧州の狩人とでもいうのか、学芸会風にも見える奇妙な出で立ちの若い男であった。


「オイ、君大丈夫か!」声を上ずらせながらも天狗騨がASH新聞社用車の下敷きになった男に声を掛けた。


「車で人轢いて大丈夫なわけねーだろ!」若い男は天狗騨に悪態をついた。


 正直落っこちた意識はあっても人を轢いた意識は無い天狗騨だったが、目の前に車の下敷きになっている男がいるという現実は右にも左にも動かせない。


「待ってろ今助ける!」天狗騨が若い男に声を掛けると男は「お前は車を持ち上げろ! 手を貸すのは女だけでいい!」と口走る。口走るだけでなく手も足もバタつかせてもいる。

(おんな?)(——こんな深山の森のような場所に女など——)と思い始めたところで若い女がそこに立っている事に天狗騨は気がついた。上衣はやはり中世欧州の狩人風の服装だが下衣はなぜかミニスカートである。


(見たところ10代後半か? なんなんだこれは?)率直にそう思うしかなかった。というのもその長い髪の色はエメラルドグリーンなのである。妙なのは女の方だけでなく男もまたそうだった。

(なんでコイツは車の下敷きになっているのにこんなに元気なんだ?)

 若い男はまだジタバタを続けている。その身体に重量をかけているのは人間ではなく車なのである。その重量は1800kgを超える。

(もう少し苦しそうに助けを求めるのが筋ではないのか?)


「リンゼ、助けてくれ!」若い男が若い女に声を掛ける。しかしリンゼと呼ばれた女は立ち尽くしたままで動かない。


(怪しい)その様子を見て天狗騨は直感した。天狗騨の職業は新聞記者である。だから物事をついつい疑ってかかる癖がある。そして記憶を巻き戻す。

(『手を貸すのは女だけでいい』とは引っかかる。男だろうと女だろうと〝この状況を脱するために誰でも手を貸せ〟と言うのが自然じゃないだろうか?)

 そう思った天狗騨は即座に若い男の傍らにしゃがみ込むと、

「女手だけでは無理だ。みんなで助ける」と言って若い男の方をポンと軽く叩いた。激励のパフォーマンスである。その刹那「バカてめッ!」と男が言ったかと思うと—


(消えた⁉)


 跡形も無く男が消え失せていた。文字通り〝蒸発〟であった。


 深山の森の中にとり残されたのは天狗騨記者と『リンゼ』と呼ばれたエメラルドグリーンの髪ををもつ10代と思しき少女のふたりのみ——

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