第19話 約束の記憶

「リーザちゃん大丈夫なのか?」

「本人は大丈夫だって言ってるけど、そんなわけねえよな」

「ライラさんまで神隠しに遭っちゃったんだもんね」

「ライラさん、リーザの親代わりみたいなもんだったからなぁ。寂しいだろう」

「私たちで元気付けてあげなきゃ」

 ライラさんがいた生活が終わって数日が経った。

 あの事件については公表することで混乱が起こると言うことで伏せられることになった。

 結局ニイアさんは見つからず、一人捜索していたライラさんも神隠しに遭ってしまったことになった。

 あの時のことはまるで悪夢のようで細部の記憶が薄らいでいる。

 しかし時折その時のことがフラッシュバックしてしまい、涙が止まらなくなる。

 あれが本当に悪夢で、ライラさんがいつも通り扉を開けて研究室にやって来る。

 大きなあくびをして「おはよおリーザちゃん」と言って私を抱きしめ、身支度もそこそこに他の人より遅く今日が始まる。

 だらしないライラさんを私が注意してギルドのみんながそれを見て笑う。

 そんな日常がまた始まるなんて妄想を何度しただろうか。

 現実から目を逸らしベッドの上で膝を抱える私の耳にノックの音が届いた。

「……はい」

 ここからじゃ聞こえないだろう声量で返事をし研究室のドアを開けに行く。

 開けた先には知らない女の子が一人、ぽつんと立っていた。

 服装から政府で働いているらしいことは分かった。

「どちら様ですか」

 脳裏をチラつくあの時の光景を追いやり話しかけてみる。

 するとその子は恥ずかしそうに目を伏せた。

「えと、あの、わたし、ミレーネ・セントリアスです。政府からギルドの監査のために派遣されました」

 手をモジモジさせていた彼女は話し終わると気まずそうに唇を固く結んだ。

「私はリーザ・エルディーレクです。よろしくお願いします」

「あ、よろしくお願いします。あの、リーザさんは、わたしと同じくらいの歳だって聞きました。わたし、大人の人って怖くて。それでその、ここのこと色々教えてほしいなって」

 辿々しい口調、キョロキョロと定まらない視線。彼女は人と話すのが苦手なようだ。

「はい、私でよければ」

 特に考えもなく提案を承諾するとミレーネさんは安堵の息を吐いた。

 彼女は何も悪くない。だがしかし、その制服を見るとあの時のことを思い出してしまう。

「あの、よろしくお願いします」

 これが私とミレーネさんの出会いだ。

 出会った時の心境もあり、私は彼女に苦手意識を持っていた。

 しかし仕事中はほとんどミレーネさんと一緒だった。

 そのことも手伝い、徐々に苦手意識は薄らぎ、友達として色々なことを話せるようになった。

 ある日私は寝室でベットに座り紙束を眺めていた。

 それは禁足地でライラさんが記していた研究の記録だ。

 と言っても私が持ち出せたのはこの小さな紙束だけで他はニイアさんが持ち出そうとした分も含めて全てリテュールさんに燃やされてしまった。

 事件を伏せて混乱を防ぐための措置だと言う。

 今までは怖くて読むことができなかったが、読んで真実を知ろうと思ったのだ。

 なのに紙を捲って中を見れないでいるのは私に覚悟が足りないからである。

 この中に目を通してしまえば先日の一件が紛れもない事実であると決まってしまう。

 そんなことに縋ってしまうほどに私の精神は弱っていた。

「なに見てるの?」

「わっ」

 いつの間にか前にいたミレーネさんが私の手元を覗き込んでいた。

「ミレーネさん、いたんですか」

「あ、ごめんなさい。呼んでも全然返事ないから勝手に入っちゃった」

 私からちょっと離れて小さくなる。

 ミレーネさんは私以上に怖がりだ。

「大丈夫ですよ。……これは、えっと、私の恩人の手記なんです。読みたいって思ってるんですけど、なんだか、怖くて」

「怖い?」

「これを読んだらもう、その人が帰ってこなくなっちゃう気がして」

「そっか。寂しいんだね」

「寂しい?」

 頭じゃちゃんと分かってる。ライラさんは死んだんだって、もう帰ってこないって。

 だけど寂しがってる私の心が私を守ろうとして嘘ついてるんだ。

「そうかもしれないです」

「でも、読みたいんだよね?」

「それは」

 読みたい。どんな内容であれライラさんを感じられる文章だ。

 あんなに優しかったライラさんが、あんなことをした理由も知りたくないといえば嘘になる。

 もしも研究について書かれているならば私が遺志を継ぎたい。もちろん真っ当な方法で、だ。

 何にせよこの紙束は一つの大きな区切りになる、そんな気がしていた。

「読みたい」

 喉の奥から声を絞り出すとミレーネさんは頷いた。

「じゃあ読もう。私は見ないけど、そばにいるよ。一緒にいるから大丈夫」

 優しく語りかける彼女からは何か温かみを感じた。

「うん」

 私が頷き返すとミレーネさんは中身が見えないように背を向けたてベットの端に腰掛けた。。

 それを合図に私は一番上の紙を捲る。

 『今日、レクロさんが亡くなった。私の力量不足だ。娘のリーザちゃんは私が代わりに育てよう』

 『ふとした時にパパ、パパって泣いちゃう。寂しい思いをさせてごめんね。ここにくるのを少し控えようかな』

 『リーザちゃんは魔術師だって分かった!しかもかなり素質があるみたい!将来が楽しみだな、どんな大人になるんだろう。でも危ないことは絶対禁止!』

 『リーザちゃんにタメ口で話してほしいな。お姉ちゃんって呼んでほしい。ママ、だとちょっともやもやする。もっと甘えてほしい。リーザちゃんは私なんかよりずっと大人っぽい』

 『何でだろう、最近生きてて楽しい。ここに来る頻度が減ったから研究の方はあんまりできてないけど。でもどうしてかな、幸せだよ』

 『私がこんなところでこんなことしてるってバレちゃったら、リーザちゃんどう思うかな?一緒に研究してくれる、なんてあんまりにも虫がいいよね』

 『病気になったニイアを連れてきちゃった。私を睨んでリーザちゃんのことを考えろって。考えてるよ。うん、考えてる。考えてるよ』

 『リーザちゃんが目を醒さない。怪我は大したことないけど、魔力を過剰に使っちゃったみたい。私が無理させちゃったからだ。ごめんなさい。なんで私ここに来てるんだろう』

 『ニイアにどうしてこんなことを平気でできる、って聞かれた。私は人の死に意味を与えてるんだよ?ただ死んじゃうより私が経験を引き継いだり、未来の人のための実験をしたりする方がいいよね。なんて昔は思ってた。でも最近間違ってるかもって思うんだ。みんな最期まで一人の誇り高い人間なんだ。愛する人、愛してくれる人がいるんだ。リーザちゃんを抱きしめながら冷たくなってたレクロさんを見てそんなこと思ったっけ』

 『禁足地調査の許可が下りた。まさか本当に下りるなんて。ここには何も無かったって言って、こんなこと終わらせるんだ。きっとやり直せるよね』

 『リーザちゃんのほっぺはとっても温かくて柔らかかった。待っててね。きっとリーザちゃんのところに戻るよ。きっとリーザちゃんの信じる私になれるよね。ずっと一緒にいようね。幸せになろうね』

 なんだ、こんな、育児日記みたいな。これじゃ、お姉ちゃんじゃなくて、お母さんみたいじゃないか。

 私は泣いてばっかりだな。

 何かを確信した私の目からは涙が溢れて止まらない。

 ライラさんは世間からすれば偉大な発明家、事実としては非道なマッドサイエンティスト、だけど私にとっては大切な家族だったんだ。

 逃げるのも考えるのもやめた頭で私は声を上げて泣いた。

 もう会えない大事な人のことが浮かんでは溶けていく。

 ひとしきり泣いた後、嗚咽も治らぬうちにミレーネさんの背中に頭を預けた。

 彼女は何も言わなかった。

「ひぐっ、ミレーネさん、私、うぅ、寂しいです」

「うん」

「でも、私」

 寂しいけど、そのままじゃいられない。何かしないといけない。でも何をすればいいんだろう。

 痺れる脳が言葉を見つけるまでミレーネさんは待っていてくれた。

「私、ライラさんみたいになりたいっ。違う方法で、きっと追いついて。みんな守って、笑顔にして、うぅ。いいところ、受け継いで、一緒にっ……」

 私は何を言っているんだろう。浮かんだ言葉をただ口にするだけ。

 それでも何となく私の進むべき道が見えてきた。

「私ね、仕事頑張る。強くなる。いつかライラさんに届くように」

 ライラさんは自分の信念を持って私を、みんなを幸せにしようとしていた。それは間違った方法だったけれど。

 私は違うやり方でライラさんの描いていた幸せを掴むんだ。ライラさんと、ずっと一緒に。

 ミレーネさんはこちらを向き私を抱きしめてくれた。

「私は捨て子だったんだ。だから拾ってくれた人に誇れるようになりたい。私もがんばるから、一緒にがんばろう。一緒ならきっと大丈夫」

「うん、うん」

 この日の約束を導に私の心は再び歩き始めた。

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