連作・“彼の街より” ( 全15話 )

深 夜

一・〝雪解けの頃 〟

 茫々と広がる雲の下を、一本道が土手の向こうに延びている。

 所々に雪の消え残るまっすぐな道を、僕と連れは長いこと歩き続けていた。

 どこときまった行くあてはない。ただ道があまりにまっすぐなので、一度立ち止まるともう歩き出すのが嫌になりそうな気がして、ぼくは闇雲に歩を進めた。

 一歩進むたびに足が湿ったスポンジのような地面にめり込んだ。

 踏まれ、へこんだ土は、ややもすると足を上げて何秒も経ってから、背後で泣くような音をたてて膨れあがり、もとの形にもどった。

 「俺さぁ。最近、みつけたんだ」

 引きずるような足どりで後ろをのろのろ歩くトシが、前置きもなしに背中に話しかけてきた。

 「見つけた、って何を?」

 「いなくなる方法」

 言葉の残骸をかき集め、改めてばらばらに崩してしまうような口調でトシは言った。子供じみた言葉とともに背中に息がかかり、そのあたりがわずかに生ぬるく湿った。

 ――そんなこと誰だって知ってるじゃないか、と言おうとして気が変わった。

 そのでんで先ほどからぼくは、もう三度ばかりも彼のたわいのない話の腰を折っている。

 「へえ。どうするんだよ」 

 「雨戸の戸袋に入るの」

 ぼくは溜め息を短くついて立ち止まり、振り返ってしげしげとトシの顔を見た。

 犬歯が一本かけた歯並びをむき出して、トシは顔いっぱいに間の抜けた笑いを浮かべている。

 「雨戸の戸袋だと。あんな狭苦しいところにお前、入れるの?」

 「ううん。そうじゃない」

 例によってトシとの話は会話のていを成さない。ぼくは彼が住んでる傾きかけた大きな家を思い浮かべた。田圃のはずれの大きなあばら家で、長いあいだ空き家になっていたが、昔は違法の漢方薬を扱うあやしげな男女が数人で暮らしていたと言う。

 トシはいつの間にかそこに住み着いた。

 自分の寝起きしている四畳半こそいき遅れた老婆のような潔癖さで整頓しているが、廊下には硝子の破片や割れた洗濯ばさみが散乱したままで、風が吹くと壊れた扉やら硝子の割れ目を新聞紙でふさいだ窓が家中でばたばたと騒ぎたてる。

 「そりゃおまえん所の雨戸は両手で引っ張らないと開かないくらい大きいけど、それにしたって猫じゃあるまいし戸袋には入れんだろう」

 「いや、そうじゃなくってね。戸袋の中にはいると俺、本当にいなくなっちまうんだよ」

 「だから、隠れてるんだろ。そうやって」

 「ちがうって。あそこへ入るとさ。ほんとに俺、消えてなくなるんだ。――見えるんだよ。誰もいない戸袋の内側が」

 「とにかく」

 いつのまにかぼくらは立ち止まっている。

 なにも荷物を持たないで長いこと歩いていると、急に立ち止まったりした時、ひどく不安な気持ちになる。

 それが口調に出た。

 「そうやっておまえは毎日戸袋の節穴から外をうかがいながら、陽が暮れるまでにやにや笑ってるんだろう」

 なおもだらだら何か言いつのろうとするのを構わず、僕はふたたび道に沿って歩き出した。

 立ち止まるにしても、それにふさわしい場所までたどり着いてからにしないと。

 まして連れは昼も夜も関係なしの酔いどれだ。


 ようやく土手を越えると道の両側にひねこびた灌木が茂っていた。

 ねじれた枝々の間に白いものがたくさん見える。

 近づいてみると、古新聞を結束するときに使うような白い紐テープがたくさん吊り下げられていた。たがいに絡まり合い、何本かは道を塞ぐように宙を斜めに交差して張り渡されている。

 すると、急にずっとひとりぼっちだったような気がしてきた。

 ふと後ろを見ると、トシの姿がない。

 もう一度歩き出そうとした。

 すると土手の向こうから今やって来た道の上をトシの首がすごい勢いで飛んできて僕の脇腹――腎臓の真上あたりに得意げな笑いを浮かべたままぺたり、と張りついた。

                                 ― 了 ―

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