安寧、救済。しね

@I-my

始篇 安寧



 

 全く、どこの誰だろうね。  

生きる事は素晴らしい、とか。たった一度の人生だから大切に、とか。

そんな頭の悪い事をのたまりやがったのは。

無責任、無思慮にも程がある。

無知故の戯言とはいえ、幾らなんでもこれは酷い。世の中には言って良い事と悪い事があるのだ。


 よく考えてみて欲しい。

そもそも僕らは、どっかの男女が盛りに盛ったお陰で生まれて、その人たちがそれの責任として育てたから生きている訳だ。

 つまり子どもは性欲で造られ、エゴで育てられる。

たまにエゴだけだったり、育てすらしない例もあるけど。  

こういうこと言うと怒る人いるんだろうけど、図星だからむきーってなるんだよ。

誰も頼んでいないのに、勝手にお生みなさりやがられてしまった訳だから、明確に訴訟案件だよね、これ。  


 生まれちゃったら、しぬのは怖い。生きたいのに、いつかは絶対にしぬ。生まれたらいつかしぬ。

つまり子作りなんて殺人に等しいね。

リビドーという名のデストルドー。創造って名前の破壊。  

セックスとか死ね。


 ……ともかく、つまり、生まれるのも生きるのも主体的じゃないんだ。  

それでまあ、幸せに生きられるならまだ良いけど。でもそうでない事も珍しくはないし。

おっと、話を元に戻そう。

つまり生きるのって、結構ろくでもないのだ。  

繰り返すけど、それなのにあんな事は言った奴は大馬鹿だ。

自分の価値観を疑う事を覚えるべきである。

恥を知れ。  

ホントマジで一回ぶん殴ってやりたい。

いや、むしろそうすべきだ。そうしよう。

床に仰向けのまま、壁を殴る。


 棚から本が落ちて頭に当たった。


─────         ─   ───          ────


命は弍つ

人死すれど、人死せず

世界は弍つ

神死すれど、人死せず


──    ──────────                ─   ─


『本日の天気はとっても晴れ。

明日と明後日は曇りです。

お日様が恋しくなったら、人工陽を点けてくださいね』


「痛つつ……」

 人工陽なんて上等なものはうちには無い。

空中に投影される天気予定を尻目に頭をさする。

間抜け極まりない醜態を晒す相手すらいないのはなかなか寂しいね。情けない。  

 ベッドに背中を預けると、良い感じに体が沈む。

やっぱりあった方が便利だよな、人工陽。

家の中の陽加減の調整なんて凄いことを考える人もいるものだ。

開かれた窓の向こう、アイスキャンディみたいな色の青空に陽光。

嬉しい事に大層なシステムなんてなくても今日は実に良い天気だった。

穏やかな風が部屋へ入り込んでくる。


 今日はハウンと遊ぶ予定だった。約束の時間まではもう少しある。

どうしよう、こうして寝転がってたら直ぐかな。 

ゲーム機の電源を入れる。彼が来るまで一人で遊ぶことにした。

やっぱ汎用端末より専用機だよね。

 カタログをスクロールしていくと、様々なジャンルの作品が並んでいる。シューティング、アクション、RPG。パズルはあんまり好きじゃない。シミュレーションはやったことないな。  

どれにしようか悩んでいると、ふと眼が止まった。

 桃色の背景に、栗色の髪の女の子が悩ましげな表情でこちらを見つめている。

……これって。えっちいやつ? だよね?

というかそうだ。

描かれている女の子は何と言うか、僕好みだった。

うーん。買えなくは無いけど。

…………………。 

 

 丁度端末からメロディ。ハウンからだった。  

約束の時間はもう少し後だったんだけど。

タイミングがいいような、そうでないような。

「どうかしたの?」  

「すまん、行けなくなった」

「へ?」

「急用でな、また今度会えるか」

「ああそう、仕方ないね」

「悪いな」

「何かあったの」

「色々とな」

 短い通話だった。随分忙しそうだ。

どうしたんだろう? 急用だなんて。

今までよく家に入り浸ってだらだらと一緒に遊んでいたんだけれど、まあそういう事もあるものかもしれない。

それにしてもハウンに用事か、何なんだろう。

そういえばこの前もこういうことがあった。

理由はわからないが、まあ何かあれハウンにも用事くらいあるだろう。


 何にせよ暇が出来てしまった。どうしたものか。

こうして1人でゲームをしていてもいいし、どこかに出かけてもいい。

ふとコンロの上の鍋が目に入った。

 ……そうだ、なんか食べようかな。

人間暇になると、寝るか食べるかしたくなるのだ。

立ち上がる。食料庫を見ると乾麺があった。

ニンニクと唐辛子、オイルを取り出す。鍋に水を入れてコンロの上に。10秒くらい、ぶくぶく言い出した辺りで塩と麺を投入した。

その後ニンニクを細かく刻んで、フライパンの中でオイルと一緒に加熱する。唐辛子を一本、刻んでオイルに種ごと入れた。器を食洗機から取り出す。

 麺がある程度煮えたら、オイルへゆで汁を加える。軽く混ぜて、麺も鍋の中へ。塩と胡椒、うま味調味料、醤油とみりんを多めに加える。

また混ぜて、完成。


 器にあけ、箸と一緒にテーブルの上へ。ハウンの教えてくれたパスタだ。名前は知らない。

麺を持ち上げ、口に入れる。

いつもの味だ。辛い。

自分で飯を作るというのは、中々面倒な事だ。だがまあ、あの頃いつも食べていた配給のバーガーよりはましな味である。

 もぐもぐと食べ進める。やはり辛い。

ハウンは唐辛子を三本入れるらしいから、舌がおかしいのだろう。

最後の一口を食べて、食事を終える。氷水をコップ入れ一気に飲み干した。


 左手の腕時計を眺める。

元の約束の時間を過ぎて、昼下がりと言ったところだ。特に必要のない食事も済んだけれど、後はどうしようかな。

何の用事なのか、ハウンも来れなかったし一人でゆっくりしてようか。

特に働きもせず遊んで食べて、やはり良い身分だなと自分で思う。

人が幸せに満ちる時、「ずっとこのままならいいのに」だなんて言うけれど、ホントだよね。

僕の大して長くもない経験の中で、こんなにも楽しい日々はない。


 ここはあまりにも快適だ。

欲しいものなら大概手に入るし、したいことなら何でもできる。そしてほんの少し、労力を要求する事で飽きさせることもしない。これは特に上手いあり方である。  

想像したより随分と現実的というか、世俗的な感じだったのは驚いたけど、幸せに溢れてるところだ。  

うん、完璧にも程があるね。ちょっと怖いくらい。


 天国。浄土。デーヴァローカ。

宗教者達の中にのみ有った死後世界。

彼らは神だけでなく、それのもたらす最終的な幸福……現世からの解放をも信じていた。

ならば信ずる神無き者は死して、どこへ行くのか。或いは信ずる者たちは果たして、神の御許へ行けたのか。


 その答えはここであった。

信心の有無や対象、生前の行いなんかにかかわらず、命を落とした者は全てここへ来る。

もう傷つく事も無い、死ぬことも無い。ひたすらに優しい世界。

正式な名称なのかは分からない。しかし人々はこの楽園を第二世界と呼んだ。

全ての人間が救済される世界。

けれど、誰もそれを為す神を見たことがなかった。


『以上、お天気予定でした。

何度見ても変わらないけど、明日も見てね!』

ベッドに身を投げ布団をかける。

ずっとこのままならいいのにともう一度そう考えて、昼寝することにした。


────────────────────────────────


…………ん。あー。  

目を擦る。見慣れた天井。

 目覚めたのだ、と自覚するまでにしばらくかかった。

ガタガタと家が揺れている。どうも今日は風が強いらしい。  

首の周りを拭うと酷く濡れていた。あの変な夢のせいで寝汗をかいた様だ。

ベッドから起き上がって顔を洗う。


 あれははっきりとリエルだった。

僕は確かに、妹を殺す夢を見たのだ。リエルの首をこの両手で掴んで締めていたのだ。

はっきりと前後は分からない。

ただ、あの夢の中で僕がリエルを殺そうとしていたということは明確に覚えている。

もがく妹を見つめながら腕に込める力をそのままにしていると、やがて死んだ。

掌の感触、妹の体温、壊れていく表情。やけに現実的に感じられた。

 その後は……やはり思い出せない。

ただ僕は確かに焦燥と謝意といったようなものを感じていた。

それでも最期まで首を離さなかったのだ。明らかな殺意もそこにあったのだろう。

何故そんな悪夢を見てしまったのか。


 ……夢に何故も何も無い。

そんなこと考えるだけ無駄だ。

寝覚めの悪い夢など忘れてしまえ。夢を見る暇があるなら現実を見た方が有意義だ。

 ……あれ?  

数歩歩いて、家から出る。

  

「おーい」  

まだ薄暗い空の下。いつも通りのランドグレーコートが地を覆っていた。

辺りを見回してみる。 

しかしリエルはいない。どこにいったのだろうか。いつもは、こんな早い時間に起きないんだけど。  


 ……まさか。さっきの夢は何も関係ない。

妹を手にかけた記憶なんて当然ないし、夢遊病か何かだったとしても家には何も荒れた形跡は無いのだ。 

時計は見ていないけど、空はまだもう少し寝れる色のようだ。  

仕事だってあるし、寝といた方が良い。そう思って、バラックを振返る。

 ……けれどやっぱり、気になるし。  


 家の反対側も見てみるけど、やっぱりいない。仕方ない、探そっか。    

一端家に戻って、顔を洗う。

床に落ちていた合成バーガーを取り上げ、包装紙を外す。いつもの味がした。

着替えて、カバンを取る。  

弾みで畳んで積んであった服が崩れた。……後で妹に戻して貰おう。

相変わらずボロボロの腕時計をつけて、家を出る。


 汚い寝床の連なりを抜けて歩く。

妹はどこに行ったのだろうか。  

朝日すらまだ昇っていない。皆まだ寝てるんだろう。  

起きていりゃ腹が減るんだから、仕事もないのに起きるのは馬鹿だ。  

早起き程愚かしい真似もないんだけど。  

気怠さにため息を吐いて、地面を踏む。

 今日も路上には、色んな物が落ちていた。 

焼けた合繊の切れ端。配給食の包装紙。避妊具。廃材や空薬莢。

たまに銃本体なんかも落ちている。


さて、彼女はどこにいったのか。  

空が少しずつ明るくなっていた。困ったな。

 暫く歩くと、申し訳程度に生えた木々があった。普段こっちにはあまり来ない。  

見回してみるがやはりリエルは見当たらなかった。  

木々には穴が空いていたり、焼けていたりするけど、それでも枯れてはいない。人工物でさえなければ、希望の象徴なんかに仕立て上げられそうだなと思う。  

しかし、自然がランドグレーの上に生える訳もなく。  

僕が生まれる前、コンクリートとか言う素材で土を覆ってた頃はそこからも緑が顔を出していたらしい。  

想像してみると結構シュールだけど。


「っ!」

 とっさに、耳を押さえる。  

爆発音……?

伏せる。音は近い。  

幼い頃見た光景が蘇り、体が震える。

そのまま空を見上げた。爆撃? まさか今さら。

やはり上空には特に何も見えない。

音のした方向を見る。うっすらと蒸気があがっていた。  

 ……ランドグレーから?  

なら、何かしらの熱が発生したということだ。  

だとしたら、本当に爆発なのか。

気にはなる。  

蒸気があるのはすぐ近く、教会の方だ。 

関係無いはず。そう信じつつ木々を抜けて、爆発の方へ。


 果たしてそこにあったのは、一部液体化した遺体。

かつての教会の残骸のすぐ側だった。

上半身は形を留めていないが、下半身を見るにどうやら男のようだ。それと小破した機械に焦げた布の様なもの。  

 何となく、想像がついた。

軍の銃を弄ったら、爆発したんだろう。

グレーコートが反応する位の威力だからきっと、実弾銃じゃなくて光式だ。

拾ったのか商人に掴まされたのか、興味本位か自殺か。

自殺なら哀れだと思うが、銃に興味を持っただけの間抜けなら死んでも良かったと思う。


 割と不思議な心理だね、これ。

そもそも自殺目的なら本意な結果だろうし、好奇心なら不本意だ。

死にたがりの死に悲しみ、そうでない人間の死を喜ぶ。奇妙極まりない。

まあそいつらより、他人に死んでもいい、なんて思う奴の方が余程死んで良いんだが。

 その彼は固形物ですらなくなってしまったみたいだから事実は分からないけど。

それなりの爆発だったが、幸いグレーコートのおかげで火災には至っていないらしい。

全く、早朝から人死にを見てしまった。

やっぱり早起きなんてするもんじゃない。


 ……そういえば、金持ってるかな。

もう一度確認すると近くに半分吹き飛んだ財布があった。

残念な様な、安堵したような。

もし中身が残ってたならいつもの合成バーガーじゃなくてもうちょいまともな物が食えたのに。

屑の自覚はあるが仕方の無い事である。


 金もなさそうなので死体から顔を上げる。

僅かに空を裂きはじめた朝陽が、教会のステンドグラスに反射してグレーコートを染めていた。

美しい光だった。その光は死んだ彼には届いていない。 

神だと言うのなら死者くらい救ってみせてもいいだろうに。どうせ生者は救わないのだから。

にしても、教会のすぐ下で人死と盗みだなんて中々酷い。

 まさかとは思うが、妹はここにいるのか?

確認だけしておくか。


 半開きになった扉から中に入る。

金になりそうな物や家具は盗まれ、汚れた長椅子と喋る台、ステンドグラスといった取り外せないものだけが残っていた。

僕やリエルが幼かった頃……あのスラムに移り住んだ頃にはもうとっくにこんな風に廃墟になってしまっていた。

 この教会に限ったことじゃない。

最早神を信じているものなどいないのだ。


 辺りを見回すがやはりリエルはいない。呼びかけても返事は無かった。

他の部屋も確認をしたが同じだった。

誰一人として中にはおらず、扉から入り込む風の音だけが響いている。

廃墟になった後、かつては家のないものの寝床とされたこともあったが今はそれもない。

 神も人もここにはいなかった。

もういる意味もない、引き返して信仰の成れの果てを後にした。


 ここにもリエルはいない。

とりあえずあの爆発に関係していないことが分かって一安心だが。

となるとやっぱり市場に行ったんだろうか。  

今日はろくな日じゃない。あんまり出歩いて欲しくは無いけど。

 もう、空は金と茜を帯びている。

もう少ししたら仕事に行かなきゃいけない。  

やっとまともな職に就けたんだ。寝坊でもしてクビになる訳にはいかない。

さっさとこの場を立ち去る事にした。


────────────────────────────────


ここは、かつての僕らのいた所によく似ている。

さっき言ったみたいにお日様があって、昼夜がある。

晴れていれば空は蒼く広がっているし、曇っているなら暗く閉ざされている。

朝焼けも昼下がりも夕焼けも、星空もあるのだ。

確かに前の世界でこれは普遍的で不変的だった。

だけど、どうしてここでも同じなのか。


 街並みや文化といった多くで前の所と同じなのは納得出来る。

僕より前にここに来た人達がそれを作っていったのだろう。

僕の知るあの世界じゃない部分も多くあるけど、それは僕の生きていない時代を再現したものだったり新しく生み出された文化だ。

 だけど空や気候の在り方は違う。

少なくとも僕らの常識で考えるなら、違う世界には違う自然がある筈だ。

同じような自然があることは奇妙で、不自然だった。

ただ正確に言えば、勿論あっちとここは等しくはない。


 ここはある意味、上位互換的だ。

自然が僕らに牙を剥かない。

火山は噴火しないし、地は揺れない。雨は少ししか降らないし、海は溢れない。

様々なエリアがあってそれぞれ気候は異なる。

 しかしどこも、その気候は大きくは変わらず、緩やかに変化しいずれ元に還るというループを繰り返している。

これは不自然だ。都合が良すぎる。


 他にも自然、という言い方をすれば異なる部分がある。

人間以外の動物がないことである。

果たしてかつての世界と同質かは不明だが、植物のようなものはあるのだ。

何故動物はいないのか。

逆に何故人だけはここに在るのか。

そもそも人だって、あの世界から色々変わりすぎている。


「……はあ」

 溜息。

僕が少し考えたところで分かるはずのない事なのは分かりきっている。

世界の仕組みなんて、僕には重すぎる。

「ため息ついてると幸せ逃げちゃう」

聞きなれた声。ミナだった。

「十分幸せだよ」

「いいことだね」


 彼女は僕の前の席に座って、どさっと本を図書館の古びた机に置いた。

図書館にしかないような全書の類いと、絵本が数冊。奇妙な取り合わせである。

知らない文字ばかりだったが、読むのに支障はない。

これもこの不思議な世界故だ。

「それで、なんでため息ついてたの?」

「分からない事があって」

「不器用そうだもんねー」

否定は出来ないかな。

「珍しいもの読むんだね」

「絵が可愛いからついね」

「全書の方だよ」

「そう? そっちだって似たようなものじゃん」


 序盤の頁を広げている僕の本を指してそう言う。

名を「メッセージ」。

大量に出てる世界考察本の一つだ。

世界を捉えようとする人間のやることだから多分に漏れず、嬉々として難解な言い回しを多用し大変読みづらい本だった。

「それ、結構面白いよね」

「そう? 僕には難しいよこれ」

「含蓄のある文章を書こうとした末路は愉快じゃん」

「……性格悪いなあ」

「難しく言えば良いってものじゃないでしょ?

伝える為の文章なんだから。

いわゆる難しい文章の8割は著者のオナニーに過ぎないよ」

「過激に表現すればいいってものでもないと思うなあ」


 特にここは図書館、静寂の広がる場だ。

ミナを見やると近くに他の客がいないか今更見回している。

最初から言わなければいいのに。

その視線に気がついたのか軽く咳払いして、彼女はまた口を開いた。

「端末で調べれば何でも出るのに図書館に来るのだってもう珍しいじゃない?」

片耳に下げられたイヤリングが空中に光を投影する。

「別に恥ずかしがってない」とのこと。

何の事かはっきり聞かない優しさもとい冷静さが僕にはある。彼女と違って。

「ネットも調べたよ。

でもやっぱり分からなくて、アナログに頼ってる」


 不思議な程、ネットワーク上にはこの世界に対する記述が無い。

何らかの意志を感じる程だ。

一切ない訳では無いのだろうが、そうは見当たらない。

だからこうしてかつては全く読むこともなかった本なんか開いてる。

それもあまり芳しくなかったが。

「確かに、一通りの事しか書いてないもんねえ。規制のお陰で」


 ……規制。 

何者かの意思と彼女は言い切った。

「なんか知ってるの?」

「その本に書いてあるよ」

まさかと思ったが、パラパラめくってみる。

「193頁だったかな」

そこを開いて文字列に目を通す。

ひたすらに衒学的な言い回しが並ぶけれど、お目当てのものはない。

「どこ?」

「1行目読んで」

彼女はにやにやとしている。


『頭を使えば、表面的事象を超越し本質に辿り着けるが、まあ誰も気付きはしないのだろう。』 

 説教か。

しかし、これが?

何を示しているのか。

ああも明確に彼女が言うのだから何かあるのだろう。

……もしやと思い、その頁の文章の頭文字を繋げていく。

頭は……あ?

……『あらゆるちはきせいされている』。

ち、知か。

それ以降の頭文字は文として繋がらないようだ。


「……何でこんな?」

「お、気付いたね?」

彼女はポケットからお菓子のようなものを取り出してもぐもぐと食べている。

「規制回避だよ。

まあ割とザルな規制みたいだからそんな事しなくても良かったかもだけど。

そんなに出回った本じゃないし」

 ……?

表紙を見る。著者名は……


「ミナじゃん」

「遅いよ、気付くの」 

まさか著者が目の前にいるなんて。

「さっきのは……反省というか自己批判というか……」

 恥ずかしそうにそう言った。

自分の書いた本を他人の前でああ口に出して評価するのは何と言うか、興味深い。


「実は結構賢いのだよ」

「別に馬鹿だなんて言ってないけど」

「いや、何か思ってそうだったし」

「確かに賢いとは思いもよらなかったな」

「もうちょっと控えめな表現を心がけるべきじゃない?」

「でも何で規制なんか」

「それが未だに分かんないんだよねー」

「賢いのに?」

「うん。賢いのに」


 ミナは2つ目を開けて半分に割った。

何かの生地を焼いたもののように見える。

「食べる?」

「それなんなの?」

「ドーナツって古いお菓子」

「へえ」

「あげる」

 食べてみると、割といけた。

確かに古い感じはするけど。

「レトロなお菓子も悪くないでしょ?」

 甘ったるいそれを咀嚼しながら考える。

彼女は今の僕より沢山の情報を持っているし、僕より頭も良い。

この世界を知るなら、彼女を頼るのが手っ取り早いんじゃないだろうか。


「ねえ、ミナ」

「何だい青少年」

「この世界の事、教えてくれないか」

「うーん……そうだね……」

暫く考えてもう一度彼女は口を開いた。

「何か理由があるの?」

 僕は何故、この世界を知りたいのか。

そう考えるとなかなか難しい。

単なる好奇心だろうか。

うーん……

悩みあぐね、そう答えようとすると。


「やっほー!」

 たったっと地を蹴る音。

そちらを向くと、見覚えのあるサイドポニーが宙を舞い、空を裂いていた。

3…4回ほど身体をひねる。

「エトライト様!参上!」

 軽やかに着地してびしっとポーズをとった。

相変わらずかなりの身体能力である。

「図書館では静かにね」

「? なんで?」

「そんなルールがあったりもしたらしいよ」

食べたり飲んだりも禁止だったらしいけどね、と最後の一欠片のドーナツを口に入れる。

「つまんないねー」

 不満を口にしたエトラがミナの隣に座る。

端末の防音スクリーンを使っている人も多いようだ。


「ボクにもそれちょーだい」

「これ、エトラに貰ったものなんだけどな」

「あ、そだっけ?」

 言いつつミナはドーナツをエトラに手渡す。

美味しそうに頬張ると、また元気に喋り始めた。

「エトラ、図書館に何の用?」

「むむ!」

「?」

「なんか今ボクには図書館が似合わない感じ出してなかった?」

「いやそんなことは」

「心外だよーっ、ボクお前より頭良いんだからな!」

「エトラこいつ酷いんだ。私の事も馬鹿扱いしたの」

告げ口……。

中々のコンビネーションだ。

「傲慢なのはダメだぞ。

ボク程じゃないけど、お前よりはミナの方が賢いんだからな!」

「え?」

「んっ?」

訂正。その場しのぎの連合は脆くも崩れ去った。


「とにかくっ」

エトラは割と大きめのドーナツを一口で飲み込み、

「お前最近学校来てないじゃんかっ!」

ぐいっと僕の方に身を乗り出す。何かおかんむりらしい。

「別に行かなきゃいけない訳でもないし」

「そうだけどっ!」

「ポイントだってあるし、欲しいものもないし。

そもそもポイントが欲しいなら勉強するより仕事した方が効率良いし」

学習によっても金を得られるのは有難いシステムだけど、流石に金払いは労働に劣る。

「勉強じゃなくて!遊びに来いよ!」

「いやゲームで色んな人と繋がってるし」

「オフライン! フェイストゥフェイスっ!」

「オンライン! ハウストゥハウス!」

「リアルっ!」

「リアルタイム!」


 更に身を乗り出してくる。

怒らせてしまった。

怪獣みたいにうがーとか言い出しそうな程だ。

「あ! そ! べ!」

 結局伸ばされた手が僕の襟を掴んだ。

退避判断の遅れを悔やむ間もなく、大きく前後に揺さぶられる。

「は、放してくれ」

「学校来る気になったかっ」

「……ええはい勿論です」

「裁判長、罪人が嘘ついてまーす」

「うそついたのかっ」

また前後の振動が激しくなる。

「ミナだって結構サボってるだろ!」

「あいつは前から引きこもってるぞっ」

なら何で僕だけ。


ようやく解放されると、エトラはすとんと元の席に戻った。

「何でサボってたんだっ」

「いや、だから好きな時に行」

「なんで!」

「……家で寝てたかっただけだよ」

「ほんとに?」

「ああ」

「……じゃあいい。明日からまた来い」


 エトラは腕を組んでこちらを睨み、ミナは呆れた顔でこちらを見ている。

罪人にでもなったようだ。

特に悪い事はしていない。はず。

「そんな怒らなくたっていいじゃないか」

一応落ち着いたエトラに僅かばかり抗議する。

「お前が無視なんかするからだ」

無視? そんな覚えはないのだが。 

「端末、オフにしてたでしょ」

「いや、してないと思うけど……」

「通知切ってない?」

「………ああ!」

 そういえばゲームするのにそう設定したような。

元に戻すのを忘れていたらしい。

ミナは溜息を吐いている。


「ごめん」

「……何度も連絡したんだぞ」

「本当に悪かった」

「まあ、許す」

 その表情を見るに僕は反省せざるを得ない。

必要とされているのなら、傷付けないようにすべきだ。

「所で、ミナが学校に来ないのはいいの?」

「こいつはどうしようもないっ」

さいですか。

「結局、エトラは何で図書館に?」

「ミナと遊ぼうと思って連絡したら、図書館にいるって」

なるほど。

「お前こそ何でここにいるんだ?」

「調べものがあってさ」

「へー、何だよ?」

「この世界について」

「お、おう?」

首を傾げている。良く似合う動作だ。 

「何故ここは我々の知るあの世界とこうも近しく、しかして何故僅かに異なるのか?

ここはどこで、いつからあるのか?」

「ん……?」

「或いは僕達はどこから来て、どこへ行くのか……」

「え? え?」

「開闢と終末……秩序と混沌……森羅万象、破壊が創造の始まりならば創造が破壊を生みだすのか」

「わ、わかんない……ごめんなさい……」

「いいんだよエトラ、誰だって間違いはあるさ。

大切なのはそれを認めて次に生かすことだ」

「そうなの?」

「多分ね」

ミナがまた溜息を吐いている。


「まあとにかく、この世界について調べてたんだ」

混乱中のエトラに改めて正しい現状を伝えた。

「よし分かった、ボクも本探してくるっ」

そう言って、また元気に走っていった。

「いい子ねー」

「ホントにね」

ごく当然のように手伝おうとしてくれる辺り、相当優しい。

「そうだ、エトラはあれで結構聡い子だよ」

「そうなの?」

「うん。私なんかよりずっとね」

そんなものなのか。

 暫くしてエトラが重そうな本を持ってきた。

そう言えば、ミナと遊ぶ予定だったんじゃ。

「ねえエトラ、付き合ってくれて悪いんだけど、ミナとどこか遊びに行くはずじゃなかったの?」

「うーん……ミナ、遊びに行くのまた今度でいい?」

「そう言うと思ってたよ。いいよ、私も」

「ありがとっ」

互いに笑顔を向け合うと、こちらを向いた。

「ミナに感謝しろよっ」

「エトラに感謝しなね」

 ハウンにしろ彼女らにしろ、僕は相当友達に恵まれている。

僕には勿体ないほどの友人で、それはとても嬉しいことだけど。

どうして僕と関わろうと思うのかは分からなかった。


「色々調べたんだけど中々分からなくてね。

ミナが詳しいみたいだから、色々聞こうと思ってたんだ」

子供っぽい彼女を見上げながら伝える。

「何だ、本持ってくる必要なかったじゃんかっ」

これで僕より背が大きいのはおかしいというか、少々悔しい。

「でミナ、何なんだよ?」

問すら分からないまま問うその様子は奇妙そのものだったけど、そもそも僕のせいである。


「そうね、まずは質問に答えてもらうのが先」

彼女はこちらを向く。

「知りたい理由、教えてくれる?」

「色々飾ることは出来るけど、結局好奇心になるかな」

「ふーん」

「あとは時間が有り余ってるからって言うのもあるけど」

「非生産的な余暇は嫌い?」

「お休みだって遊んだりするくらいあるでしょ?

これもそんなもんだよ」

「そっか、お遊びね」

「あ、これ試験か何かだったりしたかな?

ならもう一度答えさせて欲しいんだけど」

「ううん。

私以外がこの世界をどう見てるか気になっただけ」

エトラは首を傾げている。やっぱり良く似合う仕草だ。


ミナは懐からまたドーナツを取り出して、ぱくりと一口。

「このドーナツ」

「うん」「ああ」

「甘くて美味しいよね?」

「うん!」「まあ」

「ではこのドーナツは何で出来てるでしょう?」

うーん。エトラと顔を見合わせる。

「……お砂糖と、スパイスと」「不思議な何かかな?」

「それは私だよ」

「ボクもだよっ!」

強めに主張するエトラ。


「……取り敢えず答えを教えてよ」

「まずは、前の世界の話をしよう」

そういってミナはドーナツをまた1口運んだ。

「小麦の粉と、卵と砂糖。これを油で揚げたのがこのお菓子だったんだよ」

へー!と彼女の隣からいい返事。

「でもここには小麦も無いし、サトウキビも無いし、ニワトリもいない。

油をとる植物もない」 

「合成でしょ?」

「確かに、大概の食物は科学的に再現出来た。

じゃあ、その素材は?」

「エーテルだね」

「私も知ってるっ」

「かつて在るとされ、しかし否定され、されど存在していたもの。

人類の観測しうる限り、あの宇宙を満たしていた抽象」

 突然表現が難解になる。

手元の本をとんとんと叩くと、恥ずかしげに目をそらされた。


「ないと死んじゃうんだよねっ」

「そう。人はエーテルがないと生きていけない……らしい」

「らしいって、事実じゃないの?」

「誰も確かめた事ないからね。

空間からエーテルを排除する事が出来ないんだ。

……まあこの話はおいといて。

実際には限定的にしか使われなかったけれど、エーテルの諸々の作用を使って出来た食用エテリアを捏ねて諸々の食物を作ることが出来た。

胡散臭い程万能な素材よね」

「不思議だよねー」

「これがあれば小麦も卵も砂糖も油もそれ以外もどうにかなっちゃうんだ。

何でも出来ちゃうんだよ、これ」

ニコッと笑って、伸びをした。

相変わらずエトラの首は傾いたままだ。


「ねえエトラ、遊び行こっか?」

ミナがそう訊ねる。

「へ? ………でも、お前の調べものは?」

こっちを向く。

ミナが何を考えているかは分からないが頼んでる身なので仕方ない。

「いいよ、楽しんでおいで。僕は帰ってこの本でも読んでるさ」

「え、こないの……?」

エトラがじっとこっちを見ている。

「そもそも2人で行く予定だったんでしょ?」

「そうだけどさ……」

 何か言いづらそうにしている。

ふむ。来いということか。

「わか」

耳を引っ張られる。


「君が優しくないとは言わないけど、もうちょっと人に優しくした方がいいと思うよ」

「……分かってるよ」

 エトラは未だこちらを見ている。

僕に調べものがあるのとそれを手伝うと言ったこととで誘いにくいのかもしれない。

「一緒に行こう」

「でもいいのか?」

「いいんだよ、どこ行くの?」

 僕よりも大きな彼女は、とてもいい笑顔をうかべた。

こんなところでそんな表情を浮かべるのは何だか勿体ない気がする。

ただ嬉しいことには違いなかった。

「いこっ!」

 僕の腕を引っ張り、引く。

引きずられるように歩いた。

「サイズの違いがパワーの違いだね」

「1番小さいのはミナなんだけどな」

「うるさい」


 疑問は解けないままだったけど、何だか今はまだそれでもいいかと感じ始めている。

融けそうなほどの昼下がりの光が窓からここに射して、あふれていた。

そんなものに幸せを感じるのは、そもそも僕が幸せだからだ。

不幸を感じている人間はこの程度では幸せになれない。

「早くいこっ」

「焦らなくても大丈夫だよ、エトラ。

時間なら幾らでもあるんだから」

そう言って、彼女は優しく微笑んだ。


「でも、日が暮れちゃう」

「そしたらまた明日会えばいいのよ」

「あ、僕の都合とか」

「そしたら明後日でも、その先でもいい。

いつだってこうして遊べるよ」

 光の中、二人は笑顔だった。

それはいつまでも、きっと続くんだろう。


────────────────────────────────


 何年経っても味の変わらない固形食をかじり、容器の中の水をコップにあけて一口すする。

また水道からくんでこないといけない。

次に配給車が来るのは3日後。まあもたないね。

食料にしろ水にしろもう少し増やして欲しい所だけど、まあ来るだけマシだよな。


 あれから一旦帰ってきたがやはりリエルはいなかった。

心配じゃ無いわけじゃない。

けれど連絡はとれないし、ライナーを逃せば飯が食えなくなる。末端労働者なのだから仕方ない。

端末すら買えないような金無しである事を今更後悔する。

カバンと財布の中を確認して家を出た。


 辺りは先程より明るくなっていた。

近くのボロ家からも少しずつ声が聞こえ、同じような出勤者も見かける。

近所付き合いは妹がやってくれていたので特に知り合いもいない。

駅までは普通に歩けば20分ほど。

が、今日は死体がある。まだ片付けられていないだろう。

あまり近くを通りたくないので迂回することにする。

市の方を通っても行けるはずだ。普段曲がらない角を曲がる。

それから暫く歩くと騒音がし、また少し歩けば露店の群れと人混みがあった。

市だ。


 雑踏からは慣れた異臭が漂っている。

貧民街に相応しい店と客たちであったが、これは自分だって同じことだ。

ライナーに乗って行けばまともな店はちゃんとある。

 それでもスラムの傍に市場が出来るのは、その必要性があるからだ。

時間的にも経済的にも場所は近い方がいいし、客の需要も違う。

より安いもの、結果的により質の悪いものもそうだし、危ないもの、つまるとこ銃やら薬やら女やら男やらも売っている。

飲食店の傍の物陰でも平気で盛っている声が聞こえたりするのだ。


 何と言うか、貧しいというのはそういう事なのだろう。

恥や外聞というものがまず欠如し、欲望に素直になっていくのである。

或る意味動物への回帰を果たしているとも言えるかもしれない。

それは仕方の無い事ともそうせざるを得なかったとも、或いはそれを自ら選んだのだとも言える。


 どうしてこんな自己分析じみたことをしてるんだろうか。

冷静な分析は特にこれといって現状へ変化をもたらさない。

貧乏人は黙して働くのみ。

登りきった朝日はその輝きを薄めて、空は形容し難い色を放っていた。

帰る時はあれより暗くなっていると思うとと憂鬱だ。

やはり黙して働くには長過ぎるかもしれない。


 市を抜ける。駅は目の前。

腕時計を見ると、あと数分でライナーが着くようだ。

急いで中に入り、カードを改札に触れさせる。

階段の先に車両は既に到着していた。

危ない。

死体を踏んづけてでもいつもの道を通るべきだったろうか。


 貧民用の後方の車両に乗る。

どうでもいいが、金無し労働者向けの電車に「特別優遇車両」なんて失笑ものの名前をつけたのはどこのどいつなんだろうか。

冗句の才能がある。

センスは良いのだが気前は悪く実際大した額の差は無い。

デモも反逆も起こさず毎日黙って社会に奉仕しているのだから、もうちょっと値引いてくれても良いんじゃなかろうか。

まあ合成バーガー1つ買えないような値引きでも席は大概賤民で埋まるのだが。


 今日も車内はそれなりに人がいたがどうにか座ることが出来た。

隣の女の臭さに驚いたが、向こうも顔をしかめていた。

節約だとか言わずに妹は毎日風呂に入れるべきだろうか。


……帰ったらそうしよう。


────────────────────────────────


「ボクはないすばでぃだぞっ!」


 服屋。名前は分からない。

確か読みづらくて小賢しい名の店だったように思う。

まあともかく、その試着室の前でエトラは自身の肉体の美しい旨を叫んでいた。

周囲の目線がこちらに集中する。笑い声も聞こえる。

恥ずかしいのでやめて欲しかった。


「背も高いし、脚も長い。お腹だって全然出てないぞっ」

 それは嘘じゃない。嘘じゃないのだが。

困ってミナの方を見遣る。

どうにかして欲しい旨を言外に視線にのせた。

「そうねーエトラはないすばでぃねー」

 違うそうじゃない。

乗れと言っているのでは無いのだ。

諦めて近くのベンチに退避する事にした。


「ウエストは細いし、お尻だって小さいし」

「うむっ」

「御御足だって綺麗だし」

「そうだっ」

「女の子たちから嫉妬されちゃいそうねー」

「そうだなっ、ところでミナ」

「なあに? エトラ?」

「どうしてボクの胸を揉んでるんだ?」


あーあ。

「かわいいんだもん」

いい笑顔だった。

「そっかー」

「そうよー」

 互いに笑顔を浮かべながら、沈黙を生む。

何故人は争うのだろう。悲しい。

しかし刹那、ないすばでぃなエトラが邪悪の胸を揉み返した。

「!」

走る衝撃。そして。


「同じくらいだなっ」

 ミナが固まった。

僕は吹き出した。

こんなに綺麗なカウンターは見た事がなかった。

美しさすら感じる。

「じゃ、試着してくるっ」

 ミナの言う通りエトラは聡いのかもしれない。

現に当の本人が敗北している。

ベンチに座っていた僕の方へミナが戻ってきた。


深く座り込み、俯いたまま、

「…………いから」

「え?」

「私の方が大きいから」

僕に言われても。

「服屋に来たのどれくらいぶりだろう」

隣に座る。

「ん。格好に興味無さそうだもんね、君」

こちらの服装を見ながらそう言った。

「選んであげようか?」

「いや。いいかな。悪いし」

「ポイントなら私が出すけど?」

「尚更悪いよ」

「ま、しょうがない。エトラで遊び続けるかな」

彼女は着せ替え人形か何かなのだろうか。


「ね、」

「?」

「君はこの世界好き?」

背をもたれながらこちらに顔を向けた。

「ああ、好きだよ」

特に考えるまでもなかった。

「なんで?」

「嫌う理由が無い。

夢でも見てるんじゃないかってくらい毎日幸せなんだよ」

正直にそう言うと、少し驚いたようにこちらを見ていた。

「そんなに不思議かな?」

「いや……そんなにはっきり感情を示されたの、初めてな気がして」

 そうだろうか。

そう言われるとそんな気もしないでもない。


「……私もね、大好きなんだ。

愛おしいの。この世界。

それと、君とエトラ」


………。

どう反応するべきなのだろうか。

「えへへ」

恥ずかしそうに。

こっちの方が恥ずかしい。

「こ、」

「?」

「これからもよろしく……」

 彼女はこちらをじっと見つめ、やがて笑った。

失礼な奴だなと思っていると試着室からエトラが戻ってくる。

「どうしたんだ?ミナのやつ」

不思議そうにこちらを見つめる。

「エトラのことが大好きなんだってさ」

「あ、ちょっと」

「そっか。でもなんでお前に言うんだ?」

「さあ? 恥ずかしがってるんじゃない?」

隣から抗議の視線を感じるが無視の一手である。


「ミナ。

ボクは賢いから分かってやれるけど、感情なんて他人には伝わらないことも多いんだぞ。

もしホントに大事な相手に伝えたいのならちゃんとはっきり、直接伝えなきゃ」

 エトラは両手をミナの肩に置いて、優しく諭すように言った。

何と言うか、今日のエトラは日常比1.5倍ほど賢い気がする。

……どうしてしまったんだ。

こんなのは僕の知っているエトラではない。

僕の知っているエトラはもっとこう……あほあほだったはずだ。

クエスチョンマークの良く似合う子だったはずだ。

「言ったよ、ちゃんと」

小さな声を、絞り出すように。


 ……本当にどうしてしまったのだろうか。

ミナがしおらしく、エトラが賢い。

久しぶりに会ったら何かおかしい。変なものでも食べたんだろうか。

あれか、ドーナツか。

恐るべしドーナツ。僕も気をつけよう。


「……そっかー……」

 こちらが普段の様子を繕うべくドーナツを警戒している間、エトラは考え込んでいる。

その表情には聡明さすらうかがわせた。

さっきまでうがーとか言ってた気がするが気のせいだったのか……?

「ボクもミナとあのばかのこと好きだぞ」

見透かされている。

「馬鹿呼ばわりはないんじゃないかなあ」

「人の連絡を無視したり、感情を向けられてるのにごまかすようなのはばかだっ」

「あ、はい」

「いいからいくぞっ」

 少し怒ったように歩いていってしまう。

ついて行きながら隣のミナの方を見ると顔を背けられた。

僕が悪いのは言うまでもなかったので平に謝ることにした。


 服屋を出て数分歩き、ポートで区画を移る。

そういえば、あのポート……転移装置はどういう仕組みになっているのだろうか。

後でミナに聞いてみることにしよう。

時折じっとこちらを見てくるミナと決して視線をこちらに向けないエトラへ、ひたすらに頭を下げ続けているとゲーセンに着く。


「反省したか?」

「勿論ですエトラ様。 

これからは小生、心を入れ替え日々精進する所存で御座いますのでどうか変わらぬご愛顧の程をお願いしたく……」

隣から溜息。

「ミナ、どう思う?」

「ギルティ」

「だ、そうだ……」

「ホントマジですみません」

 変わらず直角90度を保っていると、どうも2人は目配せをしている。

優しく、してください……

「付いてこい」

「乱暴はやめてぇ」

また引きずられる。


「……ここは?」

「処刑台よ」

 煌びやかな光を放つゲーム筐体。

画面の中では人型機械の大軍が戦闘をしている。

「人の連絡も無視してゲームしてたんでしょ?………そのゲームでボッコボコにしてあげる」

「お前が懺悔、反省、改心するまでやるぞっ」


 指し示されたのはロボットアクション。

物理コンソールだけでなく意思すら用いた操縦を行えるらしい。

割と常識的判断に落ち着いたようで何より。 

「代金は3人分負けた方が払う。初回は罪人」

ふむ。

「ちなみに私とエトラは組むわ」

「それはおかしいよ。非人道的だ」

彼女たちは暗に僕へ資産放棄をしろと言っている。

「罰は道徳によって課されるものじゃないわ。復讐心よ」

「まあよく聞いてくれ。

僕がゲームをしていたのは事実だが、これじゃないんだ。

それどころか、やったことがない。

勝ち目が無いだろう」

「うそっ! 端末版も出たから絶対これだと思ったのにっ」

「ほら、ロボマニアだし、君も」

何だか2人で呆気に取られている。

「まあそれは否定しないけど」

「ふーん。

じゃ友達を無視してまでやってたゲームって何?」


 本日何度目か分からない睨み顔。

目を逸らす。

数拍して、それが良くない判断と気付く。

「……まさか」

ミナの表情がより一層険しいものになる。

「いや、違う」

「まだ何も言ってないんだけど」

「ああそうだね全く以て君の言う通りだ……」

 エトラはぽかんとしている。

どうかそのまま……

「ミナ、結局こいつがやってたゲームって何だったんだっ?」

それ以上はやめるんだ。


「エロよエロ。エロゲ。

こいつ私たち無視していかがわしいゲームやって盛ってたのよ」

あーあ。

言っちゃったよ、カタストロフだよ。

「ご、ごめん………」

見ろよあのエトラの顔。

空洞だ。

「最低ね。最低」


ミナは普段、エトラへああいう事を言わない。

図書室の一件の様な過激な部分がない訳では無いが、それを抑える良識を持っている。

というよりも、エトラに聞かせたくないという感じかもしれない。

その彼女がはっきりとエトラにああいうのだ。

余程怒っている。

いやそれはさっきからそうなのだが、許される道が閉ざされたのだ。


「……済まなかった。

だがこの件は、エトラはともかくミナには関係無いんだよね?」

「……は?」

怖い。

「いや、僕が連絡を無視しちゃってたのはエトラなんでしょ?」

 そこまで言ってから、その可能性に気づいた。

ああまずい。

「クレジット」

「え?」

「早く」

 たったか走って筐体にクレジットを入れる。

後ろから来たミナ達はこちらに目もくれず席に座り、ヘッドセットを付ける。

「早く」

 次はエトラに急かされ、シートに座る。

レトロSFチックなタイトル画面が、モニタに写っている。

「網膜投影を行いますか?」

新しいゲームはすごいなあ、だなんて思いながら操作をする。


 その後1分もしない内に僕の機体は爆散していた。

開始3秒で寸分の狂いなくコクピットをエトラに貫かれ、その0コンマ2秒後には残った機体をミナに焼かれていた。

動きが完全に経験者のそれだ。おかしい。

「え、エトラ、えっと……」

「いいから。次」

「いや、あの」

「次って言ってる」

エトラ様は駄目だ、既に冷静さを欠いておられる。

「ミナ、頼む、説明を」

「次」


 エトラはたしかこう言った。

改心するまでやるぞ、と。

嘘だった。

改心しても粛清は終わらなかった。

そんなに怒らなくてもいいのに……と思うが、ついそれを途中で口にしてしまったのが悪かったのかもしれない。

てへ。


────────────────────────────────


「2日前、亜細亜人民連盟の中央人民大会にて、丸々と肥えた豚のような党書記は我等が祖国に対し『これ以上の蛮行は許容する事など出来ないブヒ。今すぐに己が愚かさを猛省し、殺戮を止めるブヒ。ブヒィ』といつものように鳴いた。

聡明な諸君であれば野蛮で愚かなのはどちらか分かっているだろう。

このまま意味の無い抵抗をつ「2日前、偉大なる我等が同志は中人大にて、かの憎き蛮国への正義の鉄槌と、それを遂行する前線の兵士諸君への激励について述べ」


 プロパガンダが切り替わった。

鈴麗へ入ったようだ。あと十数分間か。

いつの間にか隣の臭い女はいなくなり薄汚れた席に1人で座っていた。

長く時間はかかるがする事もなく、かと言って寝る訳にも行かない。

見えてくるのは見慣れた窓の外、聞こえてくるのは愚にもつかない車内放送と大変退屈な時間だ。

 妹の事は気がかりだが、多分大丈夫だろう。

以前にもこんなことはあったのだ。

そうでなくとも僕は働かなくてはいけないし。


「詩都、詩都」

 暫くして、目的地へ。

車両から降りると匂いが失せ解放感があった。

そのまま階段を下り、改札を出る。グレーコートへ陽射しが注いでいた。

「よう」

 肩を叩かれる。

振り返ると、ケイタだった。


「今日も酒臭いな。それで働けるのか?」

「ラムダやってる奴だっているんだ。酒なんて水みたいなもんだろ」

並んで職場へと歩く。

「ヤク中もアル中も働けるなんて素晴らしい職場だね」

「人手たりねえからな……リュクゼルの性格もあるだろうが」

確かにリュクゼル、我らが経営者様は中々まともな人格をしている。

「死人は絶えないんだから仕方ないさ」

「一人一人にあんな時間かけてるから終わらねえんだよ」

「まあそのお陰であんたは酒が飲めるんだ」

「お前酒も煙草もやらんの?」

「ああ」

「ラムダも?」

「興味見せた素振りも無いのに妹が釘をさしてきてる」

「出来た妹だな、俺にくれ」

「馬鹿言えアル中」


 そんな話をしながら職場へ歩く。

度々妹の事が気にかかるが、しかしどう出来たものでもない。

ケイタの話は今日も中身がなかった。

「なあ、あれってさ」

肩を叩く。

「何だよ」

「同業者だよな」

「ん……ああ」

 小さいが、新しい建物が作られていた。

どうも火葬場の様だ。

以前そこにあった安居酒屋は潰れたらしい。

「あーあー、あの店にボトルあったのに」

「どうせ安酒だろ」

「まあそうなんだけどさあ……仕事、減ったりしないかな?」

「どうだろうな」

「あーあ、生は遠ざかり死だけが近付くのか、全くよ」

「酒と人の生を同一視するのはお前ぐらいだろうな」

「人生って酔いが醒めるのを死って呼ぶのさ。

かっこいいだろ? 俺の言葉だ」

「適当な事ばっか言うね」

「でもかっこいいのは間違いないだろ?

それでいいんだよ、知識と格言は他人にひけらかして優越感を得るためにあるんだからな。

内実など些事に過ぎないのさ」

ふむ。

こいつにしては知的だ。

「んでそれは誰の言葉?」

「おいおい、俺の言葉かもしれないだろ? まあリュクゼルなんだが」

「安心したよ」


 葬場・虹園と書かれた看板。

越して右に曲がり、溜息を吐きながら社屋へ。

「ん」

「どーしたのよ?」

「なんか貼ってある」

見飽きた玄関の扉に何か紙が貼ってあった。不穏だ。

「おいおい、ホントに潰れちまったんじゃないだろうな?」


不安を覚えつつ、文字列に目を滑らせた。


────────────────────────────────────


「すまない、この前の約束だがまたしばらく後に出来ないか?」

「良いけど……どうしたの?」

「急用でな」

「何かハウン最近忙しそうだね」

「こっちから会おうと言っておいて済まないな。

許してくれ」

「まあ」

「そっか、じゃまた今度ね」

「おう」

「ふあぁ……」

「何だ、欠伸か?」

「ちょっと眠くてね」

「そうか、悪かったな」


 通話が切られる。

この所ハウンは忙しい様だ。

エトラとミナにリンチされる要因となった徹夜ゲームも、そもそも彼との約束が御破談になったからである。

つまるところ全部ハウンが悪いのだけど、それを2人に釈明した所で彼女たちの表情は険しくなるばかりだろう。

 よってなけなしの危機管理能力をフルに駆使して、ただひたすら頭を垂れるという最良の択をとる事にしたのだ。

うん、賢い。


「ピンポーン」

 正解の効果音だろうか。気の利いた演出だね。

一般的にはおはようの時間だけれど、本当に眠くなってきた。

もう一眠りしようか。

「ピンポピンポーン」

 あ、これうちのチャイムだ。しかも連打されてる。

誰だろう、宗教だろうか。

いや、神は既に死んだ。

「ガチャガチャ」

 それとも新聞勧誘だろうか。

いや、紙も既に死んでる。

「おーい、いるんだろー?」

 この声は……エトラだ。

何故彼女が家に?

いや、そんなの1つしかない。

「学校、行くって約束したよなーっ?」


不味い。

このままドアを開けようものなら確実に学校へ拉致される。

しかし僕は今徹夜明けで大変眠い。 

勉学に励むにしろ遊行に励むにしろ、どちらにせよ以ての外だ。

よって学校には行きたくない。

 なら、このままドアを開けなければ?

そうはいかない。

エトラは怒ると怖いのだ。

このままドアを破壊しかねない。

ついでにミナにもこの件を報告されるだろうし、ミナも怒ると怖い。

どうしろというのか。


「出てこないと頭全部抜いちゃうぞーっ」

 このままでは神どころか髪まで死んでしまう。

助けてニーチェ。

マジでどうしよう。

考えろ、考えるんだ。

 学校で寝るという選択肢が浮かぶ。

しかしエトラがそんなこと許してくれるはずが無い。

ドアを開けた上でエトラを説得するという選択肢が浮かぶ。

だがあの暴走列車は僕の弁舌如きで停車するものだろうか。

論理は暴力に勝てない。


 刹那、握っていた端末が鳴る。

「うわぁ!」

「やっぱりいるんだなっ!」

 くそ! エトラがこんな手を使うなんて!

あの可愛いアホっ子はどこに行ってしまったんだ!

端末をその場に置いてベッドの中へ逃げる。

布団を被った。

 もし彼女が僕の叫び声ではなく、端末の着信音に反応して「いるんだな」と言ったのならまだこれで誤魔化せる可能性が僅かにある。それに賭けよう。

あまりにも、あまりにも僅かな可能性の火だが。


 鳴り響く着信音の中、ガチャリと音がした。

気が気でない。

鍵はどうした、鍵は。

……いや。そういや合鍵持ってたわ。

あの場で直ぐにドアを開けるという選択をしなかった以上、彼女は絶対にこう問うてくるだろう。

「逃げようとしたな」と。

最早問いですらない。自己完結だ。

 ベッドの中、震えが止まらない。

何故か置いたはずの端末の着信音がこちらに近づいてくる。

少しずつ、少しずつ。

絶望の足音。

いいか、僕は今の今まで寝てたんだ。

決して逃げたわけじゃないんだ。

瞳を、閉じる。

布団は強引に剥がされた。


「んん、……エトラ?」

 我ながら完璧な演技だ。

無名劇団員の300倍は上手い。

目を擦って、欠伸をしてみせる。

わざと細めた視界に制服姿のエトラの笑顔が見える。

「って、どうしてエトラがこ」

「着信履歴」

「へ?」

「4分前だなっ」

 かざされた僕の端末には、確かにハウンの着信履歴が写っていた。

どういうことだ……?


 ああ。つまりエトラはこう言いたいのだ。

眠っていたはずがないだろう、と、

理解と同時に着信音が止まる。

もうダメだ。きっと次にエトラはこう言うだろう。


逃げよ「逃げようとしたな?」

「あ、はい」


──────────────────


「まったく、本当にまったく」

水道の水を顔に掛ける。

「? まだ眠いのか?」

ベッドに腰掛けたエトラが尋ねてくる。

「ん、なんか習慣でね」

 恐怖によって既に眠気は醒めていた。

こっちの世界では、体内の老廃物の排出というものが殆ど無い。

というかどうやら、そもそもそんなもの体の中に無いようなのである。

実に不可思議だ。

 埃や菌、ウィルスと言ったものも皆無であり果たして顔の洗浄の必要があるのかと問われると微妙なところである。

そんな環境下で何故僕らはほぼ変わらない生活を送っていられるのかは分からないが、まあともかく以前の世界にいた頃の習慣がどうも抜けないのだ。


「早くきがえろっ」

「いや、あの」

「なんだっ?」

「恥ずかしいんだが」

「……うしろ向いてるっ。

部屋出たらにげるかもしれないからなっ」

随分警戒されているようだ。

「にしてもエトラ、制服なんだね」

「だめか?」

「いや。

似合ってるけど、遊ぶとか言ってたからもっと動きやすい服にしなかったのかなとか」

「……そんな似合ってるか?」

「え?うん」

「お前、そーゆーのミナにも言ってやるんだぞっ」

「えーと……」

「良いから言うのっ」

「ああ…」

 何だかよく分からないけど言わなきゃダメらしい。

まあこれ以上怒られるのは勘弁なので素直に聞いておく。


「にしても相変わらず汚い部屋だなっ」

垢も埃もないが、物は相当散らばっている。

「ゲームにカードにプラモに……あとは本か。

片付けるぞっ?」

「いいよ、悪いし」

「嫌ならそういえっ。遠慮だったらするなっ」

「じゃあ宜しくお願いします」

「うんっ……って、お前は私服なのか」

「ああ、制服着んの好きじゃないんだよね」

「そーいえばお前とミナが制服着てるの見たことないな」

 書籍をまとめて本棚に突っ込みながら、エトラはそう言った。

重い、暑い、肩がこる、高い、重いとろくな事がない。

服としては最低の部類に入る、とは僕の談。

確かミナは……

「衆目の前でコスプレなんかしない、だったかな」

「こすぷれ? ってなんだっ?」

「さあ」

 確か言ったあと多少恥ずかしそうだったから、やらしいことなのかもしれない。

ミナやーらし。


「お前、物ふやしすぎだっ」

「そう?」

「いくら一人部屋だからってこれじゃ倉庫だぞ」

「エトラはお母さんと……あとお姉さんだっけ?」

「うん」

「エトラの家族か。どんな人なの?」

「そうだなっ……ママは魔性の女だっ」

「へ?………へ?」

「出る所が出てるからかよくモテている。

あとは色気?とかがあるらしいな。ボクには分からないけど。

狙っている男は数知れず、玉砕した男の屍できっと村が作れる」

「す、凄いね……」

「ああ、あれは凄い。

でもママは男に興味無いみたいでな?

誰とも付き合わないどころか、遊びに行ってるのさえ見たことないんだっ」

 にしても何故、そんなお母さんからエトラが生まれ育ったんだろう……

ついエトラの体に目がいってしまう。ごめん。

「会ってみたいかっ?」

「まあ、そう言われると」

「ダメだ、お前にママはやれんっ」

「いや、エトラのお母さんにそんなことする気は無いって」

「お前がそうでもママがお前に惚れかねないだろっ」

「ええ……人妻でしょう……」

「ん? 違うぞ?」

「……え?」

「母は母だが人妻では無いぞっ」

どういう事だ……訳が分からん……。


「私と姉を引き取って育てたのだっ」

成程。色々あるらしい。

「エトラの家族の話、ここまで詳しく聞いたのは初めてかも」

「そうだったかっ?」

「うん。もっと聞かせて欲しいな」

 家族の話をするエトラはとても楽しそうだった。

いや、どんな話題だってエトラは大抵楽しそうなんだけど。

「……なあ、お前はさ」

「?」

「いや、いいっ。

それより片付けはここまでだ。早く学校に行くぞっ」


 エトラに連れられて家を出る。

相も変わらず良い天気だ。

「エトラ、忘れ物」

「あっ! ありがとっ」

青いカバンを手渡す。

「どうする?ポート?ライナー?」

「お前がさっさと出てこなかったから今日はポートだっ」

「ごめん」

 歩いて3分程。

そこから校門前へ転移できる。


「そういえばお姉さんの話聞いてなかったね。

どんな人なの?」

「ママの次はお姉ちゃんか。やっぱりお前はエロガキだっ」

「声が大きいよエトラほら皆さん見てるじゃないか」

 どうも先日の件は許してもらえていないらしい。

悪いのはハウンなんだけどな。

「まったく。

ゲームだけじゃ飽き足らず、人の家族を狙うだなんて。

幾ら何でも節操なさすぎだっ」

「だから違うんだって……」

「……」

「エトラ?」

何か考えてるのだろうか。


「……なあ、やっぱ1人って寂しいのかっ?」

 急にどうしたんだろう。さっきまでエロ呼ばわりだったのに。

カプセルの扉が開き、転移台の上に乗る。

「ね、どうしたの? 寂しいのか、なんて。

家族のこと聞いたから?」

「……ミナはな、今は寂しくないって言うんだ」

「そう言えばミナも1人で暮らしてるんだっけ」

「うん」

「でも一人暮らしくらい、そう珍しいことでもないでしょ?」

「ただ1人で生活してるだけなら、私だって別に心配しないっ。

でも、違うんだ。

寂しそうに見えるんだ」

「ミナが?」

「お前もだ」

 じっとこちらを見つめてくる。

青白い光に包まれて、直ぐにそれが消える。

瞼を開いてもエトラはこちらを見つめ続けていた。


「これがボクの思い過ごしなら、それでいいんだ。

でもお前もミナもボクのコト聞いてくるのに、あんまり自分の話しない」

「……そうかな? この前も、うっかり恥ずかしい話をバラしちゃったんだけど」

「ちがう。

自分の家族や思い出とか、……ここに来る前の話だっ」

 目は逸らされない。

ついこちらが逸らしてしまう。

『台から、離れてください』

「あっ」

2人で慌ててカプセルを出る。学校はすぐそこだ。


「ミナは今は落ち着いたけど……前は本当に寂しそうだったんだ。

一人で泣いてる事だって何度もあった。

今だって笑ってくれるようにはなったけど、まだ癒えた訳じゃないのかもしれない」

僕がここに来る前の話だ。

「何があったのか聞いても教えてくれなかった。

「だいじょうぶだから」って泣きながら言うんだ。

どうすればいいのか分かんなかった。

でもそれ以上踏み込む権利があるのかボクにはわからなくて」

「……」

「それからお前がやってきて、ミナの笑顔が増えていって。

でも今になって思うんだ。

このままいるの、やっぱりいやだっ」

ミナが弱っていた事は多少聞いたことがあったけど、ここまで確り聞いたのは初めてだった。

「ミナのことだけじゃなくて、お前のこともだけど……

求められてもいないのに、人の都合や事情に深入りするのはよくないっ。

でも知らない、関わらないって、その程度の仲ってコトだ」

「違うよエトラ、それは違う」

「違うけど、でも教えて貰えない方からすれば違くないんだっ」

彼女はいつもより少し真剣そうに、でも落ち着いた様子でそう言う。

 近付こうと、してきていた。

別に遠ざけようとしていた訳じゃない。

どうだっていいことだったから、だから話さないんだ。

話す必要なんて無い事だから。


 エトラは、僕とミナが寂しそうだと言った。

でもそういう彼女だって寂しそうだった。

僕らが何も話さないからだろう。

だから近付こうとして来たのだ。

「傲慢なのは、自分でだってわかる。話すのも話さないのも、お前の勝手なんだ。

私が決めることじゃないっ。でも、でもせめて……」

せめて?

「ミナとなかよくしろっ」

「……予想外だね」

何故ミナなのか。

エトラが寂しいんじゃなかったのか?

校舎へ足を踏み入れる。

「確かに、あいつだってお前に色んなコト話さない。

それはボクから指導するっ!

だからお前もミナに隠し事するなっ」

「ねえ、エトラ」

「なんだっ、拒否権ならやらないからなっ!」

「エトラにはいいの?」

「へ?」

「だからミナには話して、エトラには話さなくていいの?」

「だ、だめだっ! でもミナにはもっと話せ!」


 やはりミナが優先らしい。

……そもそもミナは僕に深く関わろうとしているのだろうか。

少なくともエトラはさっきほぼそう言った。

 ではミナは?

エトラの言うような寂しさを本当に今も感じているのだろうか。

本当に何か隠しているのだろうか。

 実際寂しかったとして、隠していたとして、それを僕に伝えて寂しくなくなるのだろうか。

ミナとは確かに仲のいい友達だけど、きっとエトラの方が彼女と仲がいい。

その上エトラは何か昔にあったのなら、それを知って、分かち合いたいと願っている。

傲慢だと知りつつ、だ。

それはどれだけ優しい事か。

彼女を癒すとするなら、それは僕でなくエトラだ。


「久しぶりだな」

 ドアを開け、教室に。

特に授業はないようで、多少人がいたが皆遊んでいた。

掲示板にはクラブの募集やら町の花火大会やらのポスターとともに、「受けよう授業、苦行難行ああ無情」とある。

受けさせたくないのかもしれない。


「本当、学校なんて名ばかりだよね」

「へ?」

「集会所というか、クラブというかの方が正しい気がする」

 ここには遊戯設備やらカフェやら、挙句の果てにはアトラクションやら凡そ学習施設とは思えないものが詰め込まれている。

どのエリアにも複数学校はあるが、割とこんな状況の所が多いらしい。

学習や研究に精を出す者も、ある程度はいるみたいだが。


「講義だってあるぞっ?」

「エトラは殆ど受けてないでしょ」

「第二基礎知識は取ったもん」

「それ受講率ほぼ100%だけどね」

チャイムが鳴る。どこかで授業をやっているのだろう。

「もしかしてエトラって毎日学校来てるの?」

「いや、たまに休むぞっ。保育部の手伝いがある時とかな」

「子供の面倒見てるんだ」 

「うん、かわいいもんだぞっ。面倒な時もあるけどなっ」

 誰もが若々しい頃の姿でこちらへ来るけれど、それよりも幼い段階でこちらに来た場合はその姿のままなのだ。

そういう例は少なくない……というか日常的なものだ。

ほっといても死ぬわけじゃないけど、成長までは面倒を見る必要がある。

……にしても保育まで手をつけてるのか、学校。


「まあ保育部も学校の一部だから……そうなると」

「じゃあほとんど毎日来てるかもなっ」

「恐ろしいね」

二の腕をつままれる。痛い。

「で、学校来たけどどうするの? 授業でも受けるの?」

「受けるわけないだろっ」

 哀れなり教育機関。

毎日来てるんだからちょっとくらい受けてもいいのに。

「じゃどこに行くの?」

「あ、えーとっ、そうだな、」

 どうも考えていなかったらしい。

それで人を家から引っ張り出す辺り凄い行動力である。


「よー、お二人さん!」

 後ろから声をかけられる。

イェンだ。

「エトラちゃんはともかく、お前は久しぶりだなー、何してたんだよ?」

「久しぶり。いや、何だか外出るの億劫でさ。

引きこもっちゃってたんだ」

エトラの顔を見ないようにしながら答える。

エトラはこちらの顔を見ていた。

「まーいいけどよー。

たまには俺らとも遊べよな」

「ごめんごめん」

「よしっ、皆で今から遊ぶぞっ」

エトラが両腕を上げる。

「何する?」

「娯楽室でゲームでもする?」

「えー、飽きた。

それに物理メディアの頃のなんて古いだろ?」

 む、これは。

話し合いの必要があるかもしれない。


「じゃ外出てカラダ動かそうぜっ」

「えー」

 自ら進んで運動したがる者の気が知れない。

マゾヒズムに近しい何かなのだろうか。

「ゲーム」

「スポーツっ」

「電子遊戯」

「スポーツっ」

「スポーツゲーム」

「スポーツっ!」

くそ、譲歩したのに。

「エトラ、ゲームだって一種のスポーツさ。

いいや、むしろ世界中のどんなスポーツよりエキサイティングだよ。

電子の世界の中でだけ、翼の無い僕らが初めて神にだってなれるんだからね。

現実なんてクソくらえだ。

そう思わないかい?」

「神だか何だか知らないけどお前はもう少し運動しろ」

「俺もそう思うぞー」

 だ、ま、れ!

目配せするも見ていなかった。

今は彼女を説得しなきゃいけないんだ。

イェンの相手をしてはいられない。


「とにかくいくぞっ」

 また腕を掴まれ引きずられる。くそ、なんて力だ。

戦闘民族か何かなんじゃないのか……

 だが、ここで諦める僕じゃない。

同じ目に二度は会わないぞ!

掴まれた腕を翻すように、回転させれば……!

「…………」

 ダメだ、動かない。微動だにしない。

あれー?

「なにするのー?」

「あ、エアムーバー借りてくるけど、いいかな?」

いつもよりちょっと丁寧にそう聞いていた。

「おうー! ありがとねー!」

 イェンが笑って手を振っている。

というか、なんか彼と僕の扱いが違う気がする。

「ねえエトラ」

「どうしたっ」

「僕にも彼と同じくらい優しくしてくれると嬉しいんだけど」

「……きもちわるいこというなっ」

 暫く引きずられたあと、レクリエーションルームの隅のエアムーバーを幾つか抱えてまた引きずられる。

というか何で荷物もったまま引きずれるんだ、エトラは。


「もってきたっ」

「ありがとうな、で、レースどこでやる?」

「うーん。ここのグラウンドからレイリスのタワーの頂上まで、その後戻ってくるのでどうっ?」

「あの屋上ね、了解」

「タワーに行くならポートを使えばいいんじゃないかな?」

「ほら、おまえの分だっ」

 無視して機材を渡される。

仕方ないので装着する事にした。

両掌、両足首、バックパックにエーテル噴射推進装置、左耳に投影式バイザー。

にしても学校に来いと言うから来たのに、早々学校から出ようとしている。


「何かハンデ欲しいなあ」

「そう言うと思って持ってきといたぞっ」

エトラから追加の推進器を渡される。

「腰の左右に付けるんだ。あるとないとで相当違うぜ?」

「そうなの?」

「まああっても俺はエトラちゃんに勝てないが」

「何だ、出来レースなんだ」

「今回ボクはバックパックなしだぞ」

そこまで実力差があるのか。

 左耳に触れ、バイザーを点ける。

HUDにチェックポイントとゴール、そこまでの平面的或いは立体的な直線のガイドが写っている。

エーテル濃度と風速風向の関係で直線が最短距離かは場合によるのだけれど。


 グラウンドに出る。風はそれなりにあった。

イェンがよっ、よっと言いながら足で砂利に円と直線を引いた。

3人で直線に並ぶ。

「Ready to flY?

Standing by……3」

「さん」

「2」

「にー……」

「1」

「いちっ」

「G「いっくよーーっっ!!」


 掛け声とともに地を蹴って跳び、そして飛ぶ。

全身が風に包まれる。

久しぶりの感触だった。

光と駆けるエトラの姿が前を行く。推力差とかは関係ないらしい。

しかもよく見るとこっちを振り返りながら手を振っている。

左耳から通信。

「な、速いだろ」

「全くだね」

「お節介だけどさ。お前、ちゃんとエトラちゃんの相手してやれよ?」

「え?」

「怒ったふりしてたけど。

どっちかって言うと、お前が来ない間寂しそうだったぞ」

イェンが見て分かるんだ。相当分かりやすかったのだろう。

「あーやだ。

何でもてないやつがもてるやつにこんなこと言わなきゃならんのかね」

「ありがとう」

「おう。じゃ、ちゃんとついてこいよ」


 彼も加速していく。

引きこもりがちではあるが、外が嫌いな訳では無いのだ。

濃い青の空と陽射しの元を自由に飛べば、心地良いと感じる感性くらいはある。

無理やり連れ出してくれたエトラに少しは感謝しようか。

 ふと、かつての空を思い出す。

こんなに綺麗な空じゃなかったけれど。

けれど、その下で起きている事と比べれば美し過ぎるくらいだったな。

さて、僕も本気で飛ぼう。

バイザーの表示曰く、エトラもイェンもずっと先だ。

腰のサイドブースタを吹かし、高度を上げる。

雲の上まで。

「引きこもりのくせにできるじゃんかっ」

楽しそうな声が聞こえる。

「結構ギリギリだよ。ゴール出来るかも分からない」

 それなりの風速とばらつきのあるエーテル濃度。体勢を維持するのも結構辛い。

だけど心地好くて仕方なかった。


「その時は首根っこつかまえて飛んでやるぞっ!」

「冗談だよね? ね?」

「……ホントはな、ちょっと怖かったんだ」

「エトラが?」

「うるさい。

……無理矢理連れ出そうとしたり、もっと知ろうとしたり、無闇に深く関わろうとしたり、仲良くなろうとしたり、仲良くさせようとしたり」

さっきも仄めかしていたけど、やはり彼女はそう感じているらしい。

「嫌がるんじゃないかって。

嫌なのに、そんなこと思ってないふりするんじゃないかって」

 本当に何故、そんな事を思ってまで僕に踏み込んでくれるのだろう。

それだけの価値を持った記憶はない。

けれど、その思いには答えなきゃいけない。


「この前ミナがさ、エトラと僕とを大好きだって言ったけど。


……僕もさ、2人をそう思ってる。

ありがとね、エトラ」


HUDのエトラを示すアイコンが、一瞬変な動きをした。


──────────────────


「んじゃあなー!」

イェンが大きく手を振りながら去っていく。

「またねー」

手を振り返す。

「仕事か、忙しいのかな」

「色々働いて稼ぎまくってるらしいぞっ」

「活動的だなあ」

何でもバイトリーダーだとか言っていた。よく働くものだ。

「で、どうする? 今日は解散?」

レースを終え校舎に戻ってきたが、特に予定は決まっていない。

「ちょ、ちょっと待て」

「? いいけど」

「まだ帰っちゃだめだからなっ!」

「何か予定とかあるの?」

「そ、それは……」

「それは?」

「あ、あるぞ! もちろん!」

 様子がおかしい。

帰るとまずいことでもあるのだろうか。


「ん、何か隠してる?」

「何も隠してなんてないぞっ」

「うーん……」

「か、帰りたいのか?」

「いや、別に」

「ならいいだろっ!」

また僕の腕を引っ張って歩き出す。

「エトラ、どこに行くの?」

「知るかっ」

えー。知ろうよ。


「ねえエトラ」

「なんだっ?」

「皆見てるよ?」

「何をだ?」

「僕たち」

「何でっ?」

「エトラが僕のこと引っ張って歩いてるから」

「いいだろ、べつにっ」

「僕はずかしい」

 周りから微笑ましいだとかあの親子またやってるよだとか聞こえてくる。

気が付いたのかエトラも恥ずかしそうにし始めた。

「おいっ、なんかおかしなこと言われてるぞ」

「なんて?」

「ボクたちがお、おお、おお親子だとか」

狼狽えるエトラは結構可愛かった。

「僕はエトラを育てた記憶は無いんだけどなあ」

「なっ! ボクがおかーさんだろっ!」

「それは無いんじゃないかな……エトラだし……」

「どーゆう意味だっ!」

「ほらほら、さっさと行こう? エトラママ」

「っ! バカっ!」

 今度は襟首を引っ張って走り出す。

反省しない子だなぁ……


 真っ赤なエトラに連れられたのは食堂だった。

ここ最近はともかく、学校の人たちとここで一緒にご飯を食べることはそれなりに多い。

相変わらず盛況だったが座れないほどじゃなかった。

「何か食べるの?」

「ああっ」

「ママに作って欲しいなー」

睨まれる。怖くは無い。

「馬鹿なこと言ってないでさっさと注文するぞっ」


 席に着いてメニューを見る。何にしようか。

家にいる時はハウンの教えてくれたパスタばかり食べている。

安くて早くて美味い。

軽い中毒性を有するが些末な問題である。

あちらにいた頃はバーガーばかり食べていたが、あの国は基本的に多様な食文化のあるところだった。

どれがどの国由来の食い物かはよく分からないが、食文化は政治対立に忖度したりはしないのだ。

大切なのは美味いかどうかである。

「ボクこれにするっ。お前は?」

「うーん……」

 メニューは相当に分厚く、表紙には「トーストから満漢全席まで」とある。

本当に学校か?これが?

「何で学校の食堂が満漢全席まで出せるんだ……?」

「大体機械が作ってくれるみたいだぞっ」

魔境だな、ここは。

「エテリアの品質改良で出せるようになった……とかミナが言ってたような」

「科学はすごいなあ」

 メニューの写真をタップすると、受付音がなった。

暫く待とう。


「ホントは10秒も待たずに出せるんだってミナが言ってた」

「? わざと遅くしてるの?」

「その方が美味しく感じるから、だって」

「よく出来た世界だ」

 にしても何でミナはそんなに学校の食堂事情に精通してるんだろう。

少ししてロボットが料理と水を運んでくる。

僕のは真っ赤なスープに具材と米が入っていた。

副菜にこれまた辛そうな赤い漬物がある。

「エトラ、それはなんて料理?」

「ガ……ガ……ガル……何だったっけ?」

皿に乗った器をパン?が覆っている。

「えいっ」

 彼女がスプーンで穴を開けると中にはシチューがあった。

美味しそうだ!

「お前の、辛そうだな」

「食べた事ないからどんなのか分からないけど……まあそうだね。

辛いの好き?」

「大好きだぞっ」


 スープをすくって口へ。

やはりそれなりに辛さがある。

米の柔らかい食感と、野菜の軽く芯のある食べ応えがよい。

漬物の方は辛さと胡麻の油の香りが主張してきて、白米にのせたい一品だ。

 ……この油であのパスタを作っても美味しそうだな。

水をがぶがぶと飲み、また粥を口に運ぶ。

「ふー、ふー、……ん」

 エトラの方もとても美味しそうに食べている。

中のシチューはキノコが入っている様だ。

蓋になっているパンをシチューへ付け口に運ぶ。

幸せそうに笑っている。

あまりに良い表情をするので奢ろうかと思ったが、そういや金はあっただろうか。


「? 何だ、食べたいのかっ?」

「いや、美味しそうに食べるなって」

「お前も美味そうに食べてたぞっ」

そう言ってパンを軽く千切ると、シチューにつけてこちらの顔へ差し出した。

「ほらっ」

……恥ずかしいんだが。

「いやなのかっ?」

「そうじゃないけど」

「じゃ遠慮するなっ!」

 口に押し込まれる。

唇に指が触れた気がする。

美味しいけどまずい。

「お前のも貰うぞっ」

ま たパンを千切って僕のスープへつけた。

それをほぼ指ごと自分の口に運んで口を閉じた。

……いいの? これ?


「うん、もうちょっと辛くてもいいけど……でも美味しいなっ!」

「粥ってパンつけて食べるのかな」

「……お前、購買部で年間売上ランキング1位の食べ物が何か知ってるかっ?」

疑問に質問で返してくる。

「へ? なに?」

「コロッケパンだ」

僕は全てを理解した。

「ちなみに2位は焼きそばパン。油の量が勝敗を分けたっ」

さっきまでちょっとドキドキしていた僕を返して欲しい。

「つまりっ! 炭水化物は炭水化物を拒絶しないっ!

むしろ手を取り合い、互いを補完し更に完成していくんだっ!」

訂正、そもそもドキドキとかしてない。

「………って、ミナが言ってた」

「ミナ……」

 付いてきたチーズをスープの中へ入れて溶かすと、これもまた美味だった。

このチーズもスープも漬物も全部、元を辿れば辺りに浮いてるエーテルな訳で。

霞を食って生きる仙人とそう変わらないな。

食べなくたって問題は無い辺りそれより高尚かもしれない。

いや食べなくても死なないのに食べてるんだから賎しいのか?

まあ、いいか。殺さずに飯が食えるんだから。

 ミナの生態についての情報交換を主に雑談をしながら舌鼓を打っていると、やがて互いに食べ終えた。


「会計、してくるね」

「もう払ったぞ」

「え?」

「ここ先払い出来るんだっ。よく来るから先に済ませてある。

それにボクが連れてきたんだ、ボクが払うっ」

「でも」

「この前ゲーセンで使わせすぎたからなっ……許しては無いけど」

「あ、……ごめん」

「それに、お前ほんとに幸せそうに食べてたからなっ。奢りたくもなるっ」

 ……何でこんないいやつが僕の友達なんだろう。

わからない。

「それじゃ行くぞっ」

せめて、エトラが自身の望む人といられるように祈った。

「まだどこか行くの?」

「そうだなっ……」

また特には考えていないようだ。

「ミナのところにでも行くか?」

「いいけど、家にいるの?」

「普段から出不精だからなっ、その点は問題ないはずだっ」

彼女は左手首の端末を弄っている。連絡するようだ。


「おーいミナ、いるかー?」

「はーい」

聞き慣れた声がスピーカーから聞こえた。

「今からミナのところに遊びにいってもいいかっ?

来ないだけで、忙しいわけじゃないんだろっ?」

どうやらミナも誘っていたみたいだ。

「いいけど……愛しの彼とデートしてるんじゃないの?」

「一応聞くけど、それはあのバカのことか?」

「多分そうね」

「ボクがあのバカのこと愛してるわけないだろっ!」

「え? 私だけど?」

「……へ?」

「だから、私の愛しの彼だけど?」

エトラがフリーズしている。少し待ったが動く気配がない。

「ミナ……」

「なあに? ダーリン?」

「エトラが再起動しないんだけど」

「愛の力ね」

「エトラ、今のはミナの妄想だから気にしなくていいよ」

「これから現実にしましょうか」

「静かにしてようね」  

「そうね、愛に言葉はいらないわ」

無敵か。


「おーい、エトラ、しっかり」

「……はっ!」

正気を取り戻したようだ。

「まあ今日のところは2人で仲良く遊んできなさいな」

「何か都合でもあったかっ?」

「ないよ」

「え? そうなの?」

「うん」

「じゃあいいじゃんかっ! やっぱり一緒に見に行こうよっ」

見る? 何を?

「私も行きたいんだけどねー。

でもさ、今日はエトラにゆずるって決めちゃったから」

「お前があいつと会うのは自由だっ、そんな事しなくても」

「あ、どんな楽しいデートしたのかだけ後で教えてね」

「だっ! かっ! らっ!」

「まったねー」


 通話が切られる。

あ、炭水化物の件聞くの忘れたな。

「で、どうする?」

「ミナ……後で説教だっ……」

と、僕の端末にメッセージ。

ミナからだ。

『学校前のライナーの駅から少し歩いたところに古書店があるんだけど』

『行けば面白いものが見られる……かも』

 面白いもの、か。

この世界の事を知りたい、という僕の質問に関することだろうか。

続けて地図が送られてくる。

学校から割と近くだが、存在に気付いたことは無かった。

「エトラ、これ」

端末を見せる。

「ん、じゃそこに行ってみるかっ」

「いいの? エトラが見て楽しいか分からないよ?」

「ならお前が楽しませろっ」

さいで。


学校を出て、地図を見つつ歩く。

一旦駅まで行ってそこから歩いて5分かかるかかからないかくらいだ。

ミナにはそこへ向かう旨を伝えたところ、楽しんできてねーと返信が来た。

「結局そこに何があるんだっ?」

「分からない。面白いものが見れるかも、ってだけしか」

「何でもったいぶるんだろうなっ?」

 駅に着く。周辺は様々な商業施設に溢れている。

この大通りから一本裏へ入った所に件の店があるらしい。

駅前の喧騒と華やかな店の数々を通り抜けて、細い路地へ。

一気に人が減る。


「もう少しだよ」

「ミナはどうやってこんなとこ見つけたんだろな」

 果たして、小さな店がそこにあった。

ワニャーマ フズィッタ ウヮアートゥ……知らない文字だ。

動物たちは人を名乗る、か。

店主は面倒臭いやつのような気がする。

「はいろうぜっ」

 店内は古書店のイメージ通り、倉庫のようだった。

多少抑えられているが匂いはする。


「いらっしゃい」

男の声だった。

「どうも」「どうもっ」

見渡すと古書以外も、雑貨のようなものも置いてあった。

「持ってけドロボー!(有料)」と張り紙。

 店名とバランス取れてないけどいいのかな。

さて面白いもの……どれなのだろうか。

「よく来たね」

「あ、はい」

 僅かな違和感。

見知らぬ客によく来たね、と言うだろうか。

エトラは特に何も思っていないのか物色に夢中だ。気のせいか?


「なーなー、これ面白いぞっ」

 エトラが楽しそうに呼ぶのでそちらに歩く。

傍の台には美しい砂時計があった。

よく晴れた夜の星空のような砂が零れ落ちている。

それを包む容器を囲んだ台座にも凝った装飾が為されていた。

砂が落ちる方向へ、白から黒にグラデーションの塗装が存在感を放っている。

「綺麗だな……これ」

 見入ってしまう。

星が零れ、僅かに空気を揺らす音が耳を癒した。

「お前、こういうのが好きなのかっ?」

「うん。綺麗だなってさ」

「ロボットとか女の子だけじゃなかったんだな」

「あはは……」

「でもいいと思うぞ。ボクもキレイなものは好きだ。

イヤなこと、忘れられるから」


 ? 普段のエトラと何か雰囲気が違った。

どうしたんだろうか。

……嫌な事か。

「……ん? でもこの砂時計、変だぞっ」

「そう?」

「よく見てっ」

 確かによく見ると砂の山が全く減っていない。

暫く待ってもそのままだ。 

下の山も増えていない。

ただ白から黒の方向へ砂が落ちているだけ。

……どうなってるんだ? これ?

手を伸ばし、掴む。砂は流れたまま。

……手首を返そうとする。


「いいのかい?」

「!」

背後から声。

「返してしまっていいのかい?」

「……返したら、どうなると言うんです?」

「他人が教えてくれるのは他人の真実だけさ。

貴方の真実に至りたければ、貴方自身が行動しなければならない。

結果も責任も背負う覚悟をした上でね」

予想通り。面倒臭い人だ。

「? なら何で返すのやめるよう言ったんだ?」

「それは警告を」

「他人が教えられるのはそいつにとっての真実でしかないんだから、警告なんてしても意味ないんじゃないかっ?」

「……」

 エトラが論理で人を殴っている。

それも中々の攻撃力だ。

殴られた男性は苦しげな表情を浮かべている。

「もしかして他の客にも同じようなことしてるのか?

潰れちゃうぞっ?」

あ、とどめ刺しに行った。

「あ、あはははは……」

店主の男は笑って誤魔化している。


「キミたち、シュートリアさんの友達だよね?」

呼び方は聞きなれないがミナのことだ。

「そうですが」

「道理で一筋縄でいかないわけだ」

「うんっ」

「キミたちの事は彼女から聞いてるよ。

確か……愛しの彼とその愛人?が来るって」

「ミナには虚言癖があるんです。

気にしないでください」

「あっはは。

にしても凄いなあ、彼女公認なんて」

 聞けよ。

またエトラが赤くなっていた。

「シュートリアさんはお得意さんでね。

うちの本とか雑貨とかよく買ってってくれるんだ」

「なるほど」

何か珍しい本でもあるのだろうか。

「ところで、その砂時計はね」

 店主が星の光を放つそれを掴んで返した。

輝きの砂は落下しない。

昇っていた。

「物理法則の外にいる」

異様な光景だった。


「まあ、それは砂の量が変わらない時点でそうなんだけどさ」

「ホログラムとかじゃないのっ?」

「ところがね」

ポケットから透明なシートを取りだして差し出してくる。

「それはホログラムに使われてる特殊な光を通さない材質なんだけど、それを通してみても砂が落ちているんだ」

 店主はまたポケットから小型のホログラム装置を取りだし、空間に自分の顔写真を投影した。

笑顔でピースしている。

シートを受け取ったエトラが「ほんとだ、見えないやっ」と感心していた。

そのまま砂時計に向けると、今度は「ほんとだ、見えるやっ!」と感心していた。

愉快な人間が2人もいる。


「そういう訳でホログラムの類いじゃ無いんだ。

果たして本当に砂かは怪しいところだけどね」

「こういうの、どこで手に入れるんです?」

「対価と信用とが知に繋がる、私はそう思うんだ」

「要するに何か買えと」

「回りくどい言い方がすきなんだなっ」

「……なんだよー、買ってくれたっていいじゃないか。

綺麗だろ、な?」

もしかして売れ残ってるのか?

「でもこれ、いくらなんだっ?」

「ん、値札ついてる」

 …………相当なお値段。

そんなポイントは無い。

「すみませんが、そんなに持ち合わせは」

 エトラは数字を数えて悩みこんでいた。

……欲しいのか?

「まあ何、あのシュートリアさんのお知り合いだし。

それに聞いたよ、君はこの世界の事が知りたいんだろ?」

「ええ、まあ。

研究というほど大層なことはしていませんが」

「……君はなんでこの世界のことが知りたいんだい?」

「単なる好奇心ですよ。ほら、不思議な事が多いし」


「本当に?」


 目の色が違った。

比喩じゃない。

今、確かに一瞬だけ、あの左目が赤く……

「どうだい、」

……くん。

 名を、呼ばれた。

強烈な違和感が響く。

何なのだ、これは。

「なに、答えなくても分かるんだがね」

「……」

 エトラが不思議そうにこちらを見ていた。

僕だけなのか?

おかしいと感じたのは。


「この砂時計は、世界のバグを突いたものなのさ。

貴方がああいった疑問を抱くのなら、持っておいても損は無いんじゃないかな」

「バグ……?」

「そう、バグ。或いは脆弱性」

「? どういう意味っ?」

「なに、男の子はこういうはしゃいだ会話が好きなのさ。

意味なんて大してないよ」

「そーなのか……?」

「そうだ、この砂時計はそこの彼に必要なものだからね。

無償で譲ってあげよう」

「いいのかっ!?」

 エトラがぐいっと飛びついた。

大丈夫なのかな?


「危なくなどない。人を癒すだけのものさ」

考えを読んだかのように言った。

「バグがどうとか言ってましたけど?」

「その時計は貴方たちが来るずっと前から置いていたものだよ。

貴方達を害するために陳列はできない。

というか、ここで害そうとして何が出来るんだろう?」

「それも、そうですね」

「気になるなら、シュートリアさんに確認してもらってもいい」

「お前、心配症だなっ」

「そうかもね」

「でも、ただで貰っちゃったりなんかしていいのか?

高いんだろっ? 流石に悪いっ」

「そう? んじゃ……」

店主が金額を告げる。

「そんなもんでいいのかっ?食堂のカレーくらいだぞっ」

「いいよいいよ」

エトラが手首の端末を操作する。


「はい、頂いたよ。袋に入れようか?」

「うんっ、おねがいします!」

店主はポケットから紙袋を取り出す。

「そうだ、この砂時計は変形するんだ」

 砂時計の上の台座……白い部分の装飾を押し込むと、砂の容器を中心に上下の台座を繋いでいたフレームが中心から折れた。

台座はフレームがついていた外側がそれぞれ上下に一段展開され、折れたフレームと水平になっている。

「おーっ……でもなんで?」

「使う時に必要なのさ」

 もう一度装飾を押すと元の形に戻った。

袋に砂時計を詰める。

口をシールで止めてエトラに手渡した。


「んじゃ私は倉庫の整理をしてくるから、自由に見ててくれたまえ」

 そう言って彼は下がって行った。

違和感と、僅かな恐怖。

あの男は一体……?

「なあ、これ危ないものなのかっ?」

「いや……」

考えすぎだろうか。


 端末を取りだし、カメラを起動する。

砂時計を写すと詳細が表示された。

『該当する存在が1件確認されました』

 作品名はREsurrection。

どうやらミルメットエリア……このレイリスからはそれなりの距離があるところの職人が作ったものらしい。

あまり著名な職人では無いようだ。

一品ものでエテリアを使用していないらしい。

 ……じゃあ何でできてるんだ?

見れば、エーテル非吸着性マテリアルが云々と書いてあった。

難しいがネットワーク上に情報があるくらいなのだから危険物では無さそうだ。

勿論そういった表記も無いし。


「大丈夫そうだよ」

「そうかっ」

 なんだか満足げだ。

紙袋を大事そうに抱えている。

「綺麗だよね、その時計」

「うんっ、良い収穫だっ」

「そういえばミナが言ってた面白いものってこれだったのかな?」

「あ! どうだろ……?」

「ちょっと色々見てようか」


 店を見回る。

雑貨は多少あれど、本がメインのようだ。

どうやって仕入れたのか、あちらの世界で刊行された本も幾つかある。

奇書と読んで差し支えないようなものも多い。

カルトの教本やら死体写真集、どこかの軍の報告書。

あまりエトラに見せたくないので離れるように誘導する。

 ただそういった本だけでなく、週刊の漫画雑誌だとかちょっとやらしい本だとか、映画やアニメのムックなんかもあった。

興味は湧くが、金無しなので仕方ない。

幾つか世界研究書の類もある。

どれもそれなりの価格の中、安い割に充実した1冊があった。数が出回ったのだろうか。

買ってもいいかもしれない。


「ん、半額か」

隅の方に値引きされた本が乱雑に置かれている。砂時計と違って確実に売れ残ったものだろう。

「何かあったかっ?」

 安いというのはやはり人を惹きつける。

小さな山の表層を剥いでいく。

投資の勧め、自己啓発書……ん?

ああ……これか。

「あったよ、「おもしろいもの」。」

「お! どれだっ!?」

彼女へ手向ける。

「メッセージ」、著者はミナだった。

「あっ」


著者名の上に、半額シールが燦然と輝いていた。


──────────────────


 店を暫く見てからまた街に出る。

ミナはわざわざ自虐のためにあの店に行かせたのか?

……いや、やりそうだな。

陽が落ちかけ、空は紅と瑠璃とが融けあっていた。

女の子と歩くのにこれ程うってつけの色もない。

腕時計を確認する。

とはいえ、もう結構な時間だ。


「さて、そろそろお開きかな」

「ま、まてっ!」

「? もう遅いよ?」

「いいからもうちょっと待てっ」

特段予定がある訳でもないから言われた通りにする。

「後30分くらいかっ」

「? 何が?」

「お前っ、ほんと外の事に興味無いんだな」

「確かに引きこもりがちではあるね」

「今日が何の日かも知らないんだろ?」

 何の日……か。

考えてみても特に思い当たるものは無い。


「誕生日……はまだだもんね?」

「そんなもの当分先だっ」

「うーん……何の日……マイナーな記念日だったりする?」

「まったく……こういうの、ちゃんと覚えといてミナのこと誘うんだぞっ」

「ミナ?」

「ほら、いいから行くぞっ」

エトラに連れられいずこかへ。

引っ張らないでくれてありがとう。

 街には多くの人々がどこか楽しそうに歩いていた。

カップルなのかイチャイチャしながら歩いている人も多い。

この街の人々が楽しそうなのはまあいつもそうなんだけど、今日は尚更そうだ。

人の数もやけに多い。どうしたんだろう。


「ほんと、今日は賑やかだね」

「お前以外はだいたいみんなそうだなっ」

「それでどこに行くの?」

「考えてる」

「え? 決まってるわけじゃなかったの?」

「静かなのと賑やかなの、どっちがいいっ?」

「うーん……それはどっちも楽しいの?」

「分からん、お前しだいだっ」

「エトラは?」

「ボクはどっちも楽しい」

「じゃ両方かな。出来る?」

「ん……まあ確かにそれがいいなっ。

どっちが先がいいっ?」

「じゃ賑やかなのを先に」

「分かったっ」

 あと20分か、と言いながらエトラが近くのポートに乗る。

どこに行くか分からないけど、続いて乗り込む。

エトラに操作を任せ、移動を終えてポートから出ると……


「あ……」

 さっきよりも沢山の人々、屋台。そして看板。

『レイリス・花火大会会場』

 そうだ。

今日は花火大会の日だったのだ。

そういえば学校で掲示があった。

日程までは見ていなかったけれど今日だったのか。

「忘れてた。次のも来ようって言ってたのに」

「まったく。ほんとうにまったく」

「ごめん、エトラ。約束破るところだった」

「りんご飴とタコヤキなっ」

「分かったよ」

「仕方ないから半分は分けてやるっ」


 このレイリスのエリアはイポニアでもリーベンでもニッポンでもないけれど、僅かにそこから来た人が多いからか定期的にその雰囲気を持った花火大会が行われていた。

僕も当時行ったことがないからこれがそうなのか分からないけれど、花火も縁日も大好きだ。

 花火はまだ上がっていないけど、もう屋台は大盛況だった。

ほんの僅かに浴衣なんて来てる人もいて、ソースと油の香りが既に辺りに漂っている。

一屋台に何人かいて相当な勢いで売り捌いてはいるけれど……買うのには時間と体力が要りそうだった。


 エトラと並んで歩く。

凄まじい人混みで流されそうだ。

大きくて強いエトラは何ともなさそうだが、僕は既に何度か飲まれそうになっている。

彼女が見兼ねて僕の腕を掴んでくれた。

もはや情けないとすら思わない。

エトラは強い。仕方ないのだ。

「近くにりんご飴とタコヤキの店、ある?」

「うん……あっ!」

 エトラに引っ張られる。

何人かにぶつかった。

ごめんなさい。半分は僕のせいです。


「ここ、色々あるみたいだ」

 のれんにタコ(等)ヤキとあった。

列の一番後ろに並ぶ。

この感じだと割とすぐ順番が来そうだ。

 タコヤキと言いつつ、その実タコ以外の具材が沢山ある。

タコは見た事がないが足のたくさん生えたグロテスクな海洋生物らしく、エテリアで再現されたもの、それも切り身とはいえ食べたがらない人も多い。

同様にイカやエビもダメな人が多い様だが、まあ他にも具材は沢山あった。

十種類以上はある様だ。

「えへへ、何にしよっかなーっ」

 マシンのサポートがあるとはいえ、よくもあれだけのメニュー数を捌いていけるものだなと感心する。

きっと相当やり手の店員がいるのだろう。

列がはけていく。次か。


「チョコとチーズとピザと……ってあれ?

イェン君じゃん!」

「へ?」

「あれ、お2人さん」

 必勝!タコ(等)ヤキ!と書かれた法被を来たイェンが凄まじいピック捌きで生地を返していた。

君、やり手だったのか。

「お熱いねえ、サービスしちゃうよ!」

 僕らの手元を見ながらそういった。

そうか、そう見えるのか。

実際はカップルと言うより親子なのだが。


「とびきり頼むよ」

置かれた機械に端末をかざす。

「まいどありー!」

ほかの店員が焼いたタコヤキを鉄板から容器に詰める。

イェンがそれを受け取り袋に詰めて、爪楊枝を入れてこちらへ手渡した。

「はい、ご注文の品ね」

「ありがとっ」

「はいはーい」

「おいイェン」

「何だいお客さん」

「……楊枝が1本しかないようだが?」

「……サービスのつもりだけど?」

減らず口を。

「またのお越しをー!」


混雑から結局そのまま店を離れてしまった。

「どれから食べよっっかなーっ」

 楽しそうに保温容器を開け、用事でタコヤキをいじっている。

娘がいたらこんな感じだろうかと、そんな感想が頭をよぎった。

気持ち悪いな、僕は。

 エトラはこちらをうかがうと、何を考えているのかと不思議そうな顔をする。

やがて楊枝でタコヤキを刺して、

「んっ」

僕の口に入れた。

「あつ、あつつ」

「美味いかっ?」

「……美味しい」


 どうやら本当にイェンはやり手だったらしい。

今まで食べたタコ焼きの中でいちばん美味い。

あの店は豊富な種類の具材を提供していたが、何とこれは無具材なのだ。

これはある種現状への非難でありアンチテーゼですらある。

 だがしかし、ただの色物では決して無い。

具材は無い……が、カリッと焼き目の付いた生地と熱くトロリとした中身、安上がりなものじゃないのがうかがえる香ばしいソースにカラシの混じったマヨネーズ。

荒い削り節とあおさは薬味でなくもう1人の主役と言っていいほどの主張をしてくる。

具材が無い代わりに硬めの生地や削り節の食感を濃厚に味わえ、質素どころか贅沢が過ぎる。

屋台で出していい味か? これが?


「これ、何味だっ?」

「分からない……けど美味い」

「えー……あ、箱に書いてある。

『イェンスペシャル』だって」

「メニュー名にすらなってたのか……」

 屋台の明かりから離れて、辺りは影を纏っていた。

我慢できずに楊枝を奪ってもう1つ口へ。

「あ! 独り占めすんなっ!」

瞬きする間に楊枝は奪われ、タコヤキが1つ彼女の口へ。

「それ、1本しかないけどいいの?」

「お前はいやかっ?」

「僕は別に」

また口にタコヤキを突っ込まれる。熱い。

「お前が思ってるよりボクたちは仲良しだぞ。


……それとも、ボクのかんちがいか?」


 空を切るような音が祭りに響く。

花火は開いて、エトラを照らした。

その表情は不満げなような、寂しげなような。

その一言の意味を僕はどう捉えるべきなのだろうか。

ミナと仲良くさせたがっているらしい事も考えると尚更よく分からなくなる。

「楊枝、貸して?」

「? うん」

受け取った楊枝にタコヤキを刺して、彼女の口に放り込んだ。

「エトラはさ」

「……ん……ごくん。何だっ?」

聞いてしまっていいのか、分からない。

「いや、何でもない。りんご飴買いに行こうか」

「? うんっ」

またエトラに手を引かれて、別の屋台の方へ歩き出す。


「花火、綺麗だなっ!」

「うん、ほんとに」

「まったくミナは……3人で見たかったのに」

 花火の光とソースの匂いの中を歩いていくとりんご飴の屋台もあった。

割と空いている。

青りんごとパインの2つを買う。

「他にも射的とか型抜きとかあるけど……どうする?」

「ん、きになるっ!」

 それから忙しなく射的やら型抜きやらを回った。

エトラは5発の弾で6つ景品を取っていた。

型抜きは開始2秒で失敗していたので、実にエトラである。


「さて、そろそろ静かな方に行くぞっ」

 沢山の景品を抱えたエトラが言った。

結局静かな方とは何なのか、手を引かれながら考える。

祭りの喧騒の中心から、少し離れた方へ。

「射的屋の人、苦笑いしてたよ」

「仕方ないな」

暫く歩くとポートに着いた。

「どこに行くのか教えてくれないの?」

「言ってなかったかっ?」

「聞いてないよ?」 

何故かエトラは装置へ手動で入力して、中へ入る。


「……あ!」

転送された先は学校の屋上だった。

「おどろくなよっ」

 大きな光の玉が、目前で弾けて、そして咲いた。

本当にすぐ目の前だ。

二発、三発と次々開いていく。

ただただ見とれていた。


「すごいね……」

「すごいぞっ」

「こんな近くで見たの初めてだよ」

「ふっふーんっ、しかも貸切だぞっ」

そういえば辺りには僕とエトラ以外は誰もいなかった。

「貸切って……たまたまじゃなくて?」

「何故かこの屋上のポートは転送先一覧になくてな?

手動でコードを入力しないと来れないんだっ」

「それで誰も来ないと。……ミナが教えてくれたの?」

「んーん。自分で探したんだっ!」

「どうやったのさ?」

「ここにポートがあるのは校内から見えたからっ、地図の位置情報からこのポートのコードを検索したんだっ!」

「おーすごい」

「そうだろっ! もっと褒めてもいいんだぞっ!」

「えらいエトラえらい」

「よしよし」


 エトラがどすっと床に座り込む。僕も隣に腰を下ろした。

縁日のところよりも、ここはずっと近くに花火が見える。

「学校の屋上独り占めして花火見るなんてさ、非現実的だよね」

「現実を受け入れろっ。キレイだろっ?」

「ありがとね、エトラ。

一緒に見るために探してくれたんでしょ?」

「ミナのバカ、一緒に見ようと思ってたのに」

「2人で楽しんでおいで、だっけ?」

「前から誘ってたんだ。3人で行こうって。

そしたら「後で彼と2人で会う予定があるから、その日はエトラが2人っきりで過ごしなよ」とか何とか」

「聞いてないな」

「そのうち連絡くるだろっ」

「そうだな」


 一際大きな花火が空を切って、咲く。

ほのかな熱が身体に注がれる。

「前は3人で来たよね」

「あれ、いつだったっけなっ。すっごくたのしかったっ」

「この前だって今日だって凄く楽しいさ」

「でもミナいないぞ?」

「それは残念だけど。エトラとだって楽しいさ」

「……そういうの、ボクに言うな」

 彼女は座ったまま鞄の中を漁り始める。

やがて袋を一つ取り出した。


「やる」

中身はあの砂時計だった。

「え?」

「そのために買った」

 白から黒へ昇る砂が、花火に負けず劣らず輝いている。

世界はあまりに美しかった。

「ボクも綺麗だと思ったんだっ、それ」

「何かお返ししたいけど……何がいい?」

「いらない。

強いて言うなら……ミナと仲良くしろっ」

「エトラとはいいの?」

「やっぱりそうやって言うんだな、お前」

隣に座る彼女はタコヤキの容器を開けて、また食べ始めた。

「また一緒に見ような、花火」

照らされる微笑み。

「今度は浴衣着てみてくれたら嬉しいな。

きっと似合うよ」

「いやだっ」


────────────────────────────────


 2時間ほど。

帰る訳にも行かないが、何もせずに過ごせる時間でもない。

空き巣が入って機材の一部が破損、犯人は既に捕まったが被害状況の調査と修復とを行うため本日の業務開始を2時間遅らせると概ねそんな感じの事が綺麗な文字で張り紙に書かれていた。

リュクゼルの字だろうか。

なお給金に影響は出さないとのこと。


 かくして暇になってしまった。

それ自体は喜ばしいことだが特にする事は無いのだ。

ケイタに酒を飲みに誘われたがそんなことに金を使う気は無いし、2時間ではリエルを探しには行けない。

今やることがないからか、尚更リエルのことが気になる。

多少無理をしてでも、端末を持たせておくべきだったのだ。

 相も変わらず、金が無いとろくな目に遭わない。

安酒とはいえ朝から飲んでいられるケイタが恨めしい。

確か軍人だった父の恩給があるとか言っていた。ただそれも大した額じゃないとぼやいていたが、むしろあの形だけの軍隊で恩給が出る事が少々驚きですらある。


 仕方が無いので辺りをぶらつくことにした。

一度リエルの誕生日に一緒にどこかの服屋に入ったくらいで、この辺りのことはほとんど知らない。

買い物はいつもリエルがしてくれていたし、それだって基本的に貧民市だ。

そういえば端末って一体幾らするんだろう。

今からでも買っておいた方が良いかもしれない。

 ……何を呑気に先のことを考えているのか。

現在進行形でいなくなっているのに。

とはいえ、今は何も出来ないのだ。

焦っていても仕方がない。

さっきからそんな懊悩を繰り返している。少し、考えるのをやめよう。


 辺りを見回すと様々な建物があった。

食料品や日用雑貨なんかの大きな店、職場の新聞の広告で見かける不動産屋、リエルと入った所よりも数段高そうな服屋、指名手配ポスターの変色した交番、返せなくても暴力は振るわなそうな金貸し。

 建物だけじゃない。

バラックより整えられたグレーコートに、リニアカー、電光看板や立体映像広告。

銃や遺体は落ちていないし、歩く人々には整った格好をした人々も多い。

水道も電気も当然の様に届く。

仕事の為にただ来るだけだったから考えなかったが、こういう場所を日常の空間として、世界として生きている人もいるのである。


 住む世界が違う。

いやここだって、広い目で見ればそこまで高級な所では無いのだ。

それに僕より貧しい人々だって世界には珍しくもないだろう。

 けれど確かにここはあのバラックとは違う。遥かに快適で安全な世界だ。

それが羨ましいとか妬ましいとか言う訳じゃなく、いやそういう感情は確かにあるのだが、それよりも驚きというか新鮮さのようなものが勝る。

生きる世界の違いなんてどこにでもある話だが、それをすぐ近くに感じたような。


 背後から轟音を上げながら車が車道を走ってくる。

リニアカーの音ではない。古臭いエンジン音だ。

振り返る。

錆びて汚れて、僅かに世界の違うそれ。

よく見慣れた食料配給の車だった。


────────────────────────────────


 端末を放り、寝返る。

窓の外から夜の闇と光が注いでいた。

明かりをつけようと思ったけど、まあ暗いのもそれはそれで好きだ。

花火から帰ってきてから暫く。

こうして端末を弄っていたわけだが、少し休むことにする。

今日だけでもまた色んな思い出が出来た。

あの店の店主だけ何か不気味なものを感じたが……

エトラは気づいていなかったか。


 さっきまで見ていた掲示板には中々興味深いログがあった。

僕らの握るこの「端末」にはどうやら隠された機能があるらしいだとか、或いはミナが言っていたようなエーテルに関しての様々な学説だとか、信用性はともかく目を惹く文章が残されていて、疲労しながらでも読んだ甲斐はあるものと言える。

 この手のものは「規制されている」(ミナ談)との事だが、ネットワークを周回し続けていたらどうにか見つかった。

本当に規制はザルのようだ。


 初めてここに来た時に、皆渡される端末。

前の世界で使われていた携帯電子機器に酷似している。

やれることも近い。通話やネットワークへの接続にその他諸々。

娯楽が主目的で、僕は使った事はなかったけれどかなり普及していた。

脳直結型のものもあると聞いていたが、こちらには無いのだろうか。

 いや、そんな事より誰が何故こんなものを配っているのかという事の方が疑問だが。

ここで政治を意識したことは無いが、ポーターやライナー、学校なんかの公共設備があるなら行政がある訳で、でなければこんなもの渡されない。


 とにかく謎の多いシロモノではある。

何か隠されていると言われれば頷けるほど。

何処の誰がどう政治を、或いは管理をしているか分からないままの上で生きるのは異常なことなのだろうが、何不自由のない生活が送れるならばそのまま受け入れられていく。

せいぜいこうして、娯楽か暇潰しに調べるふりをされるだけだ。


端末が鳴動する。

「デート楽しかった?」 

メッセージはミナからだった。

「学校に拉致されて空を飛ぶ羽目になった」

「? いくらエトラでも屋上から突き落としたりはしないと思うけど」

「いや、そうとも限らない」

「大丈夫? 誰かにばれてない?」

「ばれなきゃいいの?ねえ?」

随分前衛的な倫理観だ。

「私は?」

ん? どういう意味だ、これ。

「エトラとしか遊ばないの?」


 ……うーん。

どう返せばいいんでしょうか、これ。

……あ。消えた。

僕の送ったメッセージが一番下へ。

いつぞやの図書館での爆弾発言の如くまた恥ずかしくなって消したのだろうか。

ていうか送るまで恥ずかしいのに気付いていなかったのか?

気付かないであの文送ったのか。

 エトラもそういうところあるけど……ミナの方が逸材である可能性が強まった。

ミナ、君は本物かもしれない。


「みた?」

本物だ。

「無かったことにしたいなら聞かない方がいいんじゃ」

 数秒して「みた?」は消された。

いや、遅いから。さっきから墓穴掘り返し過ぎだから。

端末の通話ボタンを押す。


「ひゃっ、はい」

「いや慌てすぎ。今、会話大丈夫?」

「う、うん」

まあ返信の早さから鑑みるにそうな気はしていたが。

「明後日でいい? 明日は予定があってさ。」

「えっと、何が?」

「いや、遊べって言うから」

「あ、明後日ならいくらでも空いてるけど!?」

「そう? じゃ明後日、場所は……」

「待つんだ。私は遊ぶとは言ってないぞ」

「いやさっき」

「あー分からない分からない。何のことか全く分からないな」

「えー」

「一寸ほどの心当たりもないな。一体どうしたというのだろうな」

「そっか。ミナが分からないならエトラに相談してみるね」

「……も、もしかしたらさっき確かにそんなことも言ったような言わないような」

「言ったの? 言わないの?」

「たぶん言った……」

「エトラ」

「言った」

我ながら何か悪い気がする。


「周りの人間を混乱させるので言動には注意してくれると嬉しいな」

「疑問をそのまま口にしてしまっただけなんだ……ごめん……」

ふとエトラが言っていたことを思い出す。

「そういえばエトラがさ、ミナが寂しそうだって言うんだよ」

「え?」

「寂しいの?」

「……普通本人に聞く? それ?」

「確かに」

「何というか、凄いね君は……」

「でも人の気持ちなんて分かんないしなあ。

自分の感情さえ分からない事もあるのに、他人のなんて理解しようがない。

出来るのは分かった気になる事だけだよ。

だったら多少無粋でも直接聞いた方が良い気もしない?」

「優しいのかそうじゃないのか分からないな」

「まあそういう訳だからなるべく素直に答えてくれたら嬉しい」

奇妙な問いに彼女は少し考える。

「寂しい時もある、かな。

寂しくない時は大概、君かエトラがいるとき」


これ以上なく素直にそう答えた。

 それともうひとつ、エトラが僕とミナに言ったこと。

エトラの事は聞いてくるのに自分の事、家族や友人、ここに来る前の話をしないって。

でもそれは話題に出す気にはならなかった。

「思ったより素直に言うんだね」

「聞かれなかったら言えなかったよ」

だからなんで寂しいのかまで、聞けそうにない。

もしここに来る前の事が関係してるなら、それを聞けば僕の事にまで話が及ぶかもしれない。

 でも気にならない訳では無かった。

自分の事を言う気も無いのに他人の事を気にするなんて馬鹿馬鹿しい、分かっている。


「ねえ、場所」

「あ、そうだね」

「私の家でいい?」

「構わないけど」

「けど?」

「恥ずかしいなと」

「君だってエトラを家に上げこんでるじゃん」

「いや、何もやましい事は無いぞ」

むしろ着替えを見られそうになった。

「私も無いけど? それとも君はあるの?」

「いえ、何も」

「じゃいいでしょ」

 えー。いや。どうなのよ。

端末の向こうからふふんと勝ち誇ったような声が聞こえた。

いや、別に勝ってない。


その後時間を決めて通話を切った。


────────────────────────────────


 錆びたロッカーを開ける。特に荒らされていない。

時間になって職場に戻って来たが、片付けを少し手伝わされてすぐ昼休みに入ってしまった。流石に業務続行かと思ったが、まあ都合があるらしい。

普段からこれくらい暇ならいいものだが。


 外に出て飯を買いに行く。

家から弁当を持ってくるのを忘れた。近くに屋台があったはずだ。

ある程度まともな飲食店と貧民市の腐った飯屋の中間くらいと聞いた。

つまるところ贅沢だ。

また妹の顔が思い浮かんだが、忘れる事にする。


 屋台は……あっちか。

朝来た時よりも気温が上がっている。

上着を1枚脱ぐ。考えてみればそろそろ夏だ。暑いのも当然なのか。

夏は嫌いだ。

冬だって嫌いだが。

 溜息をつくと覆うように温い風がふいてくる。

一体どれほどかかるのか分からないが、財布から幾らか出しておこうか。


 そう思ってカバンに手をかける。すると子供が近くによってきた。

僕よりも汚い格好をしていた。

嫌な予感がする。逃げようかと思った。

「お金、下さい」

歳は10かそこらだろうか。

何故僕の所に来るんだ。

もっと金のありそうな、まともな格好の奴の所に行けばいいのに。


 ……ついさっき自分で考えた事じゃないか。

住む世界が違う。

このガキからすれば僕は富豪なのだろう。

自分が恵まれているだなんて考えたくもないんだが。

「僕だって金はない」

「家族が病気で」

「病院にいってくれ。親はいないんだろ?

金がなくても大丈夫のはずだ」

「薬が足りないから、金のあるやつから処方するって医者が」

そこまで腐っているのか。

いや、本当の話か分からない。分からないが……


「お願い」

 幾らか財布から出し、子供に渡すと走り去って行った。

昼飯よりは高い金だった。

幾らで薬が貰えるのかは分からないが、きっと足りないだろう。

結局あの子供は薬を貰えるだろうか。

……貰えたとするならば、他の誰かが手に入らなくなるんだろうな。

 分からなかった訳じゃない。

それでも金をやってしまう辺り僕は愚かだ。ガキの頃の記憶が未だに抜けてないんだろう。

いっそ子供の嘘であって欲しかった。娯楽か何かにかける金であって欲しかった。

しかし嘘にしては真実味がありすぎる。


 法としては金の無いものも医療は受けられる事にはなっているが、そのレベルの福祉は現状で言えば理想と化しているようだ。

これでも施行当初は十全に機能していたらしい。

少し外の戦況が変わって輸入ルートに異常が起きれば、薬も食い物も入ってこなくなる。

 この国自体に戦闘がなくてもこのざまだ。

僕の財布が薄くなる。

朝から本当に、今日はろくでもない日だ。


「おい、どうしたんだよ。そんなとこ突っ立って」

声と酒の匂い。ケイタか。

「金が自己満足に変わったんだ」

「ふーん。まあいいんじゃねえの? 満足したんなら」

そんなに満足もしていない。

「酒、そんなに飲んでると早死するぞ」

「違ぇな。どうせ早死するんだから、それまでに飲んどくんだよ」

「そうかもな」

「俺は満足さ」


────────────────────────────────


「…………うわぁっ!」


 飛び起きる。

何だ、今の。凄い音がした。

こう……何か隕石でも落ちてきたような。

 多分外からだ。

しかし、まさか隕石じゃないだろう。

ならなんだ? 爆発? 地震?

……今も轟音がなり続けていることに気がつく。

さっきの衝撃音とは違う、あれよりは小さな音。

辺りを包む夜の闇が嘘のようなうるささだ。


 とにかく外を見に行ってみるか。

端末を手に取って時刻を確認する。ミナと通話してから数時間が経ち日が変わっていた。

ベッドから出る。

家の扉を開けた。


「……は?」

 目の前に倒れていたのは、巨大なロボットだった。

細い光を身体中に纏ったかっこいい二足歩行メカ。

倒れているから分からないけど、たぶん僕の家を5~6個重ねてもあれより小さい気がする。

それが何故か僕の家の前で墜落していた。

驚いて体が動かない。

…………なんで?

「ふー……」

 ロボットの頭部のハッチが開いて、中から妙な色の服を着た女の人が出てくる。

何と言うか……一定の年代以上の人が来ていそうな服だった。

「あ、ここの家の人かい!?」

「そ、そうですが……」

「ごめんなさいねッ! お家の前にこんなッ!」

「えっと……」

「いやー初めて外で運転したもんでね? ブースカが調子悪かったのよ〜」

「ブ、ブースカ?」

「そうッ、ブースカ」

「ブースタですかね?」

「そうッ、ブースタ」

 何か愉快な人だぞ……

夜中にロボットが家の前に落ちてきて、その中から愉快な女の人が出てきた。

それでブースカが壊れてた。

強烈だなぁ、これは。


とにかく、色々疑問はあるのだ。

「このロボット、どうしたんですか?」

「これッ? 手作りなのよ!」

「てづくり……?」

「そーなのよ〜〜。お夕飯は惣菜なのにねッ!

いやだっもうっーー! アハハハッ」

「ぷっ」

 くそ。ちょっと笑ってしまった。

なんだか負けた気分だ。

「それで、操縦もあなたが?」

「そうよーッ! お家の前に落としちゃってごめんなさいねッ」

「いえ、どうせ壊れないので大丈夫ですが……」

古い家とはいえ壊れないような加工はされている。

「見てもいいですか? このロボット」

「あらッ? ご興味がおありなのぉっ!?

モチロン、見てッて見てッてッ!

あッ、そうだ、ちょっとまっててッ」

 女性はハッチの中……コクピット?に入り込む。

暫くすると期待の纏った細い光が大きくなっていった。

「これならよくみえるでしょッ?」

「あ、ちょっと眩しいかも……」

「そうかしらッ?」

「あ、今度は暗すぎるような……」

「細かいのニガテなのよ〜〜ゴメンなさいねッ」

……本当にこの人がこのロボットを作って操縦したんだろうか?


 明るさがちょうどいい感じになったので、周囲をぐるぐると回りながらロボットを観察する。

この光を放っている、機体の紋様といいフォルムやカラーリングといい物凄くかっこいい。

何かのゲームに出てきたんだろうか。

 実物の巨大ロボットを見たのは生まれて初めてだ。

向こうの世界では勿論、科学力の上回っているこちらに来ても見たことがなかった。

不可能だったのか、その必要が無いから作られなかったのかは分からないが、この女性1人でそれを作ってしまったというのか。

一体どうやって? そして何のために?


「撮っても良いです?」

「あらそんな、褒められると照れるわぁッ」

「……あ、えっと、撮影してもいいですか?」

とってもいい、と解釈したのだと数秒要するも気付けた。

慣れてきたのかもしれない。

「いいわよ〜ぉ」

 かっこいいロボットやメカニックは僕も好きである。

浪漫がそこにあるのだ。

できる限りたくさんの方向から、機体を端末のカメラに収める。


「お兄さんも好きなのね〜ッ、こういうの」

「ええ。いいものです」

「ふふ。なら良かったわーッ」

 ああ、撮影に夢中になってしまった。

向こうにも事情や都合があるだろうに。

「すみません。夢中になっちゃって」

「いえいえ〜いいのよ~~」

「これ、無事戻せますか」

「やってみるワッ。離れててもらえるかしらッ」

 機体ががたがたと振動し、腕を地面に付いた。

おお……こうも人間的に動くのか。

膝を立てて、上体を上げていく。

膝も上げようと……あれ?

 動きが止まって纏っていた光が消える。

どうしたんだろ。

あ、また動き出した。

でもあれ? こっち?

……倒れて来てる?


「よけて〜ッッ!」

「へ?」

ロボットの胴が近付いてくる。


「………うわぁっ!!」

 全身に衝撃。

真っ暗な視界。

……死んでない?

「ゴメンなさい〜〜ッ!」

 ロボの胴がもう一度上がっていく。

どうにか僕も立ち上がって、その場から離れた。

途端またロボットは光を失い、轟音を上げて倒れてしまう。


「電池切れちゃったみたい〜〜ッ」

……本当に、今日はとんでもない日である。


──────────────────


「どうしたもんかね〜」

 あの人が夜中の間ずっと機体の修理をするのに、僕はお菓子やらなんやらを差入れしていた。

名はヨーコさんと言うらしい。

自称パイロット兼主婦だそうだ。

実際にはそこに設計と整備も入るわけだから、とんでもない凄い人なのである……多分。


「二の腕と……太ももと……おなかと……」

 本当にロボットを弄っているのか分からなくなるような様子だ。

手元のお道具箱(本人談)から何やら機材や工具を取り出し機体各部を調整していく。

あの箱に収まるサイズの装備で直せるものなのだろうか。

「……ヨシッ! あとは電池だけッ」

直っちゃったよ。しかもこの短時間で。


「少し休憩されては?」

「でも、ずっとここに置きっぱなしじゃ迷惑でしょうッ?」

「かっこいいから大丈夫ですよ」

「あらそうぉッ? じゃそうさせてもらおうかしらッ。

充電もしないといけないしね!」

「充電」

「そうッ、この子ほっとくと自動で充電するのよッ」

すごい。

 機体の上から飛び下りたヨーコさんを家の方へ案内する。

中はこの前エトラが片付けてくれたお陰でキレイだった。


「飲み物出しますね」

「あらッお構いなく。

……お兄サンもロボット好きなんですネッ」

飾ってあったプラモデルを見ながらそう笑った。

「ええ。本物は持ってませんけど」

 戸棚を漁る。

烏龍茶と砂糖菓子を取り出し、カップと皿に空けた。

「どうぞ」

「あれッ、このお菓子見た事あるような……」

「そうでしたか?」

「なんてお名前?」

「プリャーニキだそうです」

菓子の入った袋を見ながら答える。

「ぷ、プリー……? まあコンペイトウみたいなもんねッ」

「はあ」

お茶とお菓子を摘みつつ、質問をする。


「あれ、1人で作ったんです?」

「いーえー、色々お手伝いしてもらいました」

「どなたに?」

「そこの学校の、工学?の人達なんかかしらね〜ッ。

でもワタシも結構勉強したんですよッ。整備や修理は全部自分でやってますのヨ!」

美味しそうに頬張りながら説明をしてくれた。あの学校、ロボット制作もしていたのか。

「なるほど」

「それが、あの子を色々改造して今日初めて外で試運転って時にブースカがおかしくなっちゃって……ゴメンなさいね〜ッ」

「いえ。でも防損加工してなかったんですか?」

この家ですらしているのに。

 物が壊れる……つまり物の状態が変化しないよう、エテリアで固めてしまうことだ。

可動部があっても、ある特定の動きだけは出来るように調整出来る。

腕時計なら歯車は動くけど、壊れも外れないようにしたり、服なら繊維が緩んだりたわんだりはしても破けはしないようにしたり。


「パーツ単位ではしてるんだけど……後で調整したり取り替えたりするのに不便で、全部はやってなかったのッ。

装甲は工夫してるから、落ちた衝撃では壊れてなかったワ」

「あのかっこいい外装、そんな凄いものなんですね。

あれはヨーコさんがデザインしたので?」

「昔ねぇ、アニメがやってたの〜」

「アニメ?」

「それに出てきたのよ、あのロボット」

「そうなんですか」

ピピッと音がした。彼女の端末からのようだ。

「あら、充電終わったみたい」

「えっ! もう?」

「早いでしょ〜! このエーテルエンジンもワタシが作ったのよ〜」


 ごちそうさまと言って彼女は立ち上がる。

そういえば、いちばん大切なことを聞いていなかった。

何故こんなものを作ったのか、ということである。

本人の趣味……という可能性はあまり無さそうに見える。

趣味ならブースカだなんて呼ばないだろうし。

 ヨーコさんが扉を開け外へ。

ついて行く。

「そういえば結局、何で」

「あぁッ! そうだ!」

「へ?」

「お兄サンッ、これ乗ってみる?」

「……はい!」


 ヨーコさんは倒れたロボの頭へ、腕、肩と華麗な身のこなしで跳んでいく。

身体能力まであるのかこの人……

コックピットへ飛び込む。

「ほら、ここよ〜ッ」

 ハッチから半身を乗り出して手を振っている。

あいにく僕はあまり動けない方なのだ。

どうにか腕へ登っていき、肩、頭へと達するにはそれなりに時間がかかった。

どうにかハッチからコクピットへ乗り込む。


「おつかれ~」

「済みません……運動能力が低いもので」

 中はかなり広く、大の字になって寝転がれるくらいのスペースがあった。

様々なモニターやコンソールの類に心がときめく。

「うわぁ……!」

「気に入って貰えたようで何よりね〜」

そう言って彼女はパイロットシートへ座り込む。

「えっと、僕はどこに」

「申し訳無いけどその辺にッ」

「ええ……」

 目の前のモニタには、正面の視界と機体後方から機体を薄く透かせた映像が写っていた。 

一人称視点と三人称視点である。

どうやって撮っているんだろう?

予測映像かな。

 ヨーコさんがボタンを押すと映像が動いて、機体が軽く揺れ始める。

立ち上がり始めたのか。

しかし、思ったより振動が緩い。


「あんまり揺れないんですね」

「そんなに揺れたら運転できないでしょ。

揺れないようになってるのよッ」

 安心設計だ。

やがて完全に立ち上がり、目の前にレイリスの街が映った。

夜の街はまだまだ人の営みの光に満ちていた。

「キレイよね〜ッ」

「ええ、本当に」

「さて、飛んでみましょうカッ」

 操縦桿とフットペダルへ手足を伸ばす。

立ち上がりまではオートだったが、ここからは手動操作らしい。

足と腰のブースタから光を放ち、少しずつ宙へ浮いていく。

頭を垂れ、足を引き、空にうつ伏せになった。

 やがて空に光の軌跡を描きながら加速していく。

モニターの先、世界が流れていった。

エアムーバーよりずっと早い速度で。


「どうッ?」

「最高です」

最近よく空を飛ぶな……

「逆上がりしてみましょうかッ」

 サマーソルトのように足から一回転する。

びくりとしたが、コクピットは揺れなかった。

一人称視点の画面は回ったが、三人称はそのままだ。

なるほど、そういう違いもあるのか。

「どれ、じゃあ交代ね」

「ええ!?」

そう言ってヨーコさんはシートから離れてしまう。


「さ、早くッ」

急かされるままに席に座り、レバーを握る。

「ど、どうやれば……」

「前見て前ッ」

 床にどっしりと座り込んだ彼女に急かされる。

前のモニタには外の様子だけでなく色々と、操作方法が乗っていた。

でもいきなりなんて!

「え、えええっとっ……!!」

「ほらほらッ」

 こ……こうか!?

……あれ?

異様な勢いで、右斜め後ろに飛んでってる……

じゃあこう!?

だめだ、仰向けのまま地面に落ちてる!

「む、むむむ、無理です! 急にこんな」

「あらそうッ? まあでも大丈夫よ〜」

じょ、上昇操作は………こうか!

ペダルを踏み込む、空が近づいていく。

「ふー……」

「ちゃんと背筋伸ばさなきゃッ」

「あ」

 そうだ、姿勢制御もしないと……これだから人型は!

肩部ブースタ出力上昇! 落ちてくれるなよ!

緩やかに上昇させながら、頭を空へ、足を陸へ。

……出来たのか!

安堵と達成感に包まれる。


「よく出来ましたッ」

「いきなりこんな……」

 しかし初めてでここまで出来てしまうあたり、随分操作が簡単になっているのだろう。

人型機械なんて相当習熟が必要なものと思っていたが。

「お兄サン初めてなのに上手いわね〜、よし第2ステージよッ」

ヨーコさんがその辺のボタンを押す。


『WARNING! WARNING!』

「え!?」

 モニタに移る赤や青、黄色といった原色の物体。

……人型。

「敵よ、倒すのヨッ!」

刹那それから光線が放たれた。

「……っ……!」

すんでのところで避ける。

「どうなってるんですか!?」

「避けてるだけじゃどうにもならないわよ〜」

 敵が光線を連射してくる。

機体を揺らしどうにか回避。

尚も攻撃は止まない。

どうなっている……どうすればいい……?

そうだ、武装は……


「……ア! そういえば!」

「どうしたんです!?」

「おせんべの袋開けっ放しできちゃったッ」

「……へ?」


光線が直撃した。


「うわあぁっ!」

 モニタが白く染まり、そして暗くなった。

コクピット内のその他の明かりも全て失われる。

「電源が!」

直後、強烈な重力が身体を襲う。墜落してるのか!?

「動いてくれよっ! くそ」

 モニタは消えたまま。

身体へのGが増していく。

…………堕ちる!!


 衝撃。

数拍置いてコクピットのモニタと照明が回復する。

画面に映る星夜。

電源が戻ったのか?

「ヨーコさん!? 大丈夫ですか!?」

「ええ〜。何ともないわよ~」

彼女は何事もないかのように定位置に座ったままでいた。

「そうだ、あのロボット……」

 ボタンを押しハッチを開ける。

外に出るとあったのは、星空と僕の家だった。

あのロボットも光線も見当たらない。

どういうことだ……?

いや、そうか。そういう事か。

何をあんなに焦っていたんだ僕は。


「あれ、シミュレータだったんですか?」

「あらッ!? 言ってなかったカシラ!?」

「言ってません」

「ゴメンなさいネ……シュミレータだったのよ〜」

 全身の力が抜ける。

そういや、あの敵もヨーコさんがボタン押した瞬間に出てきたんだっけ。

何故気付かなかったのか。


「はあ………」

 何か1ヶ月分くらいの体力を消耗した気がする。

僕にパイロットは向いていない。

ロボットはゲームで沢山だ。

「おーいッ」

「はい?」

「記念にデータあげるから戻ってらっしゃいな」

 そう言われコクピットへ戻る。

ふと、サイドのモニタの端の方に写真が貼られているのに気付いた。

運転中はサイドのモニタまで気が回っていなかったのだ。

 目を凝らして見る。

おもちゃを片手にはしゃぐ男の子と、幸せそうなヨーコさん。

そしてロウソクの立てられたケーキ。

男の子の頬には白いクリームがべったりと付いている。

それは何かを感じさせた。

あたたかいような、寂しいような。


 ……何故こんなロボットを作ったのか。

再び浮かんだ疑問は口に出せなかった。


──────────────────


 端末を見つめる。

膨大な量のデータが一覧に並んでいる。

どれも昨日ヨーコさんがくれたものである。

 多分モニタに移った映像の録画をくれる気だったのだろうけど、何の間違いかあの機体内の全てのデータ……壁紙写真からBIOS、起動に必要なプログラムまで全てがコピーされていた。

つまり機体さえあれば動かせてしまうのだ。


 気付いたのは彼女があのロボットに乗って帰ってしまってからである。

多少コピーが遅いなと思っていたが、まさかこんな作業をしているとは思わなかった。

僕に専門的な知識は無い。

データそのものは見ても理解できない箇所がほとんどだったが、研究資料や日誌のような物も残されていてつい読みふけってしまった。


 あのロボットの名はレイオーガと言うらしい。

資料の中には「当開発の最終目的」という欄があった。

「二足巨大歩行ロボット分野の技術蓄積及び実用、そしてヨーコさんとエイスケくんを笑顔にすること」


 強烈な善意がそこにあった。

エイスケくん……あの写真に写っていた少年だろうか。

結局昨夜はどうしてあのロボットを作ったのか聞くことが出来なかった。

だがあの写真とこの記述からある程度の推測は出来るように思えた。

 ……いや、何でそんなことする必要があるんだろうな。

僕がその理由を知ろうとヨーコさんに協力しようと、多分できることは何も無いのだ。

大人しく祈るか願うかしてればいいはず……


「……?」

 何か空を切るような音がする。

外からだ。まさか。

ドアを開けて外へ。


「あっ!」

 真昼間の空を流星が駆けていた。

間違いない、ヨーコさんだ。

星は減速し僕の家の前で止まると、ゆっくりと降りてきた。

頭部が開いて彼女が出てくる。

「ゴメンなさいッ」

 開いたハッチから飛び降りて、軽やかに着地する。

エトラといい勝負しそうだ。


「どうしたんですか?」

「お道具箱忘れちゃって」

 そう言われ、部屋へ戻ってみる。

椅子の下に小さな箱が落ちていた。

昨日手にしていたものより小さいがこれもお道具箱らしい。

「ありました!」

「あらッよかった」

「お茶、飲んできますか?」

「い〜え〜、連日悪いワヨ」

 昨日聞けなかったあの疑問。

もし今日聞かなかったのなら機会はもう無いかもしれない。

お道具箱を彼女へ手渡す。

「どうぞ」

「すみませんねェ」


 推測だけは出来た。

彼女に答えを聞いた所で、僕が何をできる訳でもないだろう。

だからこれは結局ただの好奇心だ。

しかし……

「聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「はい?」

「何でヨーコさんはあのロボットを作ったんですか?」

「自己満足よッ」

即答だった。

「へ?」

「自分の為に作ったのよ」

「それはどういうことで……」

「長くなるけどいいかしら〜?」

「ええ」

「それじゃやっぱり、お茶貰おうかしら〜」


 部屋へ招く。

昨日と同じ茶を出すのを躊躇ったが、他に出せるものがなかった。

「どーもッ」

「いえ、僕もうかがいたい話があるので」

「どこから話しましょうか〜」

「……モニタに貼ってあった写真は、息子さんですか」

「あらまッ、見られてたのネ! うん、うちのえーくんです」

「えーくん?」

「英介っていうの」

「そうでしたか」

「えーくんがいつか……こっちに来たら。

レイオーガを見せてあげたいって」

「あの写真でエイスケくんが握ってたのもレイオーガですよね」

「そうなの。えーくんの誕生日にネ、買ったのよ」

「しかし、専門家に協力を頼んだとはいえ……あれを作るのは相当大変だったでしょう」

「……ワタシはえーくんにね、何もしてあげられなかったの。

だから、何でもできるようになった今はやるべきだって思って」

「……」

「どう話せばいいのカシラ……」

「ヨーコさんの話しやすいように話して下されば」

「そう、そうネ……」


少しの間、静かに考えていた。

「当時、まだワタシが死ぬ前の話だけど……。

 ちょうど日本に亜連とナロードニクが侵略してきた頃。

あ、あの頃はまだ日本だったのヨ。

えーくんは5歳でね、もうすぐ小学校に入るはずだったの。

でも状況が悪くて。

保育園は休園になっちゃってたし、小学校は行けるかわからなかった」

 そうか、当時はまだ小学校だったのか。

僕の頃には国民基校だった。


「もうすぐ、6歳の誕生日で。

お勉強用具をあげようと思ってたの。

小学校に入れるかは分からないけど、ほら、勉強させるのが親の義務だと思ったの。

この子が将来困らないように。

 でもね、パパはえーくんが産まれる前に死んじゃったから、ワタシ1人で育ててて、貧乏だったのよ。

えーくんにおもちゃを買ってあげたことすらなかった。

誕生日も、クリスマスもケーキをあげたことさえ無かった」


浮かんだ誰かの顔を消し去る。

「保育園にもいけなかったから……あの子に何一つ楽しい思いさせてあげられてなかったの。

えーくんは古いテレビで、ずっと再放送のアニメを見てた。

それしかやることがなかったから。

 ……本当に、これでいいのかって。

何の楽しみもあげずに、いくらえーくんのためでも、勉強だけさせようなんてあんまりじゃない。

もしかしたらこの子は楽しんで学ぶかもしれないけど、それでも」

この人にとってこれはもう、遠い昔の話のはずだ。

だけどヨーコさんの語る声や表情には感情が溢れていた。


「それでね、勉強道具はまた別の機会にすることにして。

おもちゃを買ってあげることにしたのヨ。

正しいことじゃ無いのかもだけど……。

 あの子の見てるアニメがね、レイオーガだったのよ。「鋼鉄虚神 レイオーガ」ね。

昔人気だったみたいで、何度も再放送されてたの。その度にあの子、食い入るように見てて。 

だからこれにしようって思ったワ。

中古だけどレイオーガのおもちゃを買って、値引きになったやつだけどケーキも買って。

どうにかえーくんの誕生日をお祝いをしたの。

そしたらえーくん本当に嬉しそうで、おっきな声ではしゃいでッ」

「……よかった、ですね」

「ええもうッ! ホントに楽しかった!

それから……それから暫くしてね。

 結局学校には行けなくて。

あの子はずっとレイオーガで遊んで、何度も壊れて、修理したけどボロボロになっちゃってね。

壊れちゃったの。

えーすけ散々泣いてたな……」

子どもの頃。確かにお気に入りのおもちゃは命の次に大切なものだったように思う。


「だからつい言っちゃったのよ。

「そのうちまた新しいの買ってあげる」って。

お金無かったのにさ、無責任だよね」

彼女が濡れたカップを指でなぞると、水滴がテーブルへ垂れた。

「それから何ヶ月か……半年経ってたかしら?

ワタシ死んじゃったのよ。働いてる先の工場で頭打っちゃって」

「……それって、何年前の話ですか?」

「何年かしら……ただもう、今はえーくんもお年寄りよ」

「そうですか」

「もしあの子がこっちに来たら……守れなかった約束を果たしたいのよ。

おもちゃよりも、もっと大きな形で」

 経緯は概ね想定していた通りだった。

だけど本人の口から紡がれた記憶に動揺せざるをえなかった。


「こんなところだわね。あんまり楽しい話じゃなくてゴメンなさいね〜」

「いえ、こちらこそ辛いこと聞いて」

「い〜のよッ、人に話した方が気が晴れるワッ」

「そう言って貰えると……。エイスケさん、喜んでくれるといいですね」

「どうでしょうね〜、もう覚えていないかもしれないわ。

えーくんはワタシが死んだ後も、ずっと自分の人生を送っていったんだから」

 そんなことないと言いそうになったが、すんでのところでやめた。

気安い慰めの言葉を発していいのか分からなかった。


「エイスケさんのご様子はお調べになったんですか?」

「情報センターには行ったワ。

……もうすぐかもしれない。

ちょうど明日の朝11時に、大きな手術みたいでね。

成功の確率は高くないって」

「ず、随分近いんですね」

「それで昨日、ちょっと検査工程飛ばして試験飛行しちゃったの。

人も大概の物も壊れないし、そうでないものの回避機構はちゃんと検査したから大丈夫か、って。

ここに来てすぐのあの子に、完成した、空を飛ぶ姿を見せてあげたかったから」

「そうだったんですか」


ヨーコさんは茶を一口飲んで息をついた。

「さて、そろそろレイちゃんの最終調整しないと。ここでやらせてもらっていい?」

「構いませんが、出来るんですか?」

「このお道具箱と、コクピットにあるおっきなお道具箱があれば大丈夫!

メンテナンスは簡単にできるようにしてあるのッ」

たったか走ってレイオーガのもとへ。

あちこち点検し始めた。

死んでなお子のために、か。……ああいう人、いるんだな。

それはどこか、救いであるように思えた。

ヨーコさんの願いは叶うだろうか。

「ジェネレータと……伝達系と……あとは……」


 あれは僕に手伝えるものではない。

見学出来るだけでも眼福ものではあるが……

……僕も作りたいな、ロボット。

 端末を開いてレイオーガを調べてみる。

「鋼鉄虚神 レイオーガ」、2038年に日本(当時)にて放送開始したテレビ番組。

テレビ、そうかテレビか。

そういう時代もあったようだ。

全43話、後の9つの追加エピソードを含めると52話。

キャッチコピーは「僕らは神になれたのか」、「神の御代、暴力の羽」。

レイオーガ以外にも沢山のかっこいい機体が登場したようだ。

へえ、背中に追加でブースタを付けたレイオーガAXLsなんてのもあるのか。

いいな。


「まずこれでいいカシラ。電源入れて……っと……へ?」

レイオーガからピーピーピーピーと、警告音のようなものが鳴る。

どうしたんだ?

「あ、まず」

 不穏な呟きが聞こえる。

直後レイオーガが、青白い光を放ち始めた。

「これ……」

「……ジェネレータに異常起きちゃったみたいッ」

それがまずいのは僕でも分かった。

「どうすればいいんです?」

「えーと、えーと」

「……逃げる?」

 間に合うのか?

放たれている光が大きくなっていく。

機体が振動し始めた。

「うわぁっ!」

耳を覆い、地に伏せる。

……………………………………。

……あれ?

何も起こらない?

顔を上げる。

機体の発光は止まっていた。

…………よかったぁ。


ヨーコさんの方を見ると僕と同じ体勢をとっていた。

「ヨーコさん、大丈夫だったみたいですよ、ヨーコさん」

「……ほんと?

あらホントだわッ」

助かった。爆発とかされたらさすがに嫌だ。

「さて、機体の状況を……ってアレ?」

「どうしたんです?」

「何か、グラグラしてない?」

「へ?」

 レイオーガの方を見る。

よく見ると確かに、先程と違う振動をしていた。

前後にぐらぐらと。

……既視感がした。

「えーと……」

機体がこちらに揺れる。

そのままバランスが崩れ、雪崩た。

「あ」

またかよ。


 二度目のレイオーガも変わらず重かった。

その後、どうにか這い出て、ヨーコさんは機体の被害状況を確認し始めた。

ジェネレータの暴走による各部破損は相当のものらしい。

未だ全容は把握出来ていないらしいが……よりによって明日、彼が来るかもしれないこのタイミングで。

 暫くしたら学校の協力者たちと代替パーツが来るらしい。

修復も進むだろう。

勿論、彼が明日来るとは限らないが……。

 ヨーコさんはひどく動揺していた。

色々考えて言葉をかけていたけれど、多分あまり意味は無かった。

……どうしたものか。

僕に何が出来る?

分からない。知識が無さすぎる。


 やがて協力者たちがやってきて、その後に大型の貨物ヘリがコンテナを引っさげてきた。

現状の共有のあと、各々が作業に取り掛かった。

全員で20人程はいるように見えた。

作業車も後に来るそうだ。

「これは……中々イカれたね」

「明日まで? ちょっとそれは無理があるよ」

「長い作業になりそうだなあ……」


 皆が忙しなく働いていた。

……長くなりそう、か。食料と飲み物くらいは用意しようかな。

いや、あっちの世界じゃないんだ、あるだけ邪魔なのだろうか。

善意で人の邪魔をしちゃいけないが……本当に何も出来そうにないな。

「あの家の方ですか?」

声をかけられた。

「はい」

「暫く騒がしくなります。すみません」

「いえ、大丈夫です。それより何か手伝える事ありません?」

「御自宅の前で騒いどいて、頼めませんよ」

「いいんです。雑用でもお使いでも構いません」

「……そうですか」

彼は微笑んでいた。

「では荷物の運搬をお願いします。作業者の指示に従って」

「わかりましたっ」

集団の方に走っていく。


 ……そうだ、本当は今日ミナとの約束があったんじゃないか。

端末を取りだしてミナに日程の変更をお願いした。

自分から決めておいて申し訳ない。

以前連絡に気付かなかった時もそうだが、謝罪しなければならない事柄が日に日に増えていく様だ。

 連絡の後、作業中の彼らに事情を説明した。幾つかの部品を持ってくるように指示を受ける。

役に立つのかは分からない。でも他に出来そうなことがなかった。

コンテナに積まれていた荷の置き場から指定の物品と道具とを探す。

通導チューブ……これか。あとは……

全て集めて指示された方へ。

そこでも指示を受けてまた置き場へ向かった。

 繰り返していると、一時的に全て行き渡ったようで注文が無くなった。

やることが無くなったのなら仕方がない。

焦っても仕方ないのだから。


 その場に座り込み、休憩をする。

日射しが昼下がりの色に移ろっていた。

どうやら被害状況の把握はどうにか終わったらしく、それをまとめてこれからどう修理するか思案するとの事だ。

まだそれだけしか終わっていないと評すべきか、よくこの短時間で把握を終えられたとすべきなのかは分からない。

ただ明日までに終わるのか、それも分からなかった。

「……手間のかかる神だな」

やつはどうも、信仰じゃ動きそうに無い。


「これ、どうするよ」

「このまま無理やり外す他ないだろう。じゃないと胴体全部バラす羽目になるぞ」

「つったってなあ……作業車がやるにゃ細すぎるし、人力じゃあな」

困り事か?

「どうしたんです?」

「ああ、家主さん」

家主さんって。

「このジェネレータ、引っこ抜きたいんだけどどうしようって……」

「ワタシやってみるワ」

奥からヨーコさんが出てくる。

「おお! なるほど! それなら行けるかも!」

「何せ自称東方の黒い巨人(ティターン)だからな!」

 抜群の信頼である。

彼女は中腰になってジェネレータを掴んだ。

「フンガーーッッ!!!」

 全員が期待の眼差しをヨーコさんに向けている。

その迫力に魅入られていたと言ってもいい。

5秒……10秒……彼女は叫ぶのをやめ、かがんだ体制から立ち上がった。


「無理ね」

「終わりだ……彼女でダメなら、もう」

「どうすればいいんだ……」

全員が悲嘆に暮れ始めてしまった。

「ほんとに引っこ抜くしかないのか?」

「分解するのが正しいやり方だが……まあそれじゃ明日には間に合わないだろうな」

「何か工具とかないのかよ」

「無いだろう、そりゃ」

 結局人力しかないようだ。

しかし、ヨーコさんが無理となると他に…………いや。

いた。

約1名、常識の枠組みの外側に在する人間が。


「知り合いに力持ちがいるんですが、連絡してみますね」

1人が笑って答えた。

「力持ちって……ヨーコさんが無理なんだぞ。それより上って現実にいるのか?」

「彼女より上かは分かりません。でも……」

「でも?」

「ノーモーションのジャブで岩を割れます」

「……逸材だな。頼む」

 エトラへ連絡をする。

直ぐに彼女は出てくれた。

「どうしたんだっ?」

「ちょっと困っててね」

「助ける、早く言えっ」

「嘘みたいな話なんだけどさ。僕の家の前におっきなロボットが落ちてて。

そのパーツを引っこ抜きたいんだけど……エトラの力を借りたいんだ」

「……よく分からないけど、とりあえずお前の家に行けばいいんだな」

「うん、来れる?」

「10分で行く。まってろ」 


通話が切られる。その後9分ちょっとで彼女は来た。

「……本当にでかいロボットだな。

来たぞっ、どうすればいい?」

 僕の家から番近いポートへ歩いて10分以上はかかる。

……どうなってるんだろう。

彼女が来る前に何人か引っこ抜きに挑戦したがやはりダメだった。

「来てくれてありがとう。こっち」

レイオーガの胴体の方へ案内する。

「この大きなパーツを取りたいんだ。別のに取り替えるみたいでさ」

「……無茶を考えるなっ、皆」

ごもっともだった。

「出来るかは分からないっ。とりあえずやるぞっ!」

周囲が不安そうにエトラを見守っていた。


「フンガーーーーっっっ!!!!!」

 その迫力はヨーコさんに劣らないものだった。

周囲の視線の色が変わる。

5秒……10秒…………ん?

叫び声に紛れていたが、今ミシっという音が聞こえたような。

……いや確かに鳴っている。大きくなっていってる。

20秒……30秒……

「凄い……パワーだけじゃなくてスタミナまであるッ」

 バキッ。明確な破損音。

いける、いけるぞ!


「おりゃあああーーっっっ!!!!」

 強烈な破壊音と共に、ジェネレータが宙を舞った。

やった! 取れたんだっ!

「……なあ。あれ、何キロだっけ?」

「……いいじゃないか。今は忘れよう」

誰かの呟きが聞こえる。

「凄いわッアナタ! 本当に引っこ抜き抜いちゃうなんてッッ!

そうだお名前ッ!お名前何ていうのッ!?」

「……ボク、エトラ…………」

 息を切らしながらそう答える。

エトラが息を切らすなんて……この世界じゃ僕ですらほとんど疲れないのに。

「エトラちゃんって言うのネッ! ありがとうッ……」

「うん……」

「よし! これで作業に入れるぞ!」

「ティターン以上の逸材がいるとは……」

 凄いな、エトラは。

急に頼んだのにすぐ来てくれて、ホントにやり遂げちゃった。

座り込む彼女へ手を伸ばす。


刹那、エトラは高く跳び上がった!

「エト……」

 衝撃音。

ジェネレータがすっ飛んでいっていた。

右足から着地するエトラ。

数拍してから理解する。また彼女に助けられたのだ。

あのジェネレータは僕の真上にあった。

 僕だけを助ければ機体が壊れるかもしれない。

だからあれを遠くに蹴り飛ばしたのだ。

息を切らせながら事にいち早く気が付いたのか。

「はぁ………はあ……」

「ありがとうエトラ。助かった」

「自分で……気付けっ……」


 その後作業が再開した。

先程の大活躍からエトラは持て囃されたり崇められたりしていた。

虚神の心臓部を引き抜いた事から神殺しとかフェンリルとか呼ばれたりもしている。

ティターンだのフェンリルだの、分かりやすい趣味だ。

いやティターンは自称だったか?

 そのフェンリルは頼んだ一件が終わった今も、僕と一緒に荷物を運んだり雑用をしたりと手伝ってくれている。

というか僕より役に立っている。立つ瀬無し。

「ごめんね、エトラ。手伝わせて」

「手伝ってはいるけど、手伝わされてはないぞ」

朗らかな笑顔だった。


 いつの間にか空は焼けて、夕陽が倒れたレイオーガを照らしていた。

その光景は現実味の無い、それこそアニメのような、がしかし情緒に溢れていた。

もう暫くしたら暗くなるだろう。

 まだ修理は完了していない。

当初の予測より順調に推移しているものの、夜通し作業を続けて明日の昼までかかりそうということだ。


 夜通し……そういえば照明はあるのだろうか。

暗ければ作業が出来なくなる。

この家から1番近い街灯ではそう明るくは照らせない。

近くの作業員に聞くと、持ち運んだり額に付けられる小型のライトはあると答えた。

光量が足りるかどうかは微妙なところらしい。


「……ってことなんだけどどう?」

「まさか照明の相談とはねー」

色々考えたが、結局ミナに相談した。

「にしてもなんか大変なことになってるなら、もっと早く言ってくれればいいのにさ」

「いやー、自分じゃどうにもならないこと多くて」

「君がいたからエトラも私も動いたんだよ」

「動いてくれるの?」

「今からそっちに行く。暗くなるまでには着くよ」

 15分ちょっとでミナは来た。

何か荷物を背負っている。

ものぐさなところもあるミナがこんなに早く来てくれたのは驚いた。


「ミナっ! 来てくれたのかっ!」

エトラが彼女の方へ飛び込む。

「ええ。彼に頼まれて」

エトラの頭を撫で終えると、ロボットの方を見つめた。

「……ん?」

「どうかした?」

「あれレイオーガじゃん!」

「知ってたの?」

「あ、うん……」

「ボクは見たことないやっ」

「人の事ロボットマニアとか言ってたけど、ミナの方が詳しいみたいだね」

「相当凄い作品なのよ……今度見せてあげる」

背負ってきたバックパックを開いた。

「何入ってるのっ?」

「ご注文の品」

中には小さなヘリの様なものが入っていた。

「何なの? これ?」

「動力炉搭載型飛行ドローン」


 ミナの端末……イヤリングが輝きを放つ。

ドローンはエーテルを吹き出しながら上昇し始めた。

「ミナ、何でこんなもの持ってるの」

「趣味よ」

 更にエーテルを吹かして夕陽の方へ昇っていく。

ある地点で上昇を止め下にいる僕らの方へ強い光を放ち始めた。

「わっ」

夕焼けに紛れない程の光だった。

「近すぎたかしら」

また僅かにドローンが高度を上げ、光は薄く広くなった。

「問題なく使えそうかな」

「これ、電池はっ?」

「内部にジェネレータがあるから、使いたければ何日でもいけるよ」


「んあらッ、何やってるの?」

ヨーコさんに声をかけられる。

「夜になったら照明が必要かと思って、友人に頼んだんです」

「あ! あのトローン?」

「ええ、ドローンです」

 スポットライト浴び放題ねッ、とか言いながら楽しそうに光の方を眺めている。

その後、ミナは作業中の彼らに光……火をもたらしたもの、プロメテウスとか呼ばれていた。

「焼かれないようにねー」等と返事されて、命名者たちも大変お喜びである。

 ともかくこれで夜間の作業に支障は無いはず。

あとは修復を進めて貰うしかない。

「ところで」

「?」

「何でレイオーガが君の家の前に堕ちてるの……?」

「ああ……色々あってさ」


夕陽は沈んでいって、暗い空と僅かに冷たい風に包まれた。

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