罪と罰、そして安寧の羽根

今迫直弥

20020207―ゴズドラムの受難―

 邂逅の時が来た。それだけのことだった。

「強さとはね、本来他人を蹴落とすために使う言葉なのよ」

 その女の髪は長く、その女の瞳は蒼く、それ以外は全く目に入っていなかった。

 ゴズドラムの答えは迅速だった。

 かつ大胆であった。

「だからどうしたというのか? それがこの俺が今この瞬間に死ぬかもしれないことや、ひいてはお前を殺すかもしれないこととどう関係してくるのか?」

 口調が不自然になるのは緊張した時の癖なのだと、彼は自分ではそう思っていたのだが、友は認めてくれない。其れが常態である、と捉えようによってはいたく他人を傷つけそうなことを真顔で言われたりする。

「だからね」

 と、もしかしてその女は呆れているのかもしれない口調で呟いた。その瞳は蒼く、髪が長い女は、口紅をさしていなかった。

「あなたは勘違いしているの。あなたは強くもなければ弱くもなくて、だから別にこれと言って他人を警戒する必要もなければ、殺意を抱く必要もないの。あなたはもっとあなたらしく生きていけるのよ」

「違うな」

 ゴズドラムの答えは簡潔だった。だからどうしたというのか。その全てにおいて、そう、生きるために最低限必要なこと以外を全て強弱で片付けてしまおうという姿勢においては、それはごく自然なことであり、彼はこれまでそうやって生きてきたつもりであって、そこに油断や妥協がなかったかといえば嘘になるが、それでも彼はそれなりにやって来たつもりであった。

 それを、たかが何かわからない髪の長い女に指摘されたからといって、認めるわけにはいかない。

 むしろそれは自分の死すらを意味しているような気がした。

「これが俺だ」

 非常にわかりにくい部分について非常にわかりにくく応対し、それでしかし彼は満足した。家路に着く途中を邪魔された彼はかなり腹を立てていたのであったが、もはや其れもどうでもいい気がしてきた。

 とりあえず満足したのだ。

「私の名前は舞と言うの」

 脈略がなかったので良くわからなかったが、非常に奇妙なことにその女は自己紹介をしたらしかった。髪が長く、瞳が蒼く、紅をさしていない女は、やけに背が高かった。

「だから?」

「別に」

 理由があったわけではない行動のことを何と呼べばいいのか、ゴズドラムはわからなかったので勝手に名前を付けようかとも思った。それが自分のやり方であったので。

 しかしやめた。

「だからどうということもなくてね、ただ一言で言うとあなたはとてもとても間違えているのよ」

 言い回しを間違えていることを指摘する余裕はない。

「関係のない話が一つ混じったようだったが?」

 そちらの理由の方が気になった。

「だからどうということもなくてって言ったでしょ」

 それで納得できるものか、と自分の論理も何もなく、ひたすらに自分と違うことをねじれの位置から複雑な軌道で投げかけてくるその女は、名を舞というらしいが、だからどうということもないらしい。

「………………」

 一言で言うなら、殺意だった。

 それは胸の奥底から湧き出てくる何かこうもやもやとしたわだかまりであり、通常のヒューマンがそれをどのようにして還元させて平穏な日常という名の悪夢の中を邁進するのか、まあ本当に人それぞれなのだろうと思うのだが、純粋に全く関係のない人ごみの中で全く関係のない人とすれ違い全く関係のない人の後頭部や曲がった背中や短いスカートを見つめていると、不意にそれを全て

――終わらせてやりたい

 という思いに駆られ、右手を前にかざす「開放動作」の基礎の一つをこなしている自分がいるその瞬間に我に帰ってしまうことを、たぶんそういうのだろうと思った。

 強いか弱いか。

 『何が』でも『誰が』でも、とりあえず『自分が』でもなく、主語のないままに語り出されたその疑問文こそ自分を支えているのであり、その純粋自己が最も頻繁に訴えてくるのもそれであった。

 舞という名の女はとりあえず何かしらそういったものをゴズドラムから感じたらしく、素早く後退した。

 街灯の光から逃れ、その姿は闇に近付いた。近付いただけで、姿を見失わせてくれるほど都会の闇は暗くないのであった。

「えーと」

 狼狽している様子が明らかだった。

「もしかして殺そうと思っている?」

「いや」

 嘘をついた。それを悪いことだと教えるほどに自分は出来た人間ではなく、だからといって嘘をつくことが真実を語るよりも卑劣な手段なのであると心のどこかで思っているらしいことは、百も承知であった。

「そもそも、何だこれは?」

 これというものが指し示す対象は全く明らかになっていなかったが、相手にはどうやらニュアンスが伝わったらしい。彼はニュアンスと言う言葉をあまり好きでなかったが。

 新しい名前を付けるほどのことでもなかったので。

「これは、たぶん『』よ」

 わかることよりわからないことの方が多いのは実は当然で、かつてのヒューマンのことを考えるよりも何よりも、現在の自分たちの周りの方がわからないことでいっぱいだ。知識でも常識でもない。そんなものではない。身の回りにあるものが桁違いに増加したことがその理由かもしれないし、そもそもヒューマンの知覚レベルは世界からの知識割合に比例するように造られているのかもしれなかった。誰かによって。

「決定とは?」

「私があなたと会って話している。強さとか弱さとか間違ってるとか、ともかくそういうこと、それと私があなたの運命を定めてるとか、そういう本来あなたの預かり知らぬことまで含めて、その全部が、その瞬間が、把握が、推理が、謀略が、名前が、決定する」

「何を?」

「落胆が、疑問が、不安が、ただの欲望が、アレルギーが出そうな程の寒気が、すぐそこを横切ったあなたの気付き得ない気配が、無視することの出来ない能力が、そして私が、あなたが、待てない内に始まった全ての物語と、生贄のいない祭壇の末路と、夕暮れの中佇む二人の恋の行方と、さらなる希望を糧に明日を生き抜こうと決意を燃やす奴隷の死に際と、

 過去と

 その全てを動かすものに連なっているの。『決定』が結合させる三次元の解釈で、そして二次元のやり方で」

 わからないことが明らかになることがカタルシスという浄化作用に繋がるから、ヒューマンは願望の充足を得るのだと何故かゴズドラムは知っていたし、確かに其れはそうかもしれないとたった今から思い込むことにした。

「結論を言え」

 そう急ぐことはないのかもしれない。時は待ってくれないが逃げて行きもしない。奴らは何も考えず、全てを飲み込みながら一定のスピードで散歩をしているに過ぎない。たとえ泣こうが笑おうが死のうが蠢こうが関係なく、そう関係なく。

 それでも急かしたのは何故だろう。ひどく落ち着かない心地だったかもしれないし、殺意が実現に移される一瞬がひどく近い予感が、ひしひしとしたからかもしれない。

「あなたは、間違っている」

「さっき聞いたがそれが結論だったと言うのか?」

「そうかもしれないわね」

 来た。

 彼は必ず後になって正当防衛や過剰防衛といった、とりあえず防衛行動であることを主張できる理由を考えて、発表するつもりなのだろうが、この時明らかに先手を打っていた。

 仕方がない。殺意が現実世界にまで噴き出してきたのだからそれは、十分に満足させてやるのが筋というもので、まあ何から何を守ったから防衛行動なのかと聞かれると困ったであろうが、困ること自体はさほど困らないと、何となくそれは真理に近い部分で確信するのがゴズドラムだった。

 しかし。

 その瞬間はひどくゆっくりであった。ゴズドラムの「開放動作」は一瞬で終わり、パターンCの能力が現実の中で展開されて半径十メートル内の全ての強さが一般定式化されて数値計算の対象となったりしたことと無関係に、舞という名の女は動いていた。

 その動きを二進法で表すことが出来ていたことのみがわかっていたのだが、結果として何もわかっていることはなかった。

 気付いた時、ゴズドラムは血まみれで倒れており、それを何故かやけに嬉しそうな顔の舞が見下ろしていた。

「だから、あなたは間違っている」

 そうかもしれないのかもしれないのだろうか?

 歪んだ思考の中の生意気な論理で、ゴズドラムは明らかに敗北を悟りながら、

「強さという単語は、どういう時に使うんだっけ?」

 何故か長年煩わされてきた緊張が解けたために砕けた口調になって、舞に尋ねていた。

 舞は答えず、ただ、十字架の形をしたネックレスを投げてきた。

 そして、動き、今度はその動きを言語化できないことをその背で知らせながら、極端に短い距離で闇に消えた。

 邂逅は終わった。

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