裏 檻
アクアはユーリヤという肉の人形を本当の人間に変えると決めた。
そのためには、ユーリヤの過去を含めたカバーストーリーをしっかりと作る必要がある。
今ユーリヤの体には、アクアがユーリヤとして行動した時の記憶が刻まれている。
アクアが自分と切り離して、ユーリヤとして行動しやすくするための補助として。
だから、ユーリヤを人間として生み出す際にそれを流用できる。
それ以外にも、ユーリヤとしてほのめかした過去に対して整合性をもたせるものが必要だ。
ユーリヤがアクアにした発言は、ユーリヤがずっと1人だったこと、目がいいということ、ユーリが大好きだということ。
それ以外には、ユーリヤが密偵じみた技能を持っているという事実がある。
それらをまとめると、ユーリヤという人間の設定は固まった。
かつてプロジェクトU:Reに類する計画で生み出され、そのまま技能を高めていった。
それから、その組織が崩壊したためあてもなく彷徨っていたところでユーリに出会った。
その際にユーリに助けられたという経験が、ユーリヤのこれからを決めた。
誰かに優しくされるという経験は初めてだったため、それを与えたユーリを好きになったのだ。
ユーリヤのキャラクターをそのようなものにすると決めたアクアは、ユーリヤの体にその記憶を作り出していく。
それでユーリヤに本当の人格が目覚めた際、その過去をユーリに話してもいいし、話さなくてもいい。
もし仮にユーリが矛盾を見つけたとしても、ユーリヤへの情から気にしないだろうから。
他にアクアにとって大事な要素として、オーバースカイなどのアクアにとって大切な存在への好意を植え付けることがあった。
ユーリヤを人間にすることで、ユーリが傷ついてしまっては意味がないからだ。
そのために、ユーリヤと他の人間が仲違いしないように注意を払っていた。
そして、ユーリヤという人間が生まれた。
ユーリヤは目覚めてすぐ、自らの記憶にあるユーリへの好意を思い返し、好きという気持ちをさらに高めていた。
ユーリヤにとって、ユーリは好みの真ん中であった。
そのようにアクアが生み出したのだから当然ではあるのだが、ユーリヤはそれを運命だと考えた。
自分は目覚めてすぐだと理解していて、自らの記憶は偽物だとも知っている。
それでも、ユーリとこれから接していくことができる。そう考えただけで、ユーリヤには幸福があふれていた。
(ユーリさんはユーリヤの見た目が好みなんですよねっ。なら、おそろいですねっ。ああ、以前のわたしじゃないですけど、生まれることができてよかった。あんなに素晴らしい人と、これからずっと一緒にいることができるんですからっ)
それでも、ユーリの周囲に他の女がいることを考える度に、ユーリヤには嫉妬の心が芽生えていく。
本音を言うのならば、自分だけでユーリのことを独占したい。それはかなわない願いではあるけれど。
アクアの存在を抜きにしても、ユーリは周囲の人間を排除する人間は嫌いだろうから。
ユーリヤは一抹の寂しさを覚えたが、ユーリとの未来を諦めるつもりはなかった。
(アクアちゃんがユーリさんの一番。そう考えると、悲しくなってしまいます。でも、ユーリさんは間違いなくわたしのことを大切にしてくれますからっ。だけど、カタリナさんも、ステラさんも、他の人達も、ユーリさんは同じように大切にするんですよね。仕方のないことではありますけど、もっと早くユーリさんに出会いたかった)
ユーリヤは本物の経験を今のところはしていない。
だからこそ、その味がどのようなものなのか、想像を羽ばたかせていた。
生まれる前の自分がユーリと行っていたデート。
その中にあるどれもが楽しそうで、でも、ユーリは初めてではないことが悲しくて。
新しい何かで自分を上書きしようにも、何も思い浮かんではこない。
その中で、ユーリヤの心は1人の寂しさで埋められていった。
(またマッサージをユーリさんにしてもらいたい。同じものを食べることもしたい。色んなところにキスをしたい。でも、ユーリさんはアクアちゃんやカタリナさんとすでにキスをしている。それだけじゃない。他のことだってわたしが一度おこなったことだから、新鮮さを感じないかもしれない。……会いたいです、ユーリさん。でも、今すぐ会うことはできない。それが、つらいんです……)
ユーリは今眠っていることが明らかだ。
それだけでなく、そもそもユーリの寝室をユーリヤが訪れたことなどない。
だから、今感じている孤独を慰めてもらうことはできない。
それでも、せめてユーリとまた出会えた時には。本当は初めてだと教えられないけれど。
ユーリと少しでも距離を詰めて、新しい自分を心に刻んでもらうのだ。
いつの日か、ユーリヤといえば今の自分のことを思い出すようになると期待して。
ユーリヤは不安を感じながらも、未来への希望へと頭を切り替えた。
(わたしの感触、匂い、声。ちょっとずつ本当は違うんです。ユーリさんはきっと気が付かないでしょうけど。でも、だんだんわたしで上書きしてあげますからっ。わたしにマッサージをしてもらう時の感覚も、キスの心地も、手のぬくもりも。ユーリさんの中が今のわたしで埋まるまで、ずっと一緒にいるんですからっ)
ユーリヤがこれからしたいと思えることは、どれもこれまで自分の体が経験していたことだった。
いずれは新しい自分だけの色が生まれるのであろうが、ユーリヤは生まれたばかりの赤子同然だった。
これからのユーリとの経験が、新しいユーリヤを形作っていく。
その際には、アクアが演じていたユーリヤとは違ったものになるだろう。
とはいえ、今のユーリヤはこれまでの自分から外れないことで精一杯だった。
(ユーリさんにいきなり違和感を持たれたら、アクアちゃんもわたしも困るだけです。ただでさえ、他にアクアちゃんから解放された人達がいるんですから。わたしは、これまでのわたしと同じようにユーリさんに大切にして欲しい。新しい知り合いでは嫌なんですよっ)
ユーリヤの頭の中にはこれまでのユーリとの思い出がある。
それは自分が直接経験したことではないけれど。
それでも、この思いを抱えている自分が今更他人行儀で扱われるなど耐えきれない。
自分がユーリを想う心は、きっと本当のはずなのだから。
だって、こんなにユーリのことを考えていると幸せになれる。
それだけで、もとがアクアの感情であろうが関係のないことだ。
今感じている幸福も、これから知るであろう喜びも、全部自分だけのものなのだから。
(ユーリさんと会うのが楽しみです。きっと、わたしのことを笑顔で迎えてくれる。それだけで、わたしは嬉しくなっちゃうはずなんですよっ。ユーリさん、あなたはきっとわたしにいっぱい幸せを教えてくれる。だから、わたしもあなたを幸せにしてみせますからっ)
ユーリヤはまだ何も経験していないのに、喜びの記憶だけがある状態だ。
だから、本当の嬉しさがどんなものかを知らない。
それを知った時、ユーリヤにどの様な感情が芽生えるのか。それが、今後のユーリヤを色づけていく。
ユーリヤは未来への期待をはせていたが、それが自らの想像を超えるのか、それとも下回るのか。まだ本人すらも知らない。
ただ、ユーリヤは未来は明るいと信じていた。
この胸の中にある思いは、きっと自分を幸せにしてくれる。
だから、前向きにこれからを考えることができていた。
(ユーリさんには他の女の人もいますけど。でも、もっと積極的になればもっと仲良くなれるはず。アクアちゃんは私の体で手を引くような素振りを見せていましたけど、そんなの関係ありません。わたしがユーリさんの2番目だとしても、3番目だとしても、それ以降だとしても。それが、わたしが諦める理由にはならないんですからっ)
ユーリヤはユーリと共に居たい。
その思いが心の中心であったが、それ以外にも、アクアや他の人達にだって興味を抱いていた。
アクアから植え付けられた感情が元になっているのだが、それでも自分の意志を否定するつもりはユーリヤにはなかった。
(アクアちゃんは他の人たちのことは好き。わたしのことは好きなのでしょうか。できれば、好きになってほしい。わたしと同じようにユーリさんが好き。その思いはわたしたちを繋げてくれるのでしょうか。わたしだって、ユーリさん1人がいれば良いわけじゃない。だから、みなさんとだって仲良くしたい)
ユーリの目や心を奪うという意味で、ユーリの周りの女に対する嫉妬はあった。
それでも、きっと仲良くすることはできるはず。だって、自分たちは結局同じ様な存在だから。
みんなユーリが存在するという事実に救われているのだ。
それはユーリヤ自身も同じ。自分の全ては作られた記憶だと知っていながら、それでも前を見ることができるのはユーリを想っていたから。
ユーリはきっと自分に優しくしてくれる。その事実が、どれほどの勇気を与えてくれるか。
作り物の体、作り物の心。そんな自分でも必要としてくれる相手がいる。
それだけで、自分の存在を肯定されていると思えていたのだ。
(カタリナさんも、ステラさんも、他のみなさんも、それぞれがユーリさんに希望を見ている。当たり前ですよね。自分のすべてを必要としてくれるんですから。弱くても良い。強くても良い。人でも、モンスターでも。それだけのことが、わたしにも喜びをくれる。だって、わたしは人でもモンスターでもないから。ただの人形だから。そんな存在を受け入れてくれる人、ユーリさんしかいないんです)
ユーリヤは目覚めたばかりの心で、自分のことを異端だと認識していた。
それでも、そうだとしても、望みはいくらだってある。求められているということが、幸せを運んでくれるはずだから。
ユーリヤは明るいこれからに胸を弾ませていた。
(アクアちゃんが言ったセリフ。本当にありがたいものがありました。ユーリさん、何があってもわたしからは逃げられませんよ。だって、わたしが絶対に、絶対に、捕まえ続けるからです。覚悟していてくださいねっ)
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