90話 幸福

 サーシャさんの話によると、近々最近の異変の根源を特定できそうだという事だ。

 恐らく戦闘になるだろうとのことで、そのためにそろそろ備えておいてほしいみたいだ。

 いつでも戦えるようにするのは冒険者として当然の事なので、後は調子を整えておきたい。装備の調整はすでに終えたし、アクア水やミア強化、体の動きもしっかりと準備できている。

 だから、指輪をさらに使えるようになる事を期待して、アクアとともに過ごすことを決めた。


 今能力が強くなっても、使いこなすのに時間がかかるのではないかとか、今までと同じ運用ができなくなるのではないかとか、不安要素はある。

 でも、これまでの指輪による影響では、錬度が上がることが主だったからね。新しい能力が使いこなしにくいのなら使わなければいい。

 おそらく、そういう運用ができるだろうと今までの経験から判断した。1大決戦のようなものが起こる予感がするから、増やせる手札は増やしておきたい。

 もちろん、何の成果も得られない可能性はあるけどね。ただ、普通に訓練をしたところで伸びしろはあまり感じないから、少ない時間ならこっちの方が良いはずだ。


 アクアと一緒に過ごすと決めてから、アクアはずっとぼくに引っ付いていた。今日はあまり遊びに積極的では無いのかな?

 アクアとくっついている事はぼくにとって心地のいい事だし、アクアの顔が見える時には笑顔だから、こういう時間を過ごすことも良いよね。


「ユーリ、あったかいね。アクアに熱を感じる機能はあまりないけれど、ユーリの温かさはしっかり感じる」


 アクアが熱をあまり感じないのは知らなかったな。ずっとアクアと一緒に居るけれど、まだまだ知らない事はある。

 それが寂しいような、これからも色々なアクアを知っていけると思うと嬉しいような。

 ただ、アクアの感じている暖かさはきっとぼくにもわかる。アクアの体はいつもひんやりしているけれど、それでもアクアとくっついていると温かいんだ。

 アクアと一緒に居られて嬉しいって気持ち、アクアとふれあうことの楽しさ、アクアの事が大好きって想い。

 それらがぼくの中で温かさになっているのだと思う。だから、アクアが温かさを感じているのなら、ぼくがアクアを大好きでいるように、アクアもぼくを大好きだと思ってくれている。

 まあ、アクアがぼくを大好きでいてくれる事くらい、改めて考えるまでもない事なんだけどね。


 それにしても、アクアはなぜぼくの事を好きになってくれたのだろう。ぼくがアクアを好きになった理由は、ずっと一緒に居たことが一番だろうけど。

 昔の事はあまり覚えていないとはいえ、アクア以外にはカタリナしか親しい人はいなかった。

 カタリナと一緒に居る時間は少なかったから、一番長いこと一緒に居たアクアを一番好きになった。

 劇的な理由という感じではないけど、人を好きになる理由なんてそんなものだよね。他の人たちを好きになったのだって、大きなきっかけがあった人の方が少ないだろうし。

 まあ、アクアはモンスターなのだけれど。でも、そこらの人よりよっぽどぼくに近い存在だから、人扱いで良いのかな。いや、人がモンスターより上と決まったわけでもないか。

 まあ、そんな哲学みたいなことを考えたいわけじゃ無い。ぼくがアクアを大好きな理由なんて、大好きだからでいいか。

 でも、会話の種くらいにはなるかもね。試しにアクアに聞いてみようか。


「ぼくもアクアとふれあっていると温かいよ。ぼくがアクアを大好きだからだね。それでなんだけど、ぼくがアクアを好きになったきっかけは、たぶんずっと一緒に居たからなんだけど、アクアがぼくを好きになった理由って何かな?」


「ユーリ、もっと長い時間を過ごせばアクアより誰かを好きになる? ふふ。分かってる。アクアがユーリの一番だってことは」


 アクアの言葉を受けてドキッとしてしまった。確かにそれが理由なら、アクアの言う事が起こってもおかしくはない。だけど、ぼくがアクアより誰かを好きになるというイメージはあまりできなかった。

 何かほかにアクアを好きになった理由があるのかもしれないけど、たぶん憶えていない位子供のころの話だからな。

 なにせ、憶えているころの記憶ではずっとアクアの事が好きだったのだから。まあ、どれだけ好きだったのかははっきりしないけど。

 子供のころにアリシアさんみたいな人やステラさんみたいな人に出会っていたら、アクアより好きになっていたのだろうか?

 まあ、もしもの事を考えていても仕方ないか。そうならなかったから今のぼくがあるのだし。


「きっとこれまでも、これからもずっとアクアの事が一番好きだよ。だけど、ぼくがアクアを好きになった理由は他にもあるのかもね」


「アクアはユーリじゃないから分からない。でも、アクアがユーリを好きになった理由は簡単。ユーリがアクアに感情を教えてくれたから。それだけで、ユーリのためになんだってできる」


 アクアの物言いだと、アクアはもともと感情を持っていなかったことになる。いつアクアは感情を持つことになったのだろう。

 知りたいような、怖いような。ぼくがアクアの感情を感じた出来事がそうじゃなかったとしたら。

 そもそも、なぜアクアはぼくと一緒に居ることになったのだろう。両親が連れてきたのかな。今は顔も声も何も覚えていない両親だけど、アクアを連れてきてくれたのなら感謝したい。

 アクアと出会えたことは、ぼくにとって何よりも大切な宝物。それは絶対にこれからも変わらない事だ。

 でも、アクアが昔は感情を持っていなかったという事実には恐ろしさも感じる。だけど、アクアは自身が感情を持ったことを嬉しいと感じてくれている。

 だから、それでいい。アクアはぼくと居ることによって、悲しみや苦しみよりも嬉しさや楽しさを感じてくれていたって事だから。

 それに、アクアにぼくが救われていたって事実が変わるわけじゃ無い。カタリナ位しか親しい人がいない中で、ぼくが孤独に震えなかったのはアクアがいたからなんだ。

 アクアがぼくの隣に居てくれて、一緒に家族として過ごしてくれた。それだけは変わらないはずだから。


「ぼくもきっとアクアのためならなんだってできるよ。アクアがぼくにくれたものは、数え切れないほど多いんだから」


「ユーリ、だったらキスしてくれる? 前みたいに頰じゃなくて、口と口で」


「キ、キス!? ……分かった。アクアのためだもんね。でも、少し待って。覚悟を決めるから」


 ぼくはキスを恋人同士がする特別なものだと思っていた。でも、今からアクアとキスをすることになる。

 アクアとぼくが恋人同士になるわけじゃ無い。だけど、ぼくはアクアにキスをするんだ。

 少しどころじゃなく照れてしまうけれど、ペットと飼い主ならおかしな話じゃないはず。犬や猫を飼っている人が、そのペットにキスをすると言う話は聞いたことがある。

 ぼくが今からアクアとキスをするのだって、それと同じはずだ。だって、アクアはぼくのペットでいたいのであって、恋人になりたいわけじゃ無いだろうから。

 そうじゃないなら、ずっとペットを自称しないし、首輪をずっと着けたままにもしないだろう。


 これでぼくとアクアの関係が変わってしまうわけじゃ無い。今まで通り、大切なペットと飼い主のはず。だから、覚悟を決めろ、ユーリ。アクアの望みを叶えるんだ。

 深呼吸をして、アクアの方を見る。アクアはこちらをじっと見ている。

 ぼくは目をつぶって、アクアの方へと近寄って行った。アクアの唇らしきところにぼくの唇が触れる。

 しばらくそのままでいると、アクアの方から離れていった。


「ユーリ、ごちそうさま。これで、ユーリの初めてはアクアの物。もう誰にも奪えない」


 アクアはとても妖艶な表情でぼくを見つめていた。さっきまでキスをしていたこともあり、ぼくはずっとドキドキしている。胸がおかしくなってしまいそうだ。

 それにしても、アクアはぼくの初めてを求めていたのか。アクアがぼくに求めるものが有るのなら、何だってあげていい。

 それくらい、ぼくはアクアに感謝しているし、アクアの事が大好きなんだ。

 でも、流石にキスは驚いたな。アクアは恋とか愛とかそういう感情でキスを求めているわけでは無いと思う。

 なにせ、アクアがぼくと恋人になろうとするそぶりは見せていないからね。ずっとペットとして甘えてきているし。

 でも、これからぼくのアクアを見る目が変わってしまうかもしれないと思える体験だったよ、今のキスは。

 いまだにドキドキしているし、アクアの唇の感触が忘れられない。水のように吸い付いて来るようでいて、抵抗感のような圧力もあって。

 こんな体験を世の恋人たちはしているのか? 大変だな、恋人ってやつは。それとも慣れていくものなのかな?


 ぼくがようやく落ち着いたころ、アクアはいつものようにぼくに抱き着いてきていた。

 先ほど感じていた妖艶さは見る影もなく、無邪気で可愛いペットといった様子だ。アクアにも二面性のような物を感じて、ぼくはすっかり参ってしまった。

 それにしても、ぼくの知り合いには二面性を感じる人って結構いるよね。

 アリシアさんはいつもの優しさとは裏腹の怖さを持っているみたいだし、ステラさんも裏側というか、一筋縄ではいかない感じがあった。

 ハイディだって高慢さだけでは無く優しさもしっかり持っているし、リディさんも戦闘中の厳しさとプライベートのふんわりした雰囲気とは違う。

 ミーナだって、普段の朗らかさと戦っている時の顔つきはまるで違う。

 でも、そういう落差のようなものが魅力的でもあるんだよね。深みと言えばいいのだろうか、そういう感覚は。


「ユーリ、これからもずっと一緒。さっきのキスはその証。アクア水も、アクアジュースも、その他も、ユーリのために全部捧げるから」


「証なんてなくたって、何も捧げなくたって、ぼくはアクアとずっと一緒に居るよ。約束する。だから、ずっと幸せでいてね、アクア」


「当たり前。ユーリがそばに居てくれるなら、アクアはずっと幸せ。何があっても離れたりしない」

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