Last・Innocence

桂花陳酒

前編

 朝の祈祷を済ませ、花壇へ水をやるべく庭の方へ出てみると“何か”が地面につき刺さっていた。

 よく見ると、それは人の足のようだった。

 思わず声を上げそうになるのを我慢して恐る恐る近づいてみると、“何か”はやはり人の足で、どうもそれは子供のもののようだった。

 とりあえず助けてあげようと、私はその足をつかんで引き抜こうとしたのだが、なかなか抜けない。まるで地面と一体化してしまったかのようにびくともしない。

 これは困ったと思いつつ、それでも根気強くがんばっていると、やがてずるりと抜けて、一糸纏わぬ色白の少女が出土した。


「きゃっ!」


 びっくりした拍子に尻餅をつくと、少女がゆっくりと立ち上がり、目を開けて私を見た。


「……あなたは誰でしょうか?」


 少女はぼんやりとした表情のまま首を傾げてそう言った。

 私は一瞬返答に詰まる。


「そちらこそ、このような場所で朝の4時に一体何を?」


「わかりません」


「わからない……ですか。では、どこから来たのですか?」


「出自については記憶しています。私は『星雲 リゼラリス』という地で生まれたようです」


 少女は淡々とそう答えた。なんだかはっきりとしない。それに、聞いたことのない地名だ。


「とりあえず、服を貸しますから着替えてください」 


 私がそういうと、彼女は自分の身体を見下ろしてから、また私を見て尋ねた。


「なぜ服を着る必要があるのですか?」


「何故って……。裸だと風邪を引いてしまうでしょう?」


「……風邪とはなんですか?」


 常識外れというか、常識が無いというか、この子はいったいどういう育ち方をしてきたのかと不安になるような質問だった。


「病ですよ。熱が出たり、頭が痛くなったりするんです」


「そうなのですか……。それは困りますね」


「ええ。なので服を着てください」


「はい」


 私は少女を修道院の中へ招き入れるとマザーのもとへと連れていった。


「あら?かわいらしいお客さんですね」


 久しぶりの小さな来客にマザーは上機嫌で彼女を迎え入れた。

 この修道院は私とマザー以外に人は住んでおらず、来客が来ることも稀である。

 そんな滅多にないことだからか、マザーはこの子をいたく気に入ったようだった。

 私はマザーに何か着るものはないかと尋ねたが、やはり子供用の服は無いとのことで、仕方なく私の服で間に合わせておくことにした。


「お名前は何と言うの?」


 マザーはだぼだぼ姿の少女に問いかけた。


「わかりません。なので、好きに呼んでもらって結構です」


「うーん。どうしましょうか……」


 慈愛に満ちた表情の裏に、困惑を隠しきれないマザーへ私が助け船を出す。


「この子はどうやら、『星雲 リゼラリス』という所から来たそうですよ。そこから借りて『リゼ』と言うのはどうでしょうか」


「……あなたはそれで良いかしら?」


「ええ。問題ありません。これからは『リゼ』と呼んでください。……私の名が分かったところで、あなたは誰でしょうか?」


 リゼはマザーへ問い返したが、代わりに私が答える。


「この方はマザー・ネイサ。この修道院で一番偉い方ですよ」


 といっても、二人しかいないのに“一番偉い”というのは少しおかしいような気もした。


「そうなのですね。理解しました。では、あなたは?」


 今度は私へ向けての問いであった。


「私はロイラといいます。ここでシスターをしています」


「シスターとは何ですか?」


「神さまに祈りを捧げる人ですよ」


「神さま……?」


 このままだと、質問が延々と続いてしまいそうで、私とマザーは顔を見合わせた。


「神さまについて知りたいのなら、これを読むといいわよ」


 マザーが聖典を取り出してきてリゼに渡す。


「これは?」


「神さまについてのお話が書かれている本よ」


 リゼはぺらぺらとページをめくっていき、やがてある一文を見つけたようで、じっとその文字を見つめていた。何か、思い当たる節でもあるのだろうか。


「どうかしました?」


「私はこの文字を読む方法を知りません。なのでよくわかりませんでした」


 私のそれは思い違いだったらしく、拍子抜けする。


「ああ……。それは仕方ないですね」


「はい」


 リゼは静かに聖典を閉じてマザーへ返した。


「とりあえず、リゼちゃんはこれからどうするのかしら?」


「わかりません。私に課された使命は現在、一つもありません」


「そう。それじゃあ、しばらくここにいてもいいわよ」


「良いのですか?」


「ええ。二人だけでは寂しいですもの。それに、子供は放ってはおけないでしょう?」


「ありがとうございます」


リゼは深々と頭を下げた。礼儀作法のようなものは身についているのだろうか。


「マザー。私はまだ朝の仕事が残っていますので、後はよろしくお願いします」


 リゼについては、これで一段落したようなので、やり残した仕事を片付けに行くことにする。


「わかりました。私は朝食の準備をしておきますね」


 後はマザーへ任せて再び外へ出ると、まだ白んだ空が薄っすらと広がっていた。

 庭へ戻り、リゼを掘り起こした穴を埋め戻していると、軽快な足音が聞こえてきたので振り返る。見るとリゼが駆け寄ってきていた。


「手伝いをします。何かすることはありますか?」


「別に大丈夫ですよ。すぐ終わりますから」


「でも、マザーは私にシスター・ロイラの手伝いをするよう言いました」


 リゼは私が穴に土を被せるのを覗き込むようにして言った。


「うーん……。そうですね。それではそこの花壇と、裏の畑に水を撒くのを手伝ってもらえますか? 」


「わかりました。それでは、使命を遂行します」


「ああ、ちょっと……」


 私が呼び止めるも虚しく、リゼは歩き辛そうに、だぼだぼ姿のまま裏庭の方へと向かってしまった。

 追いかけるべきか迷ったが、そのうちに、水がどこにあるか分からず聞きに帰ってくるだろうと思い、土を被せる作業に戻ることにした。

 しかし、穴を埋め終えてもリゼが帰ってくることはなく、少し心配になる。

 道具を片付けて、裏庭へ向かう。すると、そこには、立ち尽くすリゼの姿があった。


「あの、リゼさん?」


「はい。なんでしょうか」


 リゼはこちらを振り向き、首を傾げた。


「水はどうしましたか?」


「すみません。わかりません」


「それなら、私に聞いてください。……向こうに用水路があります。この桶を持って行って、汲んできてください。分かりましたか?」


「はい。わかりました。使命を再会します」


そう言うなり、リゼは桶を頭の上に掲げながら走り去ってしまった。

 しばらくして、戻ってきたが、なぜか彼女はびしょ濡れになっていた。


「どうしてそんなに濡れているんです?」


「途中で転んでしまいました」


「…………。はぁ、もう大丈夫です。修道院に戻ってください。濡れた服はちゃんと脱いでくださいね」


「はい。わかりました」


 素直な返事と共に、リゼは服を脱ぎ散らかしながら駆けていった。

 まったく、この子は……、と思う反面、どこか憎めない子だと思いつつ、私は仕事に戻った。


✳︎✳︎✳︎


「おかえりなさい。シスター・ロイラ」


 花壇と裏庭に水やりを終えて、修道院へ戻ると、全裸でリゼが出迎えてくれた。


「寒くありませんか?」


「はい。問題ありません」


 そう言って、リゼは裸体を晒したまま直立不動の姿勢をとった。

 精巧な彫刻のように、粗の一つ見当たらない綺麗な体だった。

 だが、さすがに全裸で動き回られるのも困るので、今度は私の普段使っている毛布を部屋から持ってきて与えた。後はそれを体に巻きつけるように羽織らせれば完成である。


「ありがとうございます。シスター・ロイラ」


 頭を下げると同時に、リゼは腹を鳴らした。


「お腹が空きましたか?」


「はい」


「マザーが用意をしてくれているはずです。行きましょう」


 私はリゼを連れて食堂へと向かった。廊下には、リゼが泥でつけた足跡がくっきりと残っていた。これも、後で掃除しないと……。


「あら、二人ともお疲れ様」


「お疲れさまです」


 食堂に入ると、すでに朝食の準備ができていた。


「ああ、シスター・ロイラ。椅子を一つ、用意してくれる?」


 マザーに言われて、すぐに他の部屋から椅子を運んでくる。普段は二人しか使わないので、当然椅子も二つしかない。


「ありがとう。今、配膳するわね」


 マザーはテーブルの上にパンとスープを三人分並べていく。その様子をリゼはじっと眺めていた。


「はい、リゼさんはここに座ってください」


 私が持ってきた少し背の高い椅子を引いて促す。


「はい。わかりました」


リゼは大人しく指示に従い、私の隣の席に着いた。細長い、長方形のテーブルは三人で使ってもまだ充分すぎるくらい、余白がある。


「食べる前に、祈りを捧げてください。私と同じようにするのですよ?」


 私とマザーも席につき、手を組んで祈る。すると、リゼも同じようにした。


「そうしたら、目を瞑って祈りの言葉を復唱して下さい」

「はい。わかりました」


 リゼの瞳が閉じられたのを確認してから、口を開く。


「天なる主よ、あなたの慈しみに感謝いたします。天なる主よ、ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と身体を支える力としてください。そして、それらが真でありますよう……」


「それらが真でありますよう……」


「あ、ありますよっ……」


 私の祈りにマザーが続き、さらにそこへリゼがたどたどしく続く。先程まで、見た目に似合わぬ饒舌だったのに、急に子供らしく舌足らずになるのが少し可笑しかった。


「はい。これで終わりです。もう食べても良いですよ」


 私が言うとリゼは目を開け、その目のままで食事のことをまじまじと見つめ始めた。その具合たるや、もし彼女がかの怪物ゴルゴーンであったならば、今頃パンは石に、スープは毒に変わっていたことだろう。


「いただきます」


 私とマザーが先に口にすると、ようやくリゼも手をつけ始めた。


「いただき……?……ます」


 私たちのことを、ちらちらと見ながらその小さな口へ運んでいく。

そして、その口をいっぱいに開いて、噛み切ると小動物のような愛らしさを振り撒きながら、もぐもぐと咀しゃくを始めた。


「わはひは、こへをきに……」


「ああ、話すならすべて飲みこんでからにしてください」


「…………。はい。私はこれを気に入りました」


 リゼはごくり、と大きく喉を動かし答える。


「それは良かったわ」


 マザーがいつものように慈悲深い微笑みを返す。


「ここの食べ物が口に合わなかったらどうしようと思っていたのよ。さあ、スープもどうぞ」


 マザーに促され、リゼの視線は平皿のスープに移る。野菜の浮かんだそれは湯気を立てて、自分が出来たてであることを示していた。


「これはどのように食べるのでしょう?」


「この、スプーンを使って飲むんですよ」


 私は自分のスープをすくい、手本を見せるように飲んだ。


「こうやって、音を立てないよう静かに、少しずつ飲むのですよ?熱いですから、火傷しないように注意してください」


「わかりました」


 そう言って、リゼも真似をしてゆっくりとスープを口に運んだ。


「あっ、ふっ……」


 熱かったのか小さく声を上げ、舌を踊らせる。


「大丈夫ですか?」


「はいっ、特に問題はありません」


 リゼはすぐに落ち着きを取り戻し、今度は慎重になってスープに舌をつける。


「これも、気に入りました。食べると、暖かくなります」


「お気に召したようで何よりよ」


 マザーは嬉しそうな顔で、リゼを見やる。すると今度は私の方を見て、またリゼの方へ戻す。


「あなたたち、よく似てるわね」


「──どこがですか?」


「ほら、あんまり感情を面に出さないところとか……」


 マザーの言葉に、思わず眉間にシワを寄せてしまう。そんなことを言われても、どう反応したらいいかわからない。


「あまり、そのような冗談はやめてください」


「あら、ごめんなさい」


 私は不機嫌そうな顔を作ってみせる。それでもきっと、あまり表情は変わってないだろうけど。


✳︎✳︎✳︎


 私たちシスターは修道院で、日々を祈りと労働に生きる。中には慈善活動をして回るシスターもいたらしいが、今となっては慈善を施す相手なんて、めったにいない。

 誰もが幸せになった、というのならどれほど良かったか。

 現実はまったく違っていて、端的に言うならこの世界は滅亡しかけている。

 その原因が何かなんて、そんなことはどうでもいい。滅亡が目前にあるという事実だけが重要だ。


「こんにちは、シスター」


 昼頃になると、馴染みの旅人が一人やってきて、廊下の泥を落としている最中の私に朗らかに挨拶をした。彼女こそが“稀な来客”の正体であり、名をメルエカと言う。


「こんにちは。本日はどんな御用でしょうか」


「それはこっちの台詞だよ。マザーに呼び出されて来たんだ」


「ああ、それならきっと、服のことです。今、どうしても早急に仕立て屋が必要なので」


「なんだそりゃ。マザーが今朝急に太ったとか?」


「……まぁ、見れば分かりますよ。中へ入ってください」


 とりあえず彼女を招き入れる。

 こう見えて、彼女もかつてはこの修道院で暮らしていたことがある。つまり、シスターの端くれであるのだが、彼女はとうに修道着を脱ぎ捨てて、今ではすっかり旅装に身を包んでいる。


「マザー。メルエカ様が到着されましたよ」


 マザーの部屋に入ると、そこにはマザーのほかにリゼの姿もあった。


「あら、いらっしゃい。ごめんなさいね、急に呼びつけてしまって……」


「どうも……。あれ?その子は?」


「ほら、挨拶を」 


マザーに促されると、リゼはぺこりと頭を下げた。


「私はリゼと申します。よろしくお願いします」


「へぇ……、珍しいな。こんな時代に子供が生きてるなんて……。私はメルエカ。見ての通り旅人さ。よろしく、リゼちゃん」


 そうして差しのべた手を見て、リゼは首を傾げた。その様子に、私は彼女が握手を知らないことを悟った。


「リゼさん。手を握るんです」


 私が教えると、リゼは恐々とした動作で、そっと手を伸ばした。


「どうも……」


 そして、リゼは小さく呟くと、すぐに手を引っ込めてしまった。


「それでマザー。用件ってのは何?」


「あなたにこの子の服を仕立てて欲しいのよ」


「あー。そういうことね。別にいいよ。二人とも不器用だもんね」


「一言多いですよ。メルエカ様」


「はいはい……。じゃ、採寸からするから、リゼちゃん借りていくね?」


「使命ですか?私は何をすれば良いでしょう」


「リゼさんの服を作ってもらうのですよ。メルエカ様の言う通りにして下さいね」


「わかりました」


 リゼはこくり、と素直にうなずく。


「では、行ってきます」


 メルエカに連れられて部屋を出るリゼを見送り、私はまた仕事に戻ることにした。

 ……したのだが、扉を出るところでマザーに呼び止められる。


「ねぇ、シスター・ロイラ」


「何ですか?」


「情熱というものがあなたにはあるかしら?」


「…………何でしょう?いきなり」


 唐突な語りかけが私の思考を一瞬停止させ、それからマザーの意図を探ろうと頭を働かせる。聖典を解釈する時のように、マザーの言葉の意味を考えるが、答えらしきものは浮かんでこない。


「いやね、リゼちゃんもあなたも感情を出さないところが似てる、ってさっき言ったじゃない?それで、ふと思ったのよ。情熱というのは、他人に伝えることで初めて存在するのではないかしら?」


「はぁ……」


「あなたがもしその胸に内なる情熱を秘めていたとしても、それを表に出さなければ、他人からは冷たい人間だと映ってしまう──」


「つまり?」


「あなたが情熱を持っているなら、それは他人に示した方が良い。それだけよ」


「…………私たちは清貧を旨とするシスターですよ?熱を向ける相手は天なる主だけでしょう?他の誰に向けると言うのです?」


「あら、確かにそうね。でも、あなたの胸の内に宿った炎は、きっといつか燃え上がるわ。その時が来たら、迷わずに行動することね」


「……」


「これは老婆心からの忠告だと思ってちょうだい。────邪魔したわね」


 マザーは私の肩に手を置くと、そのまま部屋の外へ送り出した。


「……そんな日は来ませんよ」


 私はぽつりと独り言ちて、廊下の泥を落とす作業に戻った。



✳︎✳︎✳︎


「どうかなこの服」


 メルエカの仕立てた服が披露されたのは夕食の席であった。食卓を囲む者は三人から四人に増えたが、それでもまだ余白はあって寂しげだ。


「どうって、それ修道着じゃないですか」


「え?違うの!?」


「リゼさんはシスターではないですよ。本人から聞かなかったのですか?」


「あちゃー。……でもさぁ、ここで暮らすのならこれじゃない?」


「それは……」


 リゼの小さな頭を挟んで口論になる私とメルエカ。そこに、マザーが口を挟んだ。


「まあまあ、良いじゃない。こんなに可愛らしいのだから。それに、もはや戒律なんて過去のものよ。シスター以外が修道着を着ても、誰も文句は言わないし、言えない。そうでしょう?」


「……マザーなのに、そこまで適当で良いのですか?」


「良いのよ。主様に仕える心さえあれば、許して下さるわ。それに、私って好きでマザーと名乗っているわけでもないのよ?」


「そうなの?」


「ええ。ここの修道院を管理する人やシスターも減って、仕方なく私が院長になっただけ……。本当は、ただの一修道女に過ぎないのよ」


「へぇ……」


 メルエカが感嘆の声を上げる。マザーの言う通り、世界が滅亡しかけている影響でシスターはみんないなくなった。


「さ、みなさん。お話はそれくらいにして、食事にしましょう。リゼちゃんがもう待ちきれないみたいよ?」


 私がマザーの言葉でリゼを見ると、確かにパンへ熱い視線を送っていたが、その表情はやはり変わっていない。


「では、祈りの言葉を──」

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Last・Innocence 桂花陳酒 @keifwa

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