サッカと居たこと。
ふじこ
むつきは白色
カシャ。
と、とても聞き慣れた音が、左隣から聞こえた。油断をしていた、なんていうことだ。わたしは憤懣やる方ない気持ちで手を振りあげながらそちらを向くのに、ガタイのいい一眼レフを構えたサッカは、タータンチェックのマフラーを揺らしながら、後ろへ飛び退いた。そしてカメラを顔の横へずらしながら「あはは」と、あどけない調子で笑うのだから、たまったもんじゃない。ゆるくウェーブのかかった黒い髪が、同じ色のコートの肩にかかって艶めいている。
「新年初撮り、いただきだー」
得意げに、白い歯を見せる。本当にうれしそうなのだから、たまったもんじゃないのだ。何も言い返せなくなる。カメラを構える指先が、赤くかじかんでいるのはいつから? 隣を歩いていたのに、サッカがいつからカメラを構えていたのか。わたしは気付いていなくて、指先が赤く染まるのに十分なぐらいの時間は、サッカはそうしてレンズ越しにわたしを見つめていたに違いないのだ。
「レアショットだよ、レアショット。ちょっと眠そうな繭。しかもすっぴん」
「すっぴんはサッカもじゃん。しかも毎日見てるし、今更珍しくもないでしょ」
「分かってない。分かってないなあ、繭は」
カメラを構えていた手を離して、右手の人差し指を立て、口の前で左右へ振る。その仕草に何の意味があるのかはよく分からないが、なんだか馬鹿にされているようで腹が立ったので、スキニージーンズのふくらはぎめがけて脚を蹴りあげた。鈍い音がして、ジャストヒット。「いたっ」と飛び上がるサッカが滑稽で、ふふっと笑う。
「暴力はんたーい!」
「なら、わたしも隠し撮り反対を主張する」
「何おう」
言い返すと、サッカは頬を膨らせる。リスみたいだと思うと、いっそうおかしくって笑い声が大きくなった。頬を膨らせたまま、サッカはわたしの肩に自分の肩をぶつけてくる。近くなった隣どうしの距離で、サッカの胸元に揺れる黒い一眼レフがうるさかった。サッカはとても大切そうに、そのカメラを撫でるのだけど。
「貴重な貴重な記録なのだよ、私がここへ切り取っているものは。意図せぬ表情、予期せぬ仕草、繭のするそういうすべてを焼き付けるのが、私はこの上なく幸せなのだ」
「隠し撮りに真っ当そうな理屈をつけてるだけよね?」
「……今日、この道をすっぴんで歩いているぼーっとした繭は、今日にしか居ない!」
まるで言い訳めいた言葉を残して、サッカは突然走り出す。マフラーも髪も、サッカが自分で作り出した気流に乗って、ふわりと浮かび上がってなびいている。仲の良さそうな四人家族を、手をつないだカップルを、同じ方向に向かうその他有象無象の群衆をすり抜けて、サッカは一目散に、赤い鳥居へ向かっているのだ。追いかけようか、どうしようか。でも、今日はいてきている靴は、ピンヒールのロングブーツだ。ただでさえ徹夜明けなのに、走ってこけでもしたら目も当てられない。せっかくの元日なのに。
だからわたしはため息をついて、歩いていくことにする。少しだけ早足で、サッカの後を追うことにする。
特別背が高いわけでもないし、太っているわけでもないし、美人なわけでもぶさいくなわけでもないのに、サッカは何故か、人ごみの中で目立って見える。不思議だった。サッカにそれを聞いたら「私も繭はすぐ分かるから、それと同じだね」と愉快そうにされた。あれもまた、ちょっと不愉快な記憶に類される。
鳥居の根本に立っているサッカは、早くもカメラを構えてこちらを向いている。もうサッカまで数メートルなのに、レンズ越しでサッカはわたしを見ているのだ。また、サッカの思惑通り切り取られてしまうのは癪で、わたしはそっぽを向きながら、石の階段をのぼって、石畳を踏みしめて、サッカの横を通り過ぎ、鳥居をくぐり抜けることにする。
カシャ、カシャとシャッター音が連続した後に、足音が私を追いかけてくる。「待ってよ、繭」という声にちらりと後ろを振り向くと、カメラをおろしながら、サッカが走ってくる。立ち止まっていれば、わたしは追いついたサッカはうれしそうに笑って「さきにお参りだね」と言う。
「そうね。まだ並んでないみたいだから、早く済ませましょ」
「地元の総社ってこんなもんなんだね。お社もすぐ見えるし」
「でも、おみくじとかお守りは売ってるよ。引くでしょ?」
「うん。それから、家内安全のお守りとね」
「商売繁盛じゃなくて」
「そのためには、家庭の平穏だよ」
石畳の上を、落ち葉がひゅるひゅる、風に吹かれて滑っていく。風が冷たくって、サッカに少し肩を寄せる。サッカが同じことを考えたのかは分からないけれど、同時に肩を寄せたからまた肩と肩が触れ合って、ほんの少し、ほんの少しだけ、あたたかいような気がした。
特に立ち止まることもなく社の前までやってきて、前の人が退いてから鈴の前に立つ。ポケットの財布から五円玉を二枚。サッカに一枚を手渡すと、早速放り投げて、二回手を打っている。そんな手順じゃなかった気がするけどなあ、と言っているうちに放っていかれそうなので、私も手早く、賽銭を入れて手を二回打つ。目をつむって、願い事は思いつかなかったから、さっきサッカから聞いた「家内安全」を三回ほど唱えておく。それから目を開けると、サッカはまだ目をつむって、手を合わせたままだった。横顔の耳が赤い。今度、耳当ても買ってこようかしら。そうするとして、何色が似合うだろう。
考えごとをはじめたのに、サッカはそしたら、すぐに目を開ける。そしてわたしを見ると「行こ」と言って、指先のない手袋をはめた手で、私の手を引っ張った。
サッカに引っ張られながら社の前の石段を下りて、向かうのは、白いテントのおみくじとお守り売場だ。
「どっちから買おう」
「おみくじじゃないの。おみくじの結果を見てから、お守りを買うんだよ」
「なるほど」
感心したようにつぶやいて、サッカは首を縦に振る。砂利を踏みながら歩いていくと、おみくじ売場の短い列の一番最後に立ち止まり、わたしを引っ張ってきた手を離す。つかまれていた部分をおさえれば、ほんの少しだけあたたかい気がした。
「ここも短いね……あ、もう次だ」
「ん、ちょい待ち」
歩きながら財布を取り出す。窓口の巫女姿のアルバイトが頭を下げるのに、サッカが「おみくじ二回」と早々に伝えている。にこやかな声が四百円ですと言うのと引き替えに、六角形の筒がサッカへ手渡された。財布から硬貨を四枚、アルバイトの手の上へ滑らせて、もう番号を確認したらしいサッカから、筒を受け取る。よく振って、回して、振ってから逆さにすると、筒のてっぺんに空いた穴から、一本の棒が飛び出す。その削れた先端に書いてあるのは「弐」という漢字。最初の偶数だ。
筒をもとの通りにひっくり返して、アルバイトの方へ渡す。サッカが「四十六番でした」と言うのへ続けて「弐番です」と伝えると、アルバイトはにこやかに少々お待ちくださいと言い、後ろの、引き出しが大量についた棚を振り向いた。迷いない動作で一カ所の引き出しをあけて紙を取り出し閉めて、また迷いない様子で、別な引き出しをあけて紙を取り出して閉める。それからくるりとこちらを向いて、それぞれ紙をわたしとサッカへ差し出す。「ようこそお参りでした」の決まり文句を聞きながらおみくじの紙を受け取って、軽く会釈をし、サッカとともにその場を離れる。すぐに、次の客がわたしたちの居た場所へ立っていた。
しばらく歩いて、名前は知らない緑の葉の下に立ち止まる。サッカが、紙を裏返して「大吉」と読み上げ、ひらりとわたしの方へ文字を向ける。確かにそこへ、「大吉」と印字してあった。勝ち負けではないのに、サッカよりいい種類はでないのだと思うと、もうすでに悔しい。眉間に寄るしわを自覚しながら、わたしは自分の手に握った紙を、裏返す。
そこには何も書いていなかった。
凶の文字も、朱色の枠線すらない。
本当の本当の、真っ白だった。
「うわあ、繭のおみくじ、珍しい」
サッカが言う。すかさず、カシャ、とシャッター音も。
サッカを睨むと、カメラを構えたままでその横から顔をのぞかせて「何が起こるか分からないってことだね」とまじめな顔でつぶやく。不意にどきりとさせられた。まるで、そうして起こるのは良くないことだぞと、予告されたような気分になったのだ。
「交換、しに行く?」
サッカがカメラを構えたままで首を傾げてそう言う。その指先はやっぱり赤いままだった。耳も赤いままだろうし、そういえば鼻先だって、風にこすれて赤いのだ。はやく家へ帰ってあたためてやらなきゃいけない、そんな気分になる。
だからわたしは「いや、いいよ。これで。珍しいし」と、言って真っ白なおみくじを曇り空にかざしてみる。やっぱり真っ白なまま、何も見えない。
カシャ。
とシャッター音がして、それに続いてサッカが「そうね、そうだね」と笑った。
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