第32話 騎士の苦悩
来て早々に練習というのも味気ないだろう。
ハリーはそう言って、リリアーナを祭りへ誘った。
「ハリー様、あの人だかりはなんでしょう?」
ずらりと並んだテントの一角を指して、リリアーナはコテンと首をかしげた。
随分と無防備な、それでいて愛らしいしぐさ。
ハリーは保護欲を掻き立てられて、知らず笑みを深めた。
甘い香りが漂うその店では、飴細工を売っているようだ。
黒薔薇祭ということもあって、黒薔薇を模した飴が多く並んでいる。
「飴細工の店のようだな」
「あれが、飴⁉︎ ガラス細工かと思いました」
「はは。舐めたら甘いはずだぞ」
どれ、買ってあげよう。
まるで孫を溺愛する祖父のようなことを考えながら、ハリーはリリアーナを連れて店へ近づいていった。
寄るにつれて見えてきたのは、店先で行われていた実演だ。
熱い飴を捏ねて、パステルカラーになったそれから何枚もの花びらを作り出していく職人。
できあがった花びらを組み合わせていくと、あっという間に一輪の薔薇が完成した。
「わぁ! すごいですね、ハリー様!」
「ああ、そうだな」
隣で歓声を上げるリリアーナは、とてもかわいらしい。
だけど、自分以外が彼女を楽しませているということが、ハリーをどうしようもなく苛つかせた。
胸や胃が、燃えるように熱い。
湧き上がる衝動のまま、ハリーはけんかを吹っ掛けるかのように店主を呼んだ。
「店主!」
鋭い声に、店主は驚いたようだった。
ズンズンとそばにやってきた美貌の男に、今度は目を奪われる。
だがそれも、つかの間のこと。
我に返った店主は、男に見惚れてしまったことを恥じるように、ばつが悪そうに答えた。
「な、なんだい、にいちゃん」
「俺にも、やらせてくれ」
文句は言わせない。
騎士団仕込みの凄みをきかせれば、店主はあっけなく場所を譲ってくれた。
「ありがとう」
店主の了解を得たハリーは、カウンターを越えて店側へ回り、エプロンを借りたあと、飴細工に挑戦してみることにした。
手芸に料理にお菓子作りと、手先の器用さは折り紙付きである。
(周囲に無駄だと笑われたこの手を、今生かさずにいつ生かすというのだ‼︎)
作るのはもちろん、リリアーナが咲かせる紺色の薔薇だ。
青の飴に黒の飴を混ぜ、限りなく黒に近い紺色になるよう捏ねる。
乳白色のそれが、冷めたら紺色になるのか心配ではあったけれど、薔薇の飴自体はうまくいった。
無駄だと言われがちな器用さを生かすことができて、ハリーは大満足である。
初心者とは思えない、なんなら店主よりもすばらしい技術を目の当たりにして、集まっていた人々は歓声を上げた。
「リリアーナ」
「はい、ハリー様」
「これを、受け取ってほしい」
最前列で見守ってくれていたリリアーナへ、完成したばかりの青薔薇を差し出す。
すっかり浮かれていたハリーは、周囲のざわめきなど耳に入ってこなかった。
人々の好奇な視線にさらされて、リリアーナは困ったように身を縮める。
それを見て、ハリーはようやく、
(しまった)
と思った。
そして、今更ながらに嫉妬していたことにも気がつく。
(浅はかな嫉妬心に苛まれて、もっとも大事なことを蔑ろにしていた)
慣れてきたとはいえ、リリアーナは人混みが苦手なのに。
特に今のような、大勢の視線に晒されることは、彼女にとって苦痛以外のなにものでもないはずだった。
それでも彼女は、ハリーが差し出した薔薇を恭しく受け取ってくれた。
やや歪ではあったけれど、微笑み付きで。
なんてけなげな子なのだろう。
ハリーは改めて、リリアーナへの好意を自覚した。
リリアーナを独占したくて、これ以上誰の目にも触れさせたくなくて。
ハリーは店主へのあいさつもそこそこに、リリアーナを連れてテントを離れる。
連れ立って歩きはじめたが、裏通りへ入ったところでリリアーナは足を止めた。
ハリーが立ち止まると、リリアーナは思い詰めた顔をしていた。
「……ハリー様」
「どうした? リリアーナ」
もしかして、嫉妬したことに気がついたのだろうか。
これしきのことで嫉妬するなんて子どもっぽいと、大いに自覚しているだけに、答える声が震えた。
「申し訳ございません!」
言うなり、リリアーナは深々と頭を下げた。
その光景は、ハリーが羽化したあと、目を覚ましたリリアーナの姿と重なる。
(謝られるような覚えはないから……彼女はきっと、なにか勘違いをしているのだろう。おそらくは、あの時のように)
さて、どう答えたものか。
冷静を装いながらも、内心は嵐のような気持ちが暴れ回っている。
思案するハリーの前で、リリアーナは震える手で飴細工を差し出してきた。
返すつもりなのだろうか。
それにしては、返したくないように力強く握っている。
状況が状況でなければ、リリアーナがハリーへ交際を申し込んでいるようにも見えただろう。
あいにく、そんな甘い空気は皆無だが。
「わたし、つい嬉しくて受け取ってしまったのですけれど、恋人じゃないアピールをするなら受け取るべきじゃなかったですよね、すみません!」
まさかリリアーナがそんなことを気に病んでいたとは思いもしなくて、ハリーは
頭の中では、現状把握部隊と未来予想部隊が頭を突き合わせてウンウンうなっている。
「あー……えっと、リリアーナ?」
「はい、ハリー様」
「必死になって否定すればするほど、怪しく見えるものだ。だから自然に……リリアーナはそのままでいてくれ」
「では、この飴は……?」
「持っていてくれ。今日付き合ってくれたお礼だと思ってくれれば……」
「本当ですか? ありがとうございます、ハリー様。とってもすてきだったので、嬉しいです」
ぎゅっと飴細工を胸に抱くリリアーナのかわいさに、鼻の奥がツンと痛む。
(この調子でダンスを教えられるのだろうか……?)
不安しかないが、やるしかない。
男の矜持にかけても不埒なまねは絶対にしまいと、ハリーはかたく誓うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます