第17話 黒薔薇の街

 街道の最終地であるシュタッヘル。

 竜の住処があるフランツェ山脈を望む、隣国エッシェと国境を接する街である。


 シュタッヘルは、街の中心が南から北に流れるカスターニエ川の西側に位置し、川の東側を新市街、川の西側を旧市街と分けていた。


 新市街は、街の機能のほとんどが集中しているためか、竜の襲撃に備えた城塞と見紛うばかりの堅牢けんろうな建物が立ち並んでいる。

 質実剛健。この言葉がぴったりな雰囲気だ。


「花が飾られていない街は、初めて見ます」


 硬質な印象を受ける殺風景な新市街を、リリアーナは不思議そうに見回した。


 ブルームガルテンは、花の国。

 だから、今まで通ってきたどこの街でも、そこかしこに色鮮やかな花が飾られていたのだが、シュタッヘルはまったくない。


「竜が近いからな」


 遠くに見えるフランツェ山脈を見上げながら、ハリーは言った。


 竜は、色鮮やかなものを見るとほしくなってしまう性質があるらしい。

 宝石、織物、植物。特に自分の鱗と同じ色に目がない。

 ほしいと思ったら一直線に地上へ降りてくるから、竜にその気はなくても死傷者がでる。

 そのため、予防する必要があるのだ。


「だから襲われないように、建物も人々も限られた色の中で生活している。白、黒、茶色、それに灰色。この四色が基本だな」


 そう言うハリーは、白のブラウスに黒のパンツを合わせたシンプルな格好をしている。

 羽化とともに体格も大きく変わってしまい、今着ているものは持っていたものを適当に詰めた急拵きゅうごしらえのもの。

 それでも上品に着こなしてしまうのだから、美人は得である。


 リリアーナはといえば、今日も今日とて黒のワンピース。

 一切の私物を失った彼女は、神殿から支給された同じデザインのワンピース数着を着回していた。


「ということは、リンゴなどの色鮮やかな食べ物は買えないということでしょうか?」


「いや、それは大丈夫だ。竜に見られなければ襲われることもないから、建物の中では普通に売っている。だが、外を歩く時はしっかり隠さないといけない。竜に見られたら、自分だけでなく周囲の人にも被害が及ぶからな」


「そうなのですね。わかりました、気をつけます」


 ああよかったと胸を撫で下ろすリリアーナは、もしかしなくてもリンゴが好きなのだろう。

 市場へ着いたら絶対にリンゴだけは買い忘れないようにしようと、ハリーは心のメモ帳に書き記した。


 パイにケーキにベイクドアップル。ジャムにバターにコンポート。

 甘いお菓子も良いが、豚肉と合わせるのも捨て難い。


 綺麗に盛り付けてもガツガツ食べるしか脳のない部下たちと違って、リリアーナならきっと喜んでくれるはずだろう。

 何の気はなしに極めてきた技術がようやく日の目を見るとあって、ハリーは嬉しくてたまらなかった。


 ロルベーア小橋とヴァルヌス橋いずれかの橋で旧市街へ渡った先にあるのが、ビルケ広場。

 そこから南へ続く道を進むと茨の城が、北へ進むと茨の城と同時期に建てられた歴史ある建物が並ぶエリアになっている。


 古き良き旧市街に住み続けている人たちは、かつて先祖たちが黒薔薇ローズノワールの聖女にお世話になったおかげもあって、どこよりも黒薔薇の聖女に対して好意的だと言われている。


 今はまだ正体を明かす勇気がないリリアーナに、


「焦る必要はない。時間はたくさんある」


 と彼女の頭をクシャリと撫でながらハリーは笑った。


 羽化して仮面がいらなくなったハリーは、前よりもスキンシップが増えたように思う。

 いやじゃないけれど、頭が鳥の巣になるまで遠慮なく撫で回されるのは困る。けれど、乱れた髪を直すハリーはとても楽しそうで、リリアーナはまた注意できなかったとひそかに反省するのだった。


 茨の城は、街のほとんどどこからでも見えるところに、建っていた。

 かつて黒薔薇の聖女が竜からシュタッヘルを守るために建設した、防衛施設。

 黒薔薇の聖女が不在の間に幾度も竜の攻撃に備えて強化された城は、今や黒薔薇の聖女を送る監獄と化している。


 街を確認しながら今後の生活に必要そうなものを買い、茨の城へ到着する頃には夕方になっていた。


 茨の城は、カスターニエ川を見下ろす大きな要塞で、十五本の塔が連なっている。

 厳かで重々しい雰囲気はいかにも要塞といった雰囲気だが、内側には小規模ながらも美しい家と礼拝堂が隠れていた。


「ここが、黒薔薇の館」


 監獄というにはあまりにも優美な建物だ。

 カントリーハウスほど大きくない、高級そうな一軒家。


「たしか、デタッチド・ヴィラって言うのだっけ……?」


 本で得た知識が正しければ、裕福な中流階級の人々が郊外に建てて住んでいるものだったはず。

 例えるならば、片田舎にある小綺麗なおばあちゃんの、つい棲家すみか。あるいは、アンティークなドールハウス。

 暖炉やロッキングチェアが似合う、あたたかみのある雰囲気である。


 白と灰色が混じった外壁には薔薇の蔦が這い、かたい蕾がそこかしこについている。

 夏が終わって秋になれば、黒い薔薇が咲くのだろう。なにせここは、黒薔薇の館だから。


 御者とハリーが手際良く動く中、リリアーナが手を出せる雰囲気ではなかった。

 特に御者はリリアーナと一刻も早く離れたがっている様子だったので、それなら邪魔にならないように先に入っていようと、リリアーナは黒薔薇の館へ近づいていった。

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