第2話 ないない尽くしの令嬢

 見上げれば、雲ひとつない空が広がっている。

 明るい未来を啓示しているかのような爽やかな青色に、リリアーナは不器用に笑みを浮かべた。


 リリアーナ・ソワレ。


 代々紫薔薇ローズヴィヨレットの聖女を輩出してきたソワレ侯爵家に生まれ、歴代もっとも出来損ないだと言われている令嬢である。


 紫薔薇にふさわしい美貌も、品格も、教養もない。

 ないない尽くしの令嬢、それがリリアーナだ。


 ソワレ家にふさわしい艶やかな薄紫色の髪と気品ある顔立ち。令嬢らしい華奢きゃしゃな体と、上品な立ち居振る舞い。

 それらすべてを持ち合わせている無敵のお姉様──といっても、不出来な妹の分際で彼女をお姉様と呼ぶことはおこがましいことであり、リリアーナはサティーナ様と呼ぶようにしつけられている──の存在もあり、生まれてこの方、記憶にある限り一度だって、リリアーナは両親に注目されたことがなかった。


 それどころか、薄紫に墨を落としたような紺色をした髪や、成長とともに歳不相応に育ってしまった女性らしい体つきは下品だとののしられ、「恥ずかしいから人の目に入りそうな場所へ姿を現すな」と言われている。

 おかげでリリアーナは、侯爵家の令嬢であるにもかかわらず、一度も社交界に顔を出したことがなかった。


 でも、リリアーナは知っている。

 母から「救いようのない馬鹿のんびりやさん」と呼ばれる頭でも、自分の境遇がいかに恵まれていることなのか、わかっていた。


『目に入らないところに居さえすれば、働かなくても必要最低限のものが与えられるのだから、楽でいいわね』


『あなたのものが、サティーナに与えられるものとは比べものにならないほど粗悪なものだとしても、同じように扱ってもらえないのはすべてあなたのせいであって、あなた以外の誰も悪くないわ』


『すべてはおまえを思ってのこと。素直に受け入れられない、おまえが悪いのだ』


 何度となく聞かされ続けてきた家族からの言葉が、頭を巡る。

 リリアーナには、ソワレ家にふさわしい美貌も、品格も、教養もない。ないない尽くしの令嬢だからいけないのだと、彼女は自らを罰するように手の甲に爪を立てた。


「でも、もしかしたら。今日こそは、わたしのことを見てくださるかもしれないわ」


 今日はリリアーナの誕生日らしい。

 十六歳の誕生日は、人生の中でも特に重要で、忘れてはいけない日である。


 今日ばかりは、リリアーナが部屋を出ても誰も咎めない。

 むしろ出てくるのが遅いと、サティーナに注意されたくらいだ。


「リリアーナ」


「はい、デラニー叔母さま」


「行きましょうか、神殿へ」


 リリアーナが生まれ育ったブルームガルテン国では、十六歳になった女性は必ず神殿へおもむき、『聖女の儀』を行うことが習わしだ。

 この儀式で花の女神ローゼリアから認められると、『花の祝福』という特別な力を与えられ、聖女となって人々を助ける存在になる。


 神殿へと続く長い階段を見上げ、リリアーナはすばやく呼吸した。

 緊張で、胃がフワフワと落ち着かない。宥めるように胸をさすると、デラニーの手がそっとリリアーナの背を押してくれた。


「リリアーナならきっと、聖女になれます。それに……なれなかったとしても、何も変わりません」


「そうですね。きっと、大丈夫……大丈夫な、はず」


 一族から聖女を輩出すれば貴族位を得られるとあって、貴族令嬢ならば聖女に選ばれることが当然であるような雰囲気が、暗黙の了解のもとにあった。


 ソワレ侯爵家の令嬢であるリリアーナも当然、聖女にならなくてはならない。

 とはいえ、聖女とは努力してなれるものではなく、生まれながらの資質によるものらしい。ソワレ侯爵家が代々、紫薔薇の聖女を輩出しているのは、その資質のおかげなのである。


「聖女になったって、あなたの両親が改心するとは思えないわ。だってもう、あの家には紫薔薇の聖女がいるじゃない」


 微かな希望を胸に神殿へ続く階段を登り始めた姪の背に、デラニーはささやいた。


 サティーナが紫薔薇の聖女になってから、もう三年が経つ。

 すでにソワレ家の侯爵位が脅かされる心配はなく、リリアーナなんてお呼びではないのだ。


 通常、聖女の儀の付き添いは両親、または後見人である。

 しかし、リリアーナの両親は多忙であることを理由に、母の妹であるデラニー・スミスに、その役目を押し付けていた。

 それだけで、リリアーナがいかに蔑ろにされているのか、窺い知れるというものだろう。


「紫薔薇は無理だとしても。他の有用な祝福を得られたら、ちょっとくらい考え直してくれるかもしれないでしょう?」


 ただ前だけを見据えて、リリアーナは上り続ける。


 けなげな姪にデラニーは、心の中で女神へ疑問を投げかけた。

 子どもは親を選べない。この期に及んでまだ両親に認められたがっているこの子が、どうしてあんな人たちのもとへ生まれてきてしまったのでしょうか、と。


 引きつったようなほほ笑みが、痛ましい。

 いつからリリアーナは、こんな風に笑うようになってしまったのだろう。


「昔はもっと……やわらかく笑う子だったのに」


 ずっと前からだったような気もするし、最近のような気もする。

 けれども、いつからだったかもわからないような自分には、彼女の両親を咎める資格はないのだろうなと、デラニーは苦々しくため息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る