最年少主席と冷遇王子

みおさん

プロローグ 賢者と、頭の大きな男の子 1

 山中から古代帝国の遺跡が見つかった。そこから大量の古文書が出た。

 そう聞けば、彼ら学者は矢も盾もたまらず、どんな山奥でも、砂漠の向こうでも駆けつける。


 山奥といっても、そこは王都から徒歩で三日ほど。

 男がこれまで足を運んだ数々の遺跡の中では、比較的訪問が容易な場所で発見された。

 発見した知の宝庫を持ち帰るため、出せるだけの馬車を引き連れて山を登る。


 男は長年知識を蓄えたことで、周りから「賢者」と呼ばれるようになっていた。


 人類の叡智を文字通り掘り出し、かき集める発掘現場は何よりも心躍る場所だったが、彼の身分が高くなるにつれ足を運ぶ機会は減り、今回は久しぶりの現場入りだ。

 賢者がその子供に出会ったのは、全くの偶然であった。


「へんな字。ぜんぜん読めないや」


 男の子はその時、まだ八歳だった。

 遺跡発掘現場の隅で、掘り出されたばかりの石板を覗き込み、読めない読めないと文句を言っている。

 丸い頭、細い首と肩。この歳の頃の子は、体格に比べて頭が異様に大きく見える。

「坊や、普通の文字なら読めるのかね?」

「そりゃあ、神殿の先生のとこで、文字くらい習います。これからは、都会にいって仕事をするジダイになるんだから。読み書き計算くらいできないと、大きくなってから困るんです」

 まだどこか舌足らずな甲高い声で、大人の真似をして知ったような口を聞く童子に、男は笑みを深めた。


 おそらくその神殿の先生とやらが話したことなのだろう。

 シュアーディ王国は隣国との和平がなってから、都市の発展が著しい。人々が集まるところには、様々な仕事がある。この山間部の集落は王都までわずか数日の距離なので、出稼ぎに行く者も多いのだろう。


「この石板の文字はな、今使われているのとは違う、古い文字だ」

「ふるい文字?」

「かつてこのシュアーディの地も、隣のバザクルも、周りの他の国々も全部、ひとつの大きな帝国の一部であった。その帝国は、理由は分からないが滅亡し、人々は散り散りになり、やがて今のような小さな国に分かれてしまった」

「なんで国が分かれると、字がちがうんですか?」

 男の子はオレンジがかった薄い茶色の瞳で、まっすぐに賢者を見上げる。

 その両目は、子供らしい好奇心に満ちた潤みの中に、鋭く理知的な光をたたええていた。


 賢者は豊かな口髭をひと撫でし、男の子の横に並んでしゃがみ込んだ。

 発掘の際には普段よりずっと質素な服装で、土で裾が汚れても誰も苦言を呈しない。

「文字とは、時間と共に少しずつ変化するのだ。話す言葉もそう。新しい言葉が生まれたり、言い回しが変わったりする。そうすると、それを書き取る文字の方もまた、変化する。故に、国が分かれるから文字が変わるのではなく、時代が移ることで文字が変わっていくのだ。つまり、この書物はとても古いから、今とは違う文字で書かれているのだよ」

「どのくらい前の字なんですか?」

「詳しい時代は分かりかねるが……二千年は経っているだろうと言われている」

「ていこく、っていうのがなくなったのは、二千年前?」

「おそらく」

「大きな国がなくなって、シュアーディの国ができるまで、どうやって暮らしてたんですか? 国主なくしてキンコウなく、ヘイオンなく、人々はただサマヨウのみ、でしょう?」

 賢者は目を見開いて男の子を見つめた。


 ――国主なくして均衡なく、平穏なく、人々はただ彷徨うのみ――


 彼が引用したのは、シュアーディ王国が推奨する初等教育用の教本の、冒頭の一説だ。

 神殿で読み書きを習う際に暗唱させられるのだろうが、訳もわからず音だけを覚えたのであれば、今ここでその一説を口にすることはできない。

 この子は「国主なくして」すなわち、統治する者がなければ、人々は烏合の衆と化し、平穏は手に入り難いという教えの意味を、正しく理解しているということになる。


 賢者はひとつ息を吐いてから男の子に向き合った。

「シュアーディの前には、別の国があったのだ」

「別の国?」

「かつての帝国が崩壊したあと、小さな集落のような国々が点在したと考えられている。それが少しずつ大きくなり、国同士が戦って領土を広げ、だんだんと今の国割になっていった」

 賢者は落ちていた小枝を拾い、土の上に簡易な地図を描く。

 大きな楕円が古代帝国、その中央左寄りにシュアーディ王国の円、さらにそれに線を引いて小分けにしていく。


 古代帝国の全容は、未だ解明されていない。それは大陸全土を内包するほど巨大で、現在よりずっと豊かであったらしい。

 賢者や学者たちは、古文書を解読するたびに興奮し、絶望する。古代の人々はかくも知的で、多くの技術を持っていたというのに、自分たちはそれを一方的に教授されるばかり。

 知れば知るほど、今を生きる自分たちは矮小だ、無知だ、迷信者だと罵られている心地がするのだ。


 男の子は賢者の脳裏を覆う無力感になど気付くことなく、作業着の袖を引いて続きをねだる。

「最初は、山の上に小さな国があったっていうのは、本当なんですか? それって、ていこくがなくなった後ってこと?」

「その通りだ。山と水の神が我々の祖先を導き、湧水の恩恵を受けて人々は暮らしてきた。そこから少しずつ山裾に広がっていき、今のシュアーディ王国の領土まで広がった」

「ていこくが先なんだ。じゃあ、最初の神様じゃないんですね。先生、ウソついた」

 男の子の指摘に賢者はドキリとする。

「いや、嘘ではない。シュアーディにとってはまさに始まりの神なのだから」


 王国の起源たる二柱の神の話は、授業よりも先に親から聞かされる寝物語にもなっている。

 地上が荒れ果て、人々が彷徨っていると、大きな川に辿り着いた。

 しかしその水を飲んだ者は病に罹ってしまう。

 苦しむ人間を導いたのは水の神で、その声の通りに川を遡っていくと、細く小さいが清らかな湧き水に辿り着いた……水の神の導きと、山の神の守護によってシュアーディ王国が興るまでの、苦難と冒険の物語だ。


 どこまで話を知っているか確認する前に、男の子はひとりでうんうんと頷いた。

















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