第7話 罪に報いて

「ゆ、ゆえ」

「はいはい、ユエさんですよ」


「お前、どうやって……!?」


 動揺を隠せないジジイの言葉に、ユエが挑発的な笑みを浮かべた。

 その余裕ある笑みとは裏腹に、あちこち傷だらけではある。口の端からは血が滲んでるし。顔には細かい傷がある。メガネもしてない。


「屋敷の奥に連れ込んで、閉じ込めて、襲わせて? 上手く片付けたと思いました? 残念。私をどうにかしたければ、一個小隊ぐらい連れて来てもらわないと」


 話の途中で、ゴロツキ崩れがユエに殴りかかった。

 重そうなその拳を、細身に見えるユエが掌であっさりと受け止めた。


「そこまで、って言ってんでしょ」


 もう片方の手が、拳となって男の顎を打った。

 

 馬鹿みたいに重い、何かが砕けるような音が響く。

 ユエの二倍はありそうな巨漢が、一発殴っただけであっさりと地面に倒れて動かなくなった。

 ユエが男を見下ろして「しまった、やり過ぎた……後で怒られる……」とか呟いている。


「貴様……」

「あ、うっかり顎を砕いてしまいましたが、殺してはいませんよ。何せ、私は聖職者ですんで」


 傷だらけではあるものの、場にそぐわない、にこやかで、それでいて緩い笑顔を浮かべるユエに、ジジイがさすがに顔を引き攣らせた。


 明らかに暴力に慣れてる。誰かの顎を砕いて、それで笑ってる奴なんて、絶対危ない奴だ。

 オレもさすがにドン引きだ。


「アナタはあまりお話ししてくれませんでしたが、まあお家にお邪魔できてよかったです。おかげさまで色々知ることはできました。ちょっと出てくるまでが面倒で時間かかっちゃいましたけど。あ、家具とか壁とか諸々結構壊してしまいました。すみません。あと、死人は出してませんが、怪我人はいっぱいいます。アナタがけしかけたせいですけどね。一応お医者さん呼んで貰う様にお願いはしてきました。あ、お医者さんへのお支払いはお願いしますね」


 語るユエの足元、黒い革のブーツは、よく見たら何かで濡れている。

 何かで、が何かは、考えない方がいい気がする。

 懐を探ったユエが、ほら、と見せてきたのはひしゃげたメガネだ。


「メガネも壊れちゃいましたけど、これはまあ許しましょう。伊達ですし。スペアもあるんで」


 へら、としか形容できない気の抜けた笑みを見せたユエは、メガネを再び仕舞い込み、ジジイに向き直ると正面から見据えた。


「さて、息子さんを亡くされた事は、非常に残念です。ですが、息子さんの罪を無かったことににはできませんよ。助祭、女性への懸想は、まあ自由なんでそれはいいとして。拐かし、複数人で乱暴を働いたという事実は、決して許されていいものではありません」


 真面目くさった口調で、ユエが喋る。 


「この村の多くの方がご存知だったみたいですね。知っていて、誰も止められず、結果今こうして誰もが見て見ぬふりをしている。子ども一人に全てを背負わせて、自らの罪悪感を宥めるため、慰みに食べ物を分け与える程度のそれは、偽善以外のなんでもありません。実に、情けない話です」


 それはまるで、怒りを押し隠すような、そんな口調で。

 

「そして、アナタが隠したがってる息子さんの醜聞、その犯した罪も許し難いが、アナタがやろうとした事もなかなかのものですよ」


 時折微笑みを交え、それが、殊の外ユエの持つ物騒さを滲ませている。 


「教皇庁から派遣された審問官を片付けて、誤魔化せるつもりですか。いくらなんでも舐めすぎでしょ」


「……私は、何も知らん。そいつらが、己らの犯した罪を隠すためにやったことだろう」


「それが、アナタが書いたシナリオですか」


「そもそも助祭のことなど、私は知らん」


「いいえ、アナタは知っていた筈です」


「私は」


「息子さんが、素行の宜しくないそちらのお仲間さんと複数人で、助祭に良からぬことをしたことも」


「私は知らない」


「その末に、助祭が息子さんを刺してしまったことも。アナタは知っていました。助祭の父親である司祭が、その罪を隠したことも。お互いに共謀、と云えば少し語弊がありますね。互いの子がなした事、その結果に、憎しみを覚えていた。それでも、子か自分のかは知りませんが、名誉のために口を噤み、見て見ぬ振りをしたのでしょう」


「知らないと、言っているだろうが!」


「知っていたと言っているでしょう。まあ、好きなだけ喚くとよろしい。ここに、その証拠となる日記もあります」


 ユエが、懐を探り一冊の手帳を取り出した。

 茶色い革のその手帳を、ユエがぱらぱらとめくる。


「色々記してあります。司祭の罪、助祭の罪、息子さんの罪、村の皆さんの罪。もちろんご老人、アナタの罪も。罪、罪、罪、罪、罪ばかりだ」


 ジジイの顔が悔しさに歪む。今にも襲い掛かりそうな、実際ユエに襲い掛かって手帳を奪い取ってしまいたいだろう。


「証拠はあります。村人の証言もあります。観念なさい」


 しかし、いつの間に日記帳なんて見つけたんだ。よく焼け残ってたな、ってのもあるけど、教会の人間同士にしか分からない場所とか、そういうのがあるんだろうか。


「アナタの罪は、息子さんの素行の悪さを見て見ぬフリをしたこと。その罪を隠匿し、司祭の死について、教皇庁への連絡を怠ったこと。村長という位に在って、その責務を果たさずにいたこと。そして今回、それらを隠すために我ら審問官を亡き者にしようとした」


 小気味いい音を立てて、ユエが手帳を閉じた。その音に、ジジイの肩がびくりと揺れた。


「何よりも!」


 ユエが、声を張り上げる。


「何よりも許せないのは、ハオくんを傷つけた事です。子どもは、守り、慈しみ、育むべきものです。そんなことも分からないか」


 ジジイを弾劾するユエの声を、沈みゆく夕日が照らす。


「さすがの私も結構ムカついてます。しかし、私が怒りに任せてぶん殴ったらうっかり殺してしまいそうなんで、我慢します。それでも、次にその杖を振り上げれば私は容赦しません。やるなら死を覚悟してやりなさい」


 オレを散々殴ってきた杖が、ジジイの手を離れ地面に転がった。


「正直、個人的には私たちのことは一番どうでもいい部分ではありますが、恐らく面子を重んじる教皇庁はかなり重く見るでしょうね。むしろそこ以外立件できるかは怪しいでしょうし。だから私は、せいぜい怖がって見せることにしましょうか」

 

 へたり込んだジジイを見下ろすユエの顔が、優しく微笑んだ。


「アナタに与えられる罪は、決して甘いものではないでしょう。逃げるのは構いませんが、教皇庁はわりとしつこいのでお勧めはしません。大人しくお家に帰り、アナタが無下にした神に祈るがのがいいでしょう。怯え震えて教皇庁からの沙汰を待ちなさい」

 

 それで、終わり。へたり込んで俯いたジジイからは、もう立ち上がる気力すら感じられない。


 ユエが、オレに向き直った。

 その顔、タレ目と締まりのない顔に、ばかみたいに安堵して、ぼろぼろと、みっともないぐらい涙が零れた。


 そして、思い出したようにユエに縋りつく。


「……ユエ、ユエ! シンが、火が! どうしよう! オレ、どうしたらいい!?」


 ユエは、あうあうと泣いて縋るオレの頭に手を置いた。


「ああ、うん。大丈夫、落ち着いてハオくん。シンを助けようとしてくれてありがとう。大丈夫だよ。もう、大丈夫」

「でも……!」

「シンの魔術は水。火の勢いは、そこまで無かったでしょう」


 ユエの視線が、オレから移動した。

 ちょうどそのタイミングで、陽が沈んだ。夕焼けに染まっていた茜色の空が、薄闇に包まれる。

 

「見て」


 ユエが、血の滲む口の端を釣り上げる。


「シンの起こす、美しい奇跡を」


 村全体が、淡く滲む白い光に包まれた。

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