第6話 罪を犯す者

 ぱちぱちと何かが爆ぜる音を聴いた。


 いつの間にか眠っていたらしい。浮上した意識と共に認識したのは、火だ。

 あちこちで、炎が揺れている。


「は!? え、何? 火事!?」


 がばっと立ち上がって辺りを見回す。礼拝堂の至る所に、オレンジ火が上がっている。

 残された建物、残された木材を燃料にして、炎が燃え広がろうとしていた。

 どこか緩慢な勢いではあるが、確実に燃えている。


 その礼拝堂の中央に、シンは未だに座り込んでいる。

 顔は俯き、肩には白い杖。その口元は炎に照らされて尚、今もまだ何かを呟き続けている。


「シン!」


 叫んで呼べば、シンの頭が僅かに揺らいだ。


「逃げねえと!」


 駆け寄って腕を掴むも、シンの身体は逃げようと引っ張るオレに抵抗を示す。


 上げた顔、帽子の影と切り揃えた前髪の隙間から、こちらを睨む目。

 シンの目が、何か言いたげにオレを見る。

 シンの口からは、不思議な抑揚を付けた何かが紡がれ続けている。


 外は、夕暮れに赤く染まっていた。沈みかけた陽が、燃え広がろうとする炎と共に、空を茜色に染めている。


「シン!!」


 シンが、僅かな動きでオレの手を振り払った。

 逃げない、シンの態度は、そう言っている。


「なんで!? なんでだよ!?」


 シンが、小さな動きで、でも確かに首を横に振った。

 動こうとしないシンに、苛立ちが募る。


 どうしたらいいんだ。ユエなら、どうする?

 そこまで考えて、ようやく思い至る。


「……わかった。ユエを連れてくる! 待ってろ! 戻って来るから、それまで焼けないで待ってろよ!!!!」


 言いながら、既にオレは走り出していた。

 揺れる炎を超えて、礼拝堂を抜けて、村長の家へ。

 ユエは、たぶん村長の家だ。あのジジイの家。


 いや、ユエも無事だろうか。

 ユエが出て行ってから、どれだけ経ったろう。

 もしかして、ユエを探すより、別な大人を呼んできた方がいいのか?


 でも、誰がオレの言葉を聞いてくれる?


 迷いに、足がぴたりと止まった。


 教会を振り返る。

 火はちょっと不自然なぐらい緩い勢いだ。

 なんか妙に火の回りが遅い気がする。

 もしかしたら、意外と大丈夫だったりするのか? 火が、点いてはいるけど。


 いや、と思い直す。

 どんなに火の勢いが緩くても、このままじゃ危険だ。

 危険だけど、オレはどうしたらいいのか分からない。誰かに、助けを求めなきゃいけないし、ここで一番頼っていいのはユエだ。


 ユエを、呼びに行く。


 大丈夫、そう、自分に言い聞かせる。


 大丈夫。大丈夫。

 助けられる。今度こそ。大丈夫。


 今日会ったばっかの二人。殆ど知らない奴らだし、情なんて大してないし、ただ、食い物を恵んでもらっただけだし。


 でも、なんでか、死んでほしくない。

 助けて、オレの罪が許されるわけじゃないのは分かってる。


 ユーレイが見えるとか、刺青があるとか、そういうこともあるかもしれない。

 勝手に仲間だと思ったのかもしれない。

 傷を舐め合う、そんなことを期待してるのかもしれない。


 何でもいい。

 とにかく、オレはシンに死んで欲しくない。

 だから、助ける。

 助けを呼びに行く。

 

 決意と共に駆けだそうとして、何故かオレの身体はいきなり吹っ飛ばされた。


 吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられる。

 痛みが遅れてやって来た。鼻から温いものが流れ落ち、口の中には血の味が広がった。

 わけもわからず目を回すオレの襟首を、何かが乱暴に掴み上げた。


「どこまでも、目障りなガキだ」


 そこに至り、ようやく殴られたのだと理解した。

 痛みに呻き、涙に滲む視界に、オレを掴み上げるゴロツキ崩れの一人と、村長のジジイがいる。 


「さっさと片付けておくべきだったな」


 吐き捨てるように、ジジイが言って、オレの顎を強い力で掴んだ。


 何なんだ、いきなり。

 ユエと一緒にいたからか。いつも通り、オレの顔を見たら腹が立ってなんとなくか。


 乱暴に、ジジイの手が掴んだオレの顔を左に傾け、右に傾けた。ゴミを見るような視線が、オレを値踏みする。


「やはり、息子には似ていない」


「あん時ゃ、結構な奴が参加してからな。誰が父親かなんてわかんねえよ」


 ゴロツキ崩れの男が笑った。


「とんだメス犬だな」


 今までも、散々聞かされてきた言葉。その言葉に、今更、どういうわけか怒りが湧き上がる。

 今日起こった事、聞かされた話。オレはなんかもう、訳が分からないぐらい混乱してたし、限界だった。いつもなら適当に聞き流してやり過ごすそれが、殴られたより痛い。


「そのメス犬に一番執心してたのはアンタの息子さ」


 だから殺されたんだろ、そう続けて男が笑う。


「お前が死ねば良かったんだ。息子の代わりに」

「ハイハイ悪かったって。だからこうして今も協力してやってんだろ」

「金欲しさにな」


「うるせえ!!!!!」


 気付けば、叫んでた。


 殴られた顔は痛いし。吹っ飛んで地面に叩きつけられた衝撃で体中痛い。

 でも、そんなものより、ずっと痛いものがある気がした。

 震える手を強く握り込む。

 涙がこぼれないように歯を食いしばった。


「うるせえ、クソども」


 そんな話、オレの前でするな。

 メス犬なんて、そんな風に呼ぶな。

 オレの、母さんをメス犬なんて呼ぶな。

 オレの母さんは、教会で、神様に仕えてた、綺麗な、普通の人だ。

 司祭と一緒に、父親と、一緒に。

 ただ普通に、神様に祈ってた。優しい。ただの普通の人。

 メス犬なんて、呼ぶな。


 全部台無しにしておいて、そんな風に言うな。

 

「うるさいのはお前だ。母親共々、忌々しい事この上ない」


 ジジイが言い捨て、持っていた杖を振りかぶった。


 振り降ろされる杖から、顔と頭を守る。殴られる度に、腕が死ぬほど痛い。


「お前にわかるか! 息子を殺された私の気持ちが! 母親共々、人殺しのお前に!」


「そのクソ野郎のせいじゃねーか!!」


 ジジイ、アンタだってわかんねえだろ。

 母さんがいないオレの気持ちなんて。

 娘をぼろぼろにされて、その娘が産んだ子に、罪の証を刻んだジイさんの気持ちも。

 おかしくなって、人を殺すほど憎んだ、母さんの気持ちも。

 何も。何ひとつ。


「息子を殺したあの売女も! その腹から出たお前も! さっさと死ぬべきだった! 何もかも、お前のせいだ! お前と、あの女!」


「うるせえクソジジイ!!!!!」


 ヤケクソで叫んだ。一緒に、涙がこぼれた。


「母さんを、悪く言うな!!!!!」


 ジジイの顔が、憎悪に歪んだ。


 再度振り下ろされようとする杖に、オレは「あ、死ぬかも」なんて呑気なことを思った。

 言いたいことを言って、なんかすっきりした。だから、この一瞬確かにオレは、それでもいいかも、と思ったのかもしれない。


 でも、オレの頭をカチ割りそうな勢いのその杖は、横から延びてきた手が途中で止めた。


「はーい、そこまでー」


 場の空気にそぐわない、ゆるい声。

 あっさり片手で杖を受け止めたユエの背中が、オレとジジイとの間に割って入った。

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