第4話 黒い靄
ユエの脅し、というかやったのはシンだけど、とにかく、ゴロツキどもはさすがに戦意を喪失したらしい。逃げ出してこそいないものの、怯えた表情で礼拝堂の入り口近くにじりじりと下がっていってる。
一人踏み止まるジジイが、忌々し気に口を開いた。そして、オレを睨みつける。
ユエも、オレを振り返った。
「……司教が死んで、教会は火事で焼けた。それだけだ」
ジジイの口から言葉少なに語られるそれは、事実ではある。
「ふうん。それだけ、ね」
ユエがジジイの言葉を繰り返し、オレをじっと見る。
オレはどうすることも出来ず、ただ視線を漂わせた。
確かに、司祭のジイさんは死んだ。そして、教会は火事で焼けた。
それだけと言えば、それだけだ。
ベッドの中で冷たくなっている司教のジイさんを最初に発見したのは、一応一つ屋根の下、共に暮らしていたオレ。
数日前から、ジイさんは少し調子が悪そうではあった。
それでもいつも通りで、前日も同じように一日ずっと不機嫌そうに過ごしていた。変わらない日常を、過ごしていた。
オレもいつも通り、教会を掃除して、言われたとおりに勉強をして、ジイさんとは目を合わせることもなく、最低限の言葉を交わして、それぞれ夜には床に就いた。
いつもオレより早く起きて、陽が上る前から礼拝堂で祈ったりなんだりしているはずのジイさんが、その日は起きて来なかった。
それでも「余計なことをするな」と、溜息を吐かれるのを恐れたオレは、いつも通りに教会中を掃除した。
昼近くなって、さすがにおかしい気がして、ようやく寝室に様子を見に行った。
もっと早く、様子を見に行けばよかったのかもしれない。
そんなオレの後悔と共に、教会は火事で焼けた。
村長であるジジイの目が、オレを詰る。
多分、村のみんなが知ってる。疑ってる。
でも、何も言わない。誰も口にしない。
皆がオレから目を反らす。
罪の、証から。
罪人を裁くのは教会。
罪人に刺青を入れるのも教会。
司祭のジイさんは、産まれたばかりのオレに刺青を入れた。
ユエの視線は、気付けばオレではなく、僅かに逸れたオレの背後に向けられていた。
「?」
ユエの指が、かけているメガネを下げる。
虚空を睨む裸眼のタレ目が、細められた。
オレも釣られて振り返ると、オレの背後、少し離れた位置に、うっすらとした黒い靄が漂っている。
ユエを見た。
その目は、黒い靄を見ている。そう、見える。
黒い靄。オレにしか見えないユーレイ。
もう一度、背後を振り返る。そこには、黒い靄以外、見るべき物なんてないように思える。
淡い期待を抱いてユエの視線を再度確認しようとするも、既にユエは村長のジジイに向き直っていた。
「報告は、しましたか? 司教及び教会に変事があれば、報告することが義務化されています。まさか義務をご存じなかったとは仰らないでしょう? そんな不心得者に村一つ任せることはできません。教皇庁の者としては、問題ありと断じるしかありません」
「……報告はした」
「そのような形跡はなかったようですが」
「出した報告を教会がどうしたかは知らん」
「なるほど?」
吐き出すように言うジジイに対し、ユエはあくまで疑っている様子だ。締まりのない笑顔は、どことなく意地が悪い。
視線から逃れる様に、ジジイが目を反らした。
ユエは僅かに何かを考えるような素振りの後で、メガネを外した。
ユエの目が、探るように見つめる。ジジイと、その背後を。
そこには、やはり黒い靄、ユーレイが漂っている。
「……あなたには、息子さんがいましたね。結構前に亡くなられたようだ」
おもむろに、ユエが発した言葉に、ジジイが目を見開いた。そして、忌々し気に吐き出す。
「それが、どうした」
「…………へえ、殺された?」
ジジイの疑問には答えず、首を傾げ、問うその口調はあくまで軽い。
何かから、まさか、ユーレイから? 読み取るような様子のユエは、黒い靄に向かって頷いた。そう、見えた。
ユーレイは、オレにとってただ漂うだけの黒い靄。稀に人の形をしていることもあるし、顔が見えることもある。
でも、それだけだ。ユーレイは言葉を発したりしないし、音も立てない。
「刺された。たくさん人がいて」
急に虚空から何かを読み取るみたいに話し始めたユエを、ゴロツキたちは一層怯えたものを見る目で見ている。
理解できない異物を見る目。気味が悪いものを見る目だ。
ジジイの、杖を持つ手が震えている。
「なぜ、アレの話を……いや、いい。なんでもいい。やめろ」
「女の人だ。息子さんは女の人を、抑え込んでいて」
「やめろと言っているんだ」
「幾人かで、女の人を囲んで」
「やめろ!!!!!」
声を荒げたジジイに、ユエはお喋りを止めた。
再びメガネをかけたユエは、ぼんやりと立っていたシンを振り返った。
「ちょっと村長さんのお家にお邪魔してきます……ね、村長さん、いいですよね?」
締まりのない笑顔でそう言って、村長のジジイにもその締まりのない笑顔を見せる。
「……話すことなど無い」
「強情だなあ。息子さんの事とか聞かせてくださいよ。ね?」
「教会には関係ない」
「それは、アナタが決めることではありません。シン、後を頼みます」
ユエの言葉に、シンが無言のまま頷く。
ジジイ達に続いて去ろうとするユエの服を、気付けば、オレの手が掴んでいた。
止められたユエがオレを振り返り、メガネの奥の目がオレを見下ろす。
「……あー、えっと、…………その……ひとりじゃ、危ないんじゃねーのか」
「心配してくれるんだ? ハオくんはイイ子ですね」
「べっ、べつにそういうわけじゃ……わっ」
イイ子イイ子、とか言いながらぐしゃぐしゃと、ユエの手が乱暴にオレの頭を搔きまわした。身を捩ろうと藻掻くも、頭を押さえられる。
そんなこと、初めてされた。
「大丈夫ですよ。実はこれでも結構荒事には慣れてるし、危なくなったらちゃんと逃げてくるから」
しゃがんでオレと目線を合わせたユエが、オレの顔を覗き込む。
メガネの奥の目が、微笑んだ。
「それに、言いたいことはそれじゃないでしょう?」
潜められた声。
「……っ」
すぐに立ち上がったユエは、もう一度オレの頭を掻きまわした。
「見えてますよ」
微笑みをひとつ残して、ユエは出て行った。
「たぶん、君よりも、ずっとはっきりとね」
去り際に、そう呟いて。
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