第3話 魔術士と刺青

 オレを縛るロープを外そうと伸ばしていたユエの手が止まり、声がした入り口を振り返った。

 代わりに、サンドイッチを食べ終えたらしいシンがロープを解いてくれた。


「アナタは?」

「司教は三か月前に死んだ。教会の者がこの村に何の用だ」


 ユエの質問には答えず、礼拝堂に入って来たジジイは、手に持った杖で床を鳴らした。

 その音を合図にか、分かりやすくいわゆるゴロツキ崩れの連中が六人、ジジイの後に続いて礼拝堂に踏み入って来た。


 友好的とは程遠い態度。

 威嚇用らしきゴロツキ崩れの連中は元より、ジジイも含めて、明らかに敵意ってやつが剥き出しだ。


 ゴロツキ崩れの連中も、ジジイも、まあ村で生きてれば嫌でも知ってる顔である。

 ゴロツキ崩れが、見掛け倒しでなく本当に素行が悪い連中であることを知っているし、ジジイがその杖で誰かを殴るとこもそこそこ目にしてきた。

 誰かってのは、大抵ちょっとミスった使用人。

 そしてたまに、気に食わないクソガキの、オレ。


「誰?」


 ジジイに聞いても無駄だと悟ったらしいユエが、オレを振り返った。

 無視されたジジイが、肥溜めでも眺めるような目でオレを見る。

 無視したのはユエだけどな。


「……村長」


 まあ、そもそもオレがここいることも、教会の人間と言葉を交わすことも気に入らないんだろう。なんなら、オレが息吸っていることすら気に食わないだろうジジイだ。


「へえ?」


 ユエが、目を細めた。


「なるほど、村長さんでしたか。始めまして、丁寧なご挨拶もろくになくどうも。周りの方たちもこんにちは。私は教皇庁から派遣されて参りました、審問官のユエと申します。隣にいるのは同じく審問官で弟子のシンです」


 村長のジジイは気に入らないと言った風に鼻を鳴らし、周囲の破落戸連中も下品に笑った。

 今にも殴り掛かりそうな様子で拳を鳴らす者たちの只中で、ユエはへらへらとした笑みを崩さない。

 肝が据わってるのか、馬鹿なのか。危機感が足りてないんじゃないか。

 ユエみたいな細長くて弱っちそうな奴が、あんな丸太みたいな腕の奴らに殴られたらひとたまりもない。


「村から出て行け」


「それは私の裁量ではなんとも。まあ、何の問題もなければすぐ出て行きますよ。次の司祭と助祭の派遣、その手続きに必要な報告さえできるのであれば、この村の流儀に口を出す気もありません。ああ、でも」


 ユエが、勿体ぶった様子で言葉を区切った。


 オレの横に立っているシンが、いつの間にか長い杖を携えていた。

 先端には紺色の石がついている、オレの背丈ほどもある長くて白い杖。ジジイの杖とは明らかに用途が違いそうな杖だ。

 その杖を持つシンの口が、小さく何かを呟いている。


「教会が焼けていることは、問題かな」


 ユエが浮かべる表情が、ヘラヘラした笑みから、挑発するようなものに変わった。

 そして、その発した言葉に、オレの鼓動が跳ねる。


 ユエの笑い方が気に入らなかったらしきゴロツキの一人、一際大きな体躯の大男が無言で前に出た。


「詳しく聞かせていただいても?」


 それでも、ユエはジジイに向ける言葉を止めない。

 ジジイも、特に大男を止めようという素振りもない。


 跳ねる鼓動、それは一旦置いといて、オレは隣に立つシンの服の裾を引き、小声で語り掛けた。


「なあ、あいつやられちゃうぞ」


 シンは、オレを無視して何かを呟き続けている。


「なあ! あぶないって!」


 焦るオレに、構う者はいない。


「やましいことがないなら、悪いようにはしませんよ。やましいことが、ないならね」


 ユエをぶちのめそうとする拳が振り上げられるのとほぼ同時、シンが、手にした杖で床を打った。


 目が眩むほどの眩い光、爆風のような衝撃。

 何かが、大きな音を立てた。

 床に白く光る線が円を描き、目が眩むほどの眩い光を放つ。

 叩きつけるような風に、オレは思わず腕で顔を覆った。


 一瞬だけ吹き荒れた爆風が収まり、シンとユエとオレを囲うようにして、強く光った魔法陣が消える。


 ユエを殴ろうとしていた大男が、礼拝堂の入り口近くまで吹っ飛ばされていた。

 ピクリとも動かない大男と、シンとを、全員が恐々と眺めている。


「なんだあれ……」

「魔術だ……」

「……ま、魔術士」

「ばけもの……」


 口にされる囁き声が、一つの結論を導き出す。シンを、魔術士と断じるまでに、時間はそうかからなかった。


 常人にはない力。選ばれし者。災厄の化け物。

 魔術士を意味する言葉は多い。

 その存在は、極めて稀である。ただ、化け物じみた力で、災厄を引き起こす存在と囁かれている。

 恐怖と、畏怖。

 未知の物に対する恐れは、全ての者が持つシンプルな感情だ。


 魔術士であるシンを見る目、そのシンを連れているユエに対する感情が、一瞬で塗り替えられた。


「し、しんだ……?」

「吹っ飛んで気絶しただけ。死んでない」


 見上げるシンの頭からは、衝撃に飛んだのか、黒い帽子が消えていた。

 帽子で抑えられていた長い前髪の隙間から、隠れていた三白眼が覗く。


「おまえ……それ……」


 そして、そのシンの額。


 黒い十字の刺青は、人殺しの証だ。

 シンの額、左のこめかみから右のこめかみまで、幾つもの十字の刺青が並んでいた。


 たぶん、傍にいたオレにしか見えてない。でも、オレにはしっかり見えた。


「…………」


 無言のまま、オレを見下ろすシンの目つきに背筋が冷える。


「弟子が、失礼を」


 気の抜けるようなユエの声が、静まり返った礼拝堂に白々しく響いた。

 そのユエの手が、いつの間に拾ったのか、シンの頭に黒い帽子を乗せる。


「お話を、聞かせてくださいね?」


 未知なる災厄、魔術士を従えた審問官。

 ユエは、驚愕に固まる村長らを見渡し、へらりと笑った。

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