第2話


 梨香子は飲み会帰りらしい。

 上機嫌な様子で、顔がアルコールのせいか赤い。


 いつもどおりのラフな格好にベースボールキャップをかぶっている。

 真帆乃とは雰囲気がかなり違うが、顔立ちはよく似た美人だ。

 

 信一も真帆乃も硬直した。抱き合って身体を密着させ、まさにキスしようとしているところに、まさかの妹が帰ってきたわけだから。


 梨香子は信一と真帆乃を見ると、「あーっ」と不満そうな表情を浮かべる。ちょっと頬が赤い。


「お兄ちゃんと姉さんが子作りしようとしている!?」


「こ、子作りって梨香子ちゃん、言い方を考えて……」


「違うの?」


 梨香子に言われ、信一は言葉に詰まる。

 実際、そういうことができれば、なんてことも考えていたけれど。


 前回、同居を決めた日もあと少しでベッドになんていう流れで、梨香子に阻止されていた。

 今回もだ。


 なんといっても、同棲とほぼ同時に、梨香子がこの家に転がり込んできてしまったのだから。

 信一とルームシェアするつもりだったという梨香子は、信一と真帆乃が同居すると聞いて、強硬手段に出たわけだ。

 19歳の女子大生の梨香子はここから大学に通うことにしたらしい。


 真帆乃の妹だから、たしかに同居するのはおかしな話ではないのだが……。

 結局、信一が真帆乃との距離を詰められていないのは、梨香子が最大の原因だ。もちろん、真帆乃の奥手な性格もあるのだけれど。


 いい雰囲気になったときに、こうして梨香子が颯爽と登場するわけで。


「コンパの二次会行かずに早めに帰ってきて良かったよ~! お兄ちゃんと姉さんが子作りするところだったから」


「子作り子作り連呼しないで!」


 真帆乃が真っ赤な顔で叫ぶ。梨香子はジト目だった。


「なら、そろそろお兄ちゃんから離れたら」


 ずっと真帆乃は俺に抱きついたままだった。

 真帆乃は「あっ」という顔で慌てて立ち上がってしまう。

 

(あ、あと少しでキスできたのに……)


 梨香子がえへんと胸を張る。


「あたしの目が黒いうちは姉さんの好き放題にはさせないんだから」


「り、梨香子~!」


「そんなに怒らないでよ」


「私と信一は彼氏彼女なの! なんで邪魔するわけ」


「だって、フェアじゃないもん」


「は?」


「あたしだって信一お兄ちゃんのこと好きだったんだから! ちょっと先に再会したからって姉さんに奪われるのなんて納得いかないよ」


「さ、再会したタイミングの問題じゃなくて、信一は昔から私のことが好きで――」


「今は違うかも。ね、お兄ちゃん♪ 姉さんより女子大生のあたしの方が魅力的じゃない?」


 そう言うと、梨香子は信一の目の前にかがみ込んだ。ボーイッシュな雰囲気の服装だけど、ちゃんと女性らしい魅力もある。

 

(というかありすぎるというか……)


 梨香子の大きな胸が軽く揺れる。

 あっ、と梨香子が嬉しそうに笑う。


「いま、あたしの胸見たでしょ~?」


「み、見てないよ?」


「信一お兄ちゃんってば、嘘つきだ。あたしも大人になったから、仕方ないよね」


「嫌な気分にさせたならごめん」


 梨香子はきょんとした表情になる。それから、にやりと笑った。


「お兄ちゃんってば、そんなこと気にしなくて良いんだよ? あたしはお兄ちゃんを大好きだから、女として見てくれるのは嬉しいな」


「……大人をあまりからかわないでほしいな」 


「冗談を言っているわけじゃないよ。お兄ちゃん。ね? 今からでも姉さんからあたしに乗り換えない?」


「悪いけど、俺は真帆乃のことが好きだから」


 梨香子がこんなに信一のことを好きだとは、予想外だった。

 

(梨香子ちゃんにはほんとに悪いんだけどね……)


 かつて助けられなかった罪悪感もあるのに、今度はこうやって告白を断らないといけない。

 そのことが少し心が痛む。


 ただ、信一にとって梨香子は妹みたいな存在だった。信一が高校生のときはまだ梨香子は小学生だったし。

 もっとも梨香子はその頃から信一のことが好きだったようだけれど。

 

 梨香子は「残念」とつぶやくと、立ち上がった。


「でも、姉さんがうかうかしていたら、あたしが信一お兄さんを奪っちゃうからね?」


 そして、梨香子はふふっと笑うと、「ちょっとだけ二人きりにしてあげる♪」と言って、シャワーを浴びに行った。


 ああ見えて、梨香子も気を遣っているのかもしれない。

 そう信一が言うと、真帆乃は「まさか」と肩をすくめた。


「気を遣っているなら、梨香子も私と一緒のベッドで寝るなんて駄々をこねないでしょ?」


「まあ、たしかに……」


 信一と真帆乃の寝室が別々なのも、原因は梨香子にある。真帆乃と梨香子が同じ部屋で寝ているからだ。

 結果として、信一と真帆乃が同衾することを阻止している。梨香子は「お兄ちゃんも一緒に寝る?」なんて聞いてきたけれど、もちろんうなずけない。


 キスをする雰囲気ではなくなって、真帆乃が「はあっ」とため息をつく。

 信一は苦笑すると、真帆乃の肩をぽんと叩く。


 真帆乃は上目遣いに信一を見た。


「ねえ、信一もほんとはピチピチの女子大生の方が良いんじゃないの?」


「ピチピチっていまどき言わないよね……。それはともかく、そんなことないよ。俺の一番は真帆乃だからさ」


 耳元でささやくと真帆乃がぽんっと顔を赤くした。そして、嬉しそうに笑う。

 

「ありがと。ちょっと不安になっちゃった。でも……」


 真帆乃がちゅっと信一の頬にキスをする。

 ひんやりとした感触が心地よい。


「お、お礼ね?」


 ふふっと真帆乃は笑った。

 

「そうだ。梨香子がシャワーから出てきたら、三人で映画でも見ない?」


「いいね」


 なんだかんだいっても、三人での生活も悪くない。信一、真帆乃、梨香子の三人は幼馴染だけあって、趣味も似通っている。

 それはそれで、いろいろ一緒に遊べて楽しいのだ。失ってしまった八年間を取り戻しているような気分になる。


「娘ができたら、梨香子ちゃんみたいな感じかもね」


「む、娘って、私と信一の?」


「もちろん」


「そ、そうね……」


 真帆乃が顔を赤くして目をそらす。

 想像してしまったらしい。ソファの上に真帆乃を押し倒したくなるが、ぐっと我慢する。

 

 真帆乃がぽんと手を打つ。


「そうそう。そういえば、私も来週から異動になるの」


「え? 復帰できるの?」


「そうじゃなくてね」


 真帆乃が小声で言ったのは、意外な部署だった。

 警視庁警務部監察官室。


 警察官を取り締まる「警察のなかの警察」だ。




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