第5話 二人の今後

 数日後、信一は退院した。誘拐された女性警察官を身を挺して救ったということで、信一の警察内部での評判は上がっているようだった。

 結果として犯人確保にも成功している。


 警部補への昇任にも有利になるだろう。キャリア組以外の警察官(いわゆるノンキャリ)では、28歳が警部補への最短の昇任になる。

 実は信一もそれを狙っていた。


 実現すれば、信一も本庁の捜査一課に所属したり、出世コースの公安へと移動したり、といろいろな道がひらけてくる。

 警視庁の部長、警視監というノンキャリ警察官の頂点を極めるのも夢ではない。


 周囲もそれを期待してくれている。

 佳奈は「わたしの先輩ならきっとできます!」なんて言って目をキラキラ輝かせてくれるし、係長は「未来の捜査一課長ですね」なんてからかってくる。


 最近、特に出世に興味を持ち出したのは、真帆乃と再会したからだ。真帆乃を支え、真帆乃と釣り合う存在になるには、信一も偉くならないといけないと思ったのだ。


 ただ……その真帆乃の地位はかなり怪しくなっている。

 真帆乃が誘拐されたのは、現金輸送車が強奪された銀行の現場検証に赴いたせいらしい。


 そこに犯人グループの一部が舞い戻り、鉢合わせになって真帆乃は人質としてさらわれた。

 多くの刑事が忙しく働く中、真帆乃のそばには多くの刑事がいなかったのも原因だった。


 真帆乃は被害者だが、これはやはり失態だとみなされているようだった。もともと減点主義の官僚組織では、警視庁捜査一課の管理官が事件捜査の最中に誘拐されるというのは今後も大きなハンデになるだろう。


 真帆乃は警視庁捜査一課の管理官を外れ、警察庁長官官房付に異動する予定だという。

 特定の業務のない待機ポストであり、真帆乃は出世コースを外れた可能性が高い。


 真帆乃の気持ちを思うと、信一は心配で仕方なかった。

 そんな真帆乃のマンションを、信一は訪ねていた。土曜日の昼過ぎだ。


 事前に真帆乃にも知らせてある。


 インターホンを押すと、すぐに真帆乃が出てきた。


「はーい。信一、来てくれてありがと」


 真帆乃はそう言って、明るい笑顔を見せた。ラフな部屋着だが、カーディガンを羽織ったお洒落な格好で、とても可憐だった。


 真帆乃の普段のカッコいい雰囲気を出しつつ、女性らしい可愛い雰囲気もある。ついでに、冬なのになぜかショートパンツ姿で白い脚が目にまぶしい。


 信一が真帆乃に見とれていると、真帆乃がちょっと恥ずかしそうに微笑む。


「その部屋着、すごく似合ってるね」


 聞かれる前に、信一は言う。真帆乃は照れたように頬を赤らめた。


「ありがと。私と同居すれば、毎日でも私の部屋着姿が見られるけど、どう?」


「それは魅力的だね」


 信一が冗談めかして言うと、真帆乃はくすくすと笑った。


 そう。

 信一は、真帆乃とのルームシェアについて話をしに来たのだった。


 まず、結論から言うべきだろう。

 信一が口を開きかけると、真帆乃が右手の人差し指で信一の唇を塞ぐ。


 真帆乃の細くて白い指の感触に、信一はどきりとした。

 そして、すぐに真帆乃は指を離した。


「まずは上がって行ってよ。晩御飯も作ってあげるから」


「真帆乃の手料理が食べられるんだ」


「嬉しい?」


「もちろん」


 信一が微笑むと、真帆乃も嬉しそうにうなずく。

 二人は廊下を歩いて行く。家主の真帆乃が自然と先を歩くから、その女性的な身体が目の前にある。


 ほっそりとした白い生足や、丸みを帯びたお尻を意識して見てしまい、信一は罪悪感にとらわれる。

 真帆乃と二人きりで同居したら、毎日のように真帆乃を異性として意識する羽目になりそうだ。


(こんな恥ずかしいことを考えているのは、俺だけなんだろうな……)


 内心を真帆乃に知られたら、どうしようと信一は心配になった。


 そんなとき、真帆乃が突然立ち止まる。そして、まじまじと右手の人差し指を見つめた。


「真帆乃? どうしたの?」


「いえ……えっと、この指で私は信一の唇を塞いでいたのよね?」


「? そうだけど?」


 真帆乃は何も言わず、人差し指を自分の唇に近づける。そして、その指をぺろりと舐めた。

 その妖艶な仕草に、信一はどきりとさせられる。


 そして、真帆乃は信一に甘えるような笑みを浮かべる。


「信一の味がする気がしたの」


「そ、そうなんだ……」


「間接キス、よね?」


 普通の間接キスは、飲み物の回し飲みとかで、唇を塞いだ指を舐めるのはよりセンシティブな行為な気もする。


「そうかもしれないけど、真帆乃って意外と……」


「変態かしら?」


「いや、俺も他人のことを言えないな……」


 信一はつぶやいてから、しまったと思う。これでは信一も性的なことを考えていたと白状しているようなものだ。


 案の定、真帆乃は「ふうん」とちょっと嬉しそうな顔をする。


「ねえ、信一はどんなことを考えていたの?」


 真帆乃が後ろ手を組んで、上目遣いに信一に尋ねた。

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