第491話 ULキャンプです! その六
十月のうろこ雲の下、電動自転車が荒川の土手を疾走していた。
「ぶいーん、ちりりん、ちりりん」
「きゅい〜」
先頭を走るは赤いサロペットスカートと、くるくる癖っ毛がかわいらしい少女の
「
「紅子ちゃん! 前からちゃんこ部が走ってきましたよ!」
「わかった〜」
「ブブブブブ」
少女の後ろを追走するのは、黒乃とメル子だ。二人の背中には、小さなリュックサックが背負われている。
三人は秋の涼しい風に逆らうようにペダルを漕いだ。日差しは柔らかく、空気は透明で湿り気が少ない。いつまでも走っていられそうな気持ちのよさが、三人の前髪を揺らした。
間もなくすると、目的の河川敷へとたどり着いた。自転車を降りて川面に近づくと、町の喧騒が水の音に取って代わった。夏の間に逞しく伸びたヨシの林を抜けると、ぽっかりと開けた空間が現れた。ここが黒乃達お気に入りのキャンプスポットだ。
黒乃はリュックサックを下ろすと、中からドヤ顔で一枚の座布団を取り出した。
「さーて、始めますか!」
「ザブトニングでモーニングキャンプですね!」
「ゆ〜える〜」
さて、ここで毎回のことではあるが、説明をしなくてはならないだろう。
ザブトニングとは、黒乃が生み出した独自のキャンプスタイルで、座布団一枚でキャンプを楽しもうというものだ。これは椅子一つでキャンプを行うチェアリングをさらに突き詰めた、お手軽さを重視したものだ。
モーニングキャンプも同様に、日帰りキャンプであるデイキャンプをさらにお手軽にしたスタイルだ。デイキャンプは日帰りだが、モーニングキャンプは午前中で帰るのだ。
どちらも、荷物が軽量なのが特徴だ。これらは超軽量という意味のUltra Light、略してULキャンプと呼ばれている。
三人は座布団を地面に敷いた。それに座ると、ぐっと地面が近づく。いや、自然が近づいてきたと言っていい。
「ご主人様! 気持ちがいいですね!」
「気温も今くらいが一番いいね」
「かわにてがとどく〜」
紅子は必死に手を伸ばしたが、水面までは数メートルあるので、もちろん届かない。それほど近く感じるのだ。ザブトニング効果だ。
黒乃はリュックサックからポーチを取り出した。
「あれ? ご主人様。今日はいつもよりも荷物が多いですね」
「ふふふ、今日は炭火を楽しもうと思ってね」
「炭火ですか! いいですね!」
ポーチの中には
「いやしかし、ご主人様。炭火を楽しむと言っても、炭火台がないではないですか。あんな大きなものリュックに入るわけがありませんし」
「くくくくく」
「ワロてますが」
黒乃はさらに長さ三十センチメートルのポーチを取り出した。メル子がそれを手に取ると、硬い板のようなものが入っていた。
「なんでしょうか、これは? 重さは三百グラムしかありませんね」
「ふふふ。これが炭火台だよ。ご主人様の手作りさ」
「このペラペラの板が炭火台!? しかも手作りですか!?」
黒乃がポーチを開けると、中から大きな板状のものが一つと、薄い網状のものが二枚出てきた。
「これはね、チタン製の焚き火台ね。浅草工場にいって、余ってるチタンがないかアイザック・アシモ風太郎先生に聞いたら、快く譲ってくれたよ。ついでに工作室も使わせてもらった」
「浅草工場は、なんでも言うことを聞いてくれる便利屋さんではありませんが……」
プルプルと震えるメル子の横で、黒乃は焚き火台の組み立てに入った。折り畳まれた大きな板を広げると、ボックス状になる。これが外板だ。そのボックスの中段に網状の板をはめ込む。ここに炭を置く。上段にも同じように網をはめ込む。ここが焼き面だ。
「ほえ〜。コンパクトですけど、しっかりとした作りですね」
「うん、網を二枚はめ込むことで、ボックスがしっかり支えられるのさ。耐荷重はなんと五キログラム。ご主人様の設計よ」
「器用ですねえ」
黒乃は中段の網に炭を並べた。その中に火のついたサイコロのようなものを差し込んだ。
「それはなんでしょうか?」
「これは点火キューブね。天然成分だけで作られた固形着火剤だよ。これで簡単に炭起こしができるのだ」
黒乃の言うとおり、点火キューブが激しく燃え、火柱が上がった。
「これ一個で五分間燃えるから。あとは、二十分間放っておけば炭起こし完了」
「簡単でいいですねえ」
ときおり聞こえる炭が弾けるパチパチという音。ヨシの林が風でそよぐ音。紅子に抱っこされたモンゲッタがうなる音。河川敷は、大都会の存在を吹き飛ばしてしまった。
灰で白くコーティングされた炭が、いよいよ真っ赤に染まり出した。これで炭起こしは完了だ。炭火台に綺麗に並べる。
「あっちっち! さあ、炭の準備はもういいよ!」
「ではいよいよ、この子達の出番ですね!」
「さんま〜」
メル子が袋から取り出したのは、艶のある光沢を放つ三匹のサンマだ。引き締まった顔に澄んだ瞳は、新鮮さの証だ。
「ぐふふ、秋といえばサンマ。今日は炭火でサンマを焼いて食べちゃおうよ!」
「はい!」
メル子はさっと塩を振った。これはサンマの臭みを抜くのと同時に、タンパク質を凝固させ皮を強化し、焼いた時に破れにくくする効果がある。
サンマを網に乗せた途端、期待したとおりの音が鳴り響いたので、三人は思わずにんまりと笑った。
パチパチパチ、ジュジュ、ジュ〜。
「これこれ! 炭火の醍醐味といえば、この焼ける音! あじゃッ!」
顔を近づけすぎたため、跳ねた油が黒乃の丸メガネを襲った。
「こやつ! 焼かれてなお、我に挑みくるか!?」
「ほざいていないで、大根をおろしてください」
「うん」
メル子がサンマを焼いている間、黒乃と紅子は大根をおろした。メル子はここぞという瞬間を見計らい、サンマを素早く裏返した。
「おお! いい焼き目!」
「我ながら完璧なタイミングです」
「おいしそ〜」
するとそこへ、巨漢の力士軍団が現れた。
「クロちゃん!」
「ん?
「黒乃山!」
「黒乃山!」
「ごっちゃんです!」
「黒乃山サン!」
「ちゃんこ部の皆さん!? なぜちゃんこ部がここにいますか!?」
彼らはロボヶ丘高校ちゃんこ部の部員達だ。汗だくのムチムチお肌を白ティーで隠した彼らは、へとへとになりながら黒乃達の周りに座り込んだ。
紅子は走って鏡乃の胸に飛びついた。鏡乃は汗だくの白ティーで少女を抱き締めた。
「えへへ、鏡乃達もサンマ持ってきた!」
「ええ!?」
鏡乃は買い物袋を前に突き出した。その中には大量のサンマが詰め込まれていた。
「メル子、焼いてよ!」
「なんですか、急に押しかけてきて!」
「だって、朝にサンマ焼きにいくって言うから、食べたくなっちゃったんだもん」
「しょうがないですね」
メイドロボのサガなのか、文句を言いつつもおもてなしの準備に入った。そうこうしているうちに最初のサンマが仕上がった。
「焼き上がりましたよ!」
「うひょー! これ、これぇ!」
黒乃は爛爛とした目でサンマを見つめた。炭から下ろしたばかりのその身の表面には、熱で焼けた皮がプクプクと動いていた。炭に落ちた脂が熱で分解され、独特の香ばしさをその身に与えていた。
「「いたーだきーます!」」
黒乃は醤油をぶっかけた。頭と尻尾を手で持ち、腹にかぶりつく。焼けた皮が唇に触れ、柔らかい身が前歯に触れ、染み出してきた脂が舌に触れた。
「ハフハフ! うまっ! この柔らかさよ!」
メル子はポン酢をぶっかけた。丁寧に箸で身をつまみ、おろしといっしょに口の中に放り込んだ。
「ホフホフ! 脂が甘くておいしいです! このワタの苦さも加わって、大人の味わいです!」
紅子はすだちを絞った。そして両手で持つと、そのまま齧り付いた。メル子が焼く前に、頭と骨を抜き取る処理をしていたのだ。
「おいし〜。でもワタはにがいから〜、いらない〜」
ワタはモンゲッタが食べた。
黒乃は唐辛子をかけた。メル子はごま油をかけた。モンゲッタは紅子が残した尻尾を食べた。食べて食べて、あっという間にサンマはお空のうろこ雲になった。
その様子を、ちゃんこ部はよだれを垂らしながら見ていた。
「メル子〜、早く焼いて〜」急かす鏡乃。
「お任せください!」腕まくりをするメル子。
のんびりと楽しむはずのULキャンプが、思いもかけず慌ただしいものになった。
「まったく、お前らには美食ロボ部があるだろうよ。なんでわざわざ河原にくるのさ」
「黒乃山! 俺らが出会ったのも、ここだぜ! 思い出の場所なんだぜ!」
部長のまるおは懐かしそうに語った(386話)。
「ああ、そうだっけか」
「まあ、ご主人様が焚き付けたから、相撲部からちゃんこ部になってしまったのですけどね……」
「ええ? そうだっけ?」
サンマが焼き上がった。部員達は大喜びでサンマに齧り付いた。サンマパーティは大いに盛り上がり、話題は来月行われる『特別合同課外授業』に移った。
「なんでも、島での行動は部活動ごとに別れてるそうだぜ」
「まるお部長! 初耳です!」
「鏡乃山サン! パンフレットに書いてありまシタ!」
ロボヶ丘高校では、すべての生徒がなんらかの部活に所属しているので、部単位の行動が可能なのだ。
「どんなホテルに泊まるのか、楽しみッス!」
「ちゃんこは出るッスかね!?」
「でかお! ちゃんこはないだろ!」
皆、いっせいに笑った。その中で、紅子だけは頬を膨らませていた。
「ずるい〜」
「ん? どした? 紅子」
紅子は母の腕から飛び出ると、鏡乃にしがみついた。
「
「どこへ?」鏡乃は聞いた。
「なんとかじゅぎょういきたい〜」
皆、お互いの目を見合わせた。メル子がすかさずフォローに回った。
「紅子ちゃん。この授業は中学校と高校で行われるものですから、小学生は参加できませんよ」
「いきたい〜」
紅子は駄々をこねた。黒乃はそんな紅子を黙って見つめた。紅子は好奇心が強い娘である。隅田川博士と荒川博士の子供として生まれ、何者かの手によって量子状態にされてしまった(210話参照)。以来紅子は、存在する状態と存在しない状態が曖昧なままこの世をさまよってきた。それはとても寂しい生活だった。
黒乃の持つ『マスター観測者権限』により、存在が確定する時間が多くなった紅子は、再び人生を歩き始めた。だからこその強い好奇心なのだ。
とはいえ、これはどうすることもできない。大事な学校の行事なのだから。黒乃は紅子を抱きかかえた。
「鏡乃おばちゃんの土産話を、楽しみに待っていようよ」
「ぷー」
「おばちゃん!?」
紅子は頬を膨らませたが、かろうじて納得したようだ。
「鏡乃山! 高校生なのに、もうおばちゃんだぜ!」
「ぷー」
今度は鏡乃が頬を膨らませる番だ。河川敷は再び大きな笑い声で包まれた。
黒乃達は、使った炭を火消し袋に入れてしっかりと持ち帰った。
「貴様らーッ! 炭はこうやって処理するんだぞー!」
「「ハイッス!」」
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