第7話 茉莉のからかいとバレーボール

 九月の某日。


 晴樹は大学の講義を終えた後、バレーボールサークルの仲間と共に体育館へ来ていた。


 体育館は大学の敷地にある方ではなく、電車で二駅ほど移動した先にある方だ。


 サークルの代表が正規の契約で週に一度だけ借りているため、利用できている。


 サークルのメンバーは22人。


 男女比は大体半々で、バレーボール経験者も初心者も所属している集団であり、試合に勝ちたいとか上手くなりたいというよりも、楽しみたいをモットーに活動している。


 ルーティーンとしては集まった人からウォーミングアップをし、スパイクやレシーブなどを軽く練習したら、さっそく試合をするといった流れである。


 晴樹は今、到着したばかりなので準備体操をしているところで、入念に身体を伸ばしていると、背後からくすぐったい声が聞こえてきた。


「晴樹さん、ちょっとストレッチ手伝ってくれない?」


 背中を押してほしい、と茉莉が頼み込んできた。


 そもそも茉莉はこのサークルのメンバーではないのだが、それではなぜ現在進行形で晴樹と言葉を交わしているのか。


 遡ること二日前。


 茉莉は晴樹がバレーボールサークルに参加している事実を知り、「迷惑じゃなければ私も参加したい」と宣ったのだ。


 サークルの代表に話を通すと、二つ返事で了承を得た。


 女子だという情報が決め手のようなリアクションであった気がする。


 それからバレーボールをするための準備を整え、今日に至るのだ。


 茉莉の頼みに対し、自分なんかでいいのかと胡乱に思いながらも、晴樹は振り返った。


 すると、そこにはポニーテール姿の茉莉が佇んでいた。


 ただ髪をまとめただけなのに、どうしてこうもたおやかに見えるのだろうか。


 きっと普段だと見えていない部分、例えば耳などがポニーテールだと露わになるわけだが、そのような隠れている肌が解放されるという非日常への脱却に近似した行為が、衣服の着脱の目撃を疑似体験しているかのように錯覚させるからこそ、男心をくすぐるに違いない。


 そんな艶やかな茉莉は後ろ手を組み、どこか心許なそうな瞳でこちらを見据えている。


 何か悪いことでもしてしまっただろうかと晴樹は自身の行いを顧みつつ気がかりを覚えるが、理性に従い、言うべきことを言う。


「ストレッチなら僕じゃなくて女子に頼めよ。ほら、あっちに固まって喋ってるし」


 晴樹が指を差した方向には確かに五、六人で談笑している女子のグループがある。


 しかし、茉莉はお構いなしに晴樹の眼前にペタンと座り込む。


「だって知らない人しかいないから気まずいよ。それに、その、男の人の視線もちょっと、ね」


「僕だって男だが」


「晴樹さんはいいの。毒にも薬にもならなそうだし」


「それを聞いて僕はどんな反応をすればいいの?」


「そういう反応を待ってたよ」


 クスッとはにかんで、茉莉は背中を晴樹の方へ向け、脚を扇のように広げる。


 身体が固いからゆっくり押してほしい、と茉莉は言った。


 晴樹は息を吸って吐くまでの間に悩んで、それから押すことに決めた。


 茉莉がサークルに来たいと頼んできたとはいえ、連れてきたのは晴樹であり、ここで野放しにするのはいささか薄情だと感じたため、あくまで面倒を看るというていで承諾したのだ。


 晴樹が茉莉の背中に手を置くと、人肌特有の温もりと上手く言語化できないが、一発で女の子の背中だとわかるような繊細な感触が伝わってくる。


 それ以上は余計なことを考えないようにと、素数を数えながらストレッチに従事することにした。


 だから、本来は1、2、3、4、5とカウントしていくところを2、3、5、7、11と口が素数に乗っ取られてしまった。


 その失態を茉莉が聞き逃さないわけがなく、「1を含めなかったのえらいね」と幼児のおつかいを褒めるみたいに言ってきた。


 うるせっ、と晴樹は吐き捨て、頭の中だけで素数を熟考しようと試みるが、ストレッチの弊害とも言うべきか、茉莉が、


「んぅ」


 とか


「んっ」


 なんて呻くものだから、途中で222とかいう偶数の大黒柱みたいな奴が思い浮かんできて、それが晴樹の狼狽ぶりを強くシンボライズしている気がして、自己の品の無さに嫌気が差した。


 ストレッチが終了したと同時に、晴樹と同じくサークルのメンバーである友人の浩が声を掛けてきた。


「よっ。今日は佐倉さんもサークルに来てるんだな」


「大森さんですよね。前、飲み会でいた。バレーボールは初心者ですけど、今日はよろしくお願いします」


「そんなに肩ひじ張らなくてもいいよ。うちのサークルの過半数は初心者なんだし。ま、晴樹はバリバリの経験者だけどな」


「そうなんですか?」


「一応な。別に僕はそんなに上手いわけじゃないって」


「謙遜しやがって。お前、高校の時、地区の選抜に選ばれたんだろ。そんなお前が上手くないなら、選ばれてない奴が可哀そうだな」


 浩はにへらと笑いながら、ぽーんと赤と緑のツイスト模様のボールを晴樹に投げる。


 茉莉は何かを思いついたかのように目を光らせる。


「へー。晴樹さんって上手いんだ。じゃあ色々教えてもらおうかな」


「いいのか、僕なんかで。せっかくだしあっちの女子集団に混じって教えてもらえばいいのに」


「いいの。知らない人相手だと緊張しちゃうし」


「茉莉さんって案外内向的な人?」


「いーや、別に」


 茉莉が口を尖らせて反駁してきたのを見て、晴樹は好機だと判断。


 あらあら強がっちゃって。


 ここはこの潮田晴樹が一肌脱いで、普段からかってくる茉莉さんをぎゃふんと言わせてやろうではないか。


「そうは言ってもサークルで活動するのにずっと僕や浩と一緒にいるってわけにもいかないだろ。だからちょっとあそこにいる女子たち呼んでくるわ」


「あ、ちょっと」


 茉莉が伸ばした手は、晴樹には届かず、彼はそのまま体育館の端まで行ってしまった。


 そして何やら会話をした後、晴樹はサークルの女子集団を茉莉に紹介した。


 女子集団は茉莉のことが気に入ったらしく、プライベートな質問をマシンガンのように浴びせていて、茉莉も彼女らへの対応に追われていた。


 ふと、茉莉がこちらを見た時、達成感に包まれていた晴樹はサムズアップを見せつけた。


 これで茉莉さんもこのサークルに馴染めるだろうな。


 僕だって茉莉さんの強がりを見抜いて、気を遣えるんだよ。


 どうだ見たか。


「よし、浩。一緒にウォーミングアップしようぜ」


「晴樹さぁ。佐倉さんの顔見たか?」


「んあ? 今は緊張してそうだけど、内心はみんなから興味持たれて嬉しいんじゃない?」


「いや、どう見ても晴樹と一緒に……まあいいか」


「なんて?」


「何でもねえよ!」


 そうして晴樹は浩と、茉莉は女子集団に混じってウォーミングアップを終えた。


 その後にスパイク(ジャンプしてボールを打つ攻撃のこと)練習に突入する。


 晴樹はセッター(味方がスパイクしやすいようにパスをするポジション)として参加する。


 ネット際で晴樹が次々とパスを出す中、一人の女性がスパイクした後に晴樹に話しかけた。


 その女性は晴樹と同じぐらいの身長、すなわち170cmほどのスタイルの良い一つ上の先輩である。


 彼女もまたバレーボールの経験者であり、先ほどから鋭いスパイクを決めている。


「もう少し低めのボールが欲しい」


 クールで口数の少ない美人の彼女は、より鋭いスパイクを決めるために要求をしてきた。


 了解です、と晴樹はセッターとして調整するようにした。


 こんな感じで晴樹は他の女子からもどんなボールが欲しいかをしばしば求められたりする。


 続いて、茉莉がスパイクを打ったのだが、初心者らしくボールはフワッとあさっての方向に飛んでいった。


 茉莉は考える素振りをして、晴樹に言った。


「もう少し低めで、ネットに近くて、あとそれから何かすごいボールちょうだい」


「いや、なんだよその要求。わかんないのに無理して言わなくていいぞ。僕が打ちやすいように調整するから」


 経験者である晴樹なら、茉莉の要求したボールが彼女にとっていかに打ちづらいか丸わかりだ。


 だからこそ、茉莉のトンチンカンな言動が晴樹を悩ませる。


 茉莉さんは初心者なんだからわざわざ僕に話しかけるようなことしなくていいのにな。


 それこそ仲良くなった女子たちに色々と聞けばいいのに。


 晴樹は次に順番が回ってきた浩にボールをパスする。


 同じく経験者である浩はバシッと華麗にスパイクを決めた。


 そして晴樹に言う。


「もう少し近くにいる女の子の心を察してくれ」


 なんだその要求は。

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