まきめい抱き着き症候群

キノハタ

いち

 『人肌恋しい』という言葉ある。


 誰、と限定もされず、性的な願望を満たすでもなく、ただ触れたい。触れ合いたい。


 そういう欲求を表す言葉だ。


 そもそもフロイト曰く、人間には触れあう抱き合うという原始的な欲求があるらしく、性欲もその分化の一端でしかないとのことだ。加えて、抱擁にはセロトニンを分泌する効果があり、セロトニンは人間に安心感や幸福感をもたらすことでも知られている――――。


 いや、なに考えてんだろ、我ながら。


 こちらとら、時代遅れのタピオカを啜る華の女子高生である。


 『人肌恋しい』の文語的な意味も、フロイトの定義する愛着理論も、脳内物質もどうだっていいのである。うむ、そんなことより、今、重要なことがある。


 私の隣にいやがるまきのことだ。


 「熱い、離れて」


 「やだー」


 今、この残暑も厳しい時期に私の身体にべったりと抱き着いている同級生に向かって声をかけた。


 ちなみに夏場の抱擁は安堵や温かさよりも、湿っぽさと蒸し暑さが圧倒的に強い。お互い汗もかいてるから、じんわりべたべたとしていて気持ち悪い。


 そしてその元凶から、帰ってくる返事は無情な拒否に違いないわけである。このやろう。


 しかもこいつ、すげーべったり張り付いてくる。設置面積を限界まで大きくしようと試みんばかりに、身体の凹凸を上手いこと私の身体に沿わせて、足まで絡ませて椅子で片膝組んでいる私の隣に陣取っている。


 控えめに言って、女子高生が昼休みにするじゃれあいの一線を猛スピードで突き抜けている。絡ませ方が器用なうえに上手いこと椅子一つでバランスをとっているから、端から見たら多分、イカに絡めとられているように見えてるんじゃないかな。


 「今の気温と湿度考えてくんない?」


 「お天気お姉さんが、今日は残暑が厳しいから熱中症に気を付けてねって言ってたよ? ポカリ持ってるからあげよーか?」


 会話をキャッチボールとするならば、ボールを投げたら、そのままワープホールで背後にボールを飛ばされたような感じになった。ありていに言うと会話になってない。


 「……じゃあ。ちょうだい、ポカリ」


 「ほい」


 冗談かと思って試しに要求したら、器用に隣席の自分のカバンに手を伸ばしてひょいっと戻ってきた。いよいよ軟体生物に近くなってきなこいつ。


 手渡されたポカリはひんやり……というわけではなく室温でそこそこにぬるくなっていた。未開封だったが、特に気にせず飲んでやることにする。


 はらいせもこめて三分の一くらい。


 ごっごっごと盛大に喉を鳴らして、ぷはぁとビールを煽るおじさまよろしく、勢いよく机に叩きつける。ここが女子高でよかった。共学なら多分、こんなことしたらおっさん女子としての扱いまっしぐらだ。


 「おっさんくせー」


 通りがかりのみーちゃんに、そうヤジを飛ばされた。ちなみに彼女の手には、さきいかが握られている。どう考えても、華の女子高生の昼食ではない。いや、女子高生が華なんて一回も想ったことないけれど。多分、よくてラフレシアだ。それか食虫植物だ。


 「水分補給はしっかりとできたかね?」


 「……お陰様で」


 どこかしたり顔のまきは、ふっふっふと不敵な笑みを浮かべながらそう私に尋ねてきた。なんか悪いこと考えてんな。いや、大体想像は着くけども。


 「では、たっぷり抱き着くとしよー」


 「いや、熱中症なるから」


 「さっき、水分補給したじゃん」


 「そんな程度じゃかわんなーい。あ、あたまいたーい」


 「どったん生理ー? ナプキンあげよか? あ、それかタンポン派?」


 「ちがわい。というか、そこはバファリンでもよこしなよ」


 「残念、わたしゃ生理かるかるマンだから、持ち合わせがないのだ」


 「……あんたに今からナプキンがことごとくずれて暴発する呪いをかけるわ」


 「……かつてないほど憎悪の目を向けられてない?」


 「…………死になさい」


 「…………かつてないほどオブラートに包まれてない暴言を受けてない?」


 「じゃあ、可能な限り惨たらしく苦しんでから果てなさい」


 「オブラートに包まれたけど、暴言のレベル上がってない?」


 とまあ、こんなやり取りをしてる間も、こいつは一向に私から離れようとしない。


 曰くまきは、『抱き着き症候群』なのだそうだ。


 人肌恋しさがつのると抱き着かずにはいられない。


 抱き着いてないと、動悸、息切れ、眩暈、頭痛、腹痛、吐き気、過呼吸、吐血、酩酊感、最後には意識を喪失するらしい。


 うん、当たり前なんだけど、そんな名前の病気はどこにもない。


 ただ事実として、所かまわず抱き着くし、なんなら授業中にも抱き着いてくる。先生が変に慣れてしまってもはや公認になりつつあるんだが、それでいいのかとはたまに想う。


 なんでこうなっているのか?


 さあ、知らない。分かりもしない。


 ただ、夏場のこれはまぎれもなく、暑くうっとうしい。


 わかるのは精々、それくらいだ。


 やけくそに残りのポカリを喉に流しながら、はあ、と思わずため息をつく。


 いや、ほんっと蒸し暑い。


 早く残暑が終わればいいのにねえ。

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