半年だけ。一人だけ。
軽原 海
第1話
「会いたいなぁ…」
ぽつりと呟いてみる。
「私がいなくなっちゃう前に」
言って、笑ってしまった。
「なんてね」
少女がいるのは、病院だった。とは言っても、入院しているわけではない。通院、というやつだ。今は母親と医者が話をしていて、待っている。ロビーにいてもすることがないから、外へ出ていた。しかし、暇なものは暇で、ぼんやりするのも飽きてしまった。
「やっぱり、今日は会えないよね」
がっかりした様子もなく、そう言う。病棟の方を見上げて、にこりと笑った。
「さよーなら、なんて、必要ないよね」
後ろの方から、タイヤのガラガラと回る音が聞こえてきた。
「○○ちゃん!」
少女が振り返る。少し目を見開いて、また笑った。
「そんな急いだらダメでしょ?危ないよ。看護師さん、怖いんだから」
車椅子をものすごいスピードで走らせてきたのは、一人の少年だった。
「その看護師さんに聞いたんだ」
寂しそうな顔をして、聞いてくる。
「もう、病院には来ないの?」
「んー、来ないわけじゃないよ。でも、毎週は来なくても大丈夫って言われたの」
寂しそうな顔が泣きそうな顔に変わる。そんな少年の様子を見て、少女は苦笑した。
「そんな顔しないの。会えなくなるわけじゃないんだから」
言いながら、少女は思う。少年からしてみれば、きっと次に会う時には別人のようになってしまったと感じるだろうな、と。でも、どうすることもできない。それに、そう感じられることはとても喜ばしいことなんだから。
そういえば、少年と初めて会ったのもこの場所だった。病院に通い始めたばかりで、院内にいるのがなんだか気まずかった頃。少女が立っているところに、車椅子に乗って少年は現れた。帽子を被っていて、顔色もあまり良くないように見えた。一生懸命、車椅子から身を乗り出して何かを拾おうとしていた。しかし、危なっかしいことこの上ない。少女は思わず話しかけていた。
「何してるの?」
少年は、話しかけられたことすら嬉しいのか、笑顔で答えてくれた。
「どんぐり拾ってるんだ」
「なんで?」
「暇だから、どんぐりごまでも作ろうかなって。看護師さんもそれくらいならいいよって言ってくれたから」
確かに、少年の足元にはどんぐりが転がっていた。
「何個欲しいの?」
「うーん、3個くらいかなぁ?」
形が良くて、よく回りそうなものを選んで渡す。
「ありがとう」
満面の笑みで言ってくる。きっと、自分よりも大変だろうに、私よりもよく笑っている。
「暇なんだ?」
「うん。すっごい暇だよ。お母さんに買ってもらったゲームはもう飽きちゃったし、友達は面白いし一緒にいて楽しいけど、帰っちゃったら暇になるもん」
「友達いるんだね…」
「えっと、友達いないの?」
なぜか少年の方がちょっとショックを受けたように聞いてくる。その質問に、少女は少し考えた。本当に少しだけ。
「いないよ」
「そう、なんだ…」
「だからね、私の友達になって?」
びっくりしたように少年が少女の顔を見る。
「私の友達第一号。それで、たった一人だけの友達」
そう言うと、少年は笑った。
「一人だけ?」
「そう。私の友達枠は一人なの。」
声を上げて少年が笑いながら、
「いいよ」
と言った。看護師さんが来て、少年は病室に戻らなきゃ、と言う。
「ねぇ、また会える?」
「毎週土曜日に、この時間ならもしかしたら会えるかもね」
「そこは会えるよって言おうよ」
少年が笑って、少女も微笑んだ。
「またね!」
看護師さんに車椅子を押されながら、少年はそう言った。少女は返事をせずに、手だけを振りかえす。少年を病室に送り届けた看護師さんが少女のそばに来て、
「ありがとね」
と言った。
「何でですか?」
聞くと、看護師さんは教えてくれた。
「あの子ね、癌なの。手術すれば治るんだけど、それまでが辛いのよ。でも、どれだけ辛くても私たちにもお母さんにも弱音は一切言わなくて。笑ってはくれるんだけど、無理してるような感じがするの。だけど、あなたと話してるのを見てね、久しぶりに心の底から笑ってるように見えたから」
癌。なるほど、だから帽子を被っていたのか。
「入院してどれくらいになるんですか?」
「そうね…たぶん二年くらいかな」
確かに長い気がする。暇にもなるだろう。
「すごく明るいですよね」
「そうなのよ」
看護師さんが少女の方を見て言う。
「お願いがあるの」
「それは“私”に出来ることですか?」
少女の言葉の意味を理解した上で、看護師さんは続けた。
「あなたにしかできないことだもの」
「分かりました。何ですか?」
「話し相手になってあげてほしい」
その言葉を聞いて、それだけ?という顔をしたのが分かったのか、看護師さんが付け足した。
「本音を言える相手は必要だと思っているんだけど、私たちもあの子の両親も友達も、それにはなれない。心配させたくないって、頑張らせてしまうだけだから、だからお願い」
そういうことか。
「それくらいなら、構いませんよ」
「ありがとう」
その後、母親と合流して家に帰った。
それから、毎週土曜日に少年と話をした。話をしたとは言っても、少女は聞くばかりだったのだが。少女に話をする時、少年はいつも楽しそうだった。
「ねぇ、君の話も聞きたいな」
「えっ?」
「いや、え、じゃなくて、話、聞きたいなぁーって」
突然そんなことを言われても、少女は話すことなど何も考えていなかった。そもそも、話せるようなことも、なかったのだけれど。
「話すって言っても、何を話せばいいの?」
「何でもいいんだよ。日常生活のこととか、教えてほしいけど」
二年も病院暮らしだから、なのだろうか、少年は少し寂しそうに笑いながら言う。日常生活。それは、少女自身もあまり知らないことだったから、何を話せばいいのか余計に分からなくなった。ので、逆に質問してみることにした。
「話したいことが思いつかないから、質問を受け付けるよ。私に聞きたいこととかある?」
少年は口を尖らせて、少し不満そうな顔をする。
「それは残念だなぁ。質問ね、たくさんあるよ。そうだな、じゃあ、一人しかない友達枠に、どうして僕を選んでくれたの?」
「あぁ、それはね、あなたが一番最初に私に笑ってくれたからだよ」
少年は首を傾げていた。
「みんな笑ってくれてると思うんだけど…」
少女は首を振る。
「愛想笑いばかりだよ。心の底からの笑顔は見せてくれない。母でさえもね」
「…なんで?」
少女は苦笑して答える。
「私は“私”なんだけど、母の知ってる“私”ではないから」
訳が分からないと言う顔をされる。それはそうだろう。少女も自分が何を言ってるか分からなくなってきたところだった。
「そろそろ戻らなきゃいけない時間じゃない?」
はっとしたように、少年は時計を見る。
「ほんとだ。じゃあ、またね!」
少女は手を振ってそれを見送った。
そんなふうに話をしたのは、半年くらいの期間だった。少年との会話は、少女にとっても楽しいものだった。少女も、少年の明るさにたくさん助けられていた。だけど、今日が最後。今、目の前にいる少年には、もう今の“私”は会うことはない。それは、悲しいことではない。悲しいことではないのだ。喜ばなければならない。
「じゃあね」
にっこり笑ってみせる。覚えていて、なんて言えない。それはきっと、少年には重すぎる。ただ、本当に忘れないでいてほしいけど、それは少年次第だろう。またね、とは言わない。次に会うのは“私”ではないから。
「………」
少年は返事をしなかった。やっぱり、相変わらず泣きそうな顔。
「もー、友達がそんな顔してたら困っちゃうな」
それでも、今日でお別れなのだ。これはどうしようもない。少女一人にどうこう出来るものではなかった。他にどんな言葉をかけたらいいのかも分からないので、ぽん、と少年の頭に手を置いた。少年はびっくりしたように顔を上げる。少女はそのまま頭を撫でた。
「…何も言わないの…?」
少年がおそるおそる聞いてくる。たぶん、帽子のことを言っているのだろう。
「言わないよ。だって私、何も知らないし」
少年のことは、何も知らない。少女は、何も聞かなかったから。知ってしまったら、戻れなくなる。知らないままでいいと、思えなくなるから。遠くに、母の姿が見えた。そろそろ、帰る時間だ。
「泣かないで。会えなくなるわけじゃないんだから」
もう一度、そう言った。少年の頬をぐい、とあげる。
「な、何?」
「あなたは、笑ってる顔の方が似合うよ。だから笑ってて。あ、でも無理してでも笑えって意味じゃないからね?」
少年は頷く。泣いてて、でも笑っている。少女は満足そうに頷いて、今度こそ、
「じゃあね」
と手を振って、母の方へと歩き出した。少年から少し離れたところで、
「さよーなら」
と呟く。そう言った少女の顔には、笑みが浮かんでいた。
「“私”の、たった一人の友達」
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