アヒルのブーボー

牛丼一筋46億年

アヒルのブーボー

 醜いアヒルの子は最後には白鳥だったから良いものの、もしも、あれが最後まで醜いだけのアヒルだったらば死ぬしかなかったではないか。でも、それもいいのかも知れない。死んだら、もう悲しいとか痛いとか苦しいなんて感じなくて済むんだし。もっと最悪なのは死ぬことすら出来ないことだ思う。その点、ブーボーほど惨めで可哀想なアヒルはいなかった。


 だからせめて、こうやってお話にして彼のことを記録しておく必要が少なくとも私にはある。





 ブーボーは小さな畑で、マーフィの5人目の息子、スタッグ・ストルクトンがボスを務める群れの26人目の子供として産まれてきた。


 ブーボーは生まれつき声が変だった。そして物心つくと歌を好むようになった。しかし、その歌声はアヒル的ではないとして、好意的に受け入れられるどころか、群れの子供たちが彼を虐める要因のひとつとなった。また、ブーボーは見た目は他のアヒルとほとんど一緒であるが、敢えて自分の頭の毛を逆立てた。それは彼なりのファッションであり、またこの世界に対する意思表示でもあったのだが、これを彼を除く25人の子供たちはささら笑った。





 ブーボーの賞賛すべきところは、そう言った嘲りや、時には直接的な暴力を受けても一切気に留めない、少なくとも他人から見た時、彼は泰然自若な様を一切崩さないところであった。


 だから、ブーボーは殴られ、くちばしを強引に閉ざされても、しばらくしたらまた歌ったし、逆立てた毛を揉みくちゃにされ、もしくはむしり取られ、頭頂部だけ禿頭になっても、毛が生えそろったらまた毛を逆立てるのであった。


 ブーボーは無口だった。しかし、強い信念がそこにあるのは誰の目から見ても明らかだった。そんなブーボーのことをマーフィは嫌いだった。どうしてあんな唐変木が生まれてきてしまったのだろうかと思い、ほとんど彼のことを無視して、他の4匹の兄弟を殊更可愛がった。それでも、ブーボーは決して己のスタイルを崩そうとはしなかった。


 スタッグはマーフィとは異なり、その小さな少年のことを心の底では気に入っていた。


 強い意志は自然界で生きる上で重要なファクターのひとつだったし、やはり群れのボスだけあって、強さを崇拝していたし、強さを貫き通す者が好きだった。


 しかし、一方でいつの日か彼にも世界を教えなければならないと思っていた。または、嫌でも教えこまされる日が来ると確信していた。


 アヒル族は鳥族の中で決して強い種族ではない。ましてや美しい種族でもない。


 鷲や鷹が群れの前に現れたら、たとえ群れの子供が殺されようと、群れの女が犯し殺されようと、そのさまをジッと耐えて見ているしかない。もしも、反抗しようものならば、一族全員殺されるからである。世界とはそう言うものなのだ。どんなに強い意志をもってしても貫き通せないことはある。そして、生まれながらにして全てを許された勝者がいる。そして逆に生まれながらの敗者もいる。アヒルはどちらかと言えば敗者に分類されることを決して忘れてはならないのだ。これを忘れれば、個人だけでなく種族の命も危うくなるからである。


 スタッグは敢えて虐めを止めなかったのは、ブーボーにこの社会の仕組みを教えるためでもあった。絶対に逆らうことが不可能な領域があり、自意識を捻じ曲げなければその領域では生きていけないのだ。


 しかし、ブーボーは絶対に怯まなかった。


   それはブーボーを含める25匹の子供達の中で唯一彼をいじめなかったチェスカの存在が大きかった。彼女だけはブーボーのことを尊敬していた。彼女は美しく、群れの中で最も白い羽根をしていた。


 次第に彼を虐めるものはいなくなった。代わりに彼は群れの中でもいないものとして扱われるようになった。群れがブーボーを見捨てなかったのは、スタッグが巧妙に彼を気に留めていることをそれとなく全員に分かるよう、態度で示していたからと共に、チェスカがブーボーを心から愛していることを全員が知っているからであった。





 そのようにしてブーボーは青年になった。


 その時にはマーフィは最早ブーボーのことを息子と呼ぶことは決してなく、ブーボーを産んだことは自分の汚点であると考えていた。他の兄弟たちにしても大体同じ考えであった。


 だから、畑や田んぼで虫を捕まえる時、普通はみんなで協力して食糧を確保するものだが、ブーボーはいつも一人だったので、毎回、苦労して自分の食糧を集めなければならなかった。


 ブーボーはそれでも文句のひとつ言わずに畑を歩き回り、ひたすら虫を探した。


 しかし、季節は冬でなかなか食糧は見つからない。なんとかブーボーは小さくて白いウネウネと動く虫を見つけた。ブーボーはそいつをくちばしで挟むと飲み込もうとした。その時、その虫が叫び声を上げた。


 「お願いお願い食べないで。なんでもするから食べないで」


 「悪いな、俺も腹が減っているんだ」


 「それは分かっている。でも、僕を食べたらきっと後悔するよ。僕は寄生虫なんだ。君の中に入ると脳みそに行って君の脳みそを食べちゃってもう何も考えなくさせれるんだよ」


 「別に構わん」


 「構わない!?なんてことを言うんだい。おかしいやつだな」


 「腹が減っているんだ。お前を食べないと今日か明日には死ぬ。今日か明日には死ぬなら腹一杯になって死にたい」


 「なるほど、確かにそう言われればそっちのが賢い。でも、僕は痛いのが嫌なんだ。そうだ。意地悪なバッタ達の隠れ家を教えてやるよ。アイツら一人だと何にもできないくせに群れになるとすぐ威張るからやな奴らだよな。ほら、あそこの稲と稲の間に泥の城があるだろ。あそこをつついてみな。そしたら、カード遊びに興じているバッタ達がいるからさ。ねえ、もしもバッタを食べれたら僕のことを見逃してくれよ」


 「ああ、別に手当たり次第に殺すのが好きなわけじゃないから見逃すよ」


 ブーボーが泥をつつくと、確かに虫の言う通り、中でテーブルを囲んで5匹のバッタがポーカーをしていた。秋のうちに溜め込んでいた葉巻とウィスキーを口で遊ばせながら、うんうん唸ってカードを見つめていたのだ。


 そいつらはブーボーの姿を見ると、一瞬身体を硬直させた後、すぐに叫び声を上げて飛び上がった。そして、そいつらを一匹ずつブーバーは丁寧に平らげた。


 そこで、私はこのアヒルの慈悲深さに気がついた。


 アヒルは決してバッタをイタズラに痛めつけたり、恐怖させないよう、捕まえると出来るだけ瞬時に頭を噛み砕き丸呑みにしていた。


 これが私とブーボーの出会いだった。





 私は孤虫だった。


 孤虫とは自分の親の姿も、自分の成虫の姿も知らない孤独な虫のことだ。


 アイデンティティの確立に苦慮していた私はこのブーボーに強く惹かれた。


 普通は宿主を見つければすぐさま寄生するところなのだが、しばらく私はブーボーの胸元の毛の中に埋もれ行動を共にすることにした。


 ブーボーは無口だった。ほとんど自分のことを話さない。群れのはぐれもの故に辛い雑務、例えば寝ずに外敵を見張っていることとかを押し付けられてもブーボーは何も言わずに受け入れる。彼の頭は逆立っていて、その髪型が風で乱れると、彼は一目散にそれを直す。


 そんなブーボーは泳ぐ時だけ顔を顰めた。


 群れで泳ぐ時、隊列を組むのだ。女子供は内側、その外を老いた雄が、更にその外側を若い雄が囲んで泳ぐ。他の者と歩調を合わせることが肝要なのだが、ブーボーはそれが苦手だった。しばらく泳ぐと必ず身体が逸れて、どんどん群れから遠ざかってしまう。それに気がつくと、今度は内側に寄るのだが、寄りすぎて他のアヒルとぶつかりそうになる。ブーボーはそんな時、舌打ちをする代わりに小さく歌を歌う。


 その歌を聴くと、私はたまらなく寂しくなって泣きそうになってしまった。


 


 とある春、群れが湖で羽根を休めていた。もちろんブーボーはひとりきりだ。何も言わず、周りのアヒルが何かを言っていても素知らぬ顔でひたすら湖でじっとしていた。


 そこに大きな鷲が現れた。


 鷲は群れの周りをぐるぐると回った後、スタッグの前に舞い降りた。


 「なんと醜い生き物か。お前ら全員殺してやってもいいのだぞ。どうやって殺そうか。空高くまで持ち上げて一匹ずつ地面に落としてやろうか」


 鷲がそう言うと、群れの者はブーボーとスタッグ以外は全員震え上がった。


 「待ってくれ、鳥族の王よ。どうか我々を殺さないでくれ。貴方の望みはなんでも聴く」


 スタッグは威厳を損なわず、堂々と胸を張ってそう言った。


 「そうだな。ならば、殺すのは一匹だけにしてやろう。その一匹は最も残酷に殺す。明日また来るからそれまでに一匹誰を殺すか選んでおくがいい」


 鷲はそう言うと、また飛び立っていった。


 飛び立った時、群れは全員ブーボーを見つめた。ブーボーだけ我関せずとまた微動だにせず、水面を見つめるのだった。


 


 スタッグは反対した。


 ブーボーを生贄として差し出すのではなく、公平な選び方をすべきだと主張したのだが、ほとんどの者はブーボーが群れにとっていかに不必要かを話してみせた。スタッグは決して納得しなかったが、最後には渋々納得した。


 スタッグはブーボーに生贄になってくれるよう伝えた。ブーボーは何も言わずにただ頷いた。ブーボーが恨み言ひとつ言わなかったのは、スタッグに対しての感謝もあったのかも知れない。


 ブーボーは何も言わず、ただ水面を見つめた。夜になってもブーボーは一人だけ眠れず、ただ人形になったようにその場でじっとし続けているのだった。


 そんなブーボーの肩口が叩かれた。見ると、チェスカが嘴で彼の肩を叩いたのだった。


 チェスカは茂みにブーボーを連れ出した。


 「ねえ、ブーボー、逃げて」


 彼女は泣いていた。


 「なぜ」


 「だって、みんな卑怯よ。あなた一人を除け者にして、無視してきて、都合良く捨てようとしているなんて、あんまりにも都合がいいじゃない。あなたはみんなに義理だてする必要なんてないのよ」


 「その通りだ。俺はお前らを憎んでいる」


 「私のことも?」


 それにブーボーは答えなかった。


 「あなたがどう思っていようと、私は貴方のことを昔から愛していた。あなたには死んで欲しくないの」


 「どうして俺のことが好きだった」


 「あなたは他のみんなには持っていないものをいっぱい持っていたじゃない」


 「俺はそんなもの欲しくなんてなかった」


 その一言にはチェスカのみならず、私も押し黙った。私は彼の確固たるアイデンティティを尊敬していた。しかし、彼はその強すぎるアイデンティティ故に苦悩していたことを私はこの時初めて知った。


 「俺は歌が好きだ。自分のスタイルを愛している。それは間違いない。しかし、だからこそ、今まで俺は虐げられてきた。スタッグがいなければもっと早い段階で見捨てられただろう。俺は自分の感性を憎む。なぜ俺もみんなと同じような感性で生まれてこれなかったのだろうか。みんなが愛するものを愛し、みんなが憎むものを憎みたかった。でも、俺には出来ない。俺は変わり者だ。だからと言って群れを外れて、一人きりで生きていけるほど強くもない。俺はそんな自分の弱さも憎む。俺はみんなと一緒になりたかった。俺は普通のアヒルに生まれてきたかった。こんな醜い姿ではなく」


 ブーボーは泣き、チェスカも泣き崩れた。彼女がさめざめと泣く中、ブーボーは彼の柔らかな毛に埋もれる私に話しかけてきた。


 「孤虫、頼みがある。俺の脳みその中に入って、俺らしさを形成する部分を食べて欲しい。それでみんなと同じになって一日だけでいいから幸せに生きてみたい」


 それを聞いて私は泣いた。


 「出来ないよ、ブーボー。君が大嫌いな君の個性が僕は大好きなんだ」


 「頼むよ。後生だ」


 「ねえ、ブーボー、逃げようよ。あんな奴ら見捨てよう」


 「それはできない」


 「どうして?」


 「逃げたら本当の意味で俺は俺でなくなるから」


 私は彼の意志を尊重して彼の体内に入っていった。私と彼はほとんど一緒になった。躊躇ったが、彼の柔らかな脳みそに牙を立てた。


 彼の目から見たチェスカは泣いていた。


 でも、もうブーボーは泣いていなかった。


 ブーボーは自分の逆立った髪の毛を撫で付け、歌うことももう二度とないだろう。


 既に朝焼けだった。眠る群れの中に彼は戻っていった。


 チェスカはブーボーの後を追いかけたが、もう、群れの中のどこにブーボーがいるのか分からなかった。


 チェスカはブーボーのことが大好きだったのに。かわいそうなチェスカ。


 ブーボーは初めて彼らの中で安心して眠った。彼らもまたその雄のアヒルがブーボーだと気が付かなかった。


 夢の中でブーボーは群れのみんなと遊んでいた。夢の中でブーボーはみんなとおんなじだった。同じことを考えて、同じことを愛し、同じことを憎んでいた。泳ぐ水は冷たく、食む草や虫は青々としていた。お母さんも笑っていた。


 ブーボーの母のマーフィは昨年の冬にひどい皮膚病になって、最後は全身から毛が抜け落ちて死んだ。最後の瞬間までブーボーを本当の息子とは認めなかった。それがブーボーにとっては悲しくて仕方なかった。口にはしなかったけれど。


 夢の中でブーボーは小さな小さな醜いけれど、れっきとしたアヒルの子供だった。マーフィは初めてブーボーを抱きしめた。


 私はその時、彼の瞳を借りて泣いた。


 孤虫の仲間は遂に母親を見つけ、孤独から解放されたのであった。


 その後、ブーボーは鷲に連れさられた後、鷲は人間にブーボーを引き渡した。


 人間達はブーボーを小さな銀の檻の中に入れると、彼の口の中にチューブを押し込み、無理やりドロドロの食糧を胃袋に直接流し込んだ。苦しくて羽ばたくと、羽根が地面や檻に当たって折れた。2日目にはチューブから逃れようとするあまり、嘴の先端が折れた。一週間もした頃には、肥満化した身体を支えきれず、足が折れた。身体が動かせないから床ずれし、傷は膿んだ。肥大化した内臓が器官を圧迫し、呼吸が上手くできず、水すら飲めなかった。また、完全に折れた足は爛れ、もう二度と立ち上がることは困難なように思えた。それでも人間達はブーボーの傷だらけのくちばしを押し広げ、チューブを押し込んで無理やり彼の胃に食糧を流し込んだ。


 私は静かに、しかし、迅速に彼の頭に残った脳みそを食べきり、彼の人生を終わらせた。


 私はブーボーになり、ブーボーは私になった。


 私はもう、何も見たくなかった。


 他人に対してこれほどまでに残酷にならざるを得ないなら、私は一生孤独な虫でいつづけたいと願い、地面の中に潜って、その冷たくて暗い土の中に根を張った。


 私は長い年月をかけて、この根を星中に張り巡らせようと思っている。


 そしてこの星全ての生命を吸い取って、大きく大きくなったら、この星から飛び出そうと思う。そして、また新しい宿を探して旅しようと思う。私は一生幼虫のままだ。大人になるくらいなら幼虫のままの方がずっといい。



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