山を歩けば死体に当たる

令狐冲三

第1話

 八月は常に灼熱の季節だ。

 

 街のディーラーから安く手に入れた型遅れのラングラーで国道を行く私の頭上からも、焼けつくような陽射しが容赦なく照りつけていた。


 山岳地帯へ分け入るにつれ、道は次第に険しさを増してゆく。


 昼過ぎに街を出てから、もう長いこと走りづめだった。


 路面の起伏に車体が跳ね上がるたび、堅いシートで尻が悲鳴をあげた。


 どれほどの時間を走り続けただろう。


 切り立った崖の間の深い谷間を走るうち、やがて目指す街、B市の街並みが見えてきた。


 街へ入り、私は初めて考えを改めるべきだと知った。


 山麓に広がるさびれた田舎町とばかり思い込んでいたB市は、思いがけず都市化が進み、近代的な賑わいを見せていたからだ。


 目に付いたショッピングモールの駐車場にラングラーを停め、私は繁華街へ歩いて行った。


 牧童の姿が目立つのは、一帯が酪農地帯だからだろう。


 道すがら見かけた家々にも、サイロらしき建物のついているものが多かった。


 裏通りへ入り、角を何度となく曲がり、やっと宿屋らしき建物を見つけた時には、もう日が暮れかけていた。


【森の梟】という看板が掲げられた黒ずんだオーク材の堅い扉の向こうから、酔っ払いの喚き声やのどかな音楽がもれ出ている。


 私が中へ入っても、客たちは気にも留めなかった。


 宿屋の建物は二階建てで、一階フロアが酒場兼食堂になっていた。


 入り口近くで飲んでいた三人の山男が振り返ったが、それきりだ。


 チーク材の円いテーブルが五つ。


 隅に置かれた年代物のジュークボックスが、時代遅れのカントリーミュージックを奏でている。


 天井には巨大な扇風機。


 羽根がゆるゆる回転しているが、空気をいたずらにかき回すだけで、大して役にも立っていないようだ。


 カウンターの奥が帳場になっているらしく、中で主らしき中年男がグラビア雑誌を血走った目で貪り読んでいる。


 私がカウンターの呼び鈴を鳴らすと、男は初めて顔を上げた。


「空いてる部屋があったら泊まりたい。それと、冷えたビールだ」


 私はカウンターの椅子に腰掛けた。


 主は億劫そうにビールを注ぎ、ジョッキを突き出した。


「1ドル」


 私がビールを飲む間、彼は値踏みするようにじっと観察していた。


 こいつからはいくら搾り取れるだろう、そう考えているに違いない。


 ビールは思いがけずよく冷えていた。


 空になったジョッキを置き、私は上着のポケットから小銭を取り出し、カウンターに置いた。


 主はそれを興味なさそうに見て、


「あんた、見かけねえ顔だね」


 初めて重い腰を上げた。


 立ち上がると、私より10cmは上背がある。


 威圧するかのように身を乗り出してきた。


「ここじゃ、よそ者はすぐわかるんだよ」


「なるほど」と、私は肯いた。「実は、バンクーバーから休暇で来たんだ。たまには雑踏から離れてのんびりしたいと思ってね」


「ふん」


 主はせせら笑うように小さく鼻を鳴らした。


 どうやら私の答えがお気に召さなかったらしい。


「で、空いてる部屋はあるのかい?」


 主は壁に掛かった鍵の束から一つを取り、二階だと顎をしゃくった。


「空いてるも何も、客なんていやしねえよ」


 案内されたのは、通りに面した一室だった。


「あんたは運がいい。ここは一番上等な部屋なんだ」


 主が部屋の鍵を開けながら言った。


「一番上等な部屋ね」


 彼の後について部屋へ入った私は、呆れて物が言えなかった。


 ここに比べれば、刑務所だってヒルトンホテルに思えるだろう。


 目についた物といえば、馬鹿でかい木製ベッドだけ。


 それも、一目でお里が知れた。


「そうとも」と主が唇を歪めた。「なんせ、シャワーがあるのはこの部屋だけだ」


 彼は鍵を差し出して言った。


「前金で一日40ドル。食事は下の食堂で食ってもらうことになる」


「この部屋が40ドルか。馬小屋の方がまだマシだぜ」


「あんた、勘違いしてるんじゃねえか」


 主は後ろ手にドアを閉め、目を細めた。


「俺にはわかってるんだ。こんなところへ休暇で来る馬鹿がいるもんかい。何を企んでるか知らねえが、別にあんたの身分証を警察へ見せなきゃなんねえわけでもねえしな」


 思わせぶりに微笑んだ。


「部屋代は40ドル、前払いだ。何も訊かねえし、出来る限りの協力もする。それでどうだ?」


 一枚上手がいたわけだ。


「わかった。それでいい」


 私はとりあえず一週間分の札をポケットから取り出した。


「だが、その前に訊きたいことがある」


 主の視線は札束に注がれたまま動かない。


 私はポケットから札をもう一枚取り出した。


 効果てきめん、彼は吸い寄せられるように右手を伸ばし、札束を取った。


「約束だからな。何でも訊いてくれ」


「実は人を捜してるんだ」


 私が言うと、主は肩をすくめて片目を瞑った。


「やっぱりな。そんなこったろうと思ったよ」


「ランドールって男だ。アレクス・ランドール。3ヶ月ほど前にこの街へ来たはずなんだが」


 私は胸ポケットからスナップ写真を取り出して見せた。


 旅行先でよく撮る類のあれだ。


 30半ばぐらいに見える金髪の男が、山を背にして写っている。


「それはランドールが送ってきたものなんだが、後ろの山がR山らしいな」


 主が写真を見ている間、私はベッドに荷物を置いて状態を確かめてみた。


 錆びたスプリングが耳障りな音を立てる。


 思った通りの代物だった。


「この街に宿といったらここだけだと思うんだが。泊まらなかったかな」


「ああ」と、主は肯いた。


 写真を私に返しながら、


「この男なら確かに泊まってたよ。なんせ、太っ腹な客でね。部屋代を3ヶ月分前払いしてくれたから、よく覚えてるよ」


「3ヶ月分か」


「予定が早まって部屋を引き払う時だって、残りの宿代を返せとは言わなかったし。あれは2週間ぐらい前だったかな」


 なるほど、それまではここにいたわけだ。


「その時何か言わなかったかな。予定が早まった理由とか、次の行き先とか」


 主は首を振った。


 どうやら本当に知らないらしい。


 この手の男は、金儲けのチャンスを自ら捨てるような真似を決してしない。


「なら、普段の行動についてはどうだ?」


 単刀直入の問いかけに、主はちょっと眉をひそめた。


「まさか、あんたサツのイヌじゃあんめえな?」


 私はさらに一枚札を手渡し、


「警察ならもっとスマートに聞き出すさ。札束より、腕ずくでな」


「確かに……いや、あんたがあんまり根堀り葉堀り訊くもんでね。つい」


「で、どうなんだ?」


「普段の行動ったって、別に俺はずっと張付いてたわけじゃねえし。ま、とにかく毎日のように山へ出かけてたぜ」


「R山だな」


「何でも珍しい蝶があの山にいるらしいんで調べに来たとかで」


「蝶ねえ」


「ま、俺に言えるのはこんくらいだな。もっと詳しく知りたきゃ、ナルティに訊くといい」


「ナルティ?」


「そのランドールって男が山のガイドを頼んだ男さ。奴に訊けばいろんなことがわかるだろうよ。山から戻ると、いつも下の酒場で一緒に飲んでたからな」


「居所はわかるか?」


「R山の麓に山小屋がある。そこに住んでるよ。山小屋はそれっきりっきゃねえから、すぐ見つかるはずだぜ。そこにいなけりゃ【レッドドラゴン】て酒場へ行ってみな。女がそこで働いてる」


「ありがとう。助かったよ」


 これで一応の手がかりはつかめた。


 初日、それも1時間も経たない間の成果としては上出来だ。


 主は部屋を出て行く前に、ちょっと振り返って言った。


「これはさっきの金と別に、俺からの忠告なんだが」


 その響きにらしくない真剣さを感じ、私は肯いた。


「あまり派手に嗅ぎ回らない方がいい。あんたのためだ」


「なぜ?」


「ナルティはパーディントンの会社と付き合いがあった。最近R山にはそこの連中が出入りしてる」


「パーディントン? そいつがこの街のゴッド・ファーザーってわけだ」


「ああ、いろんな事業に手を出してる。命が惜しけりゃせいぜい気をつけるこった」

 主はそう言い残し、部屋を出て行った。

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