転機

 空は鉛色の雲に覆われ、まばらな雨が降り続く午後。物資を備蓄している倉庫に立ち、ブレイブは気難しい顔で呟く。

「やはり薪が足りないか……」

「そうなると思います」

 冷静に答えたのは天士サウザンド。エアーズがアイズの補佐をしているように、彼はブレイブの補佐を行うことが多い。他の天士達同様に自我が確立され個性を獲得したが、彼の場合それは実直で勤勉な性格に形成された。

 現在、天遣騎士団が最も頭を悩ませているのは冬季に著しく消費が増大する燃料の問題。周囲は広大な針葉樹林なので急いで薪を作らせてはいる。だが乾燥の不完全な薪は火力が弱く、煙突に煤を付着させて詰まりや煙突火災を引き起こす。さらに大量の煙が出てしまうため屋内での使用には危険が伴う。

(杉や松なら三ヶ月から半年乾燥させれば十分に使える。だから大量に用意はできるが……)

 それでも今年は確実に不足する。大陸全土からかき集められた旧帝国民は最終的に三万八千人に達した。この人数を一冬越させるには計算上倍の薪が必要になる。

「私の力で多少は増やせますが」

「根本的な解決にはならんな」

 サウザンドは『鏡』の能力を持つ天士。その手に握ることができるもので、なおかつ非生物なら数が千に達するまで複製できる。ただし複製した物質は彼が眠るか意識を失うと消え去る。あえて細かく割らず丸太のまま乾燥させた木を千本複製して切り分ければ実際に足しになるが、毎日その作業を行うのは大変だし完全に不足を補えるわけでもない。

 三柱教を通じて追加支援も頼んでいる。だが、今のところ薪を分けてくれそうな国は皆無。温暖な南方では元々備蓄が少ないし、旧帝国と同じ北方の国々は先の大戦で甚大な被害を受けた。余裕が無いのは彼等も同じ。

 となると、やはりあの手しか無い。結論付けたブレイブは踵を返し倉庫を出る。サウザンドも後に続きながら訊ねた。

「どちらへ?」

「アイズに会う。やってもらうことができた」




 そのアイズはリリティアと共に厩舎にいた。井戸から汲んで来た水を使い、彼女の馬ウルジンを洗ってやっている。そこへ訪問したブレイブが軽い挨拶の後すぐに切り出す。

「サラジェまで行ってくれ」

「えっ」

 驚いたのはアイズでなくリリティア。サラジェとは旧カーネライズ帝国領西部にある小さな街で彼女の生まれ故郷である。ほんの半年ほど前までそこに住んでいた。

「サラジェに行くの?」

「ああ、陽光石ソルジェを採ってきてほしい」

 少女の質問に頷くブレイブ。陽光石とは、かつてカーネライズが主要な輸出品として頼っていた鉱石のことだ。大陸北部のこの厳寒の地でしか見つかっておらず、気候変動によりかつての栄華を失って衰退した帝国が今日まで生き延びて来た理由でもある。

 陽光石は不思議な性質を有しており、冷やせば冷やすほど強く橙色の輝きを放つ。そしてこの光を浴びた生物は何故か体が温まる。どうやら水分が反応して熱を持つようで、鍋一杯に雪を詰めてこの石を入れると数分でお湯になったりもする。ぬるま湯であり、煮炊きに使えるほどの熱は生じない。だが肌を磨いて清潔を保つことができるし洗い物などもしやすい。また、石そのものを吊るしておけば照明や暖房として利用できる。

 この利便性から、かつての帝国では各家庭に陽光石が常備されていたし、近隣の北国もこぞって買い求めた。

 でもとリリティアは首を傾げる。

「陽光石はもう採れなくなったって、お父さんから聞いたよ」

 彼女の父方の家系は代々陽光石を掘る鉱夫だった。だが、近年ついに採り尽くしてしまったため鉱山は閉鎖。それで父は母方の祖父に弟子入りして家具職人になったのである。

「ああ、他の鉱山も同じらしいな。この千年で陽光石は採り尽くされ、ここ数年の産出量は皆無に近い」

 ひょっとすると皇帝ジニヤが戦争に走った理由もそれかもしれない。陽光石が無くなれば帝国に残されるのは一年の半分を雪に閉ざされる広大な土地と木材としてそれなりの価値がある針葉樹の森だけ。新たな何かを見つけるか生み出さない限り、今後さらなる衰退を迎えることは誰の目にも明らかだった。

「だが、お前なら未発見の鉱脈を見つけられるかもしれん」

「なるほど」

 納得するアイズ。当然、彼女も薪の備蓄が足りないことは聞いている。この状況で陽光石を確保できれば大いに助かるだろう。暖を取るための薪を節約できるし、燃やせば終わりの木材と違って陽光石は数十年その効力を発揮するという。

 ――ブレイブにはさらに、発見した鉱脈を三柱教や近隣の国々との交渉材料に使うという考えもある。陽光石の枯渇は周辺の北国にとっても悩ましい問題なのだ。今はまだ古い石の力が保たれていても、いつかは時間切れになる。それまでに新しい鉱脈を見つけなくてはならない。旧帝国領が戦後に割譲された理由はそこ。鉱山を含む土地を手に入れた彼等は、自国の復興のため自らの手で探すつもりなのだ。

 アイズも一つ思い出す。

「サラジェというと、たしか今はオルナガンの土地か」

「ああ」

「なら、ザラトス将軍にも話を通してあるんだな?」

「そういうことだ。というより、これは彼からの要請でもある。我々が未発見の鉱脈を発見すれば、採掘した陽光石の一部を譲ってくれるそうだ。最低限、この街に必要な分だけなら」

 ザラトスとは先の戦争で連合軍の中心人物だった名将。カーネライズに最初に滅ぼされた大国に仕えていた人物で、人間としては誰よりも長く魔獣を相手に戦い、そして生き延びた。当然アイズも面識がある。

「他の国々には遠慮があるが、彼にはそれが無い。躊躇無く俺達を頼って来たあたり、相変わらず強かな人だな」

「……」

 そういう機微に疎いアイズもザラトスが他の人間と違うことは理解出来ていた。あの男は天士が相手でも一歩も引かない。他と同じように畏敬の念は抱きつつ、それでいて必要なことには無遠慮に口を出す。なおかつ一線を越えて来ることは無い。駆け引きが上手いと、そう感じた。

「わかった、いつ出発したらいい?」

「すぐにでも頼む」

「了解」

 ようやく子守りから解放される。そう思って安堵の息を吐くアイズ。

 そこへリリティアが問いかける。

「アイズ、行っちゃうの?」

「命令だからな」

 天士は命令に従うもの。女神アルトルと団長からのそれに逆らうことなど彼女には考えられない。

 だが、こちらを見上げる桜色の瞳に奇妙な感覚を覚えた。本当にこの少女から離れていいのかと誰かに問いかけられている気がする。

(なんなんだ?)

 時折こういう現象が起こる、自分ではない他人の思考が混ざるような。頭を振って払った彼女はリリティアから視線を外し、洗ったばかりのウルジンの背に鞍を取り付け始めた。

「団長、この娘の処遇はどうするんだ? 街に帰してやるのか?」

 疑いが晴れたなら、そうするのが一番のはず。人間は人間と共に暮らせばいい。まだ疑う余地が残っているなら、別の天士に監視させることになるだろう。

 そう思ったのにブレイブは意地の悪い笑みを浮かべる。

「いや、彼女はお前と一緒に行く」

「……は?」

「彼女はサラジェの出身で祖父の代まで鉱夫だった、案内役として相応しい。引き続き監視しつつ任務に同行させろ、これは命令だ」

 待て、何故、待て。アイズは頭の中で制止と質問を重ねた。旧帝国民の彼女をクラリオから出すつもりか、それは協定違反では? それに案内役と言ってもまだ子供、役に立つとは到底思えない。いったい何を考えている?

 ――だが、結局何も言えなかった。天士は命令に従うものだからだ。団長命令と明言された以上、逆らうことはできない。

「わかった」

 割り切って承諾する。そしてもう一度リリティアを見ると彼女も笑っていた。

「よろしくね!」

 この命令になんら疑問を抱かないらしい。この娘もまたブレイブの言う『強かな』人間なのかもしれないと、今さらになって思った。

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