鬱積する日々

 石造りの大きな城。その廊下を少女が一人走って行く。両目を大きく開き、髪と同じ桜色の瞳を輝かせながら。ここは大陸最北の都市クラリオ。かつてはカーネライズ帝国の一部だった。そして今は帝国の人々を収容し刑に服させるため再建された監獄の街。

「おはよう! アクス!」

「おお、おはようリリティア」

 呼びかけられた巨漢は甲冑を鳴らし、くるりと振り返る。純白のそれは彼の体格に合わせ大きく分厚く造られてある。だが身のこなしに重苦しさは全く無い。

 天士ウォールアクス。彼は女神から『力』を増幅する祝福を授かった。元より天遣騎士団内でも一・二を争うその怪力をさらに増強されているのだ。ゆえに、彼にとってこの鎧の重さなど羽毛のそれと変わりない。

 天士は一人の例外を除き全員が金髪碧眼。呼びかけて来た少女リリティアに合わせて屈んだ彼は、空のように青い瞳を細め問い返す。

「副長はどうした? 一緒じゃないのか?」

「アイズなら甲冑を着てるとこ。暇だから先に出て来たの」

「おいおい、勝手に動き回るとまた叱られちまうぜ」

「だって時間がかかるんだもん。どうせアイズはわたしといっしょで、まだお城からは出られないのに、どうして毎日鎧を着けるの? 服だけでいいと思う」

「はは、副長は使命に忠実なんだ。任務中は武装しとくもんだってお考えなんだよ。実際こないだみたいなことが起きたら俺達天士が迅速に対応しなくちゃならないしな」

「……」

「っと、しまった」

 先月の事件を話題に出した途端、リリティアの表情は凍り付いたように固定され、そのまま沈黙してしまった。この状態の時には呼びかけても無駄である。一切反応しない。

 悔やんでいると彼女がここ一ヶ月寝泊りしている部屋から長身の女騎士が出て来た。他の天士達とは対照的に黒髪黒目で甲冑まで漆黒。今しがた話題に出た天遣騎士団の副長アイズである。上官の登場を確認したアクスは背筋を伸ばして敬礼する。

「副長、おはようございます」

「おはよう」

 アイズはどこか不満気な顔で頷く。本来、天士は人間のような頻繁な休息も長い睡眠時間も必要としない。しかし一ヶ月前に団長ブレイブからリリティアとの共同生活を命じられて以来、彼女の生活習慣に合わせて活動しているのだ。それが気に入らないらしい。

「お前はたしか、今から休みだな」

「はい。ですが一時間ほど眠ってからまた街へ出るつもりです」

「何故だ?」

「フィノアさんとの約束がありまして」

「……」

 その名が出た途端、より一層機嫌を損ねた様子で見上げて来るアイズ。アクスはなるべく平静を装いつつ密かに冷や汗をかいた。圧が強い。

 が、アイズは彼とクラリオ市民の交流に対し、特別どうこう言うつもりは無いようだ。

「節度を保て」

 いつも通り、それだけを言って視線を外す。

「はい」

 ほっとするアクス。そこでようやくまたリリティアが動き出した。凍り付いていた表情が変化し、すぐ隣にいるアイズの姿を見てきょとんとなる。

「あれ? いつのまに着がえたの……? あっ、おはようアクス!」

「ああ、おはよう」

「……」

 再度挨拶を返すアクスと、何があったかを無言で問うアイズ。申し訳なさそうに目配せを返した彼を見て、彼女はすぐに納得した。


 リリティア・ナストラージェ。先月の事件で両親を喪ったこの少女は精神的外傷により時々記憶が飛ぶ。事件のことを話題に出した場合に特に多く、一時的に放心状態に陥り、我に返った時には直前の出来事を忘れてしまっている。


 この一ヶ月ですっかり慣れた。アイズは特に何か言うこともなく、さっさと先に歩き出す。

「朝食へ行くぞ」

「あ、うん」

 慌ててついて行くリリティア、見送るアクスは心配しながら嘆息した。一月もの共同生活を経てなお二人の関係は変わっていないように見える。アイズの方にリリティアと合わせるつもりが無いからだ。リリティアは人懐っこい上に物怖じしない性格で、すでにアイズにも他の天士にも無遠慮に接しているのだが。

 まあ、そんな少女の態度に戸惑ったり拒否感を示しているのは彼女だけではない。他の団員達も対応は様々だ。好意的だったり、露骨に避けていたり。

(個性か……)

 ブレイブ曰く、自分達天士は降臨してからの一年半で人間達に学び、少しずつそれぞれの特色を獲得しつつある。個性という名のそれを受け入れ尊重すべきだと彼は言う。だからこそあの二人のこともしばらく静かに見守ってやってくれと。

「副長は女性だからかね……」

 なんとなく頭をかくアクス。どうも団長はアイズ副長を特別視している気がする。無論嫉妬などしていない、その逆だ。特定の誰かを特別に想う気持ちが今の彼には理解できる。それが彼の得た個性だから。

「俺も、しばらくはそっとしといて欲しいや」

 アイズとリリティア、そしてアイズとブレイブのことに余計な口出しはやめておこう。今はまだ、その時期ではない。

 でも、もしも自分の想いがあの人に伝わったなら――

「そしたら、助言くらいはしてもいいもんかね? やっぱり差し出がましいかな?」

 優しく穏やかな巨漢は腕組みしながら首を傾げ、自室に向かって歩き出した。




「アイズ、今日もそれだけなの?」

「毎朝同じことを訊くな」

 苛立ち、刺々しい声で返すアイズ。リリティアはしゅんとしながらフォークを掴む。城の一階にある食堂、たくさんの食卓と椅子が並ぶその場所にいるのは今朝も彼女達二人だけ。

 リリティアの目の前には干し肉や硬いパン、そしてわずかながら蒸した野菜の乗った皿。さらに鶏ガラでダシをとって塩で味付けしたスープ。質素だが現在のこのクラリオの食糧事情を考えるとまだ豪華な部類の食事。

 対するアイズの手元にあるのはリリティアの皿の上のパンと同じもの。ただし厚さは半分以下で一切れだけ。カップも手にしているが中身はただの水だ。

「天士に人間のような食事は必要無い」

 これも何度も説明したこと。なのにリリティアは一向に納得してくれない。

「それでも、やっぱり少なすぎるよ」

「必要としない私達より、必要としているお前達にんげんに回す。それが団長の考えだ」

 ここクラリオは大陸全土から恨みを買った旧カーネライズ帝国民を保護するための街だ。本来は数百年前に放棄された廃墟いせきであり、当然耕作地など無かった。再建を始めてから同時に食糧生産も始めたものの、急ごしらえの畑や周辺の森から集めた獲物だけで数万人の腹を満たせるわけもない。

 そこで団長のブレイブは大陸最大の宗教組織『三柱教』を通じ各国に支援を呼びかけた。帝国はたしかに大罪を犯したが民草には慈悲を与えて欲しい。神の遣いである彼がそう願った結果、ある程度の食糧支援を得ることに成功した。

 リリティアが食べているのも、そうして外国、半年前まで続いていた戦争で帝国が蹂躙した国々から運ばれて来た支援物資である。もちろん憎き帝国民の腹を満たしてやるつもりは他国には無く、本当に必要最低限の量しか提供されてないが、それでも節約すればどうにかなる。

 ゆえに天士はほとんど食事をとらない。これは団長の意思であり同時に天遣騎士団の総意。他の面々も食事の内容はアイズと同じ。この食堂がいつも閑散としているのはそれが理由。薄いパンの一切れ、座って食べるまでも無く口に放り込んで終わりだ。

「いっしょに食べた方が楽しいのに……」

「……」

 不満を素直に口に出すリリティアと、口にこそ出さないが、やはり不機嫌さを隠そうともしないアイズ。数日に一度はこんな険悪な雰囲気の食事になる。

 リリティアが望むから毎日食事を共にしている。なのに何が不満なのか? アイズにはどれだけ考えても理解できない。そもそも食事など、単に生命維持に必要な栄養を摂取する行為でしかないはずだ。

(この娘だけじゃない、人間は誰もが不合理で不可解な行動を好む。こんな種族からいったい何を学べと言うんだ……)

 彼女がリリティアといるのは任務のため。クラリオ市民の中で唯一直に『アイリス』と接触したこの少女には、まだあの怪物と同種の魔獣ではないかという疑いがかかっており、正体の見極めを任されている。彼女の能力が全てを見通す『眼』だからだ。

 だが同時にブレイブは言った、リリティアから学べと。人間社会で生きる術、異種族と交流するための知識を。

 たしかに自分は天遣騎士団の中でも特に人間達との交流が下手だ、その自覚はある。だからこそ従うしかない。妥当な命令に逆らうことは天士の彼女にはできない。

 けれど、それゆえに日々鬱憤は募っていく。

「今日は何をするの?」

「知らん」

 つっけんどんに答えるアイズ。本当に知らない。一ヶ月間、この少女の監視以外には何も仕事をしていない。ずっと城の中に篭もって質問に答えたり、無意味にしか思えない遊びに付き合わされたりする日々。

 そうするうちにわからなくなってきた。自分は今、どうして、なんのためにここにいるのかと。

 どうやらリリティアも同じのようだ。

「もうずっとお城の中だし、いいかげんやることもなくなってきたよね」

「……そうだな」

 珍しく意見が一致した。そう思ったアイズの顔を指差し「あっ」と声を上げるリリティア。眉をひそめて見つめると言われた。

「笑った! アイズ、今ちょっとだけ笑った!」

「笑ってない」

 突然何を言い出すのだ、この娘は。自分が笑ったりするはずもない、何も面白くなどないのに。

 なのにリリティアはしつこく食い下がる。

「笑ったよ! ぜったい笑ったもん、えへへ」

「早く食え」

 何が嬉しいのかわからないが、自ら笑い続けたままのリリティアに食事を促す。こっちはとうに食べ終わっているのだ。

 少女は「はーい」と言って食事を再開した。そして、親切さを装って茹でたニンジンを皿の端に寄せながら言う。

「アイズ、ニンジンあげる。食べていいよ」

「自分で食え。お前がその野菜を嫌いだということは、ちゃんと覚えている」

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