欠け落ちたもの
クラリオの中心、旧時代の帝国の象徴。天を突くようにそびえ立つ尖塔の最上階に天遣騎士団長ブレイブは自らの執務室を置いた。千年も放置されていた遺跡なのでお世辞にも綺麗だとは言い難いが、最低限“部屋”として使える程度には補修してある。
そこでトークエアーズからの報告を受ける。
「──以上が先刻、市街にて新たに発生した魔獣被害の概要です」
「なるほど、アイズの報告と齟齬は無いな」
先に来た彼女から聞いた話と全く同一の内容。少しだけ安心した。
「あいつは、まだ嘘をつけるほど成長していないらしい」
「はっ……」
──オルトランドに降臨してから一年。その間に天士達にも徐々に変化が生じていった。人間との交流によって学び感化された彼等の大半は今や感情を有し、命令が無くとも独自の考えに基づいて行動できる。
だが、アイズは他に比べて変化に乏しい。
「人間の場合、女子の方が早熟になりがちなのにな」
「はあ……そうなのですか」
「そうなんだよ。まあ、正直なのは良いことだ。例によってやりすぎる傾向はあるものの、お前がいれば大丈夫だろう。今後も頼むぞ」
「はい」
敬礼しつつ、妙なことになったと改めて思うエアーズ。終戦後、彼はすぐにアイズ副長の補佐役に任じられた。理由は不明。ブレイブ団長は「あいつ、お前には若干心を開いているようだ」と説明してくれたが、自分と他に対する彼女の態度の違いを判別できた試しは無い。
ともかく団長は自分を妙に信頼してくれているようで、そしてアイズ副長のことは実は信用していない。だから自分と彼女、両方から二重に報告を受けて嘘が無いかを確かめているのだろう。
それでいてアイズに寄せる感情は好意的に見える。心というものを理解すればするほど不可解になっていくのだから奇妙な人だ。
「さて、もう一つの話をしよう」
椅子に背を預けていた彼が前へ乗り出す。机の上で手を組み、正面からエアーズの顔を見上げた。
「改めて確認するが、唯一の生存者はうちで保護したんだな?」
「はい、事後報告になってしまい申し訳ありません」
「緊急事態だ、それは構わん。重要なのはアイズが許可したという事実。確かか?」
「条件付きですが許可を頂けました」
「そうか、なら問題無い。魔獣化の兆候も無いんだろう?」
「副長はそう仰っていました。念の為に医師にも確認してもらいましたが、何もおかしな点は見当たらないと。普通の人間の少女だそうです」
「何より。容体は?」
「現在は安定しています。かなりの血を失っていましたが“生命の水”を点滴したことで持ち直しました。こちらも事後報告になってしまい……」
「構わん、必要ならいくらでも使えと言ったはずだ」
「はい」
生命の水とは錬金術によって造り出される人工血液。血液には相性があり、相性の悪い血を輸血すると患者を逆に死に至らしめてしまう。だからといって簡単に相性の良い血を手に入れられるとも限らない。
だが生命の水はあらゆる人間の血に適合し命を救うことが出来る。高価な代物だが人の命には代えられない。そもそも命を救うため開発されたものだ、人命救助に使ったことを咎めては意義を失う。
「とはいえ、何度も使えるほど備蓄があるわけでもない。犠牲者も増える一方だ。アイズには頑張ってもらわないとな……」
「はい……」
二人とも暗い顔で嘆息する。むしろ彼女は頑張り過ぎているくらいだ。それはわかっている。それでも今の彼等には彼女以上に頼れるものがない。
クラリオでは今、魔獣被害が立て続けに発生している。高い防壁に囲われ少数ながらも連合軍の兵士と天遣騎士団が常駐するこの街でだ。
原因は全く不明。帝国市民を迎え入れた直後から始まり、一ヶ月経ってもどこから侵入されているか突き止められなかったため、別の任務で遠方にいたアイズを呼び戻した。
なのに、それでもなお真相がわからない。この世界の全てを見通せるはずの彼女の眼が何も見つけ出せない。
「……アイズの報告に、一つだけお前も知らない話があった」
「えっ?」
「お前達が被害者を城に搬送した後で見つけたらしい。現場は家具職人の工房だったそうだが、彼の作った商品全てにイリアムの研究資料に書かれていた暗号文が隠し彫りされてあった」
「!」
衝撃を受けるエアーズ。同時に一つの可能性が思い浮かぶ。
「では、私がしたことは間違いだったと……」
「わからん。普通の人間なんだろう、その子は? だが、普通の人間が魔獣という脅威を現代に蘇らせた。それもまた事実」
そもそも暗号文を商品に隠し彫りする意味がわからない。秘密裏に何かを企てていたというより、むしろ見つけ出した者に対する挑戦的な作為を思わせる。
あるいは、ただこちらの捜査をかく乱することが狙いか。
ブレイブはもう一度エアーズを見据え、釘を刺す。
「アイズにも言ったが、焦るな。慎重に調べろ。敵はきっと賢い。オレ達の想像を遥かに上回って来る可能性も考えられる。もしそいつの正体が“アイリス”なら、追い込まれているのもこっちかもしれんぞ」
翌日、例の少女が意識を取り戻したと聞き、アイズは早速病室へ向かった。見舞いではなく尋問が目的。そんな彼女をエアーズが引き留める。
「待ってください副長! まだ目を覚ましたばかりですよ!? それも両親を喪った子です、もう少し時間を置いてください!」
「待っている間にも次の被害が出るかもしれない。話を聞くだけだ、構わんだろう」
「いえ、ですから事件の話をすること自体──副長ッ!」
制止も空しくエアーズの横をすり抜け、病室のドアを開けてしまうアイズ。魔獣の大群に囲まれてすら無傷で帰って来るのだ。彼女がその気になれば止められる者などこの世にいない。
アイズは少女に対し事件現場であまりに酷な態度を取った。あれ自体トラウマになっていてもおかしくない。これから起こる事態を想定して覚悟を決めるエアーズ。せめて自分が間に入って少女を守ろう。そう誓った。
が──
「アイズ様!」
──少女は何故か嬉しそうに声を上げた。彼女を診察していた医師と手伝いの看護師も予想外の事態の連続に目を丸くする。二人も事情は知っているはず。
「ア、アイズ様……」
「お待ちを、この子はまだ病み上がりで」
「ねえねえねえ、遊んで! ここの人達、みんなまだ動いちゃ駄目だって言うの! 別にどこも痛くないのに! 変だよねっ?」
医師と看護師は訪問の意図を悟り、止めに入る。ところがその背後では少女がベッドを飛び下り、自らアイズに駆け寄って行ったではないか。エアーズも何がなんだかわからず言葉を失う。アイズでさえ戸惑い顔。
「なんだ、お前は……? 私に、遊んで欲しい……のか?」
「うん! 前にね、この街まで来る時に会ったでしょ! ほらっ、私は馬車でアイズ様は馬に乗ってて! あの時から気になってたの! だってアイズ様、すっごくきれいなんだもん!」
「……」
言われてようやく思い出すアイズ。そうだ、この少女は馬車から身を乗り出して自分に笑いかけて来た子供。だから見覚えがあった。
「あの時の……」
「覚えてたの!? やった、嬉しい!」
喜び勇んで跳びはねる彼女。可愛らしい仕種だが、しかしやはりわからない。どうしてそんなに親し気に接して来ることができる?
「あの時のことを覚えていないのか?」
「あの時?」
「お前の両親が死んだ直後のことだ」
「副長!!」
止めるのが遅れてしまった。悔やみながらアイズの腕を引くエアーズ。しかしアイズは正面を見据えたまま微動だにしない。いっそう怪訝な表情。視線を辿って少女を見た彼は戦慄する。
「……」
これまでの無邪気な態度が嘘だったかのように虚ろな顔で固まっている少女。場を沈黙が支配し、緊張のあまり医師が唾を飲み込んだ、その音が響いた時──
「あれえ、アイズ様だ!? よかった、また会えた! いつのまに来たの? ねえねえねえ、遊んでよ!」
時が戻ったかのように生気を取り戻し、そしてアイズに笑いかけた。
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