安息の崩壊

 とんてんかん、とんてんかんと響く槌の音。リリティアは父の発生させるこの音が好きである。

 復興作業が続くクラリオの街。ここでは当然、家具の需要も高い。家具職人の父は連行されて以来ひっきりなしに舞い込む注文に対応すべく大忙し。おかげでなかなか一緒には遊んでもらえない。

 もっとも、そんなのは昔から同じ。だから彼女はサラジェに住んでいた頃も、よく父の工房に入り浸っていた。

「おかしな子ね、こんなところで本を読むなんて。うるさくないの?」

 お茶を持って来た母が呆れる。リリティアは父が作った椅子に腰かけ読書中。もちろん売り物でなく彼女のため用意された専用席。母ならたまには座ってもいい。

「うるさくないよ」

「ほんと、変わった子だこと」

 母レリディアは肩をすくめ、それから父の前にカップを置いた。すると父エメルは作業の手を止め、一服しつつ笑う。

「いいさ、好きなだけそこにいろ。父さんもその方が安心できる」

「あなた」

「お前だって外に行かせたいわけじゃないだろ?」

「それは、まあ……」

 不承不承頷くレリディア。しばらく前からリリティアには外出を控えるよう言ってある。彼女達だけでなく、今はどこの家も子供を外に出さない。

 この街には帝国全土の人間が集められた。区画ごとに同じ出身地同士で身を寄せ合っているとはいえ、他の地方の出身者と出くわすことも少なくない。帝国は広かったので様々な文化や風習が存在する。それが原因で軋轢が生じることもあるだろう。さらにここでは人間同士のいざこざよりよほど深刻な問題が生じている。一番心配なのはそこ。

「天士様が例の件を解決してくださるまで外で遊ばせることもできやしない。ならせめて好きな場所にいさせてやろう。ここならいつでもオレがいる」

「そうね。リリティアも、そういうのをわかっててここにいるのかしら?」

「子供こそ大人より敏感なもんだ。それにリリティアは賢い。なあ?」

「えっ、わたしって頭いい?」

 エメルに褒められ、ようやく本から顔を上げる娘。けれどレリディアは甘くない。夫が飴なら自分は鞭。すかさず脇腹をくすぐってやる。

「親の贔屓目っ! 馬鹿だとは言わないけど、宿題をきちんとやらない子はいつか絶対にそうなっちゃうんだから。ほら、遊ばないならいいかげん済ませなさい! 明日また先生が取りに来るわよ!」

「うひゃはひゃひはははははっ!? わ、わかった! する! するからやめてっ!!」

「よし、取って来なさい! やるのはここでいいから」

「はーい」

 唇を尖らせて本を閉じ、母屋の方へ走って行く娘。両親は目を細める。

「大事な仕事だからって早々にこんな良い家をもらっちまったし、恩返しのためにも娘のためにも頑張らないとな」

「そうね、色々あるけど、思っていたよりずっと普通に暮らせてる。でも、いつまで続くのかしら」

「さあな……」

 二人揃って頭上を見た。ここからでは天井しか見えないが、この一ヶ月ですっかり癖がついてしまった。


 ──天遣騎士団がクラリオに来て最初にしたことは、街を囲む防壁の修復だったという。

 いや、より正しく言うならそれは増設工事だった。かつて築かれたものよりさらに高く、そして分厚くなった壁はクラリオの周囲をぐるりと一周している。

 出入口は南に一ヵ所だけ。他には無く、唯一外界に繋がるそこは連合軍の兵達によって厳重に警備されており、何者であろうと自由な出入りはできない。旧帝国民にはその権利すら無い。

 だから市民は外の世界が恋しければ空を見上げる。天井の無いそこだけが彼等にも目にすることのできる外界の景色なのだ。

 ここは巨大な収容所。旧帝国民を隔離し保護するための監獄。暮らしているのは天士と兵士、そして囚人たる自分達だけ。

 刑期が何年かは誰も知らない。仮に出られたとして故郷もすでに失われた後。旧帝国領のうち比較的暮らしやすい地域は連合参加国が分割してそれぞれの取り分にした。だから帰ってもきっと新しい住人がいて、追い返されるのが関の山。


「ずっと、ここで暮らしていくことになるのかしら……」

「かもな。だとしても外よりはマシだ、ずっと……」

 自分達が大陸中から恨みを買ったことは、護送されて来る途上で知った。天遣騎士団が目を光らせていても家族や友人の仇が眼前にいたら人は何をしでかすかわからない。実際耳を塞ぎたくなるような凄惨な事件も起きてしまったらしい。

 だから天遣騎士団はこの監獄を用意した。旧帝国領の奥地、連合に参加した諸国も全く欲しがらなかった辺境の地。ここに隔離しておけば安全は保たれる。万が一のため彼等は監視役の名目で警備まで引き受けてくれた。天士達は旧帝国民全員の恩人である。それがわかっているから自分達も文句を言わない。ごく一部の例外を除いて。

「あの方々は今のところ親身に接してくれている。馬鹿共が怒らせなきゃいいが」

「そうよね……」

 ただ、彼等の気持ちも少しだけわかる。唯一残された安住の地。子供達は残りの一生をこの獄中で過ごすかもしれない。そう思うとやるせない気持ちにもなるのだ。

「ふう、ありがとう。さて、もう一頑張りだ」

「うん」

 妻の持って来てくれた茶で一服したエメルは、軽く体の凝りをほぐしてから作業を再開した。今はただ、いつか許される日が来ることを信じて働き続けるしかない。自分達大人が責任を果たせば子や孫の代ではそれが叶うかもしれない。



 ──ああ、けれど、人の願いはいつだって儚い。



「きゃああああああああああああああっ!?」

「リリティア!?」

「どうした!!」

 突然の悲鳴。慌てて娘の元へ駆けつけた二人は信じられない光景を見た。そしてそれが彼と彼女の最期の記憶になった。




「!」

 悲鳴を聴いた時、アイズは二名の部下と共にすぐ近くを巡回中だった。迷わず声のした方向に走り出す。

「急げ!」

「はい!」

 走り出す三人。同様に悲鳴を聞いて立ち止まっている市民達の間をすり抜け、瞬く間に数十m先の現場へと到着する。

 そして、その時にはもう彼女の視線は壁を透視し内部の状況を把握していた。

「他の者を近付かせるな!」

「了解」

 指示通り外に残って通行人や近隣住民への対処に当たる部下達。アイズだけは剣を抜き、壁を切り裂いて瓦礫ごと中に突入する。派手な音が立って粉塵は渦を巻いた。

「グルァッ!?」

 驚いて振り返ったのは狼型の魔獣トーイ。場所はリビング。周囲は血の海。魔獣の背後に人間の少女。壁にもたれて虚ろな表情をしている。左肩から左腕にかけておびただしい出血。

 だが、床の血の大半は彼女のものではない。すでに息絶えている成人の男女の血。おそらくは両親。

「ガ──」

 魔獣は襲いかかってきた。だが、その瞬間には真っ二つになっていた。アイズが有無を言わせず唐竹割りにしたのだ。

 左右に別れて落ちる死体。まだ痙攣しているそれから視線を外し、少女の方へと意識を戻す。

「あ……ぁ……」

 必死に手を伸ばしており、目には涙。年齢は推定十歳以上。視線を辿ると両親の亡骸を見つめていた。

 どことなく見覚えがある。ここ最近は毎日市街を巡っているから、その間に見たのかもしれない。あるいはクラリオへの護送中。はっきりとは思い出せなかった。

 どうでもいい。今は別の質問を投げかける。

 剣の切っ先を突きつけて。


「何者だ?」

「ぇ……?」


 少女もこちらを見上げる。質問の意図を理解できていない顔。

 嘘は無いように思える。だが、わからない。今度の敵には何度も欺かれた。これも奴の計略の一部かもしれない。目の前の少女が“あれ”でないという確証は皆無。

「何者かと訊ねている。名前と出身地を言ってみろ」

「なま……ぇ……」

 少女は答えなかった。それは両親の死で動揺しているからなのだが、彼女は回答を拒否したと受け取る。

「答えられないのか」

「……」

「答えたくないのか」

「……」

「そうか、わかった」


 いや、わからない。全てを見通す瞳には何の異常性も映っていない。少女は、おそらくただの人間。

 だが、だとするならこの状況と噛み合わない。何故こんなことが起きた?

 アイズの背後には両断されてなお痙攣を続ける魔獣の死体。兵士が常に外界との接点を見張り、天遣騎士団の一部が常駐するこの街に敵が侵入した。通常では考えられない事態。しかし実際に起こった。

 少女の身内らしき男女は死亡。両者とも首から大量に出血。抵抗した跡が無いことから遭遇するなり一瞬で殺されたものと考えられる。

 それも奇妙。何故この娘だけまだ生きている?


(魔獣は人間を殺すことに特化した生物。誰かにそう命令されない限り手加減などしない。事実、他の二人は即死。なのにどうして生き残れた?)

 やはり疑わしい。現在のクラリオの状況で不安要素を放置するわけにはいかない。彼女は少女の首に押し当てた剣を一旦離す。

 そして、それを振り被り──

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