悪意の奔流(1)
直後、アイズは突然目を見開き、警告を発する。
「団長、今すぐ兵を止めろ! 後退させるんだ!」
「なに?」
彼女がこんなに焦る姿を初めて見た。それに理由がわからない。眉をひそめたブレイブがアイズの視線を辿り、前方の帝都を見据えた瞬間──
地獄が溢れ出した。
「なっ……」
悲鳴が上がる。連合の兵士達でなく、壁上で待ち構えていた帝国兵達の絶叫。
食われて、飲み込まれて行く。壁の内側から溢れ出した大量の魔物に。これまでに見たことがない異形の数々に。
「なんだ、あれは……」
異質すぎる。これまで見て来たイリアム・ハーベストの“作品”と比べ、あまりに違い過ぎる。もっと歪で醜怪な化け物の群れ。それが壁の内側で膨れ上がり、収まり切らなくなって外へこぼれて来る。味方のはずの帝国兵を巻き込みながら。
「どういうことだ……」
「……」
ノウブルも、そして他の天士や連合兵も命令される前に足を止めて悪夢のような光景に魅入っていた。
そこへ、さらに──
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
凄まじい雄叫びを上げて都の中心から飛び上がる巨影。鯨のように大きな生物が蝙蝠に似た翼を広げて空中を旋回する。顔や体型はまるでトカゲ。
「ドラゴン……?」
「ず、ずっと昔に絶滅しただろう……千年前の戦いでいなくなったはずだ!」
「まさか、あれも魔獣なのか!?」
そうだ、おそらくは魔獣。千年前の大戦で絶滅した竜。イリアムならそれを魔獣化させ蘇らせてもおかしくない。
しかしとブレイブは冷静に観察する。竜は地上を這いずる小型の怪物達に炎を吐きかけ攻撃していた。突如溢れ出した怪物達も逆に空中の竜に飛びついて反撃する。
あれらは敵同士らしい。推察通り巨竜がイリアムの用意していた対天遣騎士団の切り札だとするなら、小型の魔獣達は──
「人間だ」
その答えを、問われる前にアイズが伝えた。
最悪の予想のさらに上をいく答えにブレイブは戦慄する。
「人、間……?」
「都にいた十万の市民と帝国兵の大半があれになった。突然、人間から変化した。聞いていないぞ、人が魔獣になる場合もあるのか? 過去にも同じ現象が起きたことが?」
「……いや」
初めてだ。少なくとも彼が知る限り完全に初めての事例。
今までなら、そんなことは起こり得ない。
だが、これからは違う。
「お、おい、あの化け物共……」
「こっちに来る! こっちに向かって来てるぞ!?」
「数が多すぎる! いくら天士様達がいても、あんなの無理だ!」
後方の兵士達は半ば恐慌状態。初めて見る怪物があれだけいたら仕方ない。天士ですら困惑を隠せずにいる。
だから、もっと状況を簡潔にしよう。ブレイブは素早く決断を下す。
「能力を使う。アイズ、ノウブル、承認を!」
「承認する」
「承認する。それ以外あるまい」
すぐに許可を下す二人。確認したブレイブは後方のザラトス将軍にも呼びかけた。
「将軍閣下! 能力使用の許可を!」
「承認します!」
流石は歴戦の将。この状況下でも冷静さを保ち対抗策を練っていたのだろう。こちらもすぐに頷き返す。
瞬間、ブレイブの周囲に光る鎖が現れ、弾け飛んだ。
そして風が吹き始める。彼を中心に、猛烈な突風が渦を巻いた。
これが誰にも見せたことのないブレイブの力。同じ天士達と連合軍の一部の幹部だけが知り、そして実際には見たこともないまま契約を交わして封じた能力。発動には副長二人と契約に携わった人間のうち誰か一人の承認が必要となる。
嵐。
シンプルに、それを生み出すことだけが彼の力。あまりに強大で、なおかつ制御が利かない諸刃の剣。エネルギーを刀身に纏わせ、大上段から振り下ろすと同時に解き放つ。
「暴れ、渦巻き、破壊せよ!」
放たれた不可視のエネルギーはこちらに向かって来る敵を吸い込み、回転しながら直進して帝都を守る防壁に激突した。瞬間、一部が崩壊して天高く吹き上げられる。力の源はさらに直進して帝都中心部にまで到達し、そこでようやく本領を発揮する。
嵐が出現した。都一つを取り巻く巨大な風の渦。突如出現した小型の魔物達がその乱流に巻き上げられて宙を舞い、微塵に切り裂かれて行く。巨竜も中に閉じ込められて怒号を発した。
これでしばらくは時間を稼げる。一人の天士の姿を捜す彼。
「エアーズ! どこだ!?」
「今来る」
アイズの言葉通り、細身で長身の天士がもう一人別の天士を伴い、空を蹴って近付いて来た。
「団長ご指示を! 味方が混乱しています!」
「わかっている、嵐に巻き込まれないよう今朝いた地点まで後退させろ! 天遣騎士団も同行するんだ! 一時的に指揮権をお前に預ける!」
「私が? 副長達ではないのですか? それに団長はどうするのです?」
「オレとアイズ、そしてノウブルは帝都へ行く! もはや敵は壊滅状態だが首魁の二人を取り逃がすわけにはいかん。それに、あのデカブツは嵐でも倒し切れんようだ。直接攻撃して片付ける」
「わかりました、ご武運を」
天士に感情は無いし団長の命令には忠実に従う。トークエアーズという名の彼も疑問が解決するとあっさり指示を受け入れた。
直後、彼は能力を使う。指揮権の一時的な移譲を明確にしてもらわなければならない。
「どうぞ」
「ああ」
頷き、声を張り上げるブレイブ。エアーズの能力がそれを広い戦場の各地へ伝播させる。単なる拡声ではなく音の長距離伝達。それが彼の力。
『天遣騎士団長ブレイブより連合の兵士達に告ぐ! 嵐に巻き込まれぬよう今朝まで陣を張っていた地点へ後退せよ! ただし包囲は継続! 帝都から逃れる者あらばこれを全て殲滅すべし。魔獣も兵士も、市民であっても!』
「何?」
予想外の命令に目を見張る天士達。兵士達も困惑する。天遣騎士団が現れて以来、これまで一度たりとも非戦闘員への攻撃を命じられたことはない。
構わずブレイブの言葉は続く。
『これより私と二人の副長は帝都に侵入し、竜と首魁の二人を討つ! その間、こちらの指揮は天士トークエアーズに委ねる! いいか、もう一度厳命する。何者も決してこの地から逃してはならない! 二度と悲劇を繰り返させないために!』
「──どういうことなんだ?」
帝都に向かって走りながら問い質すノウブル。すると、その質問に答えたのはブレイブでなくアイズだった。
「人間が魔獣化した。なら帝都から逃げ出す者は一人として信用できない。そういうことだな団長」
「ああ」
人が魔獣になる。そんな現象は今まで一度も起きたことがなく、それゆえ原因も定かでない。不確かな情報を与えることは自軍の混乱を余計に煽る。だからあえて詳しい理由を語らず、あのような形で命令した。
「人の姿をしているからと言って、それが本当に人間かはわからない。お前らも油断するなよ、あの中にもそうやって油断を誘う敵がいるかもしれん」
「了解」
「団長、右から飛んで来る大きな破片、あれを利用しよう」
アイズが目線で示した方向からブレイブの砕いた壁の破片が風に乗って飛んで来ている。彼女が言うならそれが一番確実な手段に違いない。頷き合ったブレイブとノウブルは早速実行に移す。
「フッ!!」
三人がそれぞれのルートで瓦礫を蹴ってかけ上がり、飛来する巨大な破片の上に乗った。下から突き上げて来る強烈な風は、それでもさらに彼等ごと残骸を高々と舞い上げる。
空中から見下ろした帝都は全域が炎に包まれていた。
「あのデカブツのせいか」
「それとお前だ」
竜の吐いた炎がブレイブの起こした風に煽られ火勢を増した結果。外周部の強烈な乱流に阻まれているため外へ漏れ出すことは無さそうだが、帝都内部は数時間で完全な焦土と化すだろう。
「おい待て、ドラゴンはどこだ?」
「真上にいる」
激烈な風とそれに混じった粉塵。兜の隙間から入って来るそれに顔をしかめつつ、すぐさま標的を見つけ出すアイズ。巨竜は嵐からの脱出口を探しており、現在は三人の頭上を旋回中。
「おそらく強引に突破することも可能だぞ」
奴がその気になった場合、外の人間達が危険に晒される。
「どうする? 先に倒すか、それとも
「お前達は城へ行け、奴は俺が倒す」
言うなり、許可を待たず別の瓦礫へ跳躍して、同じことを繰り返しジグザグに上昇するノウブル。信じ難い行為にアイズは目を見開く。
「一人で戦う気か?」
いくら彼でも無謀。あんな巨大な魔獣は団員全員でかかってようやく勝てるかどうかのはず。そう思ったのだがブレイブの意見は違った。
「あいつならどうにかなる! 俺達は城へ向かうぞアイズ! 奴等を捜すにはお前の目が必要だ!」
根拠に乏しい選択。しかし団長の判断がそれなら、部下は従うしかない。
「了解」
二人を乗せた瓦礫は暴風に運ばれ外周を回り続けている。ノウブルの真似をしようにも手近に適当な足場は見当たらない。城へ近付くには地上を行った方が良さそうだ。風から抜けられる道を見極めたアイズは、ブレイブの手を引いて飛び降りた。
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