黒い天士(2)
──数日後、アイズは森の中で味方の死体を見下ろした。さっき殺されたばかりの彼はまだ瞳が濁り切っておらず、あの時と同じように彼女の姿を映している。
耳に届くのは、同じように彼を見つめる兵士達の声。
「ナーデルホックで志願して来たガキか」
「せっかく運良く生き延びてたのに……こんなとこで死んじまいやがって」
「手柄を焦ったんだろ。後ろにいりゃいいって言ったのに……馬鹿だよ」
「英雄になりたかったのかもな。子供らしいっちゃらしい死に方だ」
敵の数が多かった。ここ一ヶ月では最大規模。
とはいえ、アイズの能力によってその数も配置も全て読み切られていた。だから簡単に終わる戦いのはずだった。天遣騎士団が先陣を切って斬り込み、取りこぼした分を遠巻きに包囲した連合の兵士達が仕留める。
そういう作戦で実際に上手く機能していた。なのに、たった一人だけ死者が出た。
あの時の少年兵。彼の仲間達が縋りついて泣き出す。
「なんで、なんで、ボウレ……」
「どうしてだよっ!?」
「アイズ様、どうして助けてくれなかったんです? 知ってたでしょう、コイツ、貴女のことが──」
「助けられる位置にいなかった」
問いかけて来た少年に淡々と事実を告げる。兜の下から覗く瞳には何の感情も浮かんでいない。
「あの時、彼は急に飛び出して来た。あのタイミングと位置関係では、私には彼を助けることは不可能だった。全ては判断を誤った彼の自己責任だ」
「そ、そんな言い方って……」
「あいつはアンタが危ないと思って助けに行ったんだ!」
「私が?」
たしかにあの時、大型の魔獣と切り結んでいた。しかし苦戦した記憶は無い。他者にはそう見えたのかもしれないが。
「だとしたら、やはり判断を誤った。そもそも彼が介入したところで状況を変えることはできない。君達も自分の力を正しく把握しておくべきだ。勝てない相手には立ち向かうな。彼のように命を落とす」
アイズが教訓を説き、亡骸を指差すと、何故か少年兵の一人は激昂してしまった。我を忘れてまっすぐ殴りかかってこようとする。
「取り消せ!」
遅い。あまりに遅すぎて拳が届くまでに百回以上殺せる。
おかげで判断には時間をかけられた。
(庇護の対象。暴力的な対応は不可。回避を優先)
拳が触れる直前、左に回避。少年兵は勢い余って木の根に躓いて転倒し、他の兵士達に取り押さえられる。
「止めるな! 放せ、放せよ!」
「ざけんな! 相手を誰だと思ってるんだ!?」
「いいかげんにしろ小僧!」
「うるせえ、思い知らせてやる! ボウレはいいやつだったんだ! なのに、澄ました顔でバカにしやがって! 絶対ぶん殴ってやる!」
「……」
理解出来ない。彼我の戦力差は明白。周囲もこちらに味方している。
彼に勝ち目は無い。なのに、どうして戦闘継続を望む?
(やはり、人間は不可解な生物だ)
余計に刺激しない方がいいのかもしれない。アイズは黙って立ち去ることにした。その背中へ何度も投げかけられる罵声。
けれど、彼女の表情は微動だにすることも無かった。
異界から来た邪悪なる神々との戦いにより世界は三つに分断された。ガナン大陸と東のルガフ大陸の間には銀色の霧が立ち込め、その海域に侵入した者達はことごとくが巨大な怪物の餌食となる。
南西に位置するバダヤ大陸との間には巨大な絶壁が立ちはだかる。大異変によって海底が隆起し、海上に忽然と姿を現したかの山脈を船で越えることは不可能。仮に自分の足で峻険な岩山を乗り越えたとしても、その先で待つのはさらなる地獄。どういうわけか常に煮え滾っている海とそこから立ち上る蒸気が行く手を阻む。
だからもう、誰にも大陸間を行き来することはできない。
「どうしたアイズ? どこを見ている?」
「海だ」
野営中、焚火を挟んで天遣騎士団の団長と副長が言葉を交わす。他は誰一人、その場へ近付こうとしない。万が一にも機嫌を損ねたらと思うと近寄れない。
アイズは海を眺めていた。北上する戦線の中央、内陸にいながら別の大陸へと続く航路を見渡している。
「よその大陸でも見てみたいのか?」
「そう思ったが、見通せない」
千年前の戦争で邪神が刻んだ傷痕のせい。立ち上る瘴気が今も三つの大陸を完全に分断しており、神の祝福を受けた自分の瞳でさえその先を見ることは叶わない。
「どうして急に興味を持った?」
「他の大陸の人間もここと同じなのかを知りたかった」
「また怖がられるようになったからか?」
「そうだ」
ブレイブに馴染んで来たと言われたばかりだったが、自分はまた人間達から避けられるようになった。誰も目を合わせようとしない。姿を見るとあからさまに離れていく。昼の一件が原因だろう。
しかし理解出来ない。あれがどうして交流の妨げになるのか。少年兵の怒りが他の兵にまで伝播したとでも?
「私は彼を守れなかった。だから恨まれた。そういうことか?」
「違う。あれはお前の言う通り、あのボウズの自業自得だ。皆、それは理解してる。あの怒ってたガキもな」
「では、どうして」
「教えてやるのは簡単だが、できれば自分で考え続けろ。その方が成長できる」
「わからない。そう思う根拠は?」
「経験則だ」
「……」
そう言われてしまうと、こちらも返す言葉が無くなる。たしかに自分達は経験不足なのだから。
わからないことは他にもある。
「戦争が終わったら、私達はどうなる?」
「天界に帰るさ」
「そこは、どういうところなんだ?」
アイズは天界についてほとんど覚えていない。気が付いたら真っ白な部屋にいて、直後に他の天士達と引き合わされた。それからは同じような空間で戦闘訓練を繰り返す日々。
どれだけの間、あの場所にいたのだろう? 昼も夜も無かったからわからない。さほど長い期間ではなかったと思うのだが。
ブレイブは当時からの指導官。あの頃の彼はなんでも質問に答えてくれたが、今はそうではないらしい。
「帰ればわかるさ」
「そうか」
やはり答えをはぐらかされた。彼が天界について語りたくないということは、以前から察している。だが深く追求する理由は無いので黙っている。
ブレイブは椅子代わりの大きな石の上に座ったまま促す。
「そろそろ寝ろよ。いくら天士とは言っても、休める時に休んでおくにこしたことはない。お前もう三日も寝てないだろう?」
「不要だと思った。だが、たしかに少し疲れた」
「今日の戦いはそれなりに敵が強かったからな」
「ああ、やはり少しずつ魔獣が強化されている。一刻も早くあの男を見つけ出さないと」
「焦るな。どうせ帝都にいる。ジニヤがあいつを手元に置いておかないはずはない」
「そうだな」
イリアム・ハーベスト──それが皇帝ジニヤに並ぶ最優先討伐対象の名。天才的な錬金術師であり現代の魔獣達の生みの親。彼を倒さない限り、帝国を打倒したとしても魔獣の脅威が消えることはない。
アイズはすぐ近くのオレンジ色の天幕に入った。彼女専用の寝床で他の立ち入りは禁止されている。
「朝まで休息する」
「ああ」
「団長も休むべきだ」
「休むさ、ここでな。火の近くが一番落ち着くんだ」
やはり彼の言動も人間同様不可解なものが多い。おかげでわからないことばかり増えていく。
いや、どうでもいい。使命を果たすだけ。この休息もそのためのもの。
天幕の入口を閉じた後、鎧を外して服も全て脱ぐ。毎日身を清めろと言われているので人間の従者が用意してくれた水と清潔な布で肌の汚れを落とす。
白い肌。きめ細かく傷一つ無い。
そこに、いつも違和感を覚える。
以前からこうだったろうか?
(傷……そうだ、たしか手の甲に傷が……)
あったはずなのだ。けれど何度見てもそんなものはない。いったい、いつの間に消えてしまったのか。あんなに消えて欲しいと願っていたのに、本当に消えると寂しく──
「寂しい……?」
それがどんな感情だったか思い出せない。傷の記憶もすでに曖昧になっている。戦場で見た誰かのものを自分のそれだったかのように誤認したのかもしれない。
疲れているからだ。そう思ったアイズは新しい服を着て横になった。毛布の中に肩まで入って瞼を閉じる。
──すみ──ラ、ゆっくり眠れ。
すぐ近く、あるいはどこか遠くから、そう囁かれたような気がした。その声に導かれるように淀みなく眠りの中へ沈んで行く。
頭を撫でられているような、そんな錯覚も覚えた。
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