第7話 か、勘違いしちゃうからね!

「ちち、違うの」

 やってきた女の子の言葉に、塩里さんは焦っていた。慌てる塩里さんも珍しい。

「違わないよ!」

「違うって。この人は、はす向かいに住んでる東豊くん」

「あー、お姉ちゃんがよく話してる」

「なっ、それは言わないで……」

 最後の方は声が小さくなる塩里さん。

 どういう風に言ってるのだろう。気になる。

「そ、そうそう。東豊くんには言ってなかったね」

 塩里さんは何かを誤魔化すように言い始める。

「こっちは妹の亜優あゆ。学年いっこ下なんだよ」

 そう言われて、年洋は亜優さんが塩里さんと同じ制服を着ていることに気付いた。

「え? でも亜優さんって、俺らと一緒に学校行ってないような……」

 最近は塩里さんと登下校一緒だが、亜優さんと一緒になった記憶は無い。

 もしや、本当は他の人に見えない存在なのでは……。怪談の季節には、まだ早い。

「亜優はテニス部で、朝練があるから朝早いの」

 あ、なるほど。で、部活で帰りが遅いから一緒じゃない、と。

「それよりお姉ちゃん、おなかすいたぁー」

「あっ、ごめんなさい。すぐに準備するから」

 そう言って、塩里さんは部屋を出て行った。

 一人、部屋に残された年洋。片付けも終わったし、ここには居づらいので帰ることにした。

「それじゃあ、俺は帰るよ」

 年洋が部屋を出て廊下の亜優さんとすれ違おうとした時、不意に手を掴まれた。柔らかくて小さな手の温かみに、思わずドキッとしてしまう。

「せーんぱいっ!」

 かわいらしい声で発した亜優さんは、年洋よりも少し背が小さい。当然、塩里さんよりも小さい。

 そんな亜優さんは両手で手を握り、かかとを思いっきり上げる。大きな目のかわいらしい顔を近づけてきた。

 亜優さんの唇が、年洋の顔に近付く。

「え……?」

 顔に来るかと思ってしまったその唇は、年洋の耳元へと進む。

「お姉ちゃん彼氏いないから、チャンスだよ」

 亜優さんは耳元でささやく。少しくすぐったかった。

 亜優さんがかかとを下げると、顔は遠ざかっていった。

「それじゃあ、先輩……ってぇ、顔真っ赤だよ?」

「ぅあ」

 鼓動が早いのは自分でも分かる。その音は大きく聞こえていて、亜優さんに手を通じて伝わってないか、心配だ。

「あっれぇ? もしかして、ぼくにドキドキしたのぉ?」

 平然とイタズラっぽく訊いてくるが、それは否定出来ない。

「でも、こんなちんちくりんなぼくより、お姉ちゃんの方がおトクだと思うけどなぁ」

 何がどうおトクなのだ?

「じゃ、先輩。ウチまで送っていきますよ」

「ウチって、ここから数歩のはす向かいなんだけど」

「いいからいいから」

 年洋は亜優さんに握られたままの手を引っ張られていった。


 塩里さんの家を出ると、年洋の家はすぐそこに見えていた。もう陽は落ちてしまっている。

「あの……亜優さん?」

「亜優でいいよ」

「亜優……ちゃん?」

 名前オンリーは、まだちょっと抵抗がある。年洋、最大限の譲歩だった。

「その……手を」

「あっ!」

 亜優ちゃんは言われて、まだ手を握っている事に気付いた。すぐに年洋の手を放す。

「にしし。ごめんごめん」

 亜優ちゃんは照れ隠しに笑った。亜優ちゃんは普段もかわいらしい感じだが、笑うとかわいさが増すように思える。

「それじゃあ、帰るから」

「じゃあねぇ、先輩! また来てねぇ!」

 亜優ちゃんは自分の家に向かう年洋の背中に向かって近所中に聞こえるんじゃないかという大声をかけ、全力で手を振っていた。

 そんな亜優ちゃんに見送られながら、年洋は家へと入る。

 そこで気付いた。

(また、お姉さんに会えなかったよ……)

 お姉さん、近いようで遠い。

 家はこんなに近いのに。

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