異世界の会話のススメ

@yauyau_shiroku

第1話 現代日本の生き方のニガテ

「You Win!」


 真っ暗な部屋の中で唯一とも言える光源であるスマートフォンの画面にその表示が出るのを見てため息をつく。

 約3時間ほどかけたとはいえ、ここ2週間外出どころか部屋から1歩も出ていない彼女にとっては「勝ち」という単語はむしろ皮肉めいて見えてしまう。


 20歳。中学から不登校になり、それからひと月に1回ほどの外出を除けばスマートフォンのみを唯一の社会との交流としている。家族はいるものの、ほとんど話していない。むしろ実はいなかったのではないかと楽観視してみるが、たまに聞こえる口論の様子を見るに残念ながら健在らしい。いや、そんなこと言えた身分では無いが。


 伸ばしっぱなし汚しっぱなしの髪は頭皮の油によるものなのか、奇妙な光沢を帯びたまま胡座をかいた今でも床に束を作っている。

 当然顔も酷い有様であり、唯一綺麗と言えるものは中学の頃に頭が良く見えそうだということで買ったブルーライトカットの眼鏡のみ。こちらはゲームや本にすら飽きた時に頻繁に磨いているため、中途半端にズボラな人間のものよりむしろ綺麗なのである。

 そんな有様の彼女は画面を見つめて一言。


「あー、異世界行きてぇ」


 異世界に行ったところで果たして彼女に何ができるのかという話ではあるが、もはや5年以上この半鎖国体制をとっている彼女にはそれが唯一の救いの道なのだ。

 つい、彼女の頭にライトノベルを頻繁に読んでいた学校生活の思い出がフラッシュバックする。


「○○ちゃんなに呼んでるのー?」

「あ! それあのオタクが読んでるのと同じやつじゃん!」

「えっ○○ちゃんオタクなの?」

「しかもこれエロいやつだ!」

「うわマジで? ちょっと見せろよ!」


 バン!

 力の限りにコントローラーを壁に投げつけ、布団にくるまる。感情に任せて叫んでしまいたいが、夜中に大声を出すと怒られるのでシーツを噛んで我慢した。

 当時もろくに人との交流がなかった彼女のメンタルは、今と変わらず文庫本のカバーと同じくらいに薄く弱いのだ。本を取られて泣き出して大事になった挙句、先生から「こういうものを持ってきたあなたも悪い」と言われた辺りまでトラウマを掘り返す前に、お気に入りのアイドルの曲を聴いて平静を取り戻さねば。


 そんな中、彼女の思考には先程の展望がまた姿を見せた。

 異世界に……異世界にさえ行けば…………。


「異世界に行けばなんとかなるのに……!」

「ほんとにそうかい?」


 彼女の耳元に聞きなれない声がした。いやまあ家族の声以外の声は大抵聞き慣れていないが。


「現代でも特に何もなしえていないのに、文化も言語も環境も違う世界で何ができるんだい」


 恐る恐る隣を見るが誰もいない。それなのに、声はやまない。


「世界が変われば、自分に才能があれば何とかなると思ってるのかい?」


 知ったような口で、穏やかな口調で声の主は布の殻にこもる彼女の心を抉り出す。


「現実逃避って楽でいいからねぇ、努力も何もせず周りが何とかしてくれる世界を空想する。罪悪感も何もありやしない」

「お前に私の何がわかる!」


 返す言葉もなにもないが、それでも怒りに任せて叫んだ。


「分かるとも。透けて見えるほどの浅い底だからねぇ」

「うるせぇ!」


 被っていた布団を跳ね除けて顔を上げると、景色が変わっていた。


 ベットがない。机がない。そもそもここは先程までいたはずの部屋じゃない。というか――。


「どうしたんだい? お前の望んでいた異世界とやらだよ」


 真っ白なだけで何もない空間だった。いや厳密には、目の前にいる老婆を除いて。


「歓迎するよマグチノドカ。これからあんたを異世界に連れていく」


間口和それは私のずっと捨てたかった現実の名前だった。


 

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