第4話 リーダーと王と
「老虎! お前、よかった」
彼は老虎の顔を見た瞬間、嬉しそうに笑みを見せた。自分のことを心配していた、ということは一目瞭然だった。老虎は笑みを作り「心配かけたな」と、シェイドの首に腕を回した。
「ヒヤヒヤしたぜ」
シェイドはおどけた調子で笑った。老虎と彼は学生時代に知り合った親友だ。二人で革命組に入り、それからずっとこうして行動を共にしている。
先に用水路に逃れてきていた仲間たちと合流した老虎たちは、汚水の中を歩いて行く。ひざ下までの革靴のおかげで、足元を気にする必要はなかった。すると、その先には長身のがっちりした体躯を持った男が立っていた。
「どうだった」
彼の問いに、老虎は首を横に振った。
「すまねぇ。五人、獲られた」
その答えに男は軽くため息を吐いてから、声色を明るくした。
「お前たちだけでも無事でよかった」
(すまねえ。本当にすまねえ)
老虎は心の中で何度も繰り返す。仲間が拘束されていることを、一番に憂いているのはこの男——革命組のリーダー、スティールだからだ。老虎が押し黙っているのに気がついたのか。スティールは別な話題を口にした。
「我々は目的の物を手に入れた。当初の目的は達成だ」
老虎は男の手に抱えられている緋色の古ぼけた書物を見据えた。
「そいつが例の
「ああ、そうだ。古物商に流れ着いていた古文書だ。これはかなりの収穫だ」
老虎たちはスティールと連れ立って、用水路を更に奥に進んでいった。
「王宮に保管されている古文書には、疑問点がたくさんある、と博士が言っていた。なんとか別の古文書を探していたところだったから。これは幸運だ。店主がさっさと売ってくれればよかったのに、ここぞとばかりにじらしてきたからな」
「落ちぶれたケチな古物商だったからな。金が欲しかったんだろう? ちゃんと売ってくれれば、金を払ったのにな。結局は儲けなしになっちまったってわけか。欲深くなっちゃいけねぇって話だな」
「大丈夫だ。ちゃんと最初にこちらで提示した金は置いてきたさ。おれたちは犯罪者にはならない。そうだろう? 老虎」
スティールは露草色の瞳を細めて笑った。無邪気さを残すような笑みは、彼が、まだまだ夢見る少年の心を持っている証拠だ。老虎はくすぐったい気持ちになってからスティールの肩を拳で軽く叩いた。
「この野郎。まったくよ。お前には参るぜ。大きな犠牲を出しちまったけど。大きな成果も得られた——ってことかよ」
スティールは用水路のとある場所で立ち止まり、横道に入る鋼鉄の扉を押し開いた。中は土をくり抜いたトンネルに繋がっている。周囲は木材で固定され、あちこちにランプが配置されているおかげで、土のトンネル内部は明るかった。
「老虎。犠牲と成果は天秤にかけるものではないんだよ。成果が上がったから、犠牲があってもいい、なんてこと、到底受け入れられないだろう? ——今回は魔法省が来ていたようだな」
仲間たち全てが土のトンネルに入ったことを確認し、スティールは重い扉を閉めた。
「いつもの、すかした兎野郎がいたぜ。なんなんだよ。あいつ。獣族のクセに。王宮に獣族はいねえって、お前、言っていたじゃねーか。ありゃ嘘だったのか?」
スティールは表情を曇らせた。
「いや、本来はいないんだ。唯一を除いてね」
「唯一って……。あの兎野郎は何者なんだ。なんであいつだけ王宮にいられるんだよ?」
(王宮にいられるだって? 違う。奴はきっと、いたくているんじゃない)
老虎は彼との会話の中、言葉の端々にそういう感情を読み取っていたのだ。スティールは言った。
「彼は魔法大臣だ」
「魔法大臣だって?」
素っ頓狂な声を上げたのは、シェイドだった。
「大臣自らが出てきて、おれたちの取り締まりをしているっていうのか?」
「そういうことだよ。シェイド」
「なんだって……。言葉を失うな。おれたちは、そんなにこの国から、危険視されているのか?」
シェイドは困惑した表情を浮かべていた。
「さあね。逆に考えれば、それだけ、おれたちのしていることは、大きなことだってことだろう? シェイド」
スティールの言葉に、シェイドは「それもそうか。おれたちはすごいってことだな」と納得している様子だった。彼の言葉は魔法みたいだ。不安な気持ちを和らげてくれる。だから、皆が彼を慕ってここに集まっているのだ。
それから、スティールは老虎を見据えた。
「彼はね。魔法の使い手としては最強だ」
「け、なにがすごい魔法使いだよ。おれに後ろを取られたくせに」
老虎は苦し紛れだと理解しつつも、そう吐き捨てる。スティールは苦笑した。
「後ろ? ——老虎。お前、遊ばれたな。無事ここにいられること。あいつの気まぐれに感謝しろ」
老虎は「面白くない」と思った。
(あんな兎野郎——。今度会ったら、喉元を掻っ切ってやる!)
老虎たちは長いトンネルを抜け、革命組のアジトへと帰還した。
***
帰還したエピタフは、王宮内が騒々しいことに気がついた。
「またですか。サブライム」
エピタフはこの国王の名を呟き、それから大きくため息を吐いた。
王宮は王都の中心部に位置する。遥か昔、人間たちの世界が広がる大地に、神の粛清が下りた。傍若無人に振る舞う人間たちに、神の怒りが頂点に達したのだ。神は忠実なる人間の一族を選びだし、彼らに言った。
『この地上に生きる者たち全てのつがいが乗るような大きな船を作ること。それから、その船にその者たちを乗せ、我の粛清を乗り切ること。生き延びた者たちは、種族を越え、手を取り合い、助け合って、再びこの地の再建を目指すこと——』
忠実なる人間の一族たちは神の言葉に従った。星の船が出来ると間もなく、地上は跡形もなく水に覆われた。水が引いた後、助かった者たちは、それぞれが生き残るために、種族を越え、交配を重ね、そして生き残るために効率のいい進化を遂げたという。
そのため、この世界には人間だけではなく、獣人という人種が生まれた。人間と獣たちの交配である。
また人類は性を一つとし、つがいになった時に、そのすみわけが行われる仕組みも作り上げた。つまりこの世界には、基本的には雄しか存在しないということなのだ。遥か昔は雄と雌がそろい、初めて子孫が残されたのだが、雄雌の対比も難しい課題であった。そのための効率化——がこういった結果をもたらしたのだった。
「エピタフ様、サブライム様とピス様が揉めておりまして——」
廊下を歩いて行くと、困惑した様子で、廊下を右往左往している者たちが寄って来る。
「わかっています」
エピタフは長い廊下の突き当りにある執務室の扉を押し開けた。
「外まで聞こえておりますよ」
「エピタフ、帰ったか」
ゆったりとした長椅子に座っている男は、エピタフの顔を見ると、嬉しそうに笑みを浮かべてから手を振った。亜麻色の髪を短く切りそろえ、キラキラと輝くような碧眼がエピタフを見ていた。この国の王——サブライムだ。
側に立っているのは、痩躯な初老の男だ。彼は銀縁の眼鏡を押し上げて、これでもかと額に血管を浮き上がらせている。
(ああ、ピスの体調が心配だ)
エピタフは、ソファの男から放たれるキラキラの視線を遮るように、厳しい口調で言った。
「迎えに行くな、と何度も言われているではありませんか」
「歌姫を迎えに行くのはおれの仕事だぞ。エピタフ」
平然と言い放つサブライムに、ピスは「言語道断です!」と叫んだ。
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