馬酔木と雛菊

うるふぇあ

馬酔木と雛菊


 少し湿り気のある冷たい風が前髪を揺らし、集中を途切れさせる。視線をスマホから外して地面を見ると、まだ少し青い枯れ葉が目の前に落ちてきたのに気がつく。虫喰いの穴と青と茶が混在したそれは再び風に吹かれて視界から消える。

 左手に持った煙草を見やると、いつの間にかその体積が煙草の半分近くとなっていた灰が自重で今にも落ちそうになっている。

 何となしにそれをぼうっと見ていると、「お、サボり君だ」と聞き馴染みの無い女性らしき声が耳に飛び込んできた。間近に聞こえたそれに思わず顔をあげると、これまた見慣れない顔が僕を見ている。本当に誰だ。


「……ええと。ごめん。どなたでしたかね」

「あっゴメン。実質初対面か。えっと、……隣、いい?」


 彼女の申し出に会釈で応えると、彼女は顔を綻ばせると礼を言い、僕の右側によっこいせ、と座った。独りだけだった喫煙スペースに人が増えたことと、それが右隣にいる言葉を交わした人だという事実にどことなく居心地の悪さを覚える。その気持ちを紛らわせる為に左手に持った煙草を見ると、既に灰は落ち、短くなっていた。それを灰皿に投げて、ポケットから新しい煙草を取り出し、口に咥えて火をつける。風で火が揺れ、うまいこと火がつかない。火力を調整すると安定したものの、勢いが強すぎて一気に火がついてしまった。慌てて止めると、不恰好に半分だけ燃えたタバコが煙を出し始める。


「じゃあ、改めまして、2年の『馬酔木 しろ』って言います。以後お見知り置きを〜」

「ああ、これはご丁寧に。僕は……こういうものです」

「あら学生証」

「わ〜写真写りいいねぇ『雛菊 葵』? さん」

「どうも……もういい? 何か恥ずかしくなってきた」

「わかる〜。ありがと。これは私も見せた方がいいやつ?」

「見せてくれるなら見てみたいな」

「へっへへ。そう言われちゃあ見せなきゃ女が廃るってね。はいどうぞ!」

「ああ、ありがとう。へぇ、アシビってこう書くんだ」

「そうなの。だいたいの人が読めなくて違う読み方されちゃうから、出席確認の時、毎回緊張するんだよねぇ」

「ああ、『ばすいぎ』とか」

「そうそう。ぽけっとしてると出席してないことにされちゃうからね。あまつさえピ逃げと同じ扱いされた日にゃあ夜も眠れませんよ」

「それは大変だ」

「でしょでしょ」


 会話が途切れ、少しの沈黙が喫煙スペースを満たす。気まずさを紛らわす為に煙草を吸い、何となく気になっていたことを聞くことにした。


「えっと、アシビさん、ひとつ聞いてもいいかな」

「ん? どうぞどうぞ?」

 

 僕の言い方が悪かったのか、いそいそと居住まいを正すアシビさんに笑いそうになる。それを勘付かれたのか、怪訝な表情を浮かべる彼女に慌てて本題へと入る。


「ああ、まあ大したことでも無いんだけど、ただ、何で僕に声かけたのかなって」

「あー……」


 アシビさんは仰々しく腕組みをし、眉根を寄せて視線を左上へとやった。そーだなー何て呟いたかと思うと、僕へと視線を戻した。


「ほら、今の時間A棟の501でやってる社会学、あるでしょ。私も取っててさ、そこで葵君を見かけたんだよね。よく前の方座ってたでしょ」

「ああ、うん。そうだけど……えっと、ごめん。俺は貴女のこと知らなくて」

「うん、そうだね。私が一方的に君のことを知ってただけ。片思い的なやつだよ」

「……ああ、そっか」


 アシビさんの言葉にどう返したものか、と考えるも、ここは無難に流した方が良いだろうと曖昧な言葉を返し、逃げるように煙草を吸う。


「ちょっと、そんな気まずそうにしないでよ。ごめんじゃん」

「はは……それで、アシビもサボり?」

「まあ、そんなとこ。あっ、神に誓ってピ逃げはしてないよ」

「いやそこはどうでもいいんだけど……」

「だってズルじゃんねーピ逃げなんて。わたしゃあ許せませんよ。あっ火貰っていい? 忘れちゃって」


 そう言うとアシビさんはトートバッグからポーチを取り出し、またそこから煙草の箱を取り出した。それを見て僕はマメな人だな、と見当違いな感想を抱きつつ、ライターをアシビさんへと手渡した。

 「ありがと」の一言と共に細く長い指が僕の指からライターを摘む。伏し目がちに口に咥えた煙草へとライターを持っていき、ヤスリを回した。ぼうっと上がった火が彼女の煙草の先端を包んだ。


「わっ火力つよっ」

「あ、ごめん」


 彼女が苦笑いしながら僕と同じように不恰好になった煙草を吸い、僕と違う匂いの煙を吐き出す。火力強いねー煙草通り過ぎて前髪燃えるかと思ったよ、と笑いながらライターを僕に返す。苦笑いで受け取り、煙草を吸って誤魔化す。

 少しの間、お互いに煙草を吸うだけの時間が流れた。最初は居心地が悪く感じていたはずが、いつの間にかそうでもなくなっていたことに気がついた。まあ、たまにはこういうのも悪くないな、と思いながら煙草と珈琲に交互に口をつける。ふと右隣を見ると、アシビさんは煙草を口に咥え、スマホを両手で持ち何やら画面をすごい勢いでタップしていた。

器用だな。なんて思いながらアシビさんを見る。今時は珍しくもないブリーチされた白髪に近い……銀? 何色だこれ。とにかく派手な髪を肩くらいに切っている。これだけ派手なら見かけたことくらいはありそうなものだけど、まあ501は大教室だしな、と自分で納得させる。

いやでもどこかで見たことあるのかな、とアシビさんを見ながら考えていると、スマホへと怒涛の打ち込みを終えたアシビさんがふぅと息を吐き、僕へと顔をあげた。大きな瞳が僕を映し、バチりと目が合った。思わず目を逸らし、見てもいないスマホへと逃げる。画面には現在時刻とニュースアプリと動画アプリからの通知だけが映っていた。


「あっごめん。それでね。やっぱピ逃げはさー」

「あ、その話掘り返すんだ」

「え、いや、だってぇームカつかない? いや、こうしてサボってる私が言えたもんじゃないんだけど」


 不意に電子的な鐘の音が喫煙スペースに設置されたスピーカーから流れた。講義終了の合図だ。


「お。終わったみたい」

「そうだね。じゃあ、僕はこれで。ありがとうアシビさん。おかげで楽しかったよ」

「こちらこそ! あ、ねえ、葵くん。LINE交換しない? インスタでもいいけど」

「……じゃあ、LINEで」


 そう言うや否やアシビさんはLINEのQRコードを画面に表示させ、僕へと差し出した。僕はなんだか早くしなくては、という気持ちになり、それを読み込み『あしび しろ』を友達へと追加した。


「やったぁ。ありがと。『あおい』くん。適当にLINEするね」

「じゃあ、適当に返すよ」

「へへ。楽しみ。じゃあ私次の講義B棟だから行くね」


 そう言い、アシビさんはスマホをトートバッグへと仕舞い、校舎へとつま先を向ける。何となく僕も立ち上がると、思いの外アシビさんの身長が低かったことに気がついた。彼女が手を振るので、僕も手をあげて応え、挨拶を返す。


「うん。また。アシビさん」

「うーん距離感じるなぁ……まあ、おいおいね! じゃあまたね〜」


 今度は返す暇もなくタッタカ早歩きで校舎へと向かうアシビさんを見送る。僕は再び喫煙スペースの椅子に座り、新しく煙草へ火をつけ、スマホへと目をやる。


 ロック画面には『あしび しろ』からの新しいメッセージがあるとの文が表示されていた。


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