【個人面談】

友稀-Yuki-

【個人面談】(1話完結)

 教室。机を挟んで座っている制服の女とスーツの男。

 一枚の紙を睨むように見る男と、それを心配そうに見つめる女。

 どうやら進路相談に来ているらしい。


「そうか……」

「すいません」

「うーん……」

「かぜたく先生なら、良いかなーって……」

「信用されてんなあ」

「信用ですか?それとも、信頼ですか?」

「それは君が決めたら良い」

「国語の先生なのに。職務放棄だ!」

「じゃあ真面目に聞くけど……、どうしてこう書いた?」


 紙には、『進路希望:無し』の文字。


「下に書いてある通りです。『やりたいことが出来たから』」

「大学通いながらじゃ駄目なのか?」

「勉強は勉強でも、机に向かうんじゃ嫌なんです」

「嫌、ってそれはただ逃げているだけだぞ」

「逃げちゃ駄目なんですか?」

「駄目だな」

「どうして?」

「そこが分からんと俺は倒せんよ」


 にやりと笑う風晴。水川は目を丸くする。


「……私、先生倒さなきゃいけないの?」

「あくまで比喩だけどな」

「あぁ!びっくりした」

「子供の考える事なんて解るんだよ、大人は」

「……」

「幻滅したのか」

「げぇっ」

「……駄洒落か?」

「なにがですか?」


 一つため息を吐く風晴。


「とにかく。このまま出すなら、先ずは俺を納得させてから、だな」

「先生、難しいこと言いますね?」

「そんなことない。水川は頭が良いから、大丈夫だ」

「え、どこが?」


 今までの試験の事を思い出す。お世辞にも良いとは言えない点数。

 再試験に何度も引っ掛かり、朝早く登校することもしばしば。

 水川は顔をしかめる。


「何も試験だけが頭脳指数ではないぞ。水川は言われた勉強をするよりも、自ら疑問に思った事を自分の力で解決したり別の解決法を探すのが好きなだけだろ」


 水川の肩の力が少し抜けた様だった。


「へへっ、かぜたく先生のそういうところが好きなんですよね」

「どーも」

「先生って、……彼女いるの?」

「いない、出会いも無い」

「なんで!?」

「出会おうとしないからだな」

「あぁ、自分で分かってるんだ」

「俺は仕事が恋人だ」

「生徒の事好きになったりしないの?」

「色仕掛けは通用せんぞ~」

「わぁ変態!」

「なんで俺なんだよ」

「違うの?」

「すり替えるな。先に仕掛けたの水川だろ」

「はーい。でも、私に色仕掛けなんて無理だと思う」


 肩をすくめる水川に、風晴は首を傾げる。


「根拠は?」

「だって、顔が先ず可愛くないもん」

「あとは?」

「あと?うーん、可愛くないし、色気も無いし」

「へえ」

「友達も少ないし、同世代の男の人はなんか苦手だし。……って!こんなこと乙女に言わせないで〜!」

「悪かった。でも確かに女子校だしな。同世代の男と接する機会少ないよな」


教室を見渡す風晴。


「……先生、なんでこんな所に来たの?」

「給与が良かったから」

「しょうじき~」

「こういうのは正直に言うのが一番だ」

「へぇ、凄いなあ」

「皮肉か?」

「流石かぜたく先生」

「なんで?」

「だって女子校に単身乗り込む男性って、やっぱりなんか変ですって。女性ばかりで肩身の狭い思いするのはもう、見えてるっていうか」

「まあ気は遣うけど、別にどこ行ったって変わらんよ」

「え~?まあでも、かぜたく先生は、他の先生と違って堂々としているから、生徒としては逆にありがたいかも?」

「……風晴な」

「え?」

「だから、風晴、な?先生をあだ名で呼ぶな」

「え~つまんない」

「いや文字数変わんねえんだから普通に呼べよ」


 どこか楽しそうな水川を見ていると、風晴も、自分が気を張る必要は無いという事に改めて気づかされるようだった。


「というか!こんな無駄話ばっかりしてて良いの?」

「あぁ。それは気にしなくて良い、今日はもう面談待ってる生徒いないから」

「あれ?いなかったっけ?」

「さっき変更の相談に来てな。日を改めたんだ」


 嘘だ。あの紙と対峙する為に、今目の前に居る、悩みを隠し持つ一人の人間と向き合う為に、と、風晴は控えていた生徒に急遽日程をずらしてもらっていた。

 申し訳無い事をしたかなあ、と風晴はぼんやり考える。


「じゃあ、ラッキーってこと、なのかな……?」

「だからまあ、時間のことは考えなくて良い。最終下校さえ守ればな」

「わあ余裕だあ」

「そう余裕だあ」


 下校時刻まであと一時間以上ある。本来、今日の内に向き合わなければならなかった子の為にも、今の時間は全神経を傾ける必要があるだろう、と風晴は姿勢を正す。

 面談期間というのは、短いようで長い。この作業は、いつまで続くのだろう。


「……まさか、納得させるまで帰れません!的な」


 必死な形相の水川に、風晴は思わず吹き出す。


「はは、まあそうだな。最終下校までは頑張ってもらおうか」

「わお。大丈夫かな……」


 そうだ、これは作業ではない。一人の人生が、動こうとする正にその瞬間なのだ。


「言っただろ。水川は頭良いんだから、大丈夫だ」

「はぁ……」

「ただ。まだ十七年という人生経験で、倍の年齢重ねた奴を、丸腰で、しかも一人で倒そうってのは、ちょっと渋いかもな」

「渋い?」

「厳しいって言ったら良いか?」

「お?お?!」


 水川の、純粋な期待を込めた視線が眩しく、その素直さが愛おしい。


「俺もその方法を一緒に考えるから。……俺を、倒してみろ」

「……わかりました」

「まず、ゴールはどこだ」

「先生を納得させること」

「……惜しいな」

「え?」

「どうせやるなら、大人を相手にするこった。先生とか、親とか、その時倒す相手を都度特定すると、何を言うべきか逐一考えるだろ?」

「うん……」

「それするとこう言われるんだよ。『言い訳するな』ってな」

「あの。その、『言い訳』って何なんですか?」

「おう。なんだと思う?」

「え。えっと……、嘘か真かってこと?」

「まあ良い線言ってるな」

「でも私、例え本当の事を言っても、『言い訳』って言われるんですけど」

「じゃあ、逆の立場で考えてみると良い」

「逆……」

「もし、水川が大人の立場だったら。そうだなあ例えば、水川は親で、五歳の可愛い子供が居るとしよう」

「子供って可愛いよね!」


 前のめりになって目の前の大人を見る水川。更に視線が眩しいのは、気の所為か。


「子供好きなのか?」

「大好き!無垢で、素直で、毎日がキラキラしていて。子供にしか味わえない、その瞬間の新鮮な気持ちとか、子供だからこそ考えつくような事とかあるじゃないですか」

「確かに子供って面白いよな」

「先生は、子供好きですか!?」

「あぁ。育てる気にはならんがな。俺は、子育ては向いてない」

「あ~……、分かる。私も、自分が育てる自信は無いんですよね〜。好きだけど」

「そうなのか?」

「向いてないもん」


 少し俯く水川。先程までの眩しさから逃れ、風晴は少し安堵する。


「どうしてそう思う?」

「うーん。幸せにできないから……?」

「幸せにしたいのか?」

「勿論!せっかく生を授かるんだから。精一杯、今を生きているって事を実感できるような、そんな時間を過ごせる人になってくれたらって」

「それは、水川がするのか?」

「する、と言うと、違和感あるんですけど、親として、子の幸せを願うのは当然の事かなって……」

「へえ」

「なんですかあ……?」

「気負ってるなあ」

「え?親ってそういうものじゃないの!?」

「いや、一般論でも良いけどさ」

「はあ」

「子供の幸せを親が勝手に決めて、そこに導こうとするってのは、親のエゴだと思うんだよ。子供だとしても一人の人間であることに変わりはない。君も含めて、皆誰かの子供として生を授かり、成長する。その中で、自分の幸せは自分で決めたら良い。それだけの話だよ」


 水川は不思議そうな顔をしていた。


「……じゃあ、どうして進路相談なんてあるんですか?」


 風晴は面喰らう。


「先生は、どうして勉強しろって言うんですか?どうして頭の良い大学を勧めるんですか?どうして、生徒に大学受験を強制するんですか?」

「……俺の事か?」


 水川は少し考え、首を横に振った。


「かぜたく先生は、寧ろ珍しい人だと思う。学年集会でも、受験を頑張りましょう、と先生たちが熱くなっている中で、かぜたく先生はどこか冷めた眼をしている気がして。だから余計に、どうしてこんなところに、って思ったんです」

「女子校ってのが理由じゃないのか」

「それもあるけど!でも、自称進学校だし……」

「知りたいか?」

「……うん」


 風晴は一つ、息を吐く。


「さっきも言ったが、別に他意は無い。給料が良かった。条件も、俺が考えていた中で一番俺に合っていた。まあ、居心地の良い空間か?と問われて、素直にイエスとは言えないかもな」


 水川の少し寂しそうな表情。


「でもな、居続ける理由は別にお金だけじゃない」


 水川が顔を上げる。


「ここの生徒は、皆素直で輝いているんだよ。とても眩しい。他の学校の生徒よりもキラキラして見える。贔屓目だろうが、生徒を受け持つと、愛おしいと感じてしまうものだし、この子等と一緒に自分も成長したいって考える。だから俺はここに居る」


 水川の眼に、眩しさが宿ったのが分かった。

 本当に素直で分かりやすいなと、風晴もどこか心が軽くなる。


「よし、先進めるぞ」

「はい!」

「今仮に。五歳の子供を持つ母親だとして、今親子で公園に来ている。すると、その子は遊んでたボールを追いかけて道路に飛び出してしまったとしよう」

「あ、危ない」

「そう、危ないな。幸い車も通っておらず、君もその子に追いついて公園にボールと一緒に戻ってきた。この時お母さんはどうするだろうか?」

「注意します」

「水川だったらどうする?」

「あ、そっか私か!……うーんと、どうして飛び出したのかを、聞きます」

「そしたら子供は『だってボールが行っちゃったから』」

「『だって』は良くないな。今聞いてるのは、その子自身が飛び出した理由だもん」

「そうだな。今度は言語化してみろ」

「え、えっと……、『ボールが、じゃないでしょ?ほら、車が危ないよ?』」

「『でもボールで遊んでたんだもん!』」

「『じゃあ、ボールが飛び出したら、貴方も飛び出して良いの?』」

「『良くない』」

「『じゃあ、どうして飛び出しちゃったのかな?』」

「素直なその子は少し考えてこう答えた。『追いかけたかったから』」

「『そうよね、追いかけたくなっちゃったんだよね。でもね、道路は危ないから、次から気をつけようね』」

「よし、水川帰ってこい。……今あげた具体例から、何かわかることはあったか?」

「えっと、ボール、は言い訳で、追いかけたい、は理由だと思いました」

「言い訳と理由は違うって分かっただろ?」

「責任転嫁してるって事?」

「流石、優秀だな」

「でも先生。理由を尋ねられて自分の事情を言っても、「言い訳だ」って言われる事って結構ありません?」

「そうだな。ここで思い出してほしいのが、大人と子供、だ」

「ん……?」


 風晴は、所謂≪総称≫や≪カテゴリー≫が苦手だった。個人を軽視している感覚がどうも拭えなかった。そのカテゴライズされる事に、救われる人が居る、と分かっていながら。

 そして水川もまた苦手としており、そんな風晴の思想を、言わずもがな理解している数少ない人間の一人だった。


「俺は今どうして一括りにしたと思う?」

「……皮肉?」

「ははっ、当たりだ。俺は良い歳して大人と呼ばれる存在が大っ嫌いだ。何故なら、大人には、都合ってものが付いて回るからだ」

「あ、そうかも」

「大人の中には、いや、結構大多数の人間が、自分に都合の良い事しか認めない傾向にある。俺の偏見も大いに混じっていることは認めるがな」

「先生、嫌いな物多いもんね」

「好きな物があるからだ」

「理由かなあ?それ」

「俺の話は良いから。とにかく、≪大人≫に≪理由≫を伝えるのって大変なんだよ。ここまで良いな?」


 水川は勢い良く手を挙げる。


「先生!」

「なんだ」

「心折れそう!」

「そうか。続けるぞ~」

「無視!」

「もう一度だけ言う。……水川なら大丈夫だ」


 風晴のこの声のトーンに、水川は救われる心持ちがしていた。

 静かに挙げていた手を降ろす。


「……信用なんだか、信頼なんだか」

「今回の目的をもう一度おさらいしよう」

「はい、大人を納得させることです」

「そこに必要なものはなんだ?」

「え、≪理由≫じゃないの?」

「それは、今俺に言われたからであって。水川自身が根本的に理解をしてないと意味無いぞ」

「……逆で考えてみれば良いのか?」

「やってみようか」

「もし、私が先生だったら。生徒の進路相談に乗る立場だったら」

「そして持ってきた書類に、希望進路無しだの、『大学受験辞めます』だのと書いてあったら?」

「あぁあぁ!全力で阻止したくなる!」

「何故だ?」

「大学行った方が後々楽だし、色んな知識学べるし、あと先生の立場としては、進学実績欲しい」

「よく解ってるじゃねえか」

「ここの生徒の間では常識です」

「でも今。自分で言っててどうだ?水川自身はどんな気持ちだ?」

「嫌だ!」

「ほう、どうしてだ?」

「めっちゃ大人に都合が良い!」

「気持ちは解るが、もう一声だな」

「もう一声!?」

「そうだ、大人に、先生に都合が良い。だが水川!今君は幾つだ?」

「17です!ぴっちぴちのJKです!」

「そうだ!今、水川はたかだか17歳で、進路を決めろと言われているんだ。それを踏まえて、さっき、水川が考えた、大人が言ってきた事を思い出してみろ」

「……うざい!です!」

「理由は?」

「大人の勝手な都合をぶつけられているから!です!」

「そう!あくまで、大人の勝手なんだ。だから、思春期である学生にとっては、素直に受け入れ難い。でも、その≪勝手≫の裏には、もっと大きな物が潜んでいるんだ」

「もしかして。……≪責任≫?」


 少し驚く風晴。


「……解っているじゃないか」

「大人には、子供を立派に育てる、という責任がありますよね、親にも、先生にも。社会人だと、後輩を育てるっていう、先輩や上司としての責任がある」

「一見すると、勝手な都合なんだけどな。でも仕方ないんだよ、大人になるとついて回るから。≪責任≫ってのは」

「……嫌だなあ」

「俺も嫌だよ、面倒だもん」

「じゃあ、どうしてそもそも先生っていう職業になったんですか?」

「金」

「しょうじき~」

「どこまでも、な」


 水川の表情が曇って来ているのを、この時風晴は見逃さなかった。


「やっぱり折れた方が良いんですか?」

「……どうしてそう思う」

「だって、丸く収まるから」

「……それだけか?」

「大人って、大変そうだなあと思って……」

「水川自身は、それで良いのか?」

「……嫌。ですけど、でも」

「でも、じゃない。嫌なんだろ?」


 水川は、小さく頷く。


「思い出そうか。ゴールは何だった?」

「先生を、大人を納得させること」

「そうだろ?まだ辿り着いていないのに、もう諦めてどうする。それじゃあ、本当に逃げているだけだ」

「逃げることは、駄目なんだっけ」

「その理由もまだだったな」

「うう……」

「今、どんな気持ちだ?」

「逃げたいです」

「どうしてだ?」


 水川の顔が更に曇る。この時ばかりは、普段他人の考えている事などあまり関心を抱かない風晴にも、今まで彼女は言いたい事を素直に伝えて来られなかったのだろうと、察することが出来た。


「素直に言ってみろ。大丈夫、俺は怒らないから」

「……」

「分からない、なら、分からない、で良いから」

「……分からない、です」

「……それで良い、続けて」

「分からない、頭がぐるぐるしています。なんでこんなに考えなきゃいけないのか、なんで逃げてはいけないのか、私には分からない、です」

「そうかもな」

「今の私にその答えを見つけられるとは全く思わない、です」

「……それで良いのか?」

「……だって」

「水川。『だって』は、≪言い訳≫だぞ」

「……嫌だ」

「他には」

「意味わかんない」

「あとは」

「泣きたい」

「他は?」

「悔しい」

「来た」

「え?」


 待ってましたとばかりに、風晴は水川に問い掛ける。


「悔しい、その気持ちに嘘は無いな?」

「……」

「嘘か、真か、どっちだ」

しん、です」

「悔しいって、なんで悔しいんだ?」

「え……、思い通りにならないから?」

「もっと突っ込めるぞ。そもそも、俺等の目的はなんだった?」

「……納得。あ」


 水川の中で、間違いなく何かが繋がった瞬間だった。

 先生や大人を、納得させること。その目的を忘れかけていたのだ。


「もう一度聞く。なんでお前は悔しいんだ?」

「自分自身が、まだ納得していないから」

「答え出たじゃねえか」

「え?」

「自分が納得していないのに、他人をおいそれと納得させられると思うか?」

「あ……!」

「逃げるっていう事は、自分自身が納得する、つまり、自分の中で筋を通す事を放棄する事だと俺は思う。逃げ癖だとか、恥だとか、そんな事はどうでも良い。後悔するんだよ、あの時どうして逃げたんだろうって。もうそこには戻れない。自分が考えている事とちゃんと向き合おうともせず、その内忘れてしまうからな」


 水川は返事もせず、ただ目の前の男の話を聞き漏らすまい、と必死だった。

 逃げたら後悔する。一体どれだけの大人が、その真意を知るのだろう。

 どれだけの人が、それを自分に、他人に、伝えようと思うのだろう。


「だが水川、これだけは覚えておけ。意味の無い事に、無理に納得しようとするな。正面から立ち向かう必要の無い時は、迷わず逃げろ。良いな?」


 水川には、今まで感じた事の無い程の温かさが、自分の心に刺さるのが分かった。


「俺等先生とか、親とかってのは、本来その為にあると俺は思うんだ。自分の生徒や子供たちが、理不尽な事や、一人では抱えきれない事から、いつでも逃げられるようにな」


 自分の目の前、声も出せずに真っ直ぐこちらを見つめるあどけない少女に、自分の言葉は届いたのだろうか。これを≪愛≫と呼んでいいのか、男には分からなかった。

 それでも、


「……ありがとう、ございます」


 彼女の震える声は、確かに、実感を伴って、風晴教諭に届いていた。


「ちょっと熱くなりすぎたな、すまん。さあ、最後の仕上げだ」

「はい」

「……何話してたっけ?」

「ええ!!」

「わりい!思い出した!俺を倒せ!水川!」

「雑ぅ!」

「ははっ。でも、どうだ、倒せそうか?」

「私が、私に素直になる事」

「そうだな」

「そして、大人の都合、を考える事」

「……誰がそんな事言った?」

「え?だって先生が、『大人には都合が』って」

「『だって』……?『大人には』……?それは浅はかってもんだぞ、水川」

「えぇ……?」

「お前今幾つだ?」

「……17歳。ぴちぴちJKです」

「そうだろ?お前が大人の仲間入りしようとしてどうする?今すぐ大人になりたいと思うか?」

「……なりたくない、って言う所なんだろうけど」

「なんだ?」

「なりたいって思う自分も、います」

「ほう、理由は?」

「先生を倒せるから」

「……他は?」

「……楽そうだから」

「……聞こうか?」

「先生と話していて、大人はずるいと思いました。≪責任≫は勿論重いかもしれないけど、でもそれがあるから、≪都合≫っていう免罪符みたいなものが出来て、自分のすべき事とか、その時の自分に出来る事が何か分かるじゃないですか」

「なるほど?」

「自分が、こうしたいって思った事をすぐ実行出来るし、≪責任≫があるという事は、それを盾にして自由に出来るじゃないですか」

「ふーん」

「……また分かんなくなっちゃった」

「まあ、言いたい事は分かるかもな。大人への憧れ、じゃないけど、子供から見ると大人って自由に見えるんだよ。夜更かしし放題だし、おやつ食べ放題だし」

「子供の発想……!」

「でも、強ち水川のそれは間違ってないと思うぞ、さっきの意見を聞く限りはな」

「私も、自分で否定は出来ないし」

「では改めて聞くが、大人になりたいか?」


 水川は少し考え、徐に口を開いた。


「直感だと、嫌だし、なりたくない!でも、大人の自由が物凄く羨ましい!わあ、なにこれ!どっちだ!?」

「じゃあ、こう考えたらどうだ?『何れなるんだから』ってな」

「……あ、そっか」

「生き急ぐな、水川。今を楽しめ、思いっ切り。今は、今しか無えんだから」

「……先生、格好良い」

「金のためだ」

「前言撤回」

「それで良し」


 子供はやっぱり苦手かもしれない。そう考える風晴だった。

 それでも、この純粋な眼差しを前に、自分が今まで見て来た笑顔の一つ一つを守りたい、と誓わざるを得ないのだ。


「でも、じゃあどうやったら先生も大人も倒せるんだろう」

「もう俺もできる部分は助太刀したし、そろそろ一人で倒しても良い頃だぞ」

「大人の都合に太刀打ちできるもの……?大人の都合、大人の、都合……。


 何を思ったか、風晴は突然立ち上がり、教室の中を歩き始めた。

 規則性は無い。机の間を縫ってゆっくり歩いたり、教壇に立ってみたり。


「自分の……、好きなように……?」


 最初こそ風晴を気にしないようにしていた水川だったが、次第に風晴の動きは煩くなり、足音やぼそぼそとした独り言まで、耳に入るようになってしまった。


「先生うるさい!」

「待ってるだけだ!」

「目の端でうろちょろしないでよ!気になるじゃん!」

「俺は俺の好きにしてるだけだ」

「じゃあ私も好きにする!」


 今度は水川が立ち上がった、かと思うと、いきなり風晴の視界から消えた。

 教室の床に寝そべったのだ。これには風晴も目を見張った。

 だが、風晴には風晴の意図がある。止めるわけにはいかない。

 水川はまだ考えている様だ。

 

「好きな、ように。私の、好きなように……。私、そうか、私だ!」


 風晴はほくそ笑んだ。思う壺だ、そう確信した瞬間だった。


「そうか!大人が自由にするならこっちだって自由にすれば良いんだ!」

「俺を倒せそうか?」

「倒さなくて良いんだ!私は、私だもん!私の好きな人生を選ばなきゃ!」


 立ち上がり、風晴を見据える水川。


「私の人生なんだから、私が自由に進めば良いじゃん!」

「……なら、今までの時間返してもらおうか」

「……え?」

「俺も他に仕事がある。にも拘らずこの時間お前に全部使って来たんだ。それなのに結果倒さなくて良いなんて言うくらいなら時間返せ、今までなんだったんだ」

「……」


 風晴はこれでもかと冷たい眼差しを水川に向けた。

 それは、風晴が冷めている時にする表情とは違う、相手の成長を試すものだった。


「良いか水川。好きな道に進む事と、好き勝手を履き違えるんじゃ無え、絶対にな。一歩踏み外せば敵どころか、本来居てくれるはずだった仲間すら失うぞ」

 

 水川は真っ直ぐに風晴を見据えている。

 この子は大丈夫だ。風晴はそう確信した。


「それでも良いってんなら俺は別にこれ以上何も言わない。だが、頭の良い君なら、それがどれだけ苦しいか分かるはずだ」

「……ごめんなさい、風晴先生」

「ただ、お前は倒したくないって思ったんだよな?

「……え?」

「だよな?」

「……ノリで言っただけだし」

「意外と人間、それが本心だったりするんだよ?」

「……はい、思いました」


 風晴は、にやりと笑った。


「一つ、良い方法がある」

「……なんですか?」

「待て。その時を。今は今のままで良い。その時は何れ絶対に来るからな。それまでは身を守るんだ。攻撃は最大の防御って知ってるか?」

「……えっと、攻撃には攻撃を以て、みたいなやつ?」

「あれの由来は、今言った意味とは少し違ってな。攻撃すべき時に攻撃を仕掛けるのであって、その時が来るまでは防御に徹底しろ、というものなんだ。だから、待て。どんなに理不尽だろうと、どんなに都合に振り回されようと、水川、君だけは自我を失うんじゃないぞ。逃げる先は、ここに一つあるんだから」

「……良いの?先生に、逃げて?」

「まあ、クラスが替わろうと卒業しようと、会えなくなる事はほぼ無いと思うしな」

「……えへへ、ありがとう、かぜたく先生!」

「風晴、な?」

「へへへ」

「さっきちゃんと呼べてただろ!」

「気のせい!」

「なら俺は先に帰るぞ~」

「え、待って!結局これなんて書いたら良いの!?」

「今日は喋り過ぎた。それに、失礼な生徒に教えることは何も無い」

「酷い!」

「大丈夫だ、水川。君は、他でもない。水川結依、君自身なんだから」

「……」


 自分が自分を見失わない。それさえ忘れなければ、彼女は、きっと。

 

「よし、もう帰る時間だ。また明日な」

「はい。先生、今日は本当に、ありがとうございました。」 

「あ」


 徐に立ち止まる風晴。


「スカートに埃ついてるから払って帰れよ」

「!!!」


 教室に下校の鐘が響く。

 子供たちの帰路を、今日も密かに見守っている。


 終

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