平凡冒険者のスローライフ

第35話 牧場の蜘蛛 ２

「グギャギャッ！──」

　糸を伝い燃え上がる炎から逃れる為、ストークスパイダーが巣を放棄し、爪を振りかざしながら落下してくる。

「──ザザーッ」

　俺は相手を視界に捉えながら後ろに飛び退き、着地と同時に迫り来る爪を回避する。

「ボボボ……」

　その後、こちらの様子を伺っているストークスパイダーに松明を突き出しながら距離を詰める。

「ギィィッ……」

　やはり火が怖いのかストークスパイダーが後退する。

「そのままだ……ダダッ──」

　相手が怯んでいる隙に走り寄り距離を詰め、短剣を顔面めがけ振り下ろす。

「ブンッ！」

　しかし間合いが甘かったのか、短剣はストークスパイダーの顔を掠め空を切る。

　ストークスパイダーは俺と距離を取る為さらに後退し、姿勢を低くして身構えている。

　戦闘となると狭く感じる牛舎の中で、睨み合いになる。

「ギギ……」

　ストークスパイダーは用心深い。

　狩りの際には相手を追い回し、体力が無くなったところに襲い掛かるという習性を持ち、勝てないと判断した相手には立ち向かわず諦める。

　俺の事は勝てる程度と判断しているだろうが、牛舎には他に何頭もの牛がいる。

　それに松明の火を恐れているのと、卵を燃やされたことで撤退か反撃か迷っているのだろう。

「ホー！　（テキ）」

　相手への威嚇か俺への励ましか、リーフルが鳴き声を上げる。

「ギィィ……」

　背負っている弓に手をかけつつ、松明を一旦置き遠距離から攻めようかと考えていると、その大きな目玉で俺をしっかりと見据えながら、ストークスパイダーが徐々に距離を取ろうと後退して行く。

　相手は八本もの脚を有し素早く動くことができ、その巨体が保有するスタミナも俺とは桁違いだ。

　遠距離から二、三本の矢で仕留められれば安全だが、確実性に欠けるだろう。

　外──広い場所での戦闘より、この狭い場の方が俺にとって有利なので、なんとか牛舎内で決着したい。

（これ以上距離を取られればみすみす逃がしてしまう……俺が前に出るしかない！）

「ダダッ──」

「ブシューッ」

　前へ走り出した瞬間、狙いすましたかのようにストークスパイダーが糸を放出する。

（しまった──誘われた！！）

　撤退していくものだと思っていたが、どうやら俺の接近に合わせ糸で絡め取るつもりだったらしい。

　前傾姿勢だったため俺の体を狙った攻撃はわずかに軌道を逸れ、糸は肩に止まっていたリーフルを襲い窮屈に縛り付ける。

「──！　ホー！！──」

「──バサッ」

　身動きが取れないリーフルが地面に倒れ落ちる。

「リーフル！！──クソッ！！」

　リーフルの姿を見て頭に血が上り、なりふり構わずストークスパイダーに突撃する。

　俺の接近に合わせ、ストークスパイダーは鋭い爪で切り付けてくる。

「シュシュッ──くっ！」

　怒りのアドレナリンのせいか、いつもの俺では到底及ばない反射神経を発揮し攻撃を避ける。

　その勢いのまま、松明でもう一本の脚の攻撃を防御し、短剣を突き立てる。

「ドシュッ──」

「──ギャッ！」

　脚にダメージは与えたがストークスパイダーは攻勢を緩める気配が無い。

「ギシャーッ！！」

　傷口から紫色の気味の悪い体液を飛散させながら、さらにその鋭い爪で襲いくる。

「シュッ！──」

「──このっ！──ジューッッ！」

　すんでのところで爪を躱し、松明を顔面に押し当てる。

　顔を焼かれたストークスパイダーから、その風体に似合わないなんとも香ばしい匂いが漂ってくる。

「ギャギャッッ！……」

　火が弱点のストークスパイダーは悶絶した様子を見せる。

「今だ！！」

　このチャンスを逃すまいと、俺は短剣を顔面目掛け振りかざす。

「ブシューッ──」

　生存本能からか、苦し紛れにストークスパイダーがさらに糸を放出する。

「なっ──」

　無造作に放出された糸は、回避する間もなくグルグルと両足を縛りあげる。

　俺は体勢を保てずストークスパイダーの方へと倒れ込む。　

（うっ……いや！　このまま！！）

「ドスッ！！──」

　倒れ込む勢いそのままに短剣を顔面に突き立てる。

「──ギシャブッ……」

　貫いた一撃が致命傷になったようで、ストークスパイダーは脚をピクピクと動かしながら沈黙した。

「っく……リーフル！！　大丈夫か！」

　両足の糸を切り解き、慌ててリーフルに駆け寄り解放してやる。

「ホホーホ（ナカマ）……」

　幸いな事にケガはないようで、肩にとまり頬擦りをしてくれる。

「ふぅ……ごめんなリーフル、怖かっただろ」

　激しい戦闘での疲労感と、リーフルが無事だった事への安堵でため息が漏れる。

「ホーホホ（タベモノ）」

　リーフルがストークスパイダーの方を向いて、食べ物かどうか聞いてくる。

「恐怖より食べ物ですか……はは、そうだな、お腹空いたな。でもさすがにあ（・）れ（・）は食べられないぞ？」

「あの大蜘蛛は火を嫌がるんですねぇ。いやぁご無事で何より、ありがとうございました」

　どうやら従業員は戦闘の様子を見ていたようだ。

「他に被害が出る前に処理出来て良かったです。討伐完了のサインをいただけますでしょうか」

　怒りの感情とは、かくも人間を突き動かすものなのか。

　リーフルに被害が及んだ時、いつもの俺らしからぬ無鉄砲だった。

　日本で生活していた頃も含め、俺は人生であまり強く怒った事が無かったので戸惑ってしまう。

　先日のロングの件──ごろつき達との時もそうだったが、激する事無くもっと自分を諌めなければ危険だ。

　前回同様、今回も上手い方に転んだのは運が良かっただけで、油断しない方がいいだろう。

　なにせリーフルは、この世で唯一の家族なのだから。