合格発表日に「受かったやつが泣くんじゃない」と声をかけてきた女子と隣の席になった

逸真芙蘭

誰そ

 3月も中旬。

 まだまだ肌寒い日が多く、朝晩はコートを欠かせないぐらいだが、その日の俺の手はねっとりとした汗で湿っていた。


 くたびれた小さな紙切れと、掲示板とを交互に見やりながら、上から順に書かれた番号を見ていく。


 番号は出身中学毎に割り振られているので、うちの中学で一番前のやつの番号が目に入ったのが分かった。

 ゆっくりと読むスピードを落とし、慎重に視線を下にずらしていく。見る速度を落としたところで結果に影響があるわけでもないのだが、番号と番号の行間さえも凝視する気持ちで俺は見ていた。

 心臓は胸郭を突き破るくらいに強く鼓動し、カラカラと口の中が乾いているのを感じる。


 0256。俺の一つ前のやつの数字だ。


 025……………7


「うおおおおっじゃぁあぁァァァ!!」


 俺はその場にいる誰よりも大きな声で歓喜した。

 周りにいた人が驚いて俺のことを見てきたが、各々のことで頭が一杯で俺を気にしている余裕なんてない。

 それに今日のこの場くらい多少大げさなリアクションをとっても構わないだろう。


 俺は自分の番号を見つけられたことに心底安堵し、とりあえず母親に桜のスタンプを送信しておいた。


 俺の雄叫びを聞きつけたのか、隣に住んでいる幼馴染の亮介がニヤニヤした顔でこちらに近づいてきた。亮介は俺より後の番号だから、まだ見れてはいないが、あの顔を見るに落ちたということはなさそうだ。


「受かったのか、じん

 亮介は確信したような顔をしていたが、俺にそう尋ねてきた。


「あぁ」

「良かったな。俺もだ。これでまた三年間……て、泣いてんのか?」

 亮介が指摘して初めて、俺は泣いていることに気づいた。一気に緊張が解けた拍子に、涙腺まで緩んでしまったらしい。


「やべっ。ホントだ。だせえな」

 俺は慌てて手で涙を拭った。


「あははは。よほど嬉しかったんだな。お前、面接でしくったってずっとメソメソしてたから」

「めそめそなんかしてないし」


 俺と涼介が軽口を叩き合いながら、肩を叩き合っていたその時のことだった。


「受かったやつが泣くんじゃない。もぉ」


 わりかし大きな声、それもかなりの至近距離でそう言い放った奴がいた。女の声だ。


 ぎょっとしてそちらを見れば、メガネをかけた地味めの女子が、こちらをじっと見ていた。


 俺も亮介も反応に窮した。

 俺たちの理解が追いつかず、口をぽかんと開けていたら、その女子は何事もなかったかのように立ち去っていった。


 俺と亮介は顔を合わせ異口同音に言った。


「「誰あの子?」」



   *


 合格発表日からおよそ一か月。

 つつがなく入学式を迎えた。

 俺達新入生が正式にこの高校の一員となるのは、今日からではあるが、俺は亮介と一緒に、一足早くサッカー部の練習に参加していた。そのため既に何度も校門をくぐっており、さらに着ている制服も中学のものをそのまま使用するので、すごく新鮮な気持ちでいるわけではない。もちろん多少の緊張感はあったが。


 昇降口に入り、靴を履き替え、入学者説明会で知らされていた、新しい教室の場所に向かい、座席表を確認して、自分の番号のところに座る。


 教師が教室に来るまでの間に、亮介と、俺達と同じように早くから部活に参加していて仲良くなった奴らが、顔をのぞかせに来た。その連中は教室をわいわい騒がしくして、始業五分前のチャイムが鳴ったところで、各々の教室へと帰って行った。

 クラスのほとんどの席はすでに埋まっており、互いの様子を恐る恐る窺うように静かに過ごしている。少々気味が悪いくらいに静かだ。彼らが普通で、俺達のように初日から騒いでいる方が特殊なのだろうが。

 

 そんな中、一つだけ空いている席があった。俺の隣の女子の席だ。

 まだ鞄も置かれていないので、学校に来ていないのだろう。もうすぐ始業時間だ。初日から遅刻する気なのだろうかと、ぼんやり考えていたら、がらりと戸が開いて、担任らしき教師に促されるように、一人の女子が教室に入ってきた。

 静かだった分余計に目立つ。皆の視線がそちらに向き、その眼鏡女子は少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、きょろきょろ教室を見渡して、空いていた俺の隣の席を見つけ、こちらに小走りで向かってきた。

 と思ったら、誰かしらの鞄にけ躓いて、派手にすっころんだ。


 ちょうどそこで、始業のチャイムが鳴った。


 誰も笑わなかった。むしろ笑ってやった方がよっぽどよかったかもしれない。


 さすがの教師も呆れたように

「……大丈夫かぁ?」

 と声をかけた。


 その女子はすぐに起き上がって

「あ、はい、……大丈夫です」

 とまた顔を真っ赤にしながらもぞもぞ言って、席にたどり着いた。


 よっぽど急いできたのか、彼女はハアハアと息を切らしていた。皆に見られて顔を赤らめるくらいには気弱なのに、初日から寝坊するくらいには図太いようで、なんやら肝が据わっているのか据わっていないのかよくわからない。


 前に立った教師はやはり担任だったようで、軽く自己紹介を終えたのちにオリエンテーションを始めた。


 俺はその最中、隣の彼女に

「大丈夫?」

 と声をかけた。


 びくっと驚いたように反応してこちらを向いた彼女の、その顔を見て、俺もギョッとした。


「あ、君。合格発表のとき、声かけてきた子だよね?」

「え、あ……」


 彼女もそこで俺のことに気づいたようで、すでに若干赤かった顔が、さらに真っ赤になった。


「だよね? 見たことある。あの時はびっくりしたわ」

「いやっ、ちが」


 彼女が否定するように首を振ったところで、ぼたっと机に血しぶきが飛んだ。


 鼻血が出てしまったらしい。またもや俺はぎょっとしたが、とっさに持っていたハンカチを差し出し、

「先生! この子、鼻血出ちゃったんで、保健室連れて行きます!」

 と手を挙げ、声を出した。幸い、入学前から部活をやっていたおかげで、保健室がどこにあるかはわかっている。


 担任は「入学式あるから、間に合いそうになかったら直接体育館来いよ」と言って、俺達を行かせてくれた。


 道中、彼女は俯いた状態で、無言のままだったが、怪我人に無理に話をさせる道理もない。俺は気にせず道案内をした。

 

 保健室につき、そこにいた養護教諭の先生に経緯を話したら、

「初日から散々だったわね」

 と彼女に慰めるように言い、俺には「入学式に遅れるから早く行きなさい」と言って、その通りに、あとは任せて体育館へと向かった。


   *


 クラスに合流した俺は、パイプ椅子に腰かけながら、例の女の子がちゃんと来れるか心配で、ちらちら入口の方を見ていたが、式が始まってからは、大人しく前を向いて座っていた。


 開会から数分ほどして、視界の端に人影が映った。例の彼女が来たのだろう。


 そのあとはほっとして、式に臨んだ。


 テンプレに沿った入学式が終わり、その後に行われた全校集会で生徒会長が場を沸かし、これまたテンプレであろう、生徒指導部の教員によるありがたいお話がなされて、セレモニーは終了した。


 再び教室に戻った俺達は、オリエンテーションの一環で自己紹介をして、アイスブレイクのために椅子取りゲームをした。


 例の鼻血を出した彼女については、名前が宍戸香蓮ししどかれんということ以外知れず、話もできないまま、その日は解散となった。


   *


 放課後、俺は亮介と連れだって、部活に向かったのだが、どこから聞きつけたのか

「おやおや関ケ原せきがはらじん君。君は入学初日から女子と二人きりで、保健室に行ったそうじゃないかね」

 とニタニタと卑猥な笑みを浮かべて、俺に話しかけてきた。

「……隣の女子が鼻血出しちゃったんだよ。しょうがないだろ」


 そうしたら亮介はいっそう、うれしそうな顔をして

「ほほう。じんくんのあまりの色気に、鼻血ぶーしちゃったわけか。お前の色気が染み込んだハンカチを渡したら逆効果なんじゃないか」

 と猩々よろしくいやらしく笑っている。一部始終見てきたかのように言う。まったく腹立たしい男だ。


「そんなわけがあるか。くだらないこと言ってないで、早く部活行くぞ」

 と俺が軽くあしらおうとしたのだが

「しかしお前も罪な奴だ」

 と亮介は続けた。


「……なにが?」

「今日のハンカチって、卒業式の時に女子にもらったやつだろ」

「……なんでお前は俺の今日のハンカチまで知ってんだよ、気色悪い」

「お前が、今朝家から出てくるときに、ポケットにつっこんでたから」

「ほんとにキショイって。何? ストーカー?」

「俺なりの愛だよ」

「だから、キショイって」

「ああ、流血ブラド姫にはあんなに優しいのに、竹馬の友である俺にはこんなに冷たいなんて」

「なんだよブラド姫って。変なあだ名をつけるな」

 鼻血を流すどころか、猟奇的な匂いすらする。


「で、どんな子なん?」

 亮介が尋ねる。

「……俺も驚いたんだけど、例の合格発表の時の子」

「え! あの『受かったやつが泣くんじゃない!』!?」

「そう」

「……まじか。それは……。運命だな!」

「いや、そんなんじゃないし」


 亮介は何をどう納得したのか知らないが、しきりに顎を撫でながら、溜息を洩らし

「しかしあれだな。やっぱり姉貴のいる奴は強いな」

「何が?」

「女の扱いに長けていてさ」

「……俺が女子の扱いに長けてるんじゃなくて、お前がむしろひどすぎるんだよ」

「どこが?」

「普通、友達に『お前の姉ちゃん、パンツ何色履いてんの?』とか聞かんだろ!」

「それ、昔の話だろ」

「昔ってお前、中三の時の話だぞ。ついこの間じゃないか」

「俺は過去は振り返らない男なんだ」


 俺と亮介がそんな感じで話しながら、歩いていたら、同じくサッカー部に入部希望の男子が話しかけてきた。

「なに、何の話?」

「こいつが女たらしって話」

「おい、亮介」


 その男子は続きを聞きたがったが、俺に小突かれた亮介は肩をすくめて、先は言わなかった。


   *


 明くる日、学校につき、教室に入ったところ、例のブラド……じゃなくて宍戸香蓮は、今日は寝坊しなかったようで、すでに席についてきた。


 俺と目があった宍戸さんは、会釈だけしてきた。

 昨日から薄々気づいてはいたが、内気な子なのだろう。

 そう思って、無理に話しかけるのも悪いと感じ、俺も会釈を返すだけにしておいた。


 本日からはさっそく、授業が始まった。中学からの復習なんて、生ぬるいことは行われず、教師陣は初日から飛ばしてきた。

 慣れない環境のせいもあったのだろうが、65分授業という、中学に比べて長めの授業時間は、脳を疲労させるのに十分すぎた。


 帰りのホームルーム後、心なしか重くなった頭をよっこらしょと持ち上げて、部活をするためにグラウンド脇の部室棟へと向かう。

 俺が教室を出たところで、今日一日まったく口を開かなかった宍戸さんが、俺を呼びとめた。


「あの!」

 俺は驚いて振り返り、彼女のほうを見やった。


「宍戸さん。どうしたの?」


「あ、えっと。昨日はありがとうございました」

 宍戸さんはモジモジして、目を合わせてはくれなかったが、そう言って昨日のお礼を言ってくれた。


「ああ。全然。そんな大したことしてないし」

「それで、昨日貸してもらったハンカチなんですけど、頑張って洗ったんですけど、シミが落ちなくて……ごめんなさい」

 そう言って、彼女が差し出してきたハンカチは、汚れないように気を使ってくれたのか、丁寧にジップロックにまで入れてくれてあり、確かに、薄いながらも、血のシミらしきものがあった。それも本当に薄くて、言われなければ気づかないほどだ。


「いいよいいよ。気にしないで。ハンカチなんて汚れてなんぼだから。ていうか捨ててくれても良かったのに」

 俺が彼女に気を使わせまいとそういったところ

「そうですよね。私の血が付いたものなんか、使いたくないですよね」

 と宍戸さんは肩を落として、あからさまに申し訳なさそうな顔をする。


「ええ!? いやそうじゃなくて、全然気にしてないってことなんだけど。むしろ、鼻血出やすい体質なら、君が持ってた方が良くない? きれいなの使うより、気が楽でしょ?」

「え、でも、これいいやつですし、もしかしたら貰い物かもしれないって思ったんですけど。違いましたか?」

「え、それいいやつなの?」

 俺がきょとんとした顔をしたら、

「……? はい。百貨店とかで売ってるブランドですよ。結構お高いと思います」

 宍戸さんもまたきょとんとした顔を見せた。


 卒業式の時に、良く知らない女子から貰って、使わないのも勿体ないと思って、たまたま持っていただけなので、それがどういう品なのかてんで無頓着だった。

 今更それを聞かされたところで、特段後悔などもしなかったが。


「それで汚しちゃったお詫びに、お返しがしたいんですけど……今日ってこの後空いてますか?」


 内気だと思ったが、ぐいぐい来る。シャイな性格以上に、礼儀正しい子なのだろう。

 本当は部活に行くところだったが、正式に一年生が活動を開始するのはまだ先だ。俺が今日練習に行かなかったとしても、先輩たちは何とも思わないだろう。


 俺はそう思って、頷いた。

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