第11話「先住民と異邦人」②

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 ジャンの店は昼間は定食、途中に休憩をはさんで夜から酒場として営業する形態を取っている。そろそろ昼の仕込みをはじめなければ間に合わないと、店主の顔になったジャンが立ち上がる。他の従業員も来ると聞いたが、キーンも手伝いを申し出る。すかさず店長が仕事を振ってきた。

 床にモップをかけ、窓を拭き、買い出しに出る。

「おー、よしよし、よく働くなー。いっそうちの従業員にならねえ? あ、昼間だけな。夜はちょっと治安悪いし、酒を覚えてからな」

 キーンもハミオンの登録上は成人扱いになるが、まだこの店では酒を飲むことは許可されていない。

 酒よりも先に、身の振り方を考えなければならないのだが。

 と、そこで我に返る。

「ティエンは、グロリアの側にいなくていいのか」

 振り返ると、キーンのあとについて来るだけだったティエンが顔を上げる。

「我は置いて行かれた」

 あまり感情の見えない表情でこぼす。それでも少しばかり不満なのが透けて見える程度の付き合いはあった。

「どうやら、我はその黒のなんちゃらのお宝だったらしくてな。なのに勝手に外側を盛って可憐な少女にしたとなっては怒られるだろ」

 キーンにしてみれば、もとが刀剣で、それを軸に動く身体を作り、会話し、思考できるようにした、などと言われた方に驚いて持ち出しの件など忘れてしまいそうだが。

 そこで白い少女は人間らしい仕草でひとつ息を吐く。

「いま言ったことは半分嘘だ。我も共に行けば、確実に引き離される。そのまま術式を解体されるかもしれん。だが我には目的がある。グロリアもまた、向こうでやることがあるから行ったんだ」

 目的。ティエンは半身となる刀を探していると言った。

 では、グロリアは。

「……何をする気なんだ」

 短くたずねると、ティエンは窓の外に視線をやったあと、ぽつりとこぼす。

「この大陸を、壊すんだ」

 物騒な単語にキーンは思わず手を止めて少女に向き直るも、ティエンは茫洋とした眼差しのまま続ける。

「だが、グロリアは抜けているからな。誘いに乗って裏をかくつもりが、今ごろだまされて泣いているかもしれん」


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 真正幽世帝国(しんせいかくりよていこく)メレネロプト。

 方術絶対主義の国で、方術の位がすべて。加えて排他的なほどの血統崇拝。居住権を得るには純血が絶対条件のため、もし先住民との混血が認められた場合、当人だけでなくその血に連なるすべての人間が放逐されるという徹底ぶり。

 婚姻も操作され、よりよい血統を残す組み合わせを決められる。結婚するまで相手の顔を知らないなど当たり前。生まれた子供も能力開発のため親元から引き離され、集団での養育がなされる。

 それが、黒の姓を受け継ぐための覚悟。

「……だまされたなぁ」

 はー、あー、とグロリアは重い息を吐く。

「まさか、押印を偽造してまで嘘をつくとは思わなかった」

 グロリアは実家、というより、自分を産み、そして捨てた男女がいる家でのっぴきならない事態が起こったので帰って来て欲しい、という頼みを聞いて戻ることを決める。

 トラヴァース家の養女となってから、生家のことに意識を払う余裕もないほど大事にされてきた。むしろ、自分を捨てたのだと毛嫌いしていたほど。

 だがしかし、こちらにも事情があったので、そんな一方的な要請を受けたのだ。

 おそらく、この先に自分の目的につながる何かがある。

「無駄足だったかな?」

 何かがあるはずだったのだが、その目論見は外れた。

 とはいえ、半分は当たっていた。なのでこれからどう動くか算段する必要があるのだが、まずその呼び出された件からだまされていたことが発覚したため、次に出す手に悩んでいるのが現状だった。

 グロリアはいま、黒の一族が支配するメレネロプトにいる。

 ただし、呼び出した相手は血縁上の両親ではなかった。

「偽造犯が私の双子の姉の夫とか、実質他人では?」

 うそ、ひどい、身分詐称。と声を荒げたとしても、今のグロリアにはこの状況を打開する手はない。

 出て行こうにも、出入口には両脇に護衛という名の防壁が立っている。武器の類も取り上げられた。ただ、完全な密室や地下室というわけではないので、その気になれば脱走することは可能だろう。

 だが、部屋から出たあとが問題だ。

 敷地が異様に広いのだ。庭というよりひとつの市外が丸ごと入っているのではないかというほどの広大さで、それぞれの建物と小規模の庭が複雑に交差している。

 あと一番厄介なのが、方術至上主義の国なので、ここでは使用人ですらある程度の術式を使えてしまう。グロリアが脱走のために術式を組み上げれば、その段階で密告される可能性もあった。

 もしティエンを連れていたなら、今ごろ引き離され術式を解体されていただろう。

 ここまでとは思わなかった、とグロリアは浅慮を恥じる。赤ん坊のころに不要と放逐した娘を迎え入れるのだから、扱いは適当か、もしくは歓待されると考えていたのだ。

 まさか呼び出して来た相手が両親を語る偽物だったとは、と虜囚となった自身をなげきつつ、グロリアは現状を探る。

 通された部屋は、間取りも広く調度も豪華。厳重な監視をのぞけばおよそ虜囚の部屋とは思えない。

 だが外出ができず、人払いがされているのか、グロリアのいる棟全体に人の気配が薄い。誰か通りかかれば何か情報を得られる可能性もあったが、まず通行人がいなかった。

 グロリアは豪奢な椅子に座ると指を折る。

「えー、そもそも呼び出した目的は何だろ。……姉さん、亡くなったんでしょ? 会ったことないけど」

 少し前にジャンから受け取った調査報告書で、グロリアは双子の姉の訃報を受ける。姉は現在のメレネロプトでは女王と呼ばれる地位にいた存在で、彼女の死亡によりグロリア自身に何らかの影響が出るとは踏んでいた。

 だからこそ、生みの親からの呼び出しも大して驚かなかった。目的とは別に、一度は顔くらい拝んでおくか、と観光気分だったのもある。

 だというのに初手からくじかれてしまう。

 どうしたものか、と立ち上がり、今度は隣の部屋に置かれていた大きな寝台に転がってうなる。そうしていると、複数人の女性が室内へ入ってきた。女たちは寝台のある部屋の手前で止まると無表情のまま頭を下げ、中心人物らしい女が一言だけこぼす。

「お着替えを」

 言われて起き上がったグロリアは、自身の作業着のような服装を見て少しばかり息を吐く。使用人と思しき彼女らの方が、グロリアよりも格段に身ぎれいにしていた。


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「……グロリアは、メレネロプトの女王?」

「女王の双子の妹な」

 ジャンの注釈に、キーンは盛大に疑問符を散らす。

 夕刻、昼間の片付けと夜の仕込みが大方片付いたところでジャンが休憩がてら説明を再開してくれた。

 キーンは夜の酒場に出るなと言われているので、夕食用に今日のつまみとして出す品を載せた皿が渡される。他にもパンとチーズが入った具だくさんのサラダもつく。野菜だけでなく肉も入っているし、甘酸っぱいソースが食欲を誘う。

 根本的に知識不足のキーンに、ジャンはいろいろと解説を加えてくれた。

「入植者、というか、黒の一族の一部には、双子は禁忌っていう考え方があるんだよ」

 一回の出産で産まれてくる子供はひとりという考え方のもとで忌避されたのが、多胎妊娠、双子は畜生腹とまで言われ、差別の対象となってしまう。

 ただ根底には、後継者順位の選定が難しくなるといった問題があるからだ。そのため、双子の片方は養子として秘密裏に外へ出されるのだという。

 そうしてグロリアは黒の一族の枠外へ放出され、以降は何の関わりもなく過ごしていくはずだった。

「だが、家督を継いだ双子の姉が死んだ」

 出産時の事故で、グロリアの姉は亡くなったのだという。そこでなぜか、いないものとされていた妹のグロリアが呼び戻された。今さらグロリアを担ぎ上げる目的は不明だが、楽しい話にはならないことは想像できる。

「グロリア個人というより、その血筋が必要なのかもな」

 くだらねぇ、とジャンは吐き捨てると、今日はここまでといってキーンの肩を叩く。

 気づけば窓外には藍色の幕が落ち、ジャンは店内の照明を増やしていく。最後に看板を開店を示す絵にひっくり返すと、男は情報屋から愛想のいい酒場の店主の顔になる。

 何か欲しいものがあったら言えよ、と言われながら、キーンとティエンは二階へ上がるのだった。


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 キーンは二階の一角に置かれた寝台の端に腰掛けた。空は藍色から闇色に染まり、店頭の明かりにひかれるように店に客が入ってくる音が聞こえてくる。

 長い間のあと、キーンは入口に立ち尽くすティエンに独白じみた声を向けた。

「……何で、グロリアは行ったんだ」

「目的のためだ」

 ティエンは無表情に応える。

「グロリアは一族とか、そういったしがらみを憂慮する気概はない。ただひたすらに、己の目的へ向かって猛進するだけだ」

「大陸の破壊、だったか」

「そう、そこに、我の目的も重なる」

「雌雄で作られた刀、その相方を探している」

 ティエンは首肯する。

「そうだ。我は雄の刀、干将に会いたい」

 聞けば、ずっと離れ離れだったのだという。

 どれくらい、とたずねても、さあ、とあいまいな返事しかなかったが。

「日時とか、年月とか、この身体を得るまで考えたことなど……そもそも、思考するという行為事態が皆無だった。だが、この大陸へ一緒に来た、それは確実なんだ」

 つまり、百年は行方不明になる。人間相手ならあきらめろ、と言ってしまうところだが、互いに無機物同士なら再会の機会はあるだろう。

「会って、手をつなぐんだったな」

「そうだな。といっても、まだつなぐ手を持ち合わせていないのだが」

 ティエンは腕を持ち上げ、長い袖に覆われた先端に視線を落とす。

「けど、そこから先は特に何もないが」

「会いたいっていうわりに、こう、何かないのかよ」

「仕方がない。離別から何かを思うことすら、グロリアの手に渡ってからだからな」

 だから目的がないというより、再会することこそが目的なのだ。

「我は、干将と会ったら何を考えるのか、それも知りたい」

 どう返していいのかわからず黙るしかないキーンに、少女は先の細い足でなめらかに歩いてくると、袖に覆われた腕を伸ばす。

「キーンも求めるものがあるから、その飾りをつけているのではないか?」

 赤い髪に揺れるメダル型の飾り。

 キーンの個人情報が載ったファイルにはさまれていたが、詳細は不明。当初は刻まれた文様から出身部族などの手がかりがわかるのではないか、とグロリアとジャンがほうぼう手を尽くして探してくれたが何もわからなかった。

 キーンも多くのスコルハに声をかけてきたが、過去への糸口は見つからない。多くのスコルハが病や戦乱で死んだ。キーンの生まれた部族もすでに存在しない可能性もある。

 それでも、親、もしくは近親者がまだ存在するとして、もし会えるなら。

「…………どうなんだろうな」

 わからない、だが、ティエンの言うように会うことが目的でもいいのではないか。

 そのために、探し続けたい。

 ティエンはキーンの前に膝をつくと、手袋に包まれた機械義肢に、己の棒のような腕を重ねてくる。

「我の目的に、手を貸してくれないか」


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 翌日、キーンとティエンはジャンの店をあとにする。

 片付けをするから、と言って出てきたが、ジャンには昼になったら食べに来いと言われたので、何もかも見抜かれている可能性が高い。

「グロリアを迎えに行って……それで、どうするんだ」

 部屋へ戻り、そこで向かい合って話をする。まだ早朝と呼べる時間帯ということもあり、一軒家は静かだ。もとから隣家と距離のある位置に建っているので騒音とは無縁だったが、室内は水底のように静まり返っていた。

 一人いないだけなのに、あまりの静けさにキーンは少しばかり戸惑うも、思い起こせばグロリアは常にせわしなく動き回っていた。声を荒げることはなかったが、いるだけで空気をかき回すほどの存在感があったのだ。

 ティエンがその空白を意識しているかはわからないが、少女の形をした刀剣は常と変わらない落ち着いた声音で話す。

「おそらく、グロリアのことだから、すぐに必要な情報は手に入れられるはず。だが、その……メレネロプトだったか、その国から抜け出すための手段は不足しているだろう。だから、迎えに行く」

 つまり、グロリアが戻ってくれば、自動的にティエンの目的につながる何かも手に入る。そして、その彼女の脱出の手伝いをしたいのだ。

「そんなに上手くいくかよ」

「だめかもしれないな」

 おい、とキーンは思わず声を上げてしまう。

「それでも動いた方がいい。グロリアのところへ行こう」

「大陸を壊すっていう目的を止めるのか」

「それは好きにさせればいいだろう」

 好きに、とあっさり言って来るが、キーンにしてみれば、何らかの比喩が混ざっているにしろ、壊すという単語には不穏なものを感じるので同意しかねた。

「それは、よくないことじゃないのか」

「壊す、という言い方が悪かったな」

 言いながら、ティエンはグロリアの部屋にあった小箱を示す。

「開けてくれ」

 表面に花が彫刻された小箱だった。鍵はなく、キーンがふたを開けると、中には雑多に物がつめ込まれていた。

「グロリアの宝物だ」

 小箱の中にあったのは、大半が石のようなかけらだった。だが小石とするには色がついたものがあり、触れてみると、表面がざらついていた。

「元はガラスらしいぞ」

 シーグラスとかいうものらしい、とティエンが言う。

 海中に投棄されたガラスが波に洗われ、削られ、表面がすりガラス状に削れてしまうのだという。

 そんなものが両手より大きな小箱の中いっぱいにつまっていた。

「……なんでこんなものを」

「グロリアは、外から来た贈り物だと喜んでいたな」

 外、とキーンはこぼす。

 ユージン大陸は、名前のとおり独立している。だが世界はそれだけではない。入植者らは、この大陸の外側からやってきたのだから。

「グロリアは、この大陸の外へ行きたいんだ」

 キーンは小箱の中へ手を入れると、その中のひとつ、シーグラスに穴をあけてひもを通したものを手に取る。

「大陸の、外」

 ハミオン以外の都市ですらほとんど足を踏み入れたことがないキーンには、大陸外というものはあまりにも途方もなく、想像しようにも漠然としたものしか出てこなかった。

「ああそうだ。外へ出るためには、この大陸を囲む術式を壊す必要があるんだ」

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